http://kuuon.web.fc2.com/SEINOSIJIN/SEINOSIJIN.mokuji.html 【〈生の詩人 金子兜太〉 目次】
http://kuuon.web.fc2.com/SEINOSIJIN/SEINOSIJIN.001.html#1 【〈生の詩人 金子兜太〉 1~10】より
はじまり
「生の詩人 金子兜太」というタイトルのもとに私は何を書こうとしているのだろうか。時々、書かなければという思いが湧いてきた。その時は何を書こうとしているのかおぼろに解っていた。そしてまた時に、書けないだろうという思いも湧いてきた。あまりにもおぼろげで大きなテーマであるからである。そして遂に、書き始めれば何とかなるだろうという結論になった。
書けそうだ、書けるかもしれないという思いはこの「生の詩人」という言葉を思い付いた時からである。この言葉が私の中で指し示しているものを忘れなければ書き切れるかもしれないし、この言葉の意味が私の中で色褪せてしまったり忘れられてしまったら挫折するかもしれない。
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何故「生の俳人」でなく「生の詩人」としたか
何故「生の詩人」であり「生の俳人」としなかったのか。いくつか理由がある。
まず一般的には「詩」という言葉のほうが「俳句」という言葉より大きな概念であるからである。例えば、上質な香り高い生を生きている人を形容して「あの人の人生は詩のようである」と言うが「あの人の人生は俳句のようである」とは言わない。「クレーの絵には詩がある」と言うが、「クレーの絵には俳句がある」とは言わない。「詩を生きる」と言うが「俳句を生きる」とはあまり言わない。
次に兜太や芭蕉のような人は本質的に詩人であると思うからである。その意味は、彼らは俳句形式に詩を吹き込んでいるからである。俳句形式から恩恵を受けるというばかりでなく、俳句形式に恩恵を与えるというクラスの人だからである。
次に俳句は短詩型という一つの分野であり、この先言葉や環境がいろいろ変化してゆく時代の流れの中で、この形式が永続するかどうかは分らないし、たとえ俳句という形式が廃れてしまったとしても、兜太や芭蕉は詩人としてあるいは時代を生きた人間として忘れさられることはないであろうということもある。
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俳句形式の優れたところ
しかしやはり俳句というのはとても優れた詩の形式であるということを書いておかなければならない。その優れたところのものは主に〈短くて五七五という基本的な形を持っている〉というところから来る。多くの人が入門しやすい。日常的に書いてゆける。自分の中のより深い意識を探るのに適している。鑑賞者がとても自由に鑑賞できる。座の文学あるいは衆の文学としての媒介になりやすい。これらの俳句の良いところは全て〈短い〉そして〈五七五〉という基本的な形があるということから来る。
こう書くと、俳句がいかにも何かの方便として有効であるというように受け取られかねないが、兜太や芭蕉の俳句を見れば、俳句が文学として芸術として人間の表現し得る最高のものを表現しているという点で、立派な芸術の一分野たり得ているのである。
このように俳句というのは誰も仲間外れにしない包容力があり、しかも望めば最高の人間精神の表現さえもが可能な芸道であると言える。とても裾野が広く天に屹立している富士山のようだと譬えることが出来るかもしれない。日本の文化において他にこのような分野があるだろうか。
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俳諧という言葉
〈俳諧〉という言葉がある。大ざっぱに言えば、連歌から俳諧の連歌が起り俳諧(連句)となり、そしてその発句が独立して俳句となったようである。現在では殆ど連句は行われないから、俳句はすなわち五七五の独立した作品である。
しかし私はこの〈俳諧〉という言葉が好きである。この言葉に人間のエネルギーのようなものを感じるのである。例えばすでに確立されてしまった美意識を壊してさらに新しい美を発見して行こうとするエネルギーが内在しているような言葉であると言えないだろうか。私はこのエネルギーの流れの方向を二元的なものから一元的なものへの流れではないかと思っている。和歌や連歌の時代には美しいとされるものは非常に限定されていた。芭蕉に「柳に春雨は連歌であり、田螺取る烏は俳諧である」という言葉があるが、要するに和歌や連歌の時代には田螺や烏は美の範疇には入らなかったわけである。だから「鴬や餅に糞する縁の先」などという作品を得た時に芭蕉は嬉しかったのではないか、美の範疇がぐっと広がったわけであるからである。
〈俳諧〉はありとあらゆるものに美を見い出してゆくエネルギーの在り方であり、作品の一形態として〈俳句〉がある、というような意味でこの言葉を使っていきたいとさえ思っているくらいである。もちろん滑稽ということも含まれる。
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兜太は全体的である
さてこの俳諧のエネルギー、すなわちあらゆるものに美を見い出していくというエネルギーの流れをぐいっと押し進めたのが金子兜太ではなかろうか。私はそう思うのである。芭蕉も彼の時代においてこの流れをかなり推し進めたことは事実である。しかし彼の場合にはまだ聖と俗という分離感がある。しかし彼は封建社会という身分社会の中で最大限にやったという感じはある。そして金子兜太は時代にも恵まれたのかもしれないが、この俳諧のエネルギーを殆ど極限に近いところまで押し進めたのではないだろうか。
部分的にはその題材などにおいて新しいところを開拓した俳人は沢山いるだろう。私が言いたいのは、兜太は高い精神性と土臭い肉体性を同時に有しながら、人間存在の丸ごとでこの仕事を成したということである。
蕪村は美しい。一茶はまことに愛すべき正直者である。虚子にさえも美しいところがある。しかし彼らはすべて部分的である。兜太ほどの全体性を持った俳人はいない。
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白梅や老子無心の旅に住む~白梅や老子無心の旅に住む 『生長』
これは兜太が十八歳の時作った初めての句であるという。
美しいし大きい。あまりに大きいので却ってエネルギーの現れを感じないくらいである。例えば夜空全体のようかもしれない。ある星雲をクローズアップして眺めればそこにはエネルギーが溢れているのを感じるだろう。しかし夜空全体を眺める時にはそこにはただ調和と平和の感じがあるのみのような感じがする如きである。
私はこの句は金子兜太の句全体を理解する上でのマスターキーのような句であると思っている。白梅(はくばい)・老子・無心・旅、これらの言葉の総合から受ける感じが兜太の全句業すなわち兜太の生を貫いているように思うのである。
老子・・・私の理解では老子は生の全体性をそのまま生きた人物である。生へのイエスマンと言ったら良いだろうか。在りのままを認め受け入れしかも覚醒していた。そういう人物である。
無心・・・無心ということは人間の在り方の最高のものである。しかし実に誤解されやすい言葉であることも確かである。「自分は無心である」とか「自分にはエゴが無い」とか言ったら、その人は既に無心ではないからである。また「自分は無心を目指す」という言い方の中にさえ既に無心にはなれないものが含まれていると私は思うのである。私が金子兜太の句業全体を眺めるときに、無心とは実はこのような生の現れをするのではないかと思うのである。率直で豊かに感じ、あらゆる事を自分さえも勘定に入れて考える態度。全的に自由であり、それゆえに全体に対しての責任感がある。
旅・・・兜太は〈定住漂泊〉ということを言う。単なる〈旅〉という言葉よりはもっと全体的である。定住がやってくれば定住、漂泊がやってくれば漂泊という自在さがある。輪廻のごとく自在である。これに比べれば芭蕉の〈旅〉は直線的であり、時には悲壮感さえ漂ってしまう。
白梅・・・清潔で大らかで無垢で、しかも繊細である。
実はこの句はあまり兜太らしい句ではない。一般的にもそう思われるかもしれない。他の句によく見られる兜太独特のエネルギーや情感の表出や肉体感やアクが無いからである。これをどう説明しようか。全てのエネルギーが干渉しあってしまえばエネルギーは消滅したように見える、という説明はどうだろう。すべての要素を含んでしまえば要素が無いも同然である、という説明はどうだろう。あるいは壮大な交響楽の演奏の仕方を指示する楽譜のようなものだという譬えはどうだろう。楽譜から音が聞こえないように。とにかくそのようにこの句からは兜太独特の音がしないのは事実であるが、この句が金子兜太を理解する上でのマスターキーであるというのも事実である。少なくも私にとっては、である。
句集『生長』の冒頭の〈昭和十二年〉のところには、この一句だけが載っている。この句が実際にはどのように出来たのかは解らないが、そしてこの事は作者自身に聞いてみてもあまり意味の無いことである。優れた芸術作品は作者自身の手の届かないところからやって来るという事があるからである。そういう意味で金子兜太の一番最初の作品であるこの句はまさに天恵の句であったのだと私は思っている。
とにかくこの句が兜太に与えられた時から兜太は茫々とした人跡未踏の俳句人生を歩むことになったのである。
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彎曲し火傷し爆心地のマラソン
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 『金子兜太句集』
