https://www.haiku-hia.com/haiku_tsurezure/36.html 【haiku・つれづれ - 第36回
アートと俳句との対話】より マリサ・クラット + 小野裕三
小野: あなたは「俳句」と題した写真シリーズを制作されています。私はこれに大変興味を惹かれました。そして今日は、アートと俳句の関係についてあなたとお話する機会を得て、大変光栄です。
一般的に西洋の人は、俳句のユニークな要素として、簡潔さ、短さ、不完全さ、はかなさ、枠(フレーム)の外のこと、瞬間を捉える、自然界とのつながり、などに注目する傾向があります。西洋の人がこれらの特徴に興味を抱きがちなのは、それが西洋の人にとても神秘的に見えるからかもしれません。
また、写真と俳句はいくつかの点でとても似ているとよく言われますが、その一つは瞬間を捉えることです。
しかし、 あなたの「俳句」という写真シリーズでは、ひとつの作品の中の二つの要素とそのつながり、というものを意識することで、俳句の構造や形式に焦点を当てていると思います。
Untitled Untitledつまり、一枚の写真の中で、ある風景を上部に置き、そしてそれを反転した風景を下部に配置し、この二つをデジタル編集でつなぐ。この三つのパーツの関係は(五・七・五の三つの要素からなる)俳句の形式と深く関連しています。形式へのあなたの関心は、「Untitled」と題した人工物を写した一連の作品など、他の作品にも見受けられます(ちなみに、私はこのシリーズが大好きです)。このシリーズでは、自らに課した構造を採用したとあなたはおっしゃっています。
また、他の作品も俳句のさまざまな側面を思い起こさせます。例えば、道路脇のガードレールの表面をクローズアップした写真からなる「Fearless」というシリーズは、枠(フレーム)の外にあることというテーマを思い起こさせ、とても俳句的です。また、このシリーズでは、2つの写真を対にしていて、それは2つのイメージの対話に興味があるからだと述べていますが、この考え方もとても俳句的です。
それで、対話を始めるにあたり、まずこの質問から始めたいと思います。あなたが最初に俳句について知ったのはいつ、どのようにしてですか。そして、そのとき俳句についてどう思いましたか。
クラット: 父方の家系の一部がイギリス人で、母方がスペイン人なので、私は人生の大半をスペインとイギリスを行き来しながら過ごしてきました。ですから、私は生涯を通じて両国と関わりを持ってきました。私が初めて俳句に出会ったのは、バルセロナに住んでいたときです。そこで大学に通い、その後長い間滞在しました。80年代のその頃、マドリードで発行されていた文化雑誌がありましたが、とても国際的な内容でした。各号はまるで本のようで、とても美しく編集されていました。そのうちのひとつの号が谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を特集していて、俳句も掲載されていたんです。私が実際に俳句を集中して見たのはそれが初めてでした。日本人は(鎖国によって)長い間世界から閉ざされていたので、美的な観点から日本文化はとてもユニークで、だからこそ私はすっかり魅了されました。西洋文化とはまったく正反対である日本文化の特質は、抑制の概念です。つまり、充分なものは充分だ、ということ。一方、西洋の文化では、いくらあっても充分ではない、となる。だからその号で私は、抑制の文化、ありのままの文化、そして不完全さを美の一部として認める文化、について学びました。そのすべてが 80 年代の私にとって衝撃的でした。私はそれが世界、人生、文化を見るとてもよい方法だと思いました。それが抑制の美しさです。
昔ながらのやり方でよい俳句を書くには、非常に規律正しくなければならないのでしょうね。でも、ものごとは変化していて、日本の俳人も今では遥かに自由になり、俳句のルールをもっと緩めに解釈しているように感じます。
小野: そうですね。日本文化は西洋文化の影響を強く受けてきましたし、俳句も例外ではありません。例えば、60年代には前衛俳句という運動があり、彼らは五七五や季語といった俳句のルールを無視しました。
クラット: それについてどう思いますか?
小野: 実は、僕の俳句の師匠である金子兜太さんは、前衛俳句のリーダーの一人でした。だから僕も、若い頃は、若いからというだけの理由で、伝統的な俳句のルールに従うべきではないと最初は考えていました。
クラット: 私の考えでは、俳句を俳句たらしめるすべてのルールをなくしたら、それはもう俳句ではなく、ただの短い詩でしかないと思います。
小野: それは定義によるのですが、そのことについては永遠に議論が続いています。厳格なルールを守る人もいれば、そうでない人もいます。この点については、一つだけ言えることがあります。60年代の後で、多くの俳人が伝統に戻ってきました。私の見解では、その理由は非常に明白です。ルールがなかったため、結局彼らのスタイルは衰弱してしまったのです。
クラット: はい、それはまさに私の思っていたことです。
小野: 俳句にはたくさんの季語があって、歳時記という季語専用の辞典もあります。その辞典は分厚くて、何万もの季語が載っています。一般的に、私たちはこの世界の現実を見ると、それに対応する詳細な言葉が思いつかず、それを細かく描写するのは難しいと感じることがあります。しかし、季語について言えば、目の前の現実を非常に細かく描写できる数万の言葉があります。私は何十年も俳句を作っていますが、それでもまだ使ったことのない季語がたくさんあります。使ったことのない季語は私には未知のものであり、一種の謎です。このことが、季語のない俳句が衰弱した理由です。季語がないことで、彼らが思いつく限りの俳句の可能性をすべて消費してしまったのです。俳句は自然界と関係が深いと思われがちですが、もっと正確に言えば、自然界だけでなく、その数万の季語も重要な点だと思います。
クラット: つまり、一生俳句に興味を持ち続けても、俳句の可能性を使い果たすことはないということですね。
小野: それは本当にそうだと思います。それでは、次の質問です。好きな俳句や俳人はいますか? もしいたら教えてください。
クラット: 私は俳句に詳しくはないのですが、秋桜子という詩人の俳句と個人的に関わりがあります。 10年ほど前に(「Flora」と「Ophelia」というシリーズの作品の)展覧会を開いたのですが、その際にスペインの優れた美術批評家の文章が添えられました。彼女は秋桜子の俳句でその文章を締め括ったんです。私の作品について語ったとてもすばらしい内容の文章で、そして秋桜子の俳句がその文章を完璧に締め括りました。ですから、私はその俳句と個人的に関わりがあり、大好きな句です。私の子守唄みたいなものです。
菊の花へと 私が跪くとき 人生は静かになる 秋桜子
(わがいのち菊にむかひてしづかなる 秋桜子)
この句は本当に私に訴えるものがありました。それは自然の美しさと力、そしてある意味では儚さを認めるあり方です。そして、そのことがまさに私の作品のテーマでした。
小野: それで、「俳句」と題したシリーズを作ろうと思ったきっかけは何ですか?
クラット: プロセスがどのようなものだったかは正確には思い出せません。でも、頭の中で長い間ぐるぐる回っていたものが突然具体化することはよくあります。私の作品の背景には頻繁に現れるものがあるんです。特に写真だけをやっていたときはそうでした。私は純粋な写真家ではありませんが、長い間カメラで作品を作っていました。当時は、写真そのものにそんなに興味はなくて、写真と絵画やドローイングなどの他の分野との間で表現が行き交うことに興味がありました。「俳句」と題した作品の場合、それは文で書いたものを視覚的に表現しようとする方法でした。それは視覚的なイメージの文学であり、それが最初の動機でした。
それは私の作品によく現れるもうひとつの側面にもつながります。つまり、先述のような他の作品群には、何らかの基礎となる構造があります。それを制約と呼ぶこともできますが、私にとっては逆です。なぜなら、構造ができて制限されることで、自由を感じるからです。構造も制限もなければ、どこから始めてどこで止めていいのか分からず、圧倒されてしまいます。何か焦点になるものが必要なのです。ですから、俳句には構造があるという事実は私にとって魅力的でした。なぜなら、その構造の中で自由に取り組めるからです。
小野: この「俳句」と題された作品群の制作手段として写真を選んだのはなぜですか?
