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俳句的視座とは小さいものの中に大きな世界を見ること。クマさんの器たちにもユカイな宇宙が展がっていた。
恵比寿 Galerie LIBRAIRIE6
篠原勝之「花紅開宇宙展(はなくれないうちゅうにひらく)」展にて―
https://note.com/camesan/n/nfc4228d87cb7 【俳句的(外山滋比古著)を読んで(1章-1通俗の論のまとめ)】より
「思考の整理学」で著名な知の巨人、外山滋比古先生は、俳人であった。
本書は、そんな先生が、短詩型文学や俳句第二芸術論等についての見解を、様々な角度から論じたエッセー集である。
あまりにも面白かったので、自分用の記録として、時間をかけて各章各項毎にアウトプットをしていきたい。
俳句に限らず、その他の短詩型文学論、日本語論、日本文化論としても非常に興味深い一冊である。機会があれば是非読んでいただきたい。
・近代文芸=反俗(P3)
近代文芸は、エリートの営みである。いくらか一般の読者を軽蔑する。無知な人間は相手にしない。通人の約束の上に立っている。かいなでの初心者などにわかってたまるか、という自負がある。大方もそれになれて別におかしいと思わない。近代文芸の共和国はそれで平和を栄えることができた。
通俗ということを何よりも怖れる。反俗こそ芸術である。そう決まっている。
ヨーロッパの近代芸術に学んだ明治以降の文化がほかの方途に思い及ばなかったとしても致し方あるまい。さらには、伝統を棄てるのをよしとした。外来に就くことが高尚であり、価値のあることだと信じた。考えてみると、ずいぶん窮屈な所へ自らを封じ込めたものである。そして、それに気付いている人が少ないというのも不思議ではないか。
・短詩型文芸の共通点(P4)
俗をすて雅を求める。文語の中から雅語の体型をつくり上げる。これは短詩型文学に共通する点で、俳句を作るのは、その雅語のシステムをまがりなりにもわがものとすることに他ならない。もちろん、普遍的雅語などというものが容易に習得できるわけがない。めいめいの属するグループの方言とも言うべき雅語に習熟することから始まる。
その過程で、しらずしらずのうちに、現実から遊離した言語の世界に入って行く。反俗風雅が肯定されているところでは、それが反省されることは少なく、むしろ芸術的進境だと考えられる。このようにして詩語は確立する。
・雅語→言語解放→俗語の詩化(P5)
芭蕉はそれまでは和歌の守ってきた雅語の柵をとり外すことによって短詩型文学に新しい生命の泉を発見することができた。通俗を通じての風雅である。よく似たことはイギリスのロマン派の詩人ワーズワースにも見られる。十八世紀のイギリス詩もやはり典型的な雅語(ポエティック・ディクション)にがんじがらめになっていた。そこへワーズワースが現れて田夫野人のことばを用いて詩を作ると宣言したのである。ロマン派運動の活力の源泉はこの言語解放に求められるべきであろう。
俗語の詩化。ここで創造の火花が散る。手垢のついた常套的雅語では精神の根源を揺さぶるのは困難である。俗のことばに根をおろした雅の世界が待望される。
・俳句はより諺的であってよい(P5)
短詩型文学が小さな個性にこだわるのは賢明ではない。俳句をもっと民族的、ことばに即して言うならば諺的であってさしつえない。そうある勇気をもってよい。
・ちょこっと解説
・寺山修司も生前「俳句はもっと、祝詞のような、呪術的、祭事的な方面に活路を見出すべきではないか」と言っていた。これは外山滋比古先生の「俳句は諺的であっても差し支えない」という見解と、ベクトルを共にする。
・俳句という詩形が確立したのは、たかだか100年ほど前のことである。詩形としてはまだまだひよっこの部類である。ならば、一つの考えに固執しすぎるのはよくない。有季定型は詩を構築する上で、重要な要素であることに違いはないが、それだけではないかもしれないということを肝に銘じておく必要がある。
https://note.com/camesan/n/n58f862e3cad0 【【詩人必読の章 短詩型文学が二流芸術であるとの主張への反論】俳句的を読んで(1章-2のまとめ)】より
・伝記中心の批評から作品中心の批評へ(P7)
(批評は詩人を論じるのではなく、作品を問題にしなければならないと主張したT.S.エリオットに触れて)
