https://distance.media/article/20241007000328/?fbclid=IwY2xjawIIAPpleHRuA2FlbQIxMQABHQGpMBe2AXfSSt0DMclq_5wupB0l58MD3i4b1rBXu8yTQa9z5pvvu2Tx5A_aem_AOEqSRGaYN1gRQAi0mPtiw 【庭をつくるように、記憶を育む(前篇)記憶のデザインとメンテナンス】より
桑木野幸司
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
16世紀の蒐集ブームが生んだコレクションルーム(ヴンダーカンマー)
インターネットは、かつて図書館や博物館のメタファーで語られていました。記録メディアの飛躍的な向上、さらにはオープンで集合知的なその性質によって、無限に記録と記憶が可能な開かれた情報環境が実現し、世界の共通のインフラが生まれる、かつてそんな夢が描かれていました。
しかしながら、めまぐるしく押し寄せる情報の波は、過去をまたたくまに押し流し、私たちの足場を時々刻々と組み替えています。さらには、精度の低い情報、偏った情報、誤った情報が流通し、情報環境の劣化、タコツボ化、汚染にもさらされています。いわば、記録も記憶もおぼつかない情報環境の中で、私たちはこれからどのように、記憶を共有し、共同体を形成してゆけばいいのでしょうか?
本シリーズでは、「記憶のケア」というテーマのもと、わたしたちの情報環境を見つめ直します。未曽有の情報洪水に見舞われ、中世からの知のフレームの変更を余儀なくされたルネサンス。この時代に脚光を浴びた「記憶術」を研究する、大阪大学の桑木野幸司さんに、ケアという観点から、育むものとしての「記憶」と「心」と「庭」の深い関係について語っていただきました。
庭を耕すように、心/魂を耕す
ソクラテス「だけど文字で出来た庭には、当然その人は、遊びのために種を蒔き、書くだろう。(…)」
(プラトン『パイドロス』、脇篠靖弘訳、京都大学学術出版会、128頁)
「文字で出来た庭」(文字という園)──この風雅な比喩が語られるのは、プラトン中期対話篇の傑作『パイドロス』だ。ただし、いくぶん否定的なニュアンスを帯びている。要するに、文字(書き言葉)には対話能力が欠けているから、文筆などしょせん遊びにすぎず、よくて備忘の役に立つぐらい。では言語の最良の使い方は何かといえば、「ふさわしい魂」を相手に、問答法の技術(対話)を用いて、「知識とともに言論を蒔き、植え付けるとき」だとする。そこから新たな言葉の実がなり、不滅の命をたもつだろう、と[★01]。
いきなり古典の引用からはじめたのは、この箇所に、本稿で考えてみたい二つのポイントが凝縮されているからだ。一つは、記憶のリザーブとしての文字(の庭)という、メディアの問題(文字=庭=記憶)。もうひとつは、言語による魂の成長を園芸と重ねる、教育哲学的な視点(魂=庭)。
加えて、プラトンの思想を継承した西欧哲学の伝統では、心/魂(animus)は、しばしば記憶と同一視された[★02]。であるならば、カッコで示した上の等式は、次のように統合できよう――文字=庭=魂(心)=記憶。
たとえば、15世紀のフィレンツェに君臨した、豪商メディチ家の総帥・老コジモ(1389-1464年)の事例が興味深い。プラトン哲学に心酔していた彼は、当然、上に見た伝統に通じていたのだろう。郊外の別荘地から、知友の哲学者に宛てて、こんな書簡をしたためている。「親愛なるフィチーノよ、昨日、所領のカレッジ荘に来着。農畝を畑梳くためではなく、私の心を耕すためにね」──ここではラテン語の動詞colereが持つ多義性(耕す/世話をする)を巧みに利用して、「魂の園芸」なる境位を示している。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
カレッジ荘(筆者撮影)。老コジモお気に入りの別荘で、読書や瞑想に沈潜する傍ら、自ら園芸作業にも勤しんだという。
魂にせよ、記憶にせよ、それが庭園に類比しうるのなら、メンテナンスが不可欠であろう。入念な手入れとケアによって、人の内面は涵養され、豊かな記憶が育ってゆく。
西欧には古来、まさにそのような心と記憶のケアに特化した大変魅惑的なメソッドが存在した。その名も「記憶術」。それはまさに園芸術のごとく、手間暇かけて心の中に記憶の園林を造りあげ、それを丹精込めて育ててゆくテクニックであった。
本稿ではこの記憶術なる、一見古めかしくて実は新しい知的メソッドを、ケアという視点から眺めることで、現代の記憶と情報文化の問題を考えるヒントを探してみたいと思う。
「記憶術」とはなにか?