クラット: 若い頃は、私の作品は主にメディアの組み合わせや紙を使った作品などでした。それから写真を学んで、「俳句」シリーズの頃は、作品全般にデジタル写真のみを使用していました。季節を表現したかったので、写真ならすんなりとそれを実現することができたんです。同じ場所で、季節を通して同じ風景を撮影することで無理なく表現できるようにしました。デジタル写真では、カット、ミラーリング、歪みなど、後処理や操作をいくらでも行うことができます。ですから、私が思っていた構造のためには、そうするのが当然でした。
小野: では、あなたの写真にとって四季や自然界とはどのようなものですか?
クラット: 私は都会のアパートで育ちましたが、一年を通して週末のほとんどを、そして夏の間は何ヶ月も、ただ走り回って自然界と完全につながっていました。そして、こういうことがまさに人間を形作ると思います。ですから、子供の頃に土地と深く関わって育った場合、それは永遠にその人の中に残り、その人はそれに惹かれ、またそれはその人に訴えてきます。私の作品では、自然は非常に強いテーマですし、私が自然のことを語らないときでも、自然は何らかの形で作品の中に入り込んできます。
四季は、とても興味深いです。私はカナリア諸島で育ちましたが、そこは亜熱帯気候なので、季節の移り変わりなんて感じられません。永遠に春が続くみたいな気候で、冬は涼しい春みたいですし、夏は暖かい春みたいです。
しかし、子どもの頃、特に夏にはイギリスによく行かされました。そこで四季の概念を理解し始め、それが私に大きな影響を与えました。そして、四季とその多様性がある場所に住む方が幸せだと気づきました。自然界で何が起きているかをより興味深くかつ意味深く観察する機会が増えます。ですから、季節のない場所で育ったという事実が、季節のある場所に住む幸せを私に教えてくれたのです。
でも、日本には五つの季節があるんですよね? 二月は独立した季節ではありませんか?
小野: 正確には一月ですが、歳時記には五つの季節、つまり五つの章があるのは事実です。四季の他に新年が独立した季節になっています。
クラット: 「俳句」シリーズを作っているときに、そうやってみようと思ったんですが、冬の俳句と新年の俳句に違いがなかったんです。やってみても、目に見える違いがなかったので、意味がありませんでした。
小野: 日本の俳句で新年が独立した章になっているのは、新年を迎える風習や行事がたくさんあるからです。それは日本文化に深く根づいているのです。
クラット: そうです。だから、私にはそこまではできないと判断したんです。そんなことをしても意味がありませんでした。
小野: 四季のある世界は四季のない世界よりも幸せだとどうして思ったのですか?
クラット: それは個人的なものです。私は四季の多様性と自然の移り変わりが好きです。常に暖かい場所に住むことが幸せな人もいますが、私は違います。私は毎年季節を経験するのがとても幸せです。だからこれは私の個人的な好みです。一年を通して世界が変化するのを見ることの方が興味深くてワクワクします。
小野: 次の質問に移りましょう。写真と俳句には似たところがあると言われることがあります。例えば、瞬間をとらえるという行為。これについてはどう思われますか?
クラット: 冒頭でおっしゃったことには私も同意します。写真の周りには広がる世界という文脈があることが常にわかっていますから、写真はそれのほんの断片を選んで見せるしかありません。つまり、より広い文脈をより小さな断片に凝縮しているのです。それが俳句と写真の共通点だと思います。でもそれは、何にでもできることでもあります。絵を描くときだって、その周りには想像しうるもっと広い世界がありますから。ですから、それは写真に限ったことではないです。でも、写真の場合はそれが完全に自動的です。
とは言え、俳句はそれ自体が一つの存在なのだから、まさに作者が意図した通りのものとして、俳句は俳句であって、その周囲には他に何もないと主張することもできますよね。ではあなたは、より大きな何かの一部として俳句を見ていますか、それともそれ自体が一つの存在として俳句を見ていますか?
小野: 俳句と写真に共通する最も重要な要素は、やはり枠取り(フレーミング)だとあなたもお考えのようですね。私も全く同感です。俳句には枠(フレーム)を超えたものが大切ですから。つまり俳句では、一句ですべてを語るのは控えるべきです。そこでお聞きしたいのですが、写真の枠(フレーム)を超えた部分のことを意識していますか?
