https://ooikomon.blogspot.com/search?q=%E9%AB%98%E6%BE%A4%E6%99%B6%E5%AD%90 【大井恒行の日日彼是 高澤晶子】より
【石田恭介「揚雲雀真昼の淵にとどまりて」(「花林花」第12号)・・】より
「花林花」第12号(花林花句会・代表高澤晶子)の特集「花林花の作家 その六」は「石田恭介自選百句 2010年~2017年」、高澤晶子「光のファイターー石田恭介論」によると、自選百句といいながら、100句に一句足りない99句しかないのだそうである(愚生は数えず)。そのⅤにあたる「幻視行ー追慕」に上げられた5句を評した部分、「残されし母と吹雪の夜に入る」「さびしさを重ね着にして母眠る」「雪しまく寝台の母の幻視行」について、〈吹雪の夜〉の句では、〈残されしが〉が〈母〉に掛かるのか、〈残されし〉で切れが入り主語は作者であるのか、二通りの読みが可能であるが、いずれにせよ母子は一体である。〈母眠る〉〈母の幻視行〉は恭介の深い眼差しが感じられる。秀句であるが、それ以上の鑑賞を拒絶するように屹立している正に「俳句」そのものである。と、高澤晶子の俳句観を述べるように記されている。愚生の好みの句をいくつかを以下に記すと、
墜ち蟬の投げ上げられて宙がえり 恭介
教室を逃れし先の青田風 改札へ押し寄せてくる涅槃西風
春嵐証明写真五百円 春浅し高きに鳥のすみかあり
光など風の透き間の遺失物 身をなげし者に長らく汽笛冴ゆ
神無月銃撃も空爆もある
石田恭介、1947年山形県米沢市生まれ。ともあれ、「花林花」今号よりの一人一句を挙げておこう。
水を買うことにも慣れて原爆忌 高澤晶子 病室の大窓西日逃れ得ず 廣澤一枝
草の春声には出せぬ革命歌 石田恭介 桜散るみんな居たのかこの星(おれ)に 北山 星
覚めかけてこの世の蒼さ冬霞 榎並潤子 妊婦そろりその母そろり秋祭 金井銀井
つれあひは詩商人なりつづれさせ 木津川珠枝 花遍路降りかかるもの掌に受けて 狩野敏也
御顔(みかほ)ほぼ無し炎天の石仏 原詩夏至
春雨の宙(そら)の真中に止みにけり 鈴木光影 パイナップル甘い香りや故郷の 島袋時子
白映えやポストに友の遺稿集 福田淑女クレヨンの空色折れてこどもの日 宮﨑 裕
【高澤晶子「母記す平成十年梅漬ける」(「花林花」2017)・・】より
「花林花」2017(花林花俳句会・代表 高澤晶子)、鈴木六林男の弟子だった高澤晶子を中心とする年刊俳句誌。「編集後記」によると月刊「花林花百十九号」から「花林花」百三十号までを一冊に集成したものだという。旧「花曜」のメンバーと推測する。同人名簿によると13名、他に物故会員6名の名も記されてあった。月例句会の他に現代俳人研究で加藤郁乎、「花林花の作家 その五 榎並潤子自選百句2008~2015年」、くわえて鈴木六林男「オイデプスの眼玉がここに煮こぼれる」の一句についてなど、当該年度の会の活動が伺える。
ともあれ、一人一句を以下に、
聞こえるは父のしわぶき母の歌 高澤晶子
白守宮ジュラ紀の匂うこともあり 廣澤一枝
走梅雨またあらわれる既視の街 石田恭介
その笑みは僕を溶かして春の水 北山 星
朝顔の門扉に迫る泥の川 榎並潤子
大病院裏の静謐水仙花 金井銀井
古里をかく恋ふと啼く閑古鳥 木津川珠枝
「次、終点金木犀が薫ります」 狩野敏也
春愁にゐて王国の真昼かな 原詩夏至
幽霊にしては日傘をさしてをる 鈴木光影
螢狩亡き兄も居る柳瀬川 島袋時子
秋雨に飽きて「たなばた」くちづさむ 福田淑女
風走り崖(はけ)にキツネノカミソリ来(く) 宮﨑 裕