いまでは当然のことになっている作品中心の考えが、欧米においても、まだ半世紀とちょっと(注、2021年現在からは80~90年前)しか経っていないというのを、いくらか意外と思う人もあろう。エリオットのような考えがアメリカへ渡って”新批評(ニュークリティシズム)”を興す。新批評家たちは勢いあまって、作品の批評、鑑賞には作者の伝記は不要である、と断言してはばからなかった。それは反動の行き過ぎというものであったが、伝記中心の批評から作品中心の批評への脱皮には、これくらいの荒治療が必要であったのかもしれない。
・近代文学は経済原理に支配され、文壇からは自由であり得ない(P8)
近代文学は経済原理に支配されている。いかに芸術至上主義的なことを言っている作家でも、自分の作品の市場価値に全く無関心ではあり得ない。文筆に生活がかかっているプロならばなおさらである。
”文壇”というのはその権益を守るための連邦共和国のようなものである。その中にいくつもの小領土が割拠している。めいめいの属する”藩”の中には、外部には通用しにくい特別なルールがある。外部からそれを批判することは、内政干渉と反発されない。タブーである。
中略
(故に)文壇は閉鎖社会である。しかし、批評がある、というかもしれないが、批評家もまた文壇に属しているから、その磁場の力学から自由ではあり得ない。近代文学はそういった宿命を背負っている。
・詩の方が小説よりも芸術的である(P9)
(近代化に成功し、小説家は小説を売ることで生計を立てられるようになった。しかし、詩人は詩で食っていけない状態が続いた。いわば近代化に乗り遅れたのである。そのことを指摘した上で)
新しい批評が、作者から離れて作品を考えよ、と言ったとき、当然、詩を念頭においていた。小説はいえば相手にされなかったのである。詩の方が小説よりも芸術的である、というのはヨーロッパ文学の常識で、新批評もその常識を再確認したにすぎない。
・俳句第二芸術論への反論(P10~12)
(1929年ケンブリッジ大のリチャーズは生徒に、作者名が伏せられた詩文をいくつか読ませ、意見を求めた。結果は作者名が明らかであれば決して書かれないような意見が多かった。このことは「実践批評(プラクティカル・クリティシズム)として、伝記中心から作品中心への論拠として世界に広まった。俳句第二芸術論は、この理論を戦後、日本の俳句にあてはめ、近代文学(近代芸術)として、俳句は二流であると主張された俳句史上の一大事件である。そのことを踏まえた上で)
第二芸術論は、封建的芸術の崩壊しようとしていた欧米風の批評観によって、なお堅固な封建的体制を誇っている短詩型文学を切ったのである。文学連邦共和国(=文壇)に賛同した人の目からすると、俳句はいかにも薄ぎたない藩別割拠のように見えたのであろう。第二芸術論に共鳴した人たちは興奮のあまり封建的な俳句を弁護できるところは全くないように誤解した。
俳句の特殊性のひとつは、作者と読者は未分化だという点である。何がなんでも分化した方が発達しているのだとは言えない。作者が同時に読者であるのは、芸術の原初的状況であり、近代のように諸現象が分裂四散に苦しんでいるところにおいては、むしろに理想ですらある。この作読一如が可能であるには、一定の「共通性」(コンテクスト)が条件になる。
中略
このコンテクストが心理的に表されているのが”座”であり、社会的な形をとってるのが”結社”である。俳句が俳句らしさを失わないためには、強固なコンテクストの成立は不可欠である。
言語の表現が洗練、昇華するには、心理的にも社会的にもしっかりしたコンテクストに包まれている必要がある。野暮天がいつ迷い込んでくるかわからないようでは、通人の表現は生まれない。コンテクストは裏返せば閉鎖性ということになる。洗練された省略的表現と閉鎖性とは表裏の関係にある。俳句はそういう閉鎖性を少しも恥じることはない 。
・詩の翻訳が難しい理由(P13)
(俳句が閉鎖的・緊密なコンテクスト(=共通性)を必要とするのであれば、その正反対にあるのが「数学」である。論理以外のすべてのコンテクストを捨て、特別なコンテクストを持たないが故に、世界中どこでも理解され通用する。そのことを指摘した上で)