以下に紹介する古典的記憶術は、一般に「記憶の宮殿」の名で知られている現代の記憶強化法と通じる部分が多々あるため、馴染みの深い方も多いことだろう。その歴史は古く、古代ギリシア・ローマの弁論術に起源をもつものだ[★03]。
基本原理を簡単にまとめると、
情報の器となる建築・空間を心の中に設定する(この器のことを「ロクス」と呼ぶ)
憶えたい情報をイメージ群に変換する
それらのイメージを先の仮想建築の中に順番に配置する
思い出したいときに心の中の空間を巡回し、配置画像からお目当ての情報を取り出してゆく。
データが不要になったら、イメージのみ消去して、建築の器は再利用する
このように箇条書きにすると簡単そうに見えるが、実際にこのシステムを稼働させようとすると、かなりの手間とエネルギーを要する。もちろんそれだけの価値は十分にあり、一度この手法で記憶したデータは、かなり長い期間、克明に残りつづけることが確認されている(ぜひお試しあれ)。現代の記憶力競技大会の勝者の多くが、これと類似の方法を活用していることからも、その有効性が証明されているといえよう[★04]。
ただし、効果を高めるにはいくつかの工夫が必要だ。まず器たるロクスは、何度も使いまわすことになるので、よほどしっかりと精神内に刻印し、心の目で内部を自在に移動できるようにしておく必要がある。また、記憶容量を増やしたければ、当然ロクス(仮想建築)の数と規模を増加させる必要がある。まさにヴァーチャル・アーキテクトだ。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
記憶ロクスの例(16世紀出版の記憶術マニュアルより)
出典:J. Romberch, Congestorium artificiosae memoriae, Melchiorre Sessa, Venezia, 1533, p. 35v
ついでイメージについて見るなら、憶えたい内容/概念を客観的に映像化しただけでは、印象が薄いし冗長になる。むしろ、情報を思い切って圧縮しつつ、鮮烈で過激な画像を作りこむ必要がある。要するに、見た瞬間にそれがあらわす内容が理解でき、かつ、ぎょ!と驚くか、映像の美(もしくは醜)に呆然とするか、はたまた笑い出したり恐怖に凍り付いたりしてしまうような、そんな偏倚でクセの強いイメージが理想なのだ。だから、映像作家としてのセンスも必要となる。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
エキセントリックな 記憶イメージの例
出典:トマス・ムルナー『記憶論理学』(ストラスブール、1509)、sigs. Ciir, Diir.
さてこの記憶術、もともとは古代の弁論家たちが、長大な演説を暗唱するために開発したテクニックであった。つまり、一度は外部記憶装置たる「原稿=書かれた文字」に託した記憶のコンテンツを、再び精神内に取り込んで、内面化しようとする試みであったといえる。
この術はその後、中世にいったん下火になったのち、西欧のルネサンス期(15-17世紀初頭)に華々しく復活し、大流行を閲する[★05]。印刷術が発明されたおかげで、術の原理を解説した安価な教本が出回ったことに加え、もうひとつ、忘れてはならない事情があった。それは、人々が記憶に留めたいと思うような、そんな新奇な情報の洪水が押し寄せた時代であったという点だ。新大陸アメリカの発見、アジア諸国との交易の進展、自然科学の発展、都市経済の発達、などなど。くわえて、印刷本が大量に刷られ、版画技術も洗練の度合いを深めたため、文字と画像が世の中にあふれ返ったのだ[★06]。
とはいえルネサンス時代といえば、紙の供給も安定し出し、百科全書のたぐいも編纂され、公共図書館のはしりのようなものも、ちらほら現れ始めた頃である。つまり、記憶を外部記憶装置にアウトソーシングしようと思えば、ある程度は可能であったはずなのだ。にもかかわらず当時の知識人たちの多くが、この古色蒼然とした記憶の術に魅惑され、その効果にほれ込んだ。そこにはどんな深い理由があったのだろうか。以下、この問題を「情報のケア」という視点を軸に、考察してみよう。
記憶を、外部装置にまかせるばかりでいいのか?
ルネサンス期の人々が記憶術を具体的にどう活用していたのかを知るには、当時刷られた術の教則本を読むにしくはない。なかでも本好きにはたまらない事例を一つ紹介してみよう。それが「記憶の図書館」、すなわち膨大な蔵書を丸ごと頭にしまいこむ試みである。やはりこれも、いったんは書物という外部記憶装置に託したコンテンツを、再び精神内に取り込む工夫だ。
典型例として、イタリア俗語で書かれた記憶術教則本たる、フィリッポ・ジェズアルド『プルートソフィア』(1592年)を紐解いてみよう[★07]。全20課(章)から成る同書の、第17課が、ずばり「記憶の図書館について」(Della Libraria della Memoria)と題されている。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
『プルートソフィア』表紙
出典:Filippo Gesualdo, Plutosofia. Nella quale si spiega l’arte della memoria con altre cose notabili pertinenti, tanto alla momoria naturale, quanto all’artificiale, Padova: Paolo Meietti, 1592.
著者はまず、リアル図書館が有する記憶の補助機能を認めたうえで、それを頭の中に収めてしまえば一層便利だ、と主張する。そうすればいつでも無料で使えて、摩耗もしないし、全知を常に携帯できるのだから。ではどうやって作るのか。
基本は、記憶術の一般教則となんら変わりはない。学問分野別に分かれたロクスの中に、書物から学んだことをイメージ化して、配置してゆく。とはいえ読んだ書物の内容を片っ端から憶えてゆくのだから、受け皿となるロクスの数も膨大にふくれあがる。実際ジェズアルドは、一つの学問分野に対して、一つの仮想都市を割り当てることを提案している。
たとえば「哲学の町」を想定してみよう。ひとくちに哲学といっても様々な下位区分があるから、それに対応するかたちで複数の街区が必要になる。本一冊につき建物一棟のロクスを使用すると仮定するなら、読破した本の数が増えてロクスが足りなくなったら、家や地区を増設してゆけばよい。多彩な学域の図書を取りそろえたければ、心の中に学術都市がいくつも立ち並ぶことになる。
なるほど、記憶の図書館を構築し、巧みに運用するのは並大抵の労力ではない。けれどもそれに見合っただけの価値がある、とジェズアルドは断言する。なぜなら、記憶イメージを日々受け入れれば受け入れるほど、蔵書が完璧に育ってゆくので、かえって負担にはならないというのだ。データの増大はむしろ喜ばしいことだ、とさえ述べている[★08]。
これはどういうことかというと、要するに、何か新しい知識や情報を取り込む際、それ以前に自分が蓄積してきた、構造化された知識を活用できるという意味だ。庭ないしは園芸術のメタファーを用いるなら、知の「接ぎ木」ともいうべき方法だ。
そもそも記憶術とは、憶えたい内容、記憶すべき対象について、それを深く理解したうえで、もっともふさわしいと自分が判断したイメージを作りあげてゆく。しかもロクスに配置する際には、前後の情報のつながりを意識して、データ相互の関連付けを検討する必要もある。こうして試行錯誤の末に心/魂に収蔵された知識は、ただ表面的に字面をなぞるだけの読書よりも、はるかに深く血肉化されることだろう。そうしてできあがった、自分用にカスタマイズされた構造知が基盤となって、そのうえに、新しいデータを付け加えてゆくことになる。それは、基盤の一切ないところにやみくもにコンテンツを重ね置くより、はるかに効果的な知の管理法といえるだろう。
ジェズアルドは章の結びの部分で、親が子を教え導いて、記憶の図書館を自分で作れるようにしてあげるとよい、と感動的なアドヴァイスをしている[★09]。その子にとってその知の仮想アーカイヴは、自身の成長とともに心の蔵書が豊かになってゆく、一生の贈り物となることだろう。
では、そのような膨大にして緻密な記憶の貯蔵庫を築きあげることができたとして、それを一生涯使い続けるためには、どのようなメンテナンスが必要になってくるのであろうか。後篇ではこの問題を考えてみよう。
https://distance.media/article/20241008000329/ 【庭をつくるように、記憶を育む(後篇)
記憶のデザインとメンテナンス】より
記憶術師=心の庭師!?