In Order to See In Order to See
クラット: 私はまさにそれをテーマにした一連の作品を制作しました。それは「In Order to See」というタイトルです。
私はイギリスの海岸沿いで写真を撮りました。その際、カメラのレンズの前に、真ん中に穴の開いたプラスチックのドームを置きました。私は、凝縮したイメージをその中央にかなりはっきりと見せたんです。しかし必然的に、フレーム内のイメージの周りに何か他のものがいくらかぼやけて見え、そして明らかにその外側にももっともっともっと何かがあると想像できます。つまり、これは私がやったゲームです。〝本物の〟写真家のふりをしながら、フレーミングがどのように機能するか、そして、写真が捉えた真実らしさが実際には誤りであることを示すものでした。それは常に何か別のものの中にある何かであり、何らかの方法でトリミングすることで物語を完全に変えられます。
私がこれをやった理由は、自分を厳密な写真家だと考えたことがなかったので、アーティストとして写真という表現を使うことに興味がなかったからです。私には、写真は何かを表現するために使うツールの 一つにすぎませんでした。写真家同士の付き合いには私はあまり馴染めてないんです。私はいつも自分をアーティストと定義しています。でもこのシリーズに限っては、ふだんの私のやり方ではなく、世界に出て行ってイメージを見つけて撮影しようとしたんです。
それでも、私の写真作品では、フレーミングは欠かせない要素です。たとえば、「Fearless」 という作品は、自然界だけでなく、汚染や化学物質、ときには人間つまり近くで使われたペンキの飛沫などいった、世界が作りだした模様を私が抽出しただけのものです。私が抽出したそのような絵は、自然と人間の活動の組み合わせが意図せずして作り上げたものです。それでも、明らかに最終的に絵を作るのは私の切り取りやフレーミングです。
Haiku Haiku
小野: 俳句の特徴のうち、写真やアートに最も効果的に応用できるものは何でしょうか。フレーミングもそのひとつだと思いますが、他にはどのようなものがありますか。
クラット: 文章以外の分野で俳句をやろうとすると、すべてのルールに従うのは事実上不可能だと思います。いくつかを選び、いくつかは省かなければなりませんが、イメージを凝縮するという意味でのフレーミングは明らかに取り入れやすいですね。
小野: では最後の質問です。作品から俳句のような感覚を感じるアーティストはいますか?
クラット: ジョン・ケージは明らかにそうです。彼は音楽で〝俳句〟をやろうとしたからです。彼は俳句の本質を正しく捉えていて、彼のそのような〝俳句〟作品はまさに俳句です。(音楽である制約から)必然的に彼は俳句の持つ季節の側面を完全に無視しましたが、音節の数を使って作品を仕上げています。ただし、音節とは何かについては彼独自の解釈をしていますが。しかし、そんなことはまったく知らなくても、ジョン・ケージのこれらの作品を聴くと、確かに俳句のように感じられるでしょう。
でも、あなたのその質問に答えるとすると、すぐに思い浮かぶビジュアルアートの作家が二人います。一人はロジャー・アックリングというイギリス人アーティストです。彼の作品は、風化した流木を使ったもので、彼はその木に虫眼鏡で太陽光を当てて線や模様を描いています。もう一人は韓国人アーティストの李禹煥です。彼の作品は必ずしも小さくはありませんが、簡潔で非常に抑制されています。
小野: 李禹煥は、日本語で「もの派」と呼ばれる運動に属していました。彼は日本語で何冊か本を書いていますが、その中の一冊で芭蕉の俳句について触れています。私の考えでは、もの派の感性は俳句の感性にやや近いと思います。
クラット: この二人のビジュアルアートの作品、そしてもちろんケージの音楽作品は、俳句にとても似た感じがします。ケージの場合は、意図的に〝俳句〟をやろうとしていました。他の二人の場合は、ただ自分のやっていることをやっているだけです。しかし私は、俳句に似た感覚をやはりそこに感じるのです。
