https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12884116406.html?fbclid=IwY2xjawIFWhdleHRuA2FlbQIxMQABHRMM_Do-Pn6ifq_sIcxtJKYM5Qllxrv6lsR88VG-T2rAUDY-76GHEnCi2Q_aem_ZIMJuEYTg9S3ktkCIlzlTg 【心配、恐れ、怒り、悲しみ、がんばりすぎ…「マイナス感情と脳疲労」を癒すヒミツの方法!】より
愛する魂の冒険者たちへ 時代が大きく変わる今、国内外でさまざなことが起きてきています。自分の内側でも起きてきます。生きているといろんなことがありますね。
嬉しいこと、楽しいこともあれば、悲しいことも、怒りを感じることも、しんどさや無力感を感じて呆然とすることだってあったりします。
ただでさえ現代の情報社会では、膨大な情報が流れているため脳が常に酷使され、興奮し続けているそうです。そのため、疲労感やだるさといった身体症状が現れることがあるそうなんです。
最新医学では「脳疲労」こそが、からだの疲労感の真の原因だということがわかってきているんですよね。慢性的な疲労感の原因は体ではなく脳の疲労だった・・・そんなことを最初に知ったときは驚きました。
脳疲労の軽減にはいろんな方法があることがわかっています。
ひとつには「鶏のムネ肉を食べる」こと。なぜかといえばイミダゾールジペプチドという
脳疲労を解消する物質が含まれているそうなのです。渡り鳥が長く飛べるのはこの物質のおかげなのだとか。NHKでも取り上げられていますね。
もう一つがサングラスをかけること。目から入る紫外線を軽減することで脳疲労が緩和されるそうです。
ここからが本題です。
ある医師によれば、過度にネガティブな感情を持ち続けることで脳に大きな負担がかかって、
脳疲労の状態に陥ることがあるそうです。誰でも喜怒哀楽は感じるものですが心に不安、心配、怒り、悲しみなどの感情が継続的に存在すると脳が疲れやすい、とのことなのです。
今の時期はちょっと要注意かもしれません。
そこで本日、癒しのケアとしてお勧めしたいのが・・・、自分の「いわゆるマイナス感情」を
「そうなんだね」と認めて、受け入れる方法です。
どんな感情も、自分の心が感じています。それを否定せずに認めて、受け入れることで、
緊張がゆるんで、体の疲労や、不快症状も緩和していくことがあります。
ここでは大正時代に日本で生まれた手技療法の一つ「仁神術」の応用テクニックをご紹介します。
第二次大戦後に、日系アメリカ人のメリー・バーマイスター氏の尽力により、仁神術は、世界中に広まりました。アメリカ、ドイツ、イギリス、スペイン、アイルランド、台湾、シンガポール、オーストラリア、ブラジルなど全世界で1万3000人以上のかたが活用。医療現場でも用いられているそうです。
この仁神術が感情のケアに抜群の効果を発揮するのです。
手の指が、次のように「人の感情」と結びついていると考えます。
親指・・・心配 人差し指・・・恐れ 中指・・・怒り 薬指・・・悲しみ 小指・・・がんばりすぎ そっと、脈を感じるような感覚で、 つかんでみるだけで 感情の荒波が鎮まっていきます。(強くつかみすぎないのがコツ)
実は、東日本大震災でも、ボランティアのかたがたが、指つかみを活用し、さまざまなかたの心身を癒していたそうです。
今日は、これを応用してみます。簡単です。「マイナス感情を癒す秘術」
自分の手の指を、親指から順番に握りながら、自分のマイナス感情を認めていく言葉を、
慈しむように自分に言ってあげます。
親指を握りながら「心配しているんだね。いいんだよ」人差し指を握りながら「怖いんだね。いいんだよ」中指を握りながら「怒っているんだね。いいんだよ」薬指を握りながら
「悲しいんだね。いいんだよ」小指を握りながら「がんばりすぎているかもね。いいんだよ」
これを順番に、自分を慈しむようにやってみると、頭の芯にジーンと響きわたるようななにかを感じたり胸のあたりがうんとリラックスするかもしれません。
お金も時間もかかりません。ストレスを感じた時、その場でやってみたり、一日の終わりお風呂の中でやってもいいと思います。
しんどいときや疲れたとき、不安感や緊張感が高まった時などにも試してみてくださいね。
自分いじめをやめて、自分を大切にすると運気は必ず上がっていきます😁
まとめ
マイナス感情が出てくるたびにそっと指を掴んで「いいんだよ」と言ってあげましょう。
癒しが起きて、運気が上がっていきます。それでは明日も素敵な朝を!