庭は、造園の段階よりもむしろ、できあがった後の維持管理の方が大変であるといわれる。それと同様に、記憶術を用いて作りあげた「記憶の庭」もまた、日々のケア/メンテナンスを欠くことができない。
記憶術の教則の基本となる、ロクスについて考えてみよう。術の準備段階として、情報の受け皿となる仮想空間を最初に用意して……と、簡単に指示されることが多いが、まずここでつまずく初心者も多いことだろう。郷里の実家、あるいは通いなれた学校や職場でさえ、じゃあそれらを心の中で完璧に再現して、そのうえ内部空間を精神の力だけで自在に動き回れるか、といわれれば相当に心もとない。しかも、データ容量を拡幅するために、さほど馴染みのない建物にまで手を伸ばしたり、あるいはそれでも足りなくて、まったくの架空の建築物を心の中に設計したりするなら、なおさらのこと、それらのロクスをいかに深く心に刻むのか、という点が喫緊の課題となる。
実際、ルネサンス期に多数出版された教本の多くが、この点について触れている。たとえば先ほど引いたジェズアルドは同書の中で、ロクスを最初に設定する際には、一日に(なんと)30~50回も、その仮想空間巡りをして、記憶に定着させるよう助言をしている。うまく根付いたら、あとは月に3~4回程度、メンテナンスの意味で巡回するのだという[★01]。
またそのロクスに置かれたイメージについても、同様の保守管理が求められる。再びジェズアルドから、記憶図書館の例を引くと、日々の読書内容をロクスとイメージで記憶する作業をすすめつつ、毎週の休暇日に、その週に憶えたものを総スキャンして定着をはかる。同様の作業は月単位でも繰り返すとよいという[★02]。
そんな日々の単調なメンテナンス作業を楽しくする工夫がある。多くの記憶術教本で紹介されている、ロクスの住人のシステムがそれだ。仮想の器には、建築や街路などが用いられるのだから、そうした記憶の町の中に、ヴァーチャルな住人を設定してしまおうという発想である。
おそらくその種の「仮想市民」のもっとも有名な事例が、ルネサンスを代表する記憶術師ピエトロ・ダ・ラヴェンナ(1448―1508年)の語るものだろう。彼は自著『フェニックス』(初版1491年)の中で、昔付き合いのあった水も滴る美少女たちをロクスに配置して、彼女らに会える精神巡回の機会をひそかに楽しんでいる旨を、やや恥ずかし気に表白している[★03]。
もう少し真面目な(?)例としては、ルネサンス最大の自然魔術師としてしられるジョヴァン・バッティスタ・デッラ・ポルタ(1535-1615年)による『想起術』(伊語初版1566年)が興味深い。まさにロクス巡りを喜ばしいものとすべく、親友、愛する人、あこがれの人物、ばかげた連中、紳士淑女、子供たち、家僕などを仮想空間に送り込むのだという。想起の場面であれ、メンテナンスの機会であれ、ロクスを散策する際にはそれら住人とあいさつを交わし、名前を呼び合い、握手し、抱擁し、会話を交わし、前・横・背後などいろんな角度から眺めまわす(!)[★04]。これはさぞ楽しい脳内散歩となるだろう。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
