https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/38318320【黒曜石】
https://note.com/kamachiakihiro/n/n39a8e2306091 【テスカトリポカ──「黒曜石の神」をめぐる縄文的な関心】より
佐藤究氏の小説『テスカトリポカ』が2021年上半期直木賞を受賞したことで、アステカ帝国の神、テスカトリポカは、日本での知名度を飛躍的にアップさせました。アステカ帝国の支配圏だったメキシコなど中米と日本には、共通点があります。このふたつの地域は、ともに環太平洋火山帯のなかに位置し、火山由来の鉱物である黒曜石の世界有数の産出地であることです。
テスカトリポカには、「黒曜石の神」という一面があるのですが、小説『テスカトリポカ』を読みながら、黒曜石と神の関係を考えてみます。
諏訪信仰は黒曜石と関係するのか
黒曜石(obsidian/オブシディアン)は溶岩が固まってできる火山岩の一種ですから、火山列島である日本各地に産地があるのは当然ですが、そのなかでも石器素材としての質と量、歴史的背景などの総合評価で、文句なしの国内ナンバー1産地が長野県の諏訪地方にあります。
諏訪地方は「縄文王国」の異名をもつほど縄文遺跡の多いところで、有名な土偶「縄文ビーナス」の出土地でもあります。
そこは諏訪大社の鎮座する場所ですから、かねてより、諏訪信仰と黒曜石産地の関係が注目されていました。
諏訪大社の祭神であるタケミナカタは、「軍神」「戦いの神」として源頼朝、武田信玄をはじめとする武将からの厚い崇敬をうけました。一方、肉食への禁忌がつよかった中世、近世において、人びとに肉食を許す「狩猟神」という一面もありました。
旧石器、縄文時代から、黒曜石は矢尻、刃物として最もすぐれた石器素材として珍重されていました。つまり、武器を作るための素材だったわけです。
直感のレベルで言えば、黒曜石産地の歴史は、諏訪の神が「軍神」「狩猟神」であることと当然ながら関係しているように見えます。
それなのに、諏訪信仰と黒曜石産地の関係に真正面からとりくんだ書籍、論考はほとんど見かけません。諏訪信仰関連の史料や現在に継承されている祭祀のなかに、黒曜石とのかかわりは見えず、仮説的な議論さえ難しいという事情があるからです。
データが不足しているなか、諏訪信仰と黒曜石の関係を考えるうえで、看過できないのが、中央アメリカの黒曜石の神、テスカトリポカの存在です。
直木賞小説のタイトルになったアステカの軍神
私は数学音痴の完全なる文系なので、高校生のときの科学の選択科目は、数式がほとんど出ない「地学」と「生物」を選んでいたのですが、「地学」の授業は思いのほか面白く、その延長で、鉱物とか地質学方面の本は今でもときどき読んでいます。
もっとも、私が読むのは一般読者向けの通俗的な内容で、たとえば、「鉱物・石をめぐる神話と伝説」というような本なのですが、テスカトリポカはそうした本の常連です。世界全体でも珍しい(確実な事例としては唯一?)「黒曜石の神」だからです。
『パワーストーン──宝石の伝説と魔法の力』(草野巧/新紀元社)によると、黒曜石(オブシディアン)は「神々の言葉を映し出す石」だったとして、こう書かれています。
「古代メキシコにはさまざまな予言法があったが、12~15世紀ごろには磨き上げられたオブシディアンの鏡が予言に使用された。ヨーロッパでも16世紀ごろにはオブシディアンの円盤が天使のメッセージを伝えるといわれた」
テスカトリポカには「煙たつ鏡」の呼び名があり、それは黒曜石の鏡を意味しているそうです。黒曜石は「火山ガラス」の呼び名もあるほど、結晶が目立たないツルツルした鉱物で、磨くとほんとうに鏡になるそうです。
アステカ文明の神話における黒曜石のもうひとつの意味は、「平和を破壊し、戦争をもたらす黒い石」であり、テスカトリポカという神に象徴されているそうです。
以下、こんな説明がなされています。
テスカトリポカはケツァルコアトルという神とともに世界を創造した重要な神。アステカの神話のひとつでは、宇宙には5つの時代があるが、その最初の「土の太陽の時代」の主役はテスカトリポカで、その次、ケツァルコアトルが支配する「風の太陽の時代」となる。この二神はライバル関係ということ。