*閑話休題
都心に出る用事があり、この機会を逃してはチャンスが無いと思い、「桜 モノクロームで愛でる」展(リコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.P 三愛ドリームセンター ~3月26日(日)まで。500円)を観た。愚生の友人の志鎌猛をふくむ4名(他は榎本敏雄、織作峰子、テラウチマサト)のプラチナプリントでの写真展だ。志鎌猛の便りには、日本では4年ぶりの展覧会で、この「展覧会には、私が生まれ育った武蔵野吉祥寺の井の頭公園と、目下の仕事場からほど近い山梨県身延山で出合った桜の、プラチナプリント6点を出展いたします」とあった。
いつも思うのだが、静謐ななかにも生命の蠢きが感じられる作品ばかりだ。
https://ooikomon.blogspot.com/2022/03/2022.html 【高澤晶子「私を離れて見よと桜の木」(「花林花2022」Vol.16 )・・】
「花林花 2022」Vol.16 (花林花俳句会)、特集は「俳人研究 石田波郷」である。愚生は、かつて、解放出版社の土方鉄著『石田波郷伝』を読んで、唯一、波郷の反戦意識に触れた書として、感銘したことがある。それもあって、波郷「霜柱俳句は切字響きけり」の句も多くの俳人が流布しているような韻文、切字主張とは別に考えていることは、これまでも言ってきたつもりである(句の発表時の背景を指摘して・・)。 他の記事としては「花林花の作家 その十 原詩夏至」について、高澤晶子は、冒頭、
原詩夏至は、俳句は元より、短歌・俳句・小説・評論のジャンルでも、その才を十全に発揮している表現者である。論ずるに当り、原の著書や関連資料に事欠かないが、この作家論では、提出された自選百句のみを対象とするものである。
と述べ、その結びを、詩夏至俳句は具象に優れ、その句意は明快である。その時空間軸は世界に偏在し、対象は変幻自在である。詩夏至にとって創作活動は息を吸って吐くような自然の営みである。だから燃え尽きることもなければ、枯れることもない。視野は360度と言ってもいいだろう。
鳥類は頭を殆どあらゆる方向に向けることが出来る。彼らは授かった美しい声で朝の歓びを歌う。詩夏至の身体を奏で、人間の歌を歌わせるのは、空の一片の雲や風に揺れながら草が撒き散らす光の粉である。
俳聖は旅に雀は蛤に (愚生注:詩夏至)
と記している。因みに、原詩夏至は、1964年東京生まれ。ともあれ、以下に本号より一人一句を挙げておきたい。
ヒトという健気な命露時雨 高澤晶子
烏瓜夜ごとの花は未完の詩 廣澤田を
恐ろしき峠を越えて薄原 榎並潤子
逃げる背に驟雨の街のかぶさりぬ 石田恭介
糸トンボそれほど空爆がしたいのか 金井銀井
不意にこゑして深秋の鳥の檻 原詩夏至
木洩れ日を光の穴と蟻の行く 鈴木光影
礎(いしじ)に名増えおりて今日沖縄忌 島袋時子
初時雨その後訃報の続きをり 福田淑子
立ち漕ぎで登る坂あり夏の雲 宮﨑 裕
土筆狩スカイツリーも10cm 杉山一陽
にじゃりじゃり雨のたっぷり春の土 内藤都望
狩野敏也「ねうねうとたまには古語で猫の恋」(「花林花」13号より)・・
「花林花」Vol,13(花林花俳句会)、「花林花の作家 その7」は狩野敏也、百句掲載と略歴、一句鑑賞のほか、作家論を高澤晶子が書いている。たただ、無念だったろうと思うのは、巻尾、最後のページに「二〇一九年二月三日、狩野敏也氏が逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします」とあったこと。たぶん、この「花林花」掲載の句が絶筆に相当しているかも知れない。特集は西東三鬼、相変わらず、時代を超えて三鬼は人気のようだ。本誌代表の高澤晶子は鈴木六男の弟子だから、系譜からすれば三鬼の孫弟子といえようか。西東三鬼論は、鈴木光影「とぼけた貴族ー西東三鬼と群衆」で、これまでの三鬼論のなかでも出色だと思うが、例えば「枯蓮のうごく時きてみなうごく」に「同時に全体主義に突き動かされた群衆心理の表出ともなっている」と読むのは、この句が作られた時期、根源俳句論争の時期だったことを思い合わせると、牽強付会の感がなきにしもあらずである。もっとも読者が勝手に読むのは、ファンタジーとしては可能だが、そこは冷静に読んだほうが、論全体の説得力がより増すはずであろうし、惜しいというべきか。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
川辺より川面に強く秋の雨 高澤晶子
狐火や山みな低く死者を抱く 廣澤一枝
「殺すな」のバッジ出でくる衣がえ 石田恭介
よくあることで済ますんじゃねえよ俳句 北川 星
啓蟄や人は軍拡狂騒曲 榎並潤子
洋梨の丸味ばかりでない形姿 金井銀井
落ち鮎の発意は如何に反転す 狩野敏也
その日父ゐて笑声の砂日傘 原詩夏至
まくなぎになりかけてゐるときのあり 鈴木光影
七五三祝二十歳(しめいはひはたち)の君をまた見度く 島袋時子
巨星墜つ辺野古の海の晩夏光 福田淑女
胸騒ぎばかりしてばったんこ 宮﨑 裕
★閑話休題・・加藤知子「猪の眼のかなしむときのアドバルン」(「We」第7号より)・・
「We」(We社)は、創刊より順調に号を重ねている。九州は熊本発で、しかも詩歌全般に、気鋭の執筆者を求めていることが伺える。今号は、共同編集発行人の一人・加藤知子が渾身の「律動する常少女性~石牟礼道子の詩の原点へ」を執筆している。たぶん、愚生よりはかなり若い人が、石牟礼道子に魅せられるなどとは、考えていなかったので、水俣が近いという地域性もあるのかも知れない、と思ったりした。ただ、このことには、加藤知子みずから、
私が生まれた一九五五年は、水俣病発生(水俣病の公式確認は一九五六年)の一年後のことである。胎児性水俣病患者は私であったかも知れない。そして、いつまでも原因物質が特定されず、チッソが垂れ流すメチル水銀化合物に汚染された魚を食べ続けた水俣の漁民たちがいた。
このようなことから、私は石牟礼道子に近づいてみたいと思ったのである。彼女が対峙した「近代」と、我が内なる「近代」について、考えるよすがとしたい。
と記し、そのことを、
(前略)わが内なる近代(近代国家の恩恵を受けて生きる生活者)と如何に向き合い克服していくか。一方では同調圧力を躱しながら如何に自分を信じ通すか。最大の課題は、表現者の誇りを持ちながら、如何に方法論的に俳句作品として提示していくかである。
と結び近くで述べている。詩は詩でないものに多くを負っている。課題は石牟礼道子亡き後を、あるいは加藤知子が金子兜太と比べているけれども、いずれにしてもそののちを如何に生きるかが、生き残された者にこそ問われ続けることなのだろう。
ひかり凪へ 不知火おとめは常少女(とこおとめ) 知子
島袋時子「同席の何か居心地悪き春」(「花林花」VOL.15 2021)・・・
「花林花」2021・VOL.15(花林花句会)、特集は「俳人研究 山口誓子」。同人それぞれが、誓子論を展開しているが、高澤晶子「俳句表現に於ける山口誓子の変遷」と題して第一句集『凍港』(1932年)から第7句集『晩刻』(1947年刊)を論じ、終えているのは、たぶん、山口誓子に学ぶべきものは、一応ここで区切りがついているということなのかもしれない。その結びに、
川音に冬の翡翠ただ一羽 晶子
誓子の『七曜』『激浪』『遠星』『晩刻』を通読して、私は淡々とものをよく見ることを学んだ。
月明の宙に出て行き遊びけり 山口誓子『晩刻』
とあった。愚生も多くの人たちと同じように、長く、現代俳句は山口誓子から始まったと教えられ、そう思ってきたが、今では、やはり、高屋窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」(昭和7年)の句から始まると考えている。ともあれ、同誌本号より、以下に一人一句を挙げておこう。
鬼灯を翳しあちらへ行きなさる 高澤晶子
あおあおと青松笠はよき硬さ 廣澤田を
背泳ぎのばた足で蹴る雲の峰 石田恭介
一茶忌や死の家の詩今ここに 榎並潤子
ふたところよりスズムシのふた音色 金井銀井
愛日や石の三猿皆痩せて 原詩夏至
厚氷一縷の草を織り込めり 鈴木光影
従弟・飯田邦夫との別れ
君送る夜の七夕飾りかな 島袋時子
雛一対秘めごとつひにあばかれず 福田淑女
杜若むらさきという色に咲き 宮﨑 裕
気がつけば行年同じ冬線香 杉山一陽
青空のノート注文梅雨の空 岡田美幸
熟れて割れじぐじぐどぅるる僕トマト 内藤都望
★閑話休題・・・山口誓子遺句集・二冊の『大洋』について・・・
「花林花」の特集「山口誓子」つながりで思い出したこと。山口誓子には、二冊の遺句集がある。一つは『大洋』(明治書院・平成6年刊)と『新撰 大洋』(思文閣出版・平成8年刊)である。『大洋』のほうは、松井利彦が「あとがき」を記し、その結びには、
(前略)ところが平成四年のサハリン行は誓子自身が
日本時代の面影は全く無く、外国になってた
と言っているように、太くて薄い虹の懸る、文字通りの外国行であったのである。それは八十年間、誓子の中に生きつづけてきた樺太を消し去ってしまった。(中略)
それは又、自分の中に生きていた日本の残像との訣れでもあった。
「皆さん、これが最後です。さようなら。さようなら。」
の言葉の中には心の中に生き続けた日本とそして日本領樺太の風物との訣れの言葉でもあったのである。
それに加えて再び来ることのない「ふるさと」樺太に対する永訣の言葉であったことを知るとき、一層の悲しみが加わる。
とある。では、同じ遺句集である『新編 大洋』は、何故、出版されたのか。そのことは、新撰の「あとがき」に、句の実作はされてこなかったが、弟の末永山彦が、
兄、誓子の遺句集となった第十七句集が、大洋の名の下に世に出ることは然るべきことであったから、編者からの提案に対して私共は直ちに承諾をした。
作者による自選が望めない遺句集であるから、作品の殆どを網羅したものを思い描いていたのであるが、平成六年明治書院より刊行された『大洋』は、編者の別個の判断によって、「天狼」発表作品四百八十二句から百八十六句(年間自選十句の中の十九句も含む)が省かれたものであった。
誓子が一年にわたる推敲ののちに「天狼」に発表した作品は余さず収めたかったし、他の新聞・雑誌に寄せた分についても、最後の気力を傾けてものにしたそれらを、相当量句集に留めたかった。(中略)
従って本書には『紅日』以後、「天狼」平成五年九月号(最終号)に至る期間の「天狼」発表の全句四百八十一句、これに加えて外部発表の百三十三句を収めた。
本書の六百十四句を含めて、『凍港』にはじまる全句集所載の作品の総計は九千八百三十九句となる。
と記している。以下に幾つかの句を挙げておこう。
坪庭の雪いつまでも穢れざる 誓子
紅椿壁爐の上の瓶に挿す
死者の山下りて生者の寒き村
雪の富士宝永山も雪の壺
初凪の眞つ平なる太平洋
山口誓子(やまぐち・せいし)1901・11・3~1994・3・26、享年93.京都市生まれ。
逝去の翌年、阪神淡路大震災により誓子居は全壊、解体撤去。全遺産は神戸大学に寄贈。
金井銀井「猫はみな猫の恋の子撫でてやる」(「花林花」VOL.14)・・
「花林花」VOL,14(花林花俳句会)、特集は「小林一茶」、「花林花の作家 その八」は金井銀井、「追悼・狩野敏也」。いずれも高澤晶子が健筆をふるっている。中に金井銀井の一句鑑賞があるが、鈴木光影は、「諦めの花あらば白曼珠沙華」を挙げて、その結びに、
(前略)かといって、このような銀井俳句に底流している諦めの思想は、虚無主義に陥るようなものではない。〈諦め〉は欠落を欠落として受容することであり、銀井はその言葉によって白曼珠沙華という花を咲かせ、形作る。世界への静かな慈しみ、共感覚が内蔵された俳句の眼が効いている。
と、記している。ともあれ、以下に本号より、一人一句を挙げておこう。
手を叩き歌い出したる春の母 高澤晶子
母の手のひと文字ひと文字冬苺 廣澤一枝
地球温暖化
北極の氷原白雨となりて降る 石田恭介
自転車にお節を積んで暮れる川 榎並潤子
歯噛みして泣かないでゐる原爆忌 金井銀井
妖鳥として翅八重(やえ)に紫木蓮 原詩夏至
少しづつみんなが変で金魚草 鈴木光影
明日もありと思ふ蛙の目借り時 島袋時子
ハレーションが白シャツ燃やす原爆忌 福田淑女
アルバムに剥がせぬ写真昭和の日 宮﨑 裕
蚊を打ちて駒飛散らす負将棋 杉山一陽
分からないからこそ自由へびいちご 岡田美幸
見上げれば空に映りしもみじの版画 内藤都望
撮影・中西ひろ美「けふかぎり茎立ちせむとのらぼう菜 」↑
筑紫磐井「紫陽花や明日死んでゆく人の数」(「俳句界」8月号)・・・
「俳句界」8月号(文學の森)、特集は「戦争と貧困ー現代社会を詠むー」、それぞれ見開き2ページに8句と短文が寄せられている。愚生の仲間であり、「豈」発行人・筑紫磐井に敬意を表して、紹介しておきたい。句のタイトルは「コロナのような」である。奇しくも本日、東京都は、新型コロナウイルスの感染者数が366人と報告され、非常事態宣言を発する直前にも無かった300人を大きく超え、しかも、このところ毎日200人以上の新たな感染者を出しているにもかかわらず、何の対策も行うことなく、あたかも若者は軽症者で、高齢者、持病のある人のみが危険などという、常識的に冷静に考えれば、ありえない言辞を弄している。この4連休にも、ひたすら外出をしないように、と言うのみである。
しかも、文化施設や会議室の貸し出し条件も、来る27日(月)からは、これまでの厳しい条件ではなく、定員の半数、ソーシャル何とかを保ち、マスクをすればオーケーという、貸出の条件を緩めに緩めようとしている。当然にして、感染者が増えるのは当たり前であろう。コロナは風邪だという人もいるが、それにしては、軽症でも苦しく、罹りたくない風邪である。たぶん時代の条件は違うが、風邪というなら、かつてのスペイン風邪と同様なのだろう。
ともあれ、本誌本号から、以下に「戦争を詠む」と「貧困を詠む」のなかの一人一句を挙げておこう(それと、これも「豈」の仲間の山﨑十生の新作巻頭3句からも紹介する)。
蓮咲いて戦無き世を願ふのみ 星野 椿
軍事費増ゆる国なり飯饐ゆる 角谷昌子
ツェツィリーエンホーフ晩夏の犬と人 田中亜美
