facebook田中 宏明さん投稿記事
「何も起こらない」人生にはそんなことがよくあります
例えば僕の好きな天河神社は「呼ばれなければいけない」と言われています
そんな特別な縁を持った人しか辿り着けないというわけです
もちろん行こうと思えば誰でも行けますが^ ^そんな云われの神社に僕は今まで40回くらい
参拝していますが「何も起こらない」わけです
何か劇的な変化が 訪れたり 龍や光の存在に 遭遇したり 何か神秘的な 体験をしたり
そんなことは 何も起こりませんでした
最初の頃は どこかでそういう 事が起こることを期待 している自分がいました
でも何も起きない^ ^ いつものように 参拝して天川温泉に入って帰る その繰り返しでした でもそんなある日 ふと変化に気づいたことがありました
「あれ?今日はなんでこんなに心地いいんだろう?」僕はいつも本殿で瞑想をさせてもらうのですが その日は本当に 自分が消えてしまったような深い瞑想になったんですね
そしてそれはとても シンプルな原因だったのです
その原因は何かというと「一切の期待が消えていた」ただそれだけのことでした^ ^
でもたったそれだけで今まで感じたことがないくらいその「場」のエネルギーと
同調することが出来たんです
こんなことは別に神社に限らずともあらゆる事に当てはまるような気がします
例えばあなたが「この人こそ!」と思っていた人に会いに行ったり「このワークショップこそ!」と思っていたものに参加したり「あの国こそ!」と思っていた国に旅したり
そんなあなたの「期待値」が高ければ高いほどそれに見合ったことが起きないものです^ ^
みんな、そんな経験があるのではないでしょうか?
じゃあそれは なぜかというと「期待」というのはあなたのオーダーだからです
世界や人に対して「こうあって欲しい」という注文なんです^ ^
そして、当たり前ですが 誰もあなたの「注文」など 知る由もありません
いつも我々は勝手に世界や人に注文をつけてそれが叶えられなかったと嘆いているわけです
もちろん、期待通りの 満足を得ることも あるでしょう
でも、実はそれは 得られなかったことよりも 学びは浅いんです^ ^
あなたは益々 世界や人への注文に 夢中になるでしょう
そして 期待が叶えられたり 叶えられなかったりを いつまでも 自分以外の人や世界に
ゆだね続けることになります^ ^ それはもはやギャンブルと同じです^ ^ ルーレットの赤と黒 丁か半かの世界です
いいですか?^ ^この世界を本当に味わう秘訣は「期待しないこと」それに尽きます
でもどうしても期待してしまう人もいると思います むしろ、「期待」なくして行動のエネルギーなんて 出て来ないわ、という人もいるでしょう^ ^
そんな人は是非一度「何の面白味もない」場所や人といる 時間を過ごしてみてください^ ^
あなたの頭の中の「批判」や「抵抗」をありありと感じて欲しいんです
「なんでこんな奴と一緒にいなきゃいけないんだ!」その声は「期待」をしている者と
同じ声です
「期待」を裏返すと「批判」になります今目の前にいる人間が面白くないのは あなたもたいして面白くないからです(笑)
僕は決まって おもしろくない人に出会うと 自分の波動が下がっている と感じます
でも それは相手が面白くないのではなくて 自分が人を判断して批判 するくらいに、波動が下がっているという意味です^ ^ 全く相手のせいではありません全ては自分の責任です^ ^
僕は人生における叶えられなかった「期待」から全ては自分の自由になるということを学びました^ ^
期待外れで落ち込む自由とあるがままの その瞬間を受け入れる自由 それを毎瞬間 選択する「自由」が 自分にあるわけです^ ^
それが本当に 肚に落ちた時 世界はどこまでも 自由だとわかります^ ^
もし今日が期待 外れの一日だったとしたら それはあなたの「選択」によってなされた
ことを覚えていてください
つまらない会社 つまらない人間関係 つまらない人生 そんなあなたに 僕の好きな禅僧
良寛の言葉を送って 最後にしたいと思います^ ^
◯
お前はお前で丁度良い 顔も体も名前も姓も、それはお前に丁度良い 貧も富も親も子も、息子の嫁もその孫も それはお前に丁度良い 幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度良い
歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない お前にとって丁度良い
地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところが丁度良い うぬぼれることもことも無ければ、卑下することも無い 上も無ければ下も無い、死ぬ月日さえも丁度良い
御仏と二人連れのこの人生が 丁度良くないはずが無い お前にそれは丁度良い ワハハ🌈
らぶ💓
https://akanenyckelharpa.com/%E5%85%88%E5%9B%9E%E3%82%8A%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%83%87%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%80%82%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF/ 【先回りばかりすることのデメリット。大切なのは今を経験すること。】より
峰村茜 / ニッケルハルパ奏者
前回、前々回のブログの内容とも関連しますが、私は普段、「相手がこうして欲しいのではないか」というのを勝手に先回りして気を遣う癖があります。
時と場合によっては、その癖が良い方向に働くこともありますが、正直無駄な時も多く(=先回りではなくて一人で勝手に先走っているだけ)、「この癖を手放した方が自分にとっても周りにとっても(演奏にとっても)良いのではないか」と、いつからか思うようになりました。
ちょっと調べてみると、実際そのような”自己完結的に過剰に周囲に気を遣う人”に関する悩みや相談というのは案外多くて、内容を見ていて「なるほどな」と思います。
自分の体験を踏まえて書いてみます。
勝手な先回りの例
先回りの例を挙げるとキリが無いのですが、例えばある日、私はスウェーデン人の知人からメールで質問を受けました。
「今度日本に行くのだけれど、JRの路線内、どこでも使えるパスのようなものをネットで買ったんだ。その使い方でわからないことがあるんだけど…(詳細は省きますが、ここで具体的なことを訊かれました)。」
メール自体は消去してしまって手元に残っていないのですが、確かこのような内容だったと思います。細かい内容は忘れましたが。
このメールを読んで、私はその”パス”がなぜかSuica的なものだと勘違いし、良かれと思って、質問で訊かれたこと以外に、訊かれてもいないのにSuicaの説明(お金をチャージして云々、こういうことに気をつけろetc)を長々と書いて返信しました。
返信には結構な時間がかかりました。
しかし、結局のところその”パス”はSuicaではなくて、旅行客向けにJRが発行している特別なチケットのようなものだったことが後からわかったのです。
私は早とちりして、知人からの質問にちゃんと答えられていないどころか、訊かれてもいないことを、自分の貴重な時間を使って長々と書いて、相手に送りつけていたのです。
私が書くべきだったのは、「そのパスってなんて名前?」の一言で良かったのです。
実は返信を書いている間も、「これってこんなに時間をかけて返信することなのかな、訊かれてないのに」とちらっと何度か思ったのですが、「きっと相手のためになるに違いない」と思って頑張ってしまいました。
結果、勘違いだったわけです。
先回りすることのデメリット
こうして先回りすることには、デメリットがあるなと思いました。
①疲れる(自分の時間とエネルギーを無駄に使う)
私がここで書いている「先回り」というのは、頼まれてもいないことを勝手に「相手が必要としている」「相手が期待している」と自己判断して、その判断に基づいて行動することです。
これは、結構疲れます。
自分のエネルギーと時間を使うことになります。
しかも、かけたエネルギーと時間の割には結果が伴わない(そもそも自己判断自体が勘違いで、相手は私にそんんなことを求めていない)ことも多いので、その場合はエネルギーと時間を「無駄に」使うことになります。
もちろん、いい結果に終わる場合もあるかもしれませんが、私が思い出す限りでは、徒労に終わる割合の方が高い印象です。
②勘違いの時も多い
①とも通じますが、「相手はこうして欲しいと思っているに違いない」というのは、自分の勘違いであることも多いです。
”この人はこうして欲しいのだろう”と思っている時、言葉できちんと相手に「こういうことでしょうか?」「こういたしましょうか?」と確認する、ということを、私はあまりしてきませんでした。
最初に一言確認していれば、違ったのだろうと思いますが、確認せずに自分の勘違いで先走ってしまうことが何度もありました。
「自分は、他人の気持ちがよくわかる方だ」と思っている人は、案外、その「他人の気持ち」は自分の思い込みや勘違いばかりかもしれません。
③”気が利く人”は周囲を疲れさせている時がある
私がここで言う”先回り”を、”気が利く”と表現することもできるかもしれません。
場合によっては、このように先回りして予測して、リスク対策をすることが求められる場面もあるかと思います。
ただ、それはおそらく仕事・業務に関わることなど、限られた場面であることが多いのではないでしょうか。
日常生活で常に気を利かせる必要はない、と私は最近考えています。
常に気を利かせている人というのは、本人が意識するしないに関わらず、周囲にメッセージを送ってしまっています。
そのメッセージとは、”自分がこれだけ気を利かせているんだから感謝しろ”。
もしくは”お前も気を遣え”です。
たいていの”気が利く人”は、「いや、これは自分が好きでやっていることだから気にしないで~」と言うと思いますし、本当にそう思っているかもしれません。
ですが、周囲の人間としては、言語上のメッセージ(「自分が好きでやっているだけだよ~」)と非言語のメッセージ(”感謝しろ”、もしくは”お前もやれ”)の齟齬に、若干のやりにくさを感じるのではないでしょうか。
そうすると、周囲の人間は甘えるべきなのか、それとも感謝し続けるべきか、それとも「いや、自分がやりますよ」とか言うべきなのか…などと色々考えて、かえって疲れてしまいます。
そこまで深く考えない人も、考えずに甘え続けていたら、気が利く当人が「なんでいつも自分ばかり!」と逆ギレする、ということもあります。何かのトラブルの際に、「いつも良くしてあげてたのに!」と言われてしまって、「え、なんだ、結局見返りを求めてたんじゃん」となったりとか。