ケツァルコアトルは鳥と蛇が合体した神だが、全身が緑色をしており、翡翠の神ともされている。美しい翡翠の色に象徴されるように、ケツァルコアトルは秩序をもたらす神として信仰されている。メキシコを中心とする中央アメリカは翡翠の大産地。これも日本との共通点。
一方のテスカトリポカは、秩序を破壊し、混沌と争いをもたらす神。暴力や「悪」にも結びついており、戦いの神、軍人の神、さらには、盗賊の神でもあるという。
『パワーストーン──宝石の伝説と魔法の力』の解説によると、
「黒曜石は武器として利用されたことから、古代メキシコでは黒は戦争を意味する色だった」
のだそうです。
黒曜石は非常に鋭利な刃物になるので、縄文時代の日本列島だけでなく、世界各地で矢尻やナイフとして利用されていました。
武器を製造する石としては文句なしで世界最高品質です。
という事情によって、テスカトリポカは、日本の鉱物好きの人たちのあいだでは、それなりの知名度をもっていました。鉱物マニアの人たちは、佐藤究氏の小説『テスカトリポカ』が直木賞を受賞したというニュースを見たとき、「えっ?」「あっ!」という感じだったと思います。
私は「石好き」という程度で、鉱物マニアを名乗るほどの収集活動はしていませんが、「テスカトリポカをタイトルに掲げる小説とは、いったいどんな内容なのだろう?」という疑問をおさえきれず、さっそく購入しました。
麻薬マフィアの守り神
小説『テスカトリポカ』を論評する能力など、私にはありませんが、ここでは概略を紹介しながら、黒曜石にかかわるくだりをピックアップしてみます。
メキシコには世界の麻薬ビジネスを支配する2つの組織(カルテル)の拠点があり、まるで戦争のような大量殺人をともう抗争がつづいていた。結局、一方の組織が敗北、大幹部のひとりは各地を逃走したあと、日本で臓器移植の世界的な闇ビジネスをはじめる──というのが物語の骨格です。
その大幹部の祖母が先住民系の女性で、裕福な白人の男と結婚しました。彼女リベルタはキリスト教の洗礼をうけ、白人の暮らしに順応しているふりをしながら、密かに中央アメリカの土着の神々を崇敬していたのです。
土着の神々の代表格がテスカトリポカにほかなりません。
「リベルタは教会で洗礼を授けられ、神父には(中略)「その正体は悪魔であるアステカの神々の名を記憶から永劫に消すように」ときつく諭された。」
禁止されたにもかかわらず、祖母は四人の男孫へテスカトリポカへの信仰を密かに伝えます。
その兄弟が世界的な麻薬カルテルを築き上げ、テスカトリポカは犯罪者集団の守護神となるのです。
15世紀にスペインのコルテスにアステカ帝国が滅亡させられたあと、アメリカ大陸の宗教地図は完全にキリスト教によって塗り替えられました。
現在は先住民族の人権だとか、文化人類学的な価値みたいなものを無視できないご時世なので、メキシコでも建前としては先住民の信仰世界はある程度、尊重されているようですが、15世紀以来の歴史のうえでいえば、テスカトリポカをはじめ土着の神々は悪魔扱いされることが長かったようです。
小説『テスカトリポカ』には、主役級の登場人物がふたりいて、ひとりは闘争に負けて、国外逃走中の麻薬カルテルの大幹部、もうひとりは川崎市で生まれ育ったメキシコ人と日本人とのハーフ男子です。巨漢のハーフ男子が臓器移植の闇ビジネスにかかわることになって、ふたりはお互いを「父」「息子」と呼び合うようになります。「父」は自分たちのファミリーの守護神であるテスカトリポカについて、「息子」に語り、失われたアステカ文明の神々の世界へ誘うのです。
「息子」の名をコシモといいます。
「戦争の神さえも超越するその神の秘められた本当の名を、コシモは心のなかで呼んだ。けむりはくかがみ テスカトリポカ。(中略)黒曜石の鏡。人間の知りえない世界の底に、死神の住む冥界よりも深いところに、世界のはじまりからずっと置かれている黒きアステカの鏡」
『テスカトリポカ』は、犯罪小説であり、暴力小説であり、そちら方面が好きな読者に楽しんでもらう趣向をふんだんにこらしたエンタテインメント作品ですが、その一方で、テスカトリポカとは、人間にとっていかなる存在なのかという問題が重要テーマのひとつであるように、私には思えました。
テスカトリポカが象徴するのは、暴力と土着の精神文化です。
神学論争めいたテスカトリポカをめぐる言葉の数々は、読み応え十分です。
テスカトリポカが「戦いの神」「軍神」である理由は、中央アメリカの先住民が、黒曜石の剣で戦ってきた歴史のなかにあります。
人間の歴史の最も醜い一面である戦争、そして戦いで流されるおびただしい「血」、そして「死」。
テスカトリポカは、そのような血なまぐささを好む神のように、この小説では描かれています。
神の視点に立つならば、戦いにおける人間たちの「血」と「死」は、神への生け贄であることを、私は小説の『テスカトリポカ』を読んで、改めて教えられました。
アステカ帝国が隆盛であったころ、国家的な儀式において、テスカトリポカには若い男性の生け贄が捧げられていたそうです。
私たちは深く考えることもなく、諏訪大社の神タケミナカタ、鹿島神宮の神タケミカヅチを、「軍神」「戦いの神」だと言っています。武将たちが出陣を前に必勝を祈願し、それを守護するのが軍神であると理解しています。
しかし、現実の戦いに「血」は不可避であり、時と場合によっては、おびただしい「死」が戦いにはともないます。
諏訪の神、鹿島の神も元来は、そうした「血」を欲する神だったのでしょうか。
テスカトリポカとはいかなる神かというテーマは、同じ軍神である諏訪大社の神を考えるときの貴重な参照資料であると思います。
鉄の神、黒曜石の神
アステカ帝国は15世紀にスペインの軍隊によって滅亡し、現在のメキシコにつながる歴史がはじまります。
スペインなど西欧諸国が進出する前のアメリカ大陸の先住民は、縄文時代の日本と同じように、鉄を知らず、黒曜石などの石製の剣や弓矢で武装していました。
鉄砲をはじめとする「鉄」の武器をもったスペインの軍隊に、「石」で武装したアステカ帝国の兵士がかなうはずもありません。あっけなく、アステカ帝国は滅亡し、テスカトリポカは国家的な神としての資格を失うことになりました。
これと似たような話が、日本列島の古代にもあったのではないかと、私は考えています。
諏訪大社の神タケミナカタは、軍神として崇敬されていますが、歴史の記録のうえでは、鹿島神宮の神タケミカヅチに、完膚なきまでにたたきのめされています。
『古事記』などに記録されている「国譲り神話」の場面です。
鹿島神宮の神タケミカヅチは、アマテラスの使者として、出雲の神オオクニヌシに、国を渡すように迫り、それに抵抗する諏訪の神と決闘するというくだりです。
出雲から諏訪まで逃走したタケミナカタは、
「この地からけして出ませんから、どうぞ助けてください」と懇願し、ようやく許されたという話になっています。
鹿島神宮の鎮座する茨城県鹿嶋市は、『常陸国風土記』にもしるされている砂鉄の産地で、鹿島神宮には3メートルほどある巨大な刀があり、社宝として伝わっています。
Jリーグ鹿島アントラーズの前身は、旧住友金属工業の鹿島製鉄所のサッカーチームであり、鹿島は「鉄」との縁の深い土地柄なのです。
「国譲り神話」に描かれている諏訪の神タケミナカタと鹿島の神タケミカヅチの戦いの背景として、諏訪の黒曜石産地と鹿島の砂鉄産地を見ることができると思うのです。
国譲り神話を「黒曜石の神」と「鉄の神」の戦いとして解釈するとしたら、時代遅れの「黒曜石の神」の敗戦が避けがたいことは、スペインとアステカの戦いを思い起こすまでもなく、歴史の必然であるといえます。
というようなことを、拙著『聖地の条件──神社のはじまりと日本列島10万年史』のなかで検討しているのですが、拙著の原稿は、小説『テスカトリポカ』を読む前に書き上げたので、この小説にはまったく触れていません。
「黒曜石の神」をめぐる貴重な参考文献として、遅ればせながら、小説『テスカトリポカ』を拝読した次第です。
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友行 安夫阿波邪馬台国説
2024年11月26日 ·「阿波の勾玉」の歴史を紐解けば「黒曜石」から「翡翠」への変革で「邪馬台国」が見える!
阿波(現在の徳島県)は、日本の古代文化の中で勾玉制作の重要な拠点として知られています。その歴史を辿ると、石器時代から勾玉が作られていたことがわかります。
特に注目すべきは、勾玉の素材の変遷です。初期は主に黒曜石が用いられていましたが、時代が進むにつれ、阿波特産の翡翠が主要な素材となっていきました。
「石器時代」の「勾玉」は、「黒曜石」を用いて作られていました。「黒曜石」は、天然ガラス質で、鋭利な割れ方をする特性から矢じりや刃物としても使用されていました。
「黒曜石製」の「勾玉」は、光沢がありながらも神秘的な黒色が特徴で、当時の人々にとっては特別な力を「宿す石」と考えられていた可能性があります。
この時期の勾玉は、「魔除けや儀式用」としての意味を持ち、日常的な装飾品というよりも宗教的なシンボルとして使われていたと推測されます。
時代が進むと、「阿波地方」で翡翠が利用されるようになります。「阿波翡翠」はその美しい淡い緑色が特徴で、日本列島でも特に貴重な鉱物の一つとされてきました。
この「阿波翡翠」は、「古墳時代」には「勾玉の主要な素材」として利用され、多くの遺跡から「翡翠製の勾玉」が発掘されています。
特に「阿波翡翠」の「淡い緑色」は、自然信仰の象徴としての価値が高く、権力者や宗教的指導者の装飾品や祭祀道具として使われたと考えられます。
「黒曜石」から「翡翠」への素材の変化は、単なる「技術の進歩」だけでなく、「社会的・宗教的」な変化をも反映しています。
「黒曜石」の時代は魔除けや日常的な道具としての役割が強調されていましたが、翡翠の時代」になると、その美しさや希少性からより権威的な役割を担うようになりました
「阿波の勾玉」は、「石器時代」から現代に至るまでの長い歴史を持つ貴重な文化遺産です。「勾玉文化」が「黒曜石から翡翠」へと移行した背景が見られます。
「自然環境」や「社会の変化」が密接に関係しており、その変遷を知ることで「古代阿波」の文化の奥深さを感じることができます。
※これらの「古代阿波国物語」の記事等は、尼崎の「友行神社」周辺を開祖した「先祖友行」の「文書(もんじょ)」から代々受け継がれた口伝を元に記事にしております。
■四国・徳島邪馬台国研究学会(邪馬台国学術研究員) あわほつまつたゑ継続者・德島ホツマツタゑ研究会主宰 友行安夫(記)
忌部族と稲持族の勾玉神話を紐解けば、日本最古の勾玉文化が見えてくる!
日本の古代、特に神話や伝承に登場する民族に、阿波忌部族(忌部部族)と阿波稲持族(稲持部族)が存在します。
これらの部族は、神秘的な存在や儀式に関わる活動を担い、特に勾玉(まがたま)と呼ばれる古代の装飾品に深い関わりを持ちました。
勾玉は、古代の祭祀や祈祷、護符として用いられ、心や魂を結びつけるものとされていたため、これらの部族の神話にも重要な意味を持っています。
阿波忌部族は、主に祭祀や祈りを司る役割を持ち、神聖な儀式や供物を司る部族とされています。
この部族は、特に勾玉にまつわる伝承を持ち、勾玉を製作し、神々に捧げる重要な役割を果たしました。
勾玉は、霊的な力を宿すとされ、多くの神話や伝説にその存在が描かれています。
阿波忌部族の勾玉神話には、勾玉が神々から授けられ、そこに神の力が宿るといった伝説が多く見られます。
一方、阿波稲持族も古代の農業や祭祀に深く関わる部族で、彼らの勾玉神話は、豊穣や作物の恵みを祈る儀式と密接に結びついています。
阿波稲持族の伝承では、勾玉が豊かな収穫や農耕の守り神として、または土地を守る力を持つとされています。
勾玉の美しさや神秘性は、彼らの信仰において大切な要素であり、その中に宿る力が、豊かさを引き寄せると信じられていたