凡百の木々の匂ひや紅葉茶屋 歌代美遥

https://reibuncnt.jp/22027 【凡百と平凡の違い】より抜粋

凡百と平凡の意味の違い

凡百と平凡の違いを分かりやすく言うと、凡百とはありふれた様子だけでなく数が多いことも意味し、平凡とはありふれた様子のみを意味するという違いです。

凡百と平凡の使い方の違い

一つ目の凡百を使った分かりやすい例としては、「お祝いに凡百の素敵な贈り物をいただきました」「凡百の人間には考えられないアイデアだ」「凡百な者でも努力すれば大成します」「人それぞれに凡百の考えがあります」などがあります。

二つ目の平凡を使った分かりやすい例としては、「ありふれた平凡な人生に満足しています」「私は平凡な人間になりたくない」「平凡は非凡にまさると思います」「いたって平凡な作品だよね」などがあります。

凡百と平凡の使い分け方

凡百と平凡という言葉は、どちらも「似たようなものが多数存在している様子」を表しますが、厳密な意味や使い方には違いがあります。

凡百とは、多くの物や人、いろいろな物や人を意味します。上記の「凡百の考え」とは、多種多様な考えを表しています。また、多く存在するという意味から、ごくありふれた状態も表し、「凡百の人間」とは、特に優れた点のない普通の人間を意味します。

平凡とは、物事が世間でありふれているさまを意味します。特に変わったところや優れたところがないことを表し、「平凡な人生」とは、取り立てて語れることのない普通の人生のことです。凡百と共通する意味であるめ、「凡百の人生」と言い換えることができます。

つまり、凡百と平凡は「ありふれた様子」という共通する意味を持つ一方、さらに凡百は「多くの物や人」という別の意味を持つことが、二つの言葉の明確な違いになります。

凡百と平凡の英語表記の違い

凡百を英語にすると「many」「many kinds」となり、例えば上記の「凡百の贈り物」を英語にすると「many kinds of presents」となります。一方、平凡を英語にすると「ordinary」「common」となり、例えば上記の「平凡な人生」を英語にすると「an ordinary life」となります。

凡百の意味

凡百とは

凡百とは、いろいろのもの、かずかず、もろもろを意味しています。

凡百の読み方

凡百の読み方には、「ぼんぴゃく」「ぼんびゃく」「ぼんひゃく」「はんぴゃく」の四通りあります。ただし、一般的には「ぼんぴゃく」と読まれています。

凡百の使い方

凡百を使った分かりやすい例としては、「芸術家は凡百の人間にはない感性を持っている」「凡百の徒との出会いが私の人生観を変えました」「凡百の四字熟語を覚えました」「凡百な小説はつまらない」などがあります。

その他にも、「凡百の議論より実践を重んじる」「凡百の秀才を集めても解けない難問がある」「凡百の人間にとってお金は大事です」「凡百のアニメ映画を観ました」「自分の凡百な名前が気に入りません」などがあります。

凡百という言葉の「凡」は全体を通じて、一様に、「百」は 数が多いこと、たくさんの、を表します。凡百とは、数の多いことや種類の多いことを意味する言葉であり、いろいろな物や人を表します。

「凡百な小説」「凡百な名前」の意味

また、凡百という言葉という言葉は、たくさんあるという意味が派生して、ありふれた、普通であって珍しくないという意味でも用いられています。上記の「凡百な小説」「凡百な名前」はこの意味で用いられており、使い方によってはネガティブなニュアンスを含みます。

凡百の対義語

凡百の対義語・反対語としては、ただ一つであることを意味する「唯一」、単独であることを意味する「単一」、数が一つであることを意味する「単数」などがあります。

凡百の類語

凡百の類語・類義語としては、いろいろの事柄を意味する「諸般」、すべての事柄を意味する「百般」、いろいろの種類や諸種を意味する「各種」、たくさんの種類を意味する「多種」、数が二つ以上であることを意味する「複数」などがあります。

平凡の意味

平凡とは

平凡とは、これといった優れた特色もなく、ごく当たり前なことを意味しています。

表現方法は「平凡な生活」「平凡な日常」「平凡に生きる」

「平凡な生活」「平凡な日常」「平凡に生きる」などが、平凡を使った一般的な言い回しです。

平凡の使い方

平凡を使った分かりやすい例としては、「平凡な主婦でも読者モデルになれます」「平凡受けするイラストですね」「平凡な私のもふもふライフをブログに綴っています」「平穏な時代であれば平凡なる皇帝で十分です」などがあります。

その他にも、「平凡な日常を送っています」「平凡にして非凡なる日常がありました」「平凡な女子高生から雑誌のモデルになりました」「平凡社の新刊情報をチェックする」「平凡パンチの創刊号をヤフオクで手に入れた」などがあります。

平凡という言葉の「平」は、特に変わった様子がなく、特別の事がないことを表します。平凡とは、これといった特色や優れた点もなく、ありきたりなことを意味する言葉です。ありきたりであることから、つまらない、面白くないといったネガティブな意味合いを含みます。

四字熟語「平平凡凡」の意味

平凡の意味を強調した四字熟語には「平平凡凡」があります。「平凡」のそれぞれの字を重ねて意味を強めたもので、きわめて平凡なさまを表します。「平々凡々」と書くこともあります。

平凡の対義語

平凡の対義語・反対語としては、平凡でないことや普通より特に優れていることを意味する「非凡」、普通に考えられる程度をはるかにこえていることを意味する「超越」、普通よりはるかに優れていることを意味する「超凡」などがあります。

平凡の類語

平凡の類語・類義語としては、ありふれていることや珍しくないことを意味する「ありきたり」、ごく一般的であることを意味する「並み」、ありふれていてとりえのないことを意味する「凡俗」、民間で普通に行われることを意味する「俗」などがあります。


https://weathernews.jp/s/topics/202411/010065/ 【紅葉を観賞することを「紅葉狩り」というのはなぜ?】より

「狩り」は、一般的には「狩猟」、つまり「野生の鳥や獣を捕らえること」を意味します。これとは別に、「狩り」には「魚介類や植物をとること」「山野で花や草木を探し求め、採集したり観賞したりすること」などの意味もあります。

「潮干狩り」「ブドウ狩り」「キノコ狩り」「ホタル狩り」「桜狩り」「紅葉(もみじ)狩り」などの「狩り」は「狩猟」以外の使い方です。

動詞の「狩る」にも「花や草木を探し求め、観賞する」という意味があります。

木の葉が色づき始め、紅葉(こうよう)を愛(め)でることができるようになるこの時季、主に「紅葉狩り」について、見ていきましょう。

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紅葉狩りは、紅葉を取って、集めること?

紅葉狩りを、もしかしたら「紅葉を取って、集めること」と理解している人もいるかもしれません。「狩る」の語感から、紅葉を木から「取る」「もぎ取る」と連想してしまいがちです。

しかし、紅葉狩りは「山野に出かけて紅葉を観賞すること」を意味します。「紅葉見(もみじみ)」と「観楓(かんぷう)」も、紅葉狩りとほぼ同じ意味です。紅葉見はそのまま、紅葉を見ることです。

それはさておき、「もぎ取る」ことと「観賞する」ことでは、意味がだいぶ違いますね。では、紅葉狩りはなぜ「紅葉を観賞すること」の意味になったのでしょうか。

「狩り」「狩る」の意味は広がっていった

「狩り」は本来、鳥獣を捕まえる意味で使われていましたが、時代が下るにつれて、その意味は広がっていきました。

上で見たように、魚や貝、果物などをとることにも使われるようになり、やがて、花や紅葉を見る、眺める意味にも使われるようになったと考えられます。

「狩り」が草花などを愛でる意味でも使われるようになったのは、平安時代に狩猟をしない貴族が現れたことが関係しているといわれます(ほかの説もあります)。当時の貴族は、歩くことを下品と考えて、牛車(ぎっしゃ)で外出することが多かったようです。

しかし、山道を牛車で上って、花や紅葉を愛でることは難しい。そこで、花や紅葉を見に、山野に歩いて出かけることを「狩り」に見立てるようになったと考えられています。狩猟であれば、歩いて出かけるのもおかしくはない、と平安貴族は考えたのかもしれません。

『方丈記』に描かれた桜狩りと紅葉

歌人で随筆家の鴨長明の作で、鎌倉時代前期の随筆『方丈記』に、桜狩りや紅葉について記述している箇所があります。

「帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨(わらび)を折り、木の実(このみ)を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家土産(いえづと)とす」

訳してみましょう。

「帰り道には、折々の季節によって、桜を狩り、紅葉を探し、蕨を折り、木の実を拾い、あるいは仏に供え、あるいは家に持ち帰って、土産にする」

この「桜を狩り」は、桜の花を訪ね歩いて観賞することです。「紅葉をもとめ」も「紅葉を狩り」と言い換えることができるでしょう。

紅葉狩りの宴で、鬼に命を狙われた武将

『紅葉狩(もみじがり)』という題の古典もあります。室町時代の能役者で能作者の観世信光(かんぜのぶみつ)が著した能の作品です。概要を紹介しましょう。

平維茂(たいらのこれもち/平安時代中期の武将)が、美女に化けた鬼に、山中で紅葉狩りの宴(うたげ)に誘われます。美女の舞と酒のために、不覚にも前後を忘れてしまう維茂。命が危うくなるが、最後には、本性を現した鬼をついに退治します。

山も街も、これから少しずつ色づいてきます。

紅葉(こうよう)は遠目でも楽しめます。実際に山などに出かけて、紅葉狩りができないときは、古(いにしえ)の貴人を思い、遠くから紅葉を眺めてみてはどうでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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