(和訳: 小野裕三)
https://www.surugabank.co.jp/d-bank/event/report/121106.html 【旧約聖書の自然観】より
~ヘブライニズムとヘレニズム、そして日本の視点から~
旧約聖書は、長い時の流れの中で生まれた多種多彩な伝承、歴史物語、詩歌、知恵文学から成る人類の知的遺産である。もともとはヘブライ語で語られ記されていたが、紀元前3世紀頃、アレクサンドリアのユダヤ人たちの手でギリシア語に翻訳された(いわゆる「七十人訳聖書」)。旧約聖書の自然観について、ヘブライズムとヘレニズム、そして日本(特に東日本大震災以後)の視点から眺め、考えてみませんか。
感性と感性との対話を
d-laboがシリーズで取り組んでいる「アレクサンドリア・プロジェクト」。14回目の今回は、筑波大学名誉教授の池田裕氏をお招きし、その専門である『旧約聖書』について語っていただいた。現地で研究を重ね、古代オリエント史について数多の著書を持つ池田氏。語り口もまた軽妙にして洒脱で、聴いているとはるか遠い昔に記された『旧約聖書』が身近なものに感じてくる、そんな2時間となった。
今回のテーマは『旧約聖書の自然観』。律法、預言書、諸書の3部作からなる『旧約聖書』は、ヘブライ語で記されたユダヤ教の聖典であり、キリスト教の『新約聖書』の土台となった書だ。現代のユダヤ教の『タルムード』やイスラム教の『クルアーン(コーラン)』も元をただせばここに辿り着く。まさに人類の知的遺産と言える書である。
「ただ、それだけでは満足できないのが私でして…。」と池田氏。『旧約聖書』を語るとき、普通、そこに日本は関係してこない。だが長年『旧約聖書』に携わってきた池田氏の目には、両者に共有するものが見えている。その戸口となるのが「自然観」だ。
「『旧約聖書』の感性と日本の感性が対話をすることで新しいものが出て来るのでは。そうすることで『旧約聖書』も成長するのでは、と考えているのです。」
現在の日本は東日本大震災という未曾有の災害を体験したばかり。あの震災は、日本人に意識の変革をもたらした。同様に『旧約聖書』にも時代の転換期に直面した人々の思いが綴られている。諸書の1つである「コーヘレト書」。その第3章にはこうある。
「日の下では、すべてに時期があり、すべての出来事に時がある。(中略)崩すに時があり、建てるに時がある」
被災地の東北はここにある「崩す時」に遭った。自身いわく「2000年前の人間」である池田氏にとって、コーヘレト書は現代書も同じ。いまだ「建てるに時」を迎えていない東北の被災地を思うとき、コーヘレト書のこの一節を「痛切に感じる」という。
「『旧約聖書』はノアの箱舟にしてもバビロン捕囚にしても、苦しい経験や失敗の記録です。ヘブライ人(ユダヤ人)はそれを民族の最大の教訓として語り続けたのです。」
日本人も同じように東日本大震災を語りつづけてゆかねばならない。そしてやがては悲惨な体験をした被災地の子供たちの中から、想定外の出来事に対応する胆力を備えた次代の日本のリーダーが生まれるのではないか。池田氏は「直感的に」そう感じていると話す。
『旧約聖書』の中の無常
さて、『旧約聖書』の主要な舞台であるイスラエルやパレスチナの自然とはどのようなものであるか。特徴的なのは、ヨルダン川を除けば川らしい川がないことだ。水問題は常に深刻。1年は大きく乾期と雨期とに分かれ、年間降水量は500~600ミリメートル程度しかない。こうした土地柄だからか、『旧約聖書』の中には「春」や「秋」を示す言葉は存在しない。「しかし」と池田氏は言う。「短いけれども、春も秋もあります。」と。現地の人々はその短い春と秋を感じて生きてきた。季節を感じさせる記述も残っている。
「代表的なものが、エルサレムで言うならば雨期から乾期に変わるときに吹く東風です。」
『旧約聖書』中のヨナ書によると「太陽が昇ると、神は灼熱の東風を備えた」とある。またエゼキエル書は「東風がその実を枯らし、それらは奪いさられた」と記している。東風が大変な脅威であったことがわかる。
これが日本となると「亀の甲並べて東風に吹かれたり(小林一茶)」といったようにずいぶんのどかな「東風」となるのだが、地域によっては異なる。山形県の庄内地方を舞台に描いた藤沢周平の小説などは「氷のような東風が、棚田の上をふき荒れる」と、東風のおそろしさを描写している。熱い風と冷たい風の違いはあっても、強い風が作物に被害をもたらすという点では両者は一致している。
では宗教はどうか。一説に、多神教は感じる宗教であり、一神教は信じる宗教、日本人は無常観に生き、西洋文明はノアの箱舟にあるように生き残りの思想を第一義とする、とこのように言われている。けれど実際の『旧約聖書』には「草は枯れ、花はしぼむ」など「無常観が満ち溢れている」と池田氏は話す。
「違うのは、最後にプラスアルファがあること。無常を語っていながら、〈だが我らの神の言葉は、永久(とこしえ)に立つ〉とイザヤ書は説いています。」
こうした差はあるが、一神教もまた多神教的な「感じる」部分のある宗教なのだ。
理解の分かれ目は「感じるか、感じないか」
前述した「コーヘレト書」が生まれた時代は、ちょうどアレクサンドロス大王が世界を席巻し、アレクサンドリアという都市ができた時代でもあった。ヘブライ人にとってはギリシア文明が怒濤の如く押し寄せたグローバリゼーションの時代だ。そのなかで、『旧約聖書』をギリシア語に訳した「七十人訳聖書」がつくられた。古くからこの訳書の完成度の高さを語る伝承が語られてきたが、池田氏によるとヘブライ的「感性」の視点からいうと不十分なところがあるという。
「かれらは、その日の風の吹くころ、神ヤハウェの(足)音を聞いた。人とその妻は神ヤハウェの顔を避けて園の木々の間に身を隠した」
アダムとエバ(イヴ)が禁断の木の実を食べてしまったときのエピソードだ。大切なのは「その日の風の吹くころ」という部分。これがギリシア語訳ではたんに「夕方」とされている。若い頃、イスラエルに長く暮らした池田氏だからこそ指摘できることだが、「現地で夕方に吹くこの風はとても爽やかなもの」だ。アダムとエバはその風に乗って来る神の足音を聞いた。それは「感性」にほかならない。
「『旧約聖書』の中には感性に訴える記述が少なくありません。人種は関係ない。『旧約聖書』がわかるかどうかの分かれ目は、感じるか、感じないか、そこにあるんです。」
セミナーの締めは現代のユダヤ人国家であるイスラエルの紹介。第4次中東戦争の時代、ヘブライ大学大学院に学んでいた池田氏はイスラエル人の前へ前へと生きてゆく姿勢に心を打たれた。四国程度の広さしかない国土の中で、ミサイルが飛び交う環境にあっても画家は絵を書き、研究者は研究をつづける。そして一朝ことあらば兵士として戦場に出る。その精神的スタミナには見習うべき点が多い。
「私も彼らのようなスタミナをつけたい。それが自分の夢ですね。」とご自身の夢を語っていただき2時間のセミナーは幕を閉じた。
講師紹介
池田 裕(いけだ ゆたか)
筑波大学名誉教授/中近東文化センター附属三笠宮記念図書館館長
旧満州生まれ。青山学院大学博士課程修了後、1969年から1977年までエルサレム・ヘブライ大学大学院に学び(ユダヤ学・古代オリエント史)、同大学より学位(Ph.D)取得。主な著書に、『旧約聖書の世界』(三省堂選書・岩波現代文庫)、『岩波講座世界歴史・古代オリエント』(岩波書店)、『死海文書Q&A』・『聖書と自然と日本の心』(以上ミルトス)、『エルサレム』・『聖書名言辞典』(以上講談社)、『古代オリエントからの手紙』(リトン)、『総説旧約聖書』(日本基督教団出版局)。訳書に、『サムエル記』・『列王記』・『歴代誌』(以上岩波書店)、『エジプト歴代王朝史』・『ギリシア神話の世界』・『考古学』・『死海文書大百科』・『世界の碑文』・『図説古代オリエント事典』(以上東洋書林)、『聖書歴史地図』(原書房)、『ユダヤ人イエス』(教文館)などがある。
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