日常用いている言語は数学に比べるとはるかに狭いコンテクストに包まれている。日本語はヨーロッパ人にはわからない。同じ日本語でも東北の方言なら九州の人にはわかりにくい。それでもコンテクストを超えさせる翻訳は可能であり、実際にも行われている。しかし、翻訳がうまく行われるのは、それだけ数学に近いということであって、論理学なら別のこと、文学としては名誉なことではない。小説に翻訳が多く、詩の翻訳がうまくいかなくても、詩はむしろそれを誇りにして良い。
・無季俳句・自由律俳句は俳句特有のコンテクストの放棄(P13)
表現の上で、俳句が閉鎖的であることは、きわめて重要なことである。それをすてれば世界に類のない短詩型文学の基礎もたちまちにして崩れてしまう。例えば、季語という制約も、コンテクストを共有している証拠になるものとして価値がある。無季俳句はただ季語を用いないということのほかに、俳句特有のコンテクストを放棄することを意味する。それがしばしば俳句に似て非なる一行詩となるのは不思議ではない
・ちょこっと解説
・俳句の閉鎖性に目を見張るのはあくまで、「表現上のコンテクスト」のことで、「人間的な閉鎖性」「他の短詩系文学や小説の表現への排他性」を認めるものではない。このことを誤解している俳人の多いことには、俳句界一丸となって反省すべきである。(一俳人の勝手な見解)
https://note.com/camesan/n/ndae782312f71 【【十七音に大きな世界を収めるコツ】俳句的を読んで(1章-5のまとめ)】より
引き続き、「思考の整理学」の著者、外山滋比古先生の「俳句的」のまとめである。今回は1章5項「冷え」についてのまとめである。長くなってしまったので、気になる見出しだけでも読んでもらえあたら幸いである。
・「俳句的」過去のまとめ記事
・子供は天性の詩人なのか(P26-27)
子供の心には、人間もイヌもネコも山や川も相手としてあまり違うところがない。とにかく呼びかけることのできる相手であると思っている。自と他の境目がはっきりしていなくて、人間の感情が無生物の中へ自由へ流れ込んでそれを擬人化してしまう。
中略
(このような)子供の時の「詩」を天性の詩人の作品と考えるのは少し無理である。自然のすべてが歌っているというのでは芸術とはならない。選択と人工の加わる必要がある。どれほど純粋な感情であっても、それを手放しに吐露しただけでは芸術ではない。この意味での自然主義をはき違えるから、志士の文学やプロパガンダの芸術が、当事者たちの意図がどうであろうと、芸術として高い価値と永い生命をもちにくいことになる。つまり子供的なのである。
・優れた詩は、伝統の感覚とやかましい精神が両立する(P27)
二十五歳を過ぎてなお詩人であり続けるためには、伝統の感覚を身につけておかなければならない。あるヨーロッパの詩人がそういったのは有名であるが、年老いてなお詩人であり続けるためには、詩をやかましい精神と両立させることに成功しなくてはならない。 東洋の詩歌が長寿であるのは、それが東洋ではある程度解決していることを暗示する。他方、西洋の近代詩が常に青春の文芸であるのは、やかましい心の介入とともに詩が消滅することを物語っているように思われる。いい意味でもわるい意味でも子供的なのである。
・俳句は客観移入の詩(P28)
(芸術には二つの相反する作用、感情移入と抽象作用がある。感情移入の芸術では作者の感情が強く対象に流入する。他方、抽象芸術はそういう主体の積極的、具体的な表現を抑えて別種の美に達することを目指す。感情移入はルネッサンス以降のギリシャ的芸術。抽象作用は東洋やエジプトの幾何学的芸術によくみられる。このことを踏まえて)
しかし、俳句における作者と自然、対象との関係を考えてみると、感情移入と抽象作用のどちらでも説明し切れない重要なはたらきがあるように思われてくる。どちらかと言えば、感情移入よりは抽象作用の方が俳句の原理に近いのであろうが、なお、俳句の核心をえぐるには抽象のみでは充分でないように感じられる。
中略
居は気を移す、と言う。環境を変えると人間の心の中まで微妙に変化するのは、転地が単に医学的に効果をもつだけでなく、しばしば心理的な回復作用を持つことによっても察せられる。心が自然に働きかけるのと同じように、いな、それよりもずっと隠微でありながら、持続的に、したがってより深刻な影響を周囲の万象がわれわれの心に及ぼしているのである。感情が外界に移入するのではなく、客観がわれわれの心の中に移入する客観移入である。外界が何とかしてわれわれの心に印象を与えようとしてわれわれの周りにひしめいている。その中から適当なものを選んで心にしみ入ることを許す。こうして生まれる詩が客観移入の詩歌であり、俳句はその典型だということができる。人間の心を動かせて詠むのではない。対象の方が動いて詩人の心の中に入って詩となる。そこで小手先の技巧などを弄すればどうなるかは言わなくてもはっきりしている。
