https://www.miyazaki-roken.jp/blog/post-6742/ 【松葉海蘭を見習って】より
【Flower That Accept Difficulties】
あらゆる困難をやわらかな曲線と しなやかな弾力で受け止めて 優しく笑ってみせる
そんな心で咲いていたいんです
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写真は「松葉海蘭」。「まつばうんらん」と読むこの小さな花は、花が海蘭(うんらん)に似て、葉が松葉のように細かいことが和名の由来ですが、蘭の仲間ではなくゴマノハグサ科ウンラン属の一年草です。北アメリカ原産の帰化植物であるこの花は、荒れ地のような厳しい条件下でも繁殖できることから、道ばたや庭などに勝手にどんどん生えてくるため、草むしりの際などにどんどん抜かれてしまう存在でもあります。
しかし、そのほっそりとした姿に似合わないしたたかさを思うと、様々な困難をその柔軟性と弾力性で受け止めつつ、優しい笑顔で咲いてみせる姿、私達人間も見習うべきものがあるのかもしれないと思い、上のような詩を書いてみました。
この松葉海蘭の花言葉は「喜び」、「輝き」。コロナ禍で大変な状況ではありますが、喜びと輝きあふれる未来を信じ、松葉海蘭のようにたくましく咲いて、笑顔で日々の業務に励みたいと思います。
facebookディヤン ムディト龍神界さん投稿記事
禅は、笑いという礎の上に築かれ、その伝統が25世紀もの間、光明の人達を生み出して来た。ほとんどの伝統が死に絶えてしまったが、禅はいまだに花々を咲かせている。
おそらく笑いに根を持つことで、それは至高の意識にも、根を持つことになったのだろう。
OSHO
facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
さあ、今がはじまります
新緑の季節に入ります。朝のおとずれも早くなりました。移りゆく日々の、いとおしいことです。
この世のものはみな、あるべきように創られていているのだと思います。欠けもなければ余分もない。すべてがともにあることで、絶対の美が仕上がっています。
天上界も自然界も人間界も・・・私たちの住処は、なんとも贅沢なものですね。
思い詰めるのは苦しいことです。けれども、その苦しさを知らねば、自己を解放できたときの喜びを知ることもできないような気がします。
人生は、あらなえる縄のごとしと言いますが、禍福、苦楽は表裏一体。苦しみの中にある人にとっては、こんな言葉は無力かも知れませんが、新たな一歩は、かならず来るものです。それは約束された未来ではなく、今の苦しみの中に潜んでいる真実だと思うのです。
季節が巡って新芽が芽吹くようなものです。暗い冬、冷たい風が、いまはキラキラの光にかわりました。
人生になにひとつ失敗がなく、後悔がなく、傷みや試練がないとしたら、人は人生の価値、生きることの意味を考えるものでしょうか。
いい季節ですが、一方では変化が多い季節であり、比例してストレスも多くなりがちです。この時季に体調を崩すという人も少なくありませんし、メンタル不調が起きやすいともいわれています。心の不調にはこんな要因もあることを知っておくとよいですね。
さあ、今日は今日を楽しむ一日です。
https://blog.goo.ne.jp/take10nbo/e/4bb85480578e565f2f0677c5e466ca4a 【谷間谷間に万作が咲く荒凡夫 兜太】より
谷間谷間に万作が咲く荒凡夫 兜太昭和56年、「遊牧集」より。
兜太さんは49年に日銀を退職され、その後熊谷に居を構えておられます。そして、もっとも秩父の山深いところに山荘を持っておられます。長年海程の俳句練成は、その山荘の近くにある民宿を借りて行われてきました。
初めて俳句練成句会に(海程では俳句道場と言っています)行きまして、兜太さんの山荘を見た時、私は大変感銘しました。
山道を歩いていてその前を通っていたのに山荘があると分ららず後で人に聞き見上げたら山荘があった。山の斜面に寄り添うように、溶け込むように、その小さな山荘は秩父の山に渾然と建っていました土着性を大切にされる兜太さんらしい山荘でした。
さて、掲句ですが、秩父はまことに山深い。山と山の襞、谷間谷間に村落がある。そして、山の春は満作の咲くことから始まるのである。
飯田蛇笏さんの住まわれた甲斐の国も熱さ寒さの厳しい所であるが、秩父も甲斐に負け天候の厳しい所である。「荒凡夫」は「あらぼんぷ」と読む。凡夫とは字の如く普通の人間という意味。親に「与太」って言われている自分でも、俳句のこととなると血気があがる、荒々しいと自認するのであろう、よく自分は荒凡夫だと、兜太さんは言われる。
掲句は早春の万作の咲くのを眺めながら、まこと自分は荒凡夫だなあと思う、というものだろう。「万作」に作者のどんな思いが込められているのであろうか。
万作は梅や桜のように香しく華やかな花ではない。べろべろと噴出したような黄色い花らしくない花であるしかし、その万作が咲くと春がやってくる、春を告げる花なのである。
そして「豊年満作」という言葉があるように、豊かな実りへの祈りのような、そんな万作の、
荒凡夫でありたいと作者は思っているのではなかろうか
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