この句は金子兜太概ね四十歳の時の作品である。間違いなく金子兜太の代表作と言える。この句があるからこそ彼を全面的に信頼できる。「白梅」の句はもしかしたら私が騙されている可能性も有りうるが、この句には騙されようがない。いや騙されたっていい。この真摯、このエネルギーの純粋、生というものの真っ只中に存在する感じ、私が受けるこのような感じが私の独り善がりの感受だとしたら、私の生そのものが全く無意味なものであるという証拠でさえある。
「白梅」の句が夜空全体を眺めたときの調和や平和の感じだと書いたが、その言い方からすればこの「爆心地のマラソン」の句は一つの銀河の爆発の中心に自己が存在するような感じである。その爆発の中心点に在ってその爆発のエネルギーを感じながらも冴えた覚醒の中に居るという感じである。まさに「このように生きろ」と言われているような句なのである。
人間の最も愚かで悲惨な原爆というものが題材になっていることがこの句の価値を最大限にしていることも事実である。人間の愚かさや悲惨さから目を逸らすな、それとともに生きよ、しかも覚醒していよ、と言われているようである。そして当たり前のことであるが、私が感じるこのような示唆は何か差し出がましい教えの文句から来ているのではない。それは何から来るのか。それはとてもとても高い質の美から来る。この美を何と表現しよう。自然界を見たり聞いたり嗅いだり触ったりして感じる美ではない。人間存在の尊厳の極限の美、あるいはもっと抽象的にエネルギーと覚醒の調和の美とでも言ったらいいだろうか。
とにかく古今東西こんな句は他にない。俳句という範疇を超えて、人間の発し得る言葉として屹立している。
8
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 『少年』
この句は兜太概ね三十五歳の時の作品である。「爆心地のマラソン」はエネルギーそのものを描いたように抽象性が高く解り難いという人もいるかもしれない。その意味ではこの「蟹かつかつ」の方はとても人間的な手触りがあり解り易い。この句には人間の体温がある。「白梅」の句や[爆心地のマラソン」の句はあまりにも普遍性が高いので却って人間の体温は失われているようにさえ見えるが、それに比べればこの句は生身の金子兜太の肉体を感じるのである。人間は多面多重の存在であるから、どちらが良いとかいう問題ではなく、どちらも良いのであるが、むしろその人間の多面多重をそのままに描いていった金子兜太という俳人の〈生の詩人〉たる由縁に思いを馳せたいと思う。
さて金子兜太は「社会性は態度の問題」と言ったそうであるが、言葉としての現れはこの二句などによく現れているのではないだろうか。爆心地をマラソンする姿、かつかつと瓦礫を歩む姿、である。あらゆるものを美の題材にするのが俳諧精神だとすれば、社会性の問題も俳人が避けて通ることはできない。その面から見ても兜太の俳諧精神を具現している。俳句は花鳥諷詠だなどと言っていれば、それは俳諧精神の死、すなわち俳句の死につながる。
9
古代胯間抄
人間が関わるあらゆることに美を見い出してゆくのが俳諧のエネルギーだとすれば、人間の営みの中でも特に大きな要素である性愛を兜太はどのように書いたのであろうか。
句集『暗緑地誌』(兜太四十八歳~五十三歳の句集)に〈古代胯間抄・十一句〉と称する連作がある
泡白き谷川越えの吾妹(わぎも)かな
雉高く落日に鳴く浴みどき
胯深く青草敷きの浴みどき
森暗く桃色乳房夕かげり
髪を噛む尾長恥毛(しもげ)に草じらみ
陰(ほと)しめる浴みのあとの微光かな
黒葭や中の奥処の夕じめり
唾粘り胯間ひろらに花宴(はなうたげ)
谷音や水根匂いの張る乳房
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
瞼燃え遠嶺夜空を時渡る
これを読んで皆さんはどのように感じるだろうか。性への憧れ、ひいては生への憧れ。性の歓喜、ひいては生の歓喜。大自然の中の性の神秘、ひいては大自然の中の生の神秘。性の可笑しみ、ひいては生の可笑しみ。そんなものを私は感じるのである。大らかに、ロマンを持って、可笑しみも交えて大自然の中の性の営みを美しく謳い上げているという感じが私にはするのである。〈古代胯間抄〉という題名がまたとても俳諧的で愉快である。
10
柊花
同じく句集『暗緑地誌』の〈古代胯間抄〉より後の部分に〈柊花・六句〉と題する連作がある
棘の青銅重なりひらめきわが柊
朝月は野空の子宮その渇き
朝月去り漂鳥ある日庭に満つ
柊花なり漂鳥の唾ここに積り
唾白くひらくわれらが夜の刻(とき)
北風くる野の赫(あか)光り朝の愛
これなども性の営みの詩的表現であるように思える。〈古代胯間抄〉が古代の歌ならばこの〈柊花〉は上質の現代音楽という感じがするのである。
この二つの連作などを読むと、例の[都ホテル論争]などは子供の喧嘩のように次元が低い感じである。
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