・客観的相関物と情緒からの逃避(P30)
ヨーロッパにも感情移入に懐疑的な考え方をする詩人がないわけではない。例えば、 T・ S・ エリオット。彼の”客観的相関物”(オブジェクティブ・コレラティブ)の説のごときもその一つとしてよかろう。エリオットは情緒はそのまま表現できないから、読者に同じ情緒を喚起するであろう客観的相関者を見出す他に方法がないとのべた。
中略
エリオットはまた”情緒からの逃避”ということをのべてはなはだ有名である。自分の感情などを手軽に出してはいけない。むしろ、個性を抑えて、外にあるものの自由な結合を促進するのが詩人の務めなのだという逆説で、詩人たちにに大きな影響力を持った。
・消極的でいられる能力(P31)
(一般にはロマンティックな詩人と見られているキーツが、やはり感情移入を否定する考えを持っていたらしいことに触れて)
キーツは”消極的でいられる能力”(ネガティブ・ケイパビリティ)いう言葉でそれ(詩における感情移入の否定)を要約しているが、つまり小さな自我をすてて、ゆったりと四囲のあるがままを受け入れ、不確実や矛盾があってもこれを無理に合理化したりしないでいられる性質ーこれが詩人に偉大な創造を可能にする秘密だと考えた。
・十七音に大きな世界を収めるコツ(P32)
近代文学は感情移入を中心に進んできたために、市民的主観的であることが独創と結びつき高く評価されている。しかし、人間を中心と考えない(東洋的な)詩観からすれば、おもしろいものの方から心によびかけてくる客観移入が詩の原理として脚光を浴びることになる。生まれるのは神話的古典的性格の強いものになるであろう。ここに自己否定が潜在する。すくなくとも小さくこり固まった自己は否定される。そうでなくては短詩型の中に大きな世界を収めることはできない。
・花鳥風月=冷え(P33)
(自然への手がかりが様式として定まっている季語を客観移入だけでなく、感情移入の足掛かりにすることができる。現にそのような俳句が多くあることを指摘しつつ、述べる)
俳句が真に俳句らしい芸術たりうるのは、自然が詩人の心に入ってくる、そして作品に表現された自然が読者の心に侵入してくるという”消極的でいられる能力”にしっかり裏付けされた十七音であるときである。感情移入は熱き情緒が対象へもち込まれ、対象まで熱っぽくしないではやまないが、客観移入は、自然が冷たく心の中へ侵入してくる。さわやかに冷え冷えとしている。心理の層ですぐになま温かくなってしまうようなものは、そこで深化を止めてしまうであろう。いつまでも冷えを失わないのは、いつまでも心の奥深くに進んでいくことができる。花鳥風月はもっとも心の深い所にまで達することのできる、”客観的相関物”であるということを発見したとき、俳句は感情を詠むものではなくて、客観を移入させる詩である様式を確立したと考えられる。そういう詩学が稀有であることは、世界の短詩型文学の貧しさを見ても首肯されるであろう。
・ちょこっと解説
①何か恨みがあるのかというほど、外山先生の西洋の短詩に対する攻撃が凄まじい。読んでいるこちらがハラハラするほどである。が、面白かった。
②俳句が冷めているという点では、どちらかというと詩学や宗教などの人間中心的な考え方をするジャンルより、物理学や数学などの自然科学のジャンルに親和性が高いように思われる。
③温かい食事はその場では美味しいが、傷みやすい。つまり長持ちしないのである。長期保存するためには、冷やしたり凍らせたりするように、文芸においても長持ちする名作というのは、もしかしたら皆どこか冷えているのかもしれない。
https://note.com/camesan/n/ne8f274e91e38 【【選は上手いものではなく、偉大なものを】俳句的を読んで(1章-4のまとめ)】より
・俳句や短歌は詩なのか(P19-20)