このように、日常的に、ささいなことでいちいち気を利かせる人というのは、実は周囲の負担となっていたり、周囲に気を遣わせていたりします。
④”気が利く人”は”気が利かない人”を生む
これは、同じ立場の人が何人かいる場合に限るかと思いますが。
同じ立場や立ち位置の人が集まったグループ内で、誰か一人が「自分はこっちでいいよ~」などと常に自分を一段下げて、”気が利く人”的なポジションについてしまうと、他の人が”気が利かない人”とされてしまうこともあります。
だからといって、気を利かせるなというわけではないのですが、ささいなことでいちいち気を利かせるのは、かえって周りの同じ立場の人間を、別の立場の人に悪く思わせてしまう可能性があります。
周りの人も、”気が利く人”のポジションを、いつもその人に譲ってあげる(譲らされている)気持ちになっているかもしれません。
同じ立場の人どうしの中で、過剰に自分を下げたり(もしくは周囲を上げたり)するのは、あまり良くないなあ、と思います。
そんな風に気を遣うのではなく、その場その場で、順番こに各々やりくりすれば良いだけの話です。
⑤気遣い合戦が始まる
④とも通じますが、先回りして気を遣う、という性質の人が2人以上いた場合、気遣い合戦が始まってしまいます。
お互いの気遣いがよくわかるので、表面上は常に物事がスムーズに運び、相手への感謝の気持ちを伝えることを忘れず、とても上手くいっているように見えるでしょう。
それが仕事上のパートナーで、同じ目的を持っているのなら、良い関係を築くこともできるかもしれません。
ですが、必ずしもそうではないと思います。
気遣い合戦が始まることもあります。
それが戦いである以上は、勝者と敗者が出ます。
こういった戦いは、結果として、勝者にとっては気持ちが良いものになるかもしれません。
が、敗者にとっては屈辱的なものになりえます。
気遣いで戦うこと自体がそもそも無意味ですが、そこで自分が勝ち上がっても、同時に崩れてしまう人間関係もあるということです。
(ただし、「あざとくてもなんでもいいから、周りの人をあえて出し抜いて勝ち上がりたい」という明確な意図がある場合は別ですが)
と、このように、私が思いつくだけでもデメリットがあります。
もちろん、気が利くことや気遣いができること、先読みしてリスク回避をすることなどは、とても重要なスキルであったり、その人の大事な長所であったりもします。
ですが、長所も使いようによっては短所になる、ということを覚えておきたいと思います。
相手の気持ちはわからないから、決めつけないように
デメリットの部分でも書きましたが、結局のところ、相手の気持ちは相手にしかわかりません。
先回りして相手の気持ちを読むのも良いですが、あまり自分の判断で相手の気持ちを決めつけない方が良いな、と最近は思っています。
その決めつけが、外れていることも多いからです。
ちなみに、私は今までたくさん、他人の気持ちを決めつけてきたと思います。決めつけている、という自覚もなく。
決めつけた内容を起点に、うじうじと悩んだり、どこまで相手に気遣うべきが考えたりすることも多かったです。
反省は、これからに活かしたいと思います。
相手を信頼し、気を楽に、今を生きる
先回りするのは、ある意味相手と自分との関係性に不安があるから、やってしまうことなのかもしれません。
相手はこう言っているけど、それは自分にこれを望んでいるに違いない。
相手はそこまで言っていないけど、自分が相手にこれを教えておかなくちゃ。など。
そうやって先回りするのではなく、相手と、相手の言っていることを信頼し、気を楽に生きていく方が良いな、と思います。
先回りばかりしていると、「今」を生きている感じが全然しないんです。
常に「先」「先の先」という感じで。
これからあれが必要になるかもしれない、こうかもしれない、ああかもしれない、と。
もちろんそういう考えが必要な場面もあるかと思いますが、それはそれで、ことが起きてからなんとかすれば、なんとかなる場合もたくさんあります。
本当に、なんとかなるんです。
つい、「自分や他人が失敗しないように」と先回りしてしまいがちですが、失敗は大事な経験です。
先回りばかりするのではなく、今に目を向け、時には失敗しながら、楽に生きていけると良いなと思います。
ちなみに、演奏中でも、先のことばかりを考えて弾いていると焦った弾き方になったり、今自分が出している音に集中できない弾き方になってしまうことが多々あります。
一人で弾いている場合はもちろん、他の人と弾いている時もまた同様です。
先回りして、準備したものをただ演奏するのではなく、「今」ここで何が起きているかに集中し、「今」目の前で起きていること(誰かと弾いているのなら、その誰かが出している音と自分の音。もしくはお客さんの反応、会場の空気など)に自分がどう反応するか、というのがとても大切です。
その「今」の反応が、良い演奏を生むと思います。
そして、最近人間関係のことについてのブログが多いですが、これは私が最近デュオの練習(他の人と一緒に弾く練習)をしているからだと思います。
普段の自分の人との関わり方のパターンが、演奏中にも出てくるので、人との関わり方について考える機会が無意識に増えているみたいです。
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