気づくまで地面ありけり蟻地獄 生駒大祐
弾丸尽き糧絶え市街しづかなり 筑紫磐井
ひんこんの木あればすぐ来い肩を組む 谷口慎也
夏蝶に横顔のあり配給待つ 照井 翠
夏草に呑まるる未来ありにけり 関 悦史
八月六日即死八万誕生日 山﨑十生
その他、「俳句界NOW」のグラビア、エッセイ、自選30句は鳥居真里子。また、「私の一冊」は髙澤晶子の鈴木六林男『荒天』。
六月を人類の卵でゐたる 鳥居真里子
新樹光母の鏡はよく映る 高澤晶子
もう一つの特集は「文學の森賞各賞を読む」だったが、その中で、久しぶりに山本健吉息女の山本安見子の特別エッセイ「父・健吉を語るー詩歌への愛」があった。いつも思うことだが、山本安見子のエッセイは、面白く、読ませる。
(前略)そもそも評論と何か。作者もしくは作品を取り上げて様々に論じるのだが、誉めてばかりでは論にならない。当然、粗探しもする。
された方は場合によってはメチャメチャ腹を立てる。八つ裂きにしてやろうかと思うかもしれない。
実に間尺(ましゃく)に合わないことこの上ない。
反対に誉められて感動のあまり、千疋屋のメロンなど奮発する人も稀中の稀ながらいる。
そんな時、私は万歳を叫ぶ。贈答用には買っても自宅用に買ったことがないからである。
「パパ、またメロンが来るように書いてね」
「コラ! さもしい事を言うな」
父はメロンを美味しそうに食べながら叱る。
小説家遠藤周作も慶応義塾大学の学生時代は評論家を目指していた。
父は京都で妻を亡くし幼い私を連れて上京。(以下略)
撮影・鈴木純一「ほととぎす聞きに参れば鹿のふん」↑
杉田桂「予告せしごとく雪降る鬼房忌」(『老年期』)・・・
掲出の句は、杉田桂句集『老年期』(文學の森)の巻頭句。佐藤鬼房は平成14年1月19日に死去。そのわずか一ヶ月前の12月1日に三橋敏雄も亡くなっている。ともに享年は82。
愚生が杉田桂と最初に会ったのは、たぶん塩竃で行われた「小熊座」10周年記念大会のシンポジウムに、小澤克己、片山由美子、高澤晶子らとともに参加したのちの二次会だったように思う。三橋敏雄も一緒だったように記憶している(すでに、20年も前のことになる)。その時に、「小熊座」東京句会の世話をしているというように聞いたような記憶があるが、もはやはっきりしない。後に多賀芳子の碧の会で何度か一緒になった。現在は「頂点」同人という。その杉田桂80歳代(昭和4年、宮城県生まれ)の第6句集が『老年期』である。句集「あとがき」に、
私は「重くれ」の俳風を好み、一方に於て作品の卑俗性を嫌った。ただこの私の思想の俳句を充足させる為には、相当に優れた感性や詩性を必要とするが、既に加齢の洗礼を受けた私には最早錆びた感性しか残らずそれらが全く喪失していた。(中略)
そしてようやく自分の活路を見つけた。それは、作品自体が卑俗でもよい。俗語を使っても構わない。身辺の惹かれた事実や言語、即ち森羅万象を思い通り作品化してみようということ。換言すれば、私の老年期の生活を、私ならではの発想と表現で作品化していきたいということである。
いくつかの句を挙げておこう。
つわぶきや水に映らぬ我のあり 桂
ひおうぎやあなどり難き二枚舌
夜桜や饒舌の死者少なかり
蝉しぐれ焦土なまなましくひそむ
東日本大震災
料峭や黄泉に拉致さる二万人
炎天や捨てたる影にかこまれる
新種には非ず汚染の奇形蝶
ヒヤシンス手に触れしものみな孤独
黄落や吾より抜けてわれを見し
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