すべての芸術活動のうちで、詩がもっとも早く完成に到達することも注目される。中でも叙情詩が早く成熟する。純粋なものほど結晶も早いということを意味するのであろうか。詩は青春の花である。老いたる詩人とは冬の花と言うのと同じくらい自然ではないことである。ところが、われわれには、元来、詩は円熟した人間を背景にしていっそう美しさが増すものであるように感じられている。老いた詩人は若い詩人に劣らず、あるいは、それ以上に華やかな存在であり得る。少なくとも俳句、短歌と短詩型文学においては、円熟した作者は若い作家にないものを持っていることを承認している。ヨーロッパ流の芸術心理学が、叙情詩を最も早く完成すると主張してみても、現にそうでない叙情詩の伝統があるのだからいたしかたがない。どうしても外国の詩観の顔を立てたいなら、和歌、俳句をいわゆる詩から外せば良い。
・日本に何千行という詩が育たなかったわけ(P21)
君たち(西洋の詩学)は煉瓦を積んで建物を作るようにして詩もつくる。大きいことは偉大でいいことである。ところが、われわれ(東洋)の詩は大きな岩石から彫刻をつけるような方法で詩をつくる。不要なところは削り落す。ぎりぎりの所まで捨てて、これだけはなくてはならないというところが詩になる。われわれの文学史に何千行とか何百行という詩が育たなかったわけである。
・詩に「形容詞」は不要(P22)
詩ではないが、古い民話、伝説などがほとんど形容詞を欠いた表現になっているのが思い合わされる。花は「赤い花」「美しい花」ではなくて、ただ「花」でよい。そのきびしい抑制がかえってわれわれの心を打つ。長い歳月の間を伝承されていることはそれだけ風化の進んだ表現ということになる。そういう言葉には余計な修飾や色彩はかえって邪魔になる。短詩型文学はひと口に諳んじることができる。千ページの小説では舌頭に千転させること、読書百篇に及ぶことは困難であるが、十七音ならなんでもない。つまり現代においていち早くクラッシックになり得るのである。同時代においてクラッシックであるためには、移ろう色はあらかじめ除いておかなくてはならないが、そういう諦観を若い詩人に求めるのは酷である。解脱は技巧ではなくて人間だからである。
・「生」の感情は時の試練に耐えられない(P23)
第一人称の重要な言語における叙情詩はどうしても吼えるような調子になりやすい。おれが、おれがという詩である。ところが第一人称をなるべくあらわにしない言葉を使って生活しているわれわれの詩はまず表面的な自我をいかに殺すかが重要な課題である。主観丸出しでは月並みにもならない。自分を押しつけては相手に失礼である。控え目に、そっと語りかけるのが床しい。いかなる大工も生木で家を建てることはしない。かならず枯らした木材を使う。生木はかならずヒズミが来る。ナマな感情や主観を詩にするのはいわばは生木の家を建てるようなもので、時の試練に耐えられないのは明らかである。
(中略)
(故に)俳人に老作家が多いことは当然であり、むしろ、誇るべき伝統であるとしてよい。問題はその伝統にあぐらをかいて、妙にものほしげな枯れ方をしていることがないかどうかである。
・詩の「うまい」と「偉大」は別物(P24)
書も詩も、うまいのと偉大なのとは、すこし違う。うまいかうまくないかはいわゆる芸術の問題だが、偉大で素晴らしいかどうかは、それを作った人の人間とそれを見る人の人間との間で決まる。超芸術である。
・俳句は抑情の詩(P25)
俳句は叙情の詩ではなくて、抑情の詩だというべきである。この詩学がよく理解されていないのは残念というほかない。われわれの社会は青春のロマンティシズムによって立っているから、その逆の原理に人々の注意が向かないのである。
・ちょこっと解説
①
短詩型文学は原作者の思いがけないコンテクスト(文脈、前後関係)で鑑賞されることがある。
それゆえ余計の修飾や表現は、原作者の表現の根幹を見誤らせることになりやすい。蛇足なことはしないに限る。
②
高浜虚子が第二芸術論についての見解を求められたとき「俳句もついに芸術になりましたか」といって、ろくに取り合わなかっという逸話を思い出した。
第二芸術論はまさしく「西洋の詩観」の発想である。個人的には俳句にも詩性がなくてはならないと思うが、詩的であり過ぎるというのも、また俳句が俳句ではなくなる危険性を孕んでいるということなのだろう。肝に銘じておく。
注、第二芸術論については以前、1-2章「封建的」に詳しくまとめた。興味のある方はご一読いただければと思う。
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