デッラ・ポルタ肖像画
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/Giambattista_della_Porta.jpg
あのデカルトもその著作を読み込んでいたという、17世紀初頭に中央ヨーロッパで活躍した記憶術師ランベルト・トマス・シェンケル(1547-1630年頃)は、記憶術論の中でこんなことを述べている──記憶を鍛えたければ、常日頃から多くを学び、よく考えること。記憶は世話するほど育つが、放っておけばたちまち衰退する[★05]。
けだし金言であろう。常に学習意欲を保って己の力で思考し、獲得した知識を丹念に育てること。要するに記憶術は備忘の万能薬ではないということだ。術の諸規則はあくまで、記憶の種が芽吹き、育ってゆくための庭を準備するにすぎない。水をまき、肥料を与え、害虫や雑草を取り除くのは、心の庭師たる記憶術師のつとめであるといえる。
根付かせた記憶をどのように忘却させるか?
では記憶の庭の雑草ないし害虫被害にあたるものは何か。それはメンテナンスを怠り、記憶内容が混乱した状態ともとらえうるが、別の考え方もある。すなわち、ロクスに置かれた記憶イメージの変異という問題だ。別名を「賦活イメージ」(imagines agentes)とも呼ばれるほど、記憶内容を表象するイメージには、強さ、鮮烈さ、偏倚さが求められた。画像の強度、つまり心の目でそれを見る者に強い情動を与える力があればあるほど、それだけ記憶に強烈に刻み込まれ、忘れにくくなるからだ。
けれどもその強さは諸刃の剣でもある。用済みとなり、ロクス上から消去しようとしても、容易に消せないことがあるからだ。下手をすると、コントロールを外れたおぞましき画像、妖艶なイメージ、哄笑を誘う強烈な映像たちに心を占拠されてしまいかねない。そんなばかな、と思われた読者も多いだろうが、ルネサンス期の記憶術教本の多くに、イメージ消去の方法があれこれ掲載されていることからも、術の実践者にとって切実な問題であったようだ。
記憶術のネガともいうべきそれらの「忘却術」とは、記憶の庭の秩序を保ち、健全な情報の育成を守るための、強力なツールであった。もっとも単純なのは、ある意味逆説的ではあるが、メンテナンスを意図的に怠ること。つまり、仮想空間の保守点検を行わないことで、時間の経過とともにイメージがロクスから消えてゆくのを待つというものだ。それでもだめなら、もっと積極的な措置が必要になる。すなわち、消したい画像のうえに、白いペンキ(というイメージ)を塗りたくって見えなくする、同様に白い布をかぶせる、ロクスの照明を消して視認できなくする、清掃スタッフ(のイメージ)に片づけてもらう──要するに、イメージをもってイメージを制するわけだ。もっとも強烈なのは、殺人鬼の集団を仮想建築に送り込み、消したい画像を破壊・殺戮させるというもの。これは相当な荒治療になるだろうし、術者への精神的負担も大きいだろう(下図)。
記憶術から、心の庭の園芸術への画像
忘却術の一場面(De l'artificial memoria, Paris, Bibliothèque de Sainte, MS 3368, fol. 44r.)
先ほど触れたデッラ・ポルタは、こうしてまっさらな状態に戻ったロクスを、二~三度巡回することを勧めている[★06]。「消えた」という状態を印象付けるためである。このような細心のケアのもと、記憶の庭は育ってゆくのだ。
耕すべき庭としての子供の魂
これまで、西欧哲学ないしは弁論術の系譜上にある記憶=心=庭の伝統を眺めてきたが、この議論は教育学の分野にもつなげることができよう。教育と記憶は切っても切れない関係にあるからだ。
そもそも西欧社会には、子供の心を庭にたとえる伝統が古くからあった[★07]。乳幼児を守り、その心を養い育てる場としての庭園の観念は、いわゆる「閉ざされた苑の聖母子」の図像伝統に、その美しいイメージを残している(トップ画像)。掲載したのは≪楽園としての庭に座すマリア≫と題された作品で、周囲を壁で囲まれたパラダイスとしての庭園に、聖母子や天使、聖人たちが憩っている。楽器で遊ぶ幼子イエスの傍らで、マリアが本を読んでいるのが印象的だ。実際ここに描かれた庭園空間は、自然の多様な要素と人工技術から成り、多くの知識が得られる場、魂の涵養と教育に最適のスペースともみなしうる。
この絵を見て幼稚園/保育園を思い出したとしたら──少々保育士の数が多いが──その連想はあながち間違っていない。世界初の幼稚園とされる施設も、設立者フリードリヒ・フレーベル(1782-1852年)によって「子供の園」(Kindergarten)と名付けられたほどだ。
子供の魂は耕すべき畑地あるいは庭とみなしうる。そしてその「庭園」の観念はまた、管理の行き届いた「記憶」とも重なることを本稿では見てみた。そう考えるなら、ジェズアルドが記憶図書館を子供に残そうとしたのもうなずける。出来合いの完成品としてではなく、このさき何十年とかけて自ら丹精して、蔵書を豊かにしてゆく記憶の図書館。それは、滋味豊かな子供の心に造営される、麗しき知の苗圃でもあったといえよう。
人間の記憶は意外と広く深い(きちんと育てれば!)
ルネサンス時代に、当時の人にとってさえ「知的化石」とも映ったはずの記憶術が、なぜ流行したのか。こたえはきっと意外なほど単純で、それが実によく効いたからではないだろうか。ではなぜ効くのか。それは、場所とイメージの組み合わせという認知科学的に有効な手法に加えて、記憶データのケアをも有機的に組み込んだシステムであったから、と考えてみたい。
繰り返しになるが記憶術においては、取り入れる情報を深く理解したうえで、自ら加工し、吸収する必要がある。いってみれば非常に能動的・積極的に情報と接することが求められるのだ。しかもいったん心に放り込んだらそれでおしまい、ではなく、繰り返し想起し、メンテナンスを重ねてゆく必要がある。これこそが、現代の読書や情報摂取の様態と大きく異なるところだろう。
我々が日ごろ目にするネット上のニュースや動画コンテンツ、あるいは新書や文庫、e-book、新聞雑誌のたぐいは、ほとんど記憶に残ることなく忘れられてゆく。テクストを理解し、自分でその情報の要点をあらわす画像を作る必要もなければ、自分で動画やストーリーを作る必要もないからだ。文章も映像も、心にとどまることなく、ただただこぼれ落ちて行くにまかせているにすぎない。殺人鬼を心に送り込む必要など、さらさらない。
もちろんここで、現代に記憶術的な情報管理法をそのまま復活させるべきだ、などと主張するつもりはない。ただ、モダンテクノロジーが生み出した高性能な外部記憶装置を過信するあまり、そこにあらゆる情報・知識・思い出を預けっぱなしにせずとも、我々人間の生得の記憶力は意外と容量が大きいのだということ。そしてその良質の素材をじっくり鍛えれば、驚くべきキャパシティを備えた、記憶の豊穣なる庭園を誰もが生み出せるのだということ。こうした点は今一度、心に銘記しておいてもよいのではないか。
常に何か新しい刺激、おもしろい知見を求めて、無尽蔵のデータの海をあてどもなくさまよいつづけるのではなく、自分にとって意味のある情報を選び、それを徹底的に咀嚼しつづけることで、記憶は日々育ってゆくだろう。憶えれば憶えるほど、より豊かになってゆく、そんな奇跡の庭園を誰もが心の中に所持しているのだから。
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