今日も命にありがとうございます。 西田普 にしだあまね
facebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事
この世界に永遠に変わらないものは何一つなく、すべては移ろっていく。仏陀が教えてくれたてくれた最大の真理がこの「諸行無常」です。仏陀の直接の教えである初期の根本仏教は宗教というより哲学に近く、折ることで奇跡が起き救われるとは教えていません。現実に起きる苦を分析して苦の対処を指導しています。
facebook藤井 清史さん投稿記事
【和歌、俳句から考える健康学13】
『なへて人 胸の思ひハ 乱碁の死するをこうに たててやむべし』という歌があります。
これは、「耐え難い万難の苦しみも、死を覚悟すれば立ち直ることができるものである」という意味合いです。
少し解釈をすると、“なへて“は、おしなべて人は、ということや萎えることを掛けたり、“乱碁“は、白黒の碁石が乱れ置かれている様子と、指先で碁石を拾いとる遊戯とを掛けたり、また、“こう“は、葬儀の香と囲碁の詰みの一手である劫を掛けており、自殺を踏み止まって頑張れという、複雑な掛け合わせの応援歌になっており、大変味わい深い歌でもあります。
さて、最近世の中を賑わしております某大手TV局の問題ではありますが、まさに“耐え難い万難の苦しみ“でありましょう。
が、しかし当事者がそうであるということは、それまでの間、社員を含め様々な人達に“耐え難い万難の苦しみ”を与え続けてきた、ということでもあるでしょう。
自業自得と言ってしまえばそれまでです。
報道の自由を自分達にとって都合の良い様に拡大解釈し、それをあたかも正義の如く国民を騙して、私利私欲のためにやってきた報いがやって来たとも言えるでしょうね。
視聴率至上主義、この姿勢が結局、大きな歪みを生じているにも関わらず、それに気が付かず、今までやって来てしまった結果な訳ですね。
ここで、死してしまうのは簡単ですが、今こそ、報道の原点に立ち返り、娯楽の原点に立ち返り、本当に国益になる番組づくり、それはもちろん、その課程も含むものですが、それをやっていかねばならないのではないか、と私は思います。
かつて、街頭テレビから始まった映像庶民文化。
街角でテレビを見て本当に国民が、この国が活気づいた実績は持っているのです。
そこを忘れずに、今一度、原点に返って取り組み直していただきたい、と私は思います。
皆さんはいかがでしょう?
健康においても如り、であります。
どう言い訳しようとも、やって来たことが、そのままブーメランで返ってきているのが今の身体の現状なのです。
その身体が病魔に侵され、病気がちで弱々しくなっているなら、それまでの生活、心根、信条がどこかが病んでいた、ということなのですね。
何が歪みの原因で、何がキッカケで歪みはじめて、何がそれを助長したのか?!
これを点検する必要があるのです。必ず、原因と条件はあるのです。そこを、正していく他に残念ながら、病という結果は変えていくことは出来ないのです。
意外と「自分が本当に正しい」と思い込んでいる中に、それが潜んでいることは多々あります。
どうか、病だと嘆く前に、そういう観点でもう一度、自分自身を見直してみて頂きたい、と思います。
皆様、いかが思われますでしょうか?
facebookあいことば投稿記事
コピーライター・ひすいこたろうさんの名言セラピーです♪
さて、今日は芸術家の岡本太郎の話。
当時の日本の絵画は、わび、さび、しぶみの全盛期でフランスから帰国した岡本太郎は日本の絵画に違和感を感じたそう。自分はきれいなものを描きたいわけじゃない。「なんだこれは!?」と、ぞっとするようなものを描きたい。
しかし……。そんな絵を描けば、嫌われてしまうだろう。マスコミにも取り上げられないだろう。絵も売れないだろう。すると、俺は絵で食えなくなろうだろう。
食えなくなったら死ぬだろう……。食えなくなったら死ぬだろう……。死ぬだろう……。
死ぬだろう……。この道を行ったら、死ぬかもしれない……。じゃあ、この道で、死のうか!そう決めた。
わび、さび、しぶみの全盛期くすんだ色ばかり使われていた日本絵画界になぐりこみをかけた。キャンバスを真っかに染め真っ黄色を使い、真っ青に塗りあげ禁断の原色をふんだんに使った。好かれないように嫌われるような仕事をしてやろうと。
ザ・岡本太郎の快進撃はここから始まるんです。死より怖いものは、死ぬ前に後悔することです。やってみたいことはやってみればいいんだ。大切なのは、結果を出すことじゃなくて、やってみることだから。どうなろうが、何が起きようが全部味わい切る!
そう覚悟を決めたら、怖いものなんかない。
ある方がね、老人ホームで、「これまでの人生で一番、心に残ってることは?」って取材したんだって。
するとねおじいちゃん、おばあちゃんたちはみんなイキイキ話し始めたそうだ。
どんな話を?それぞれの苦労話を。やってみたことだけが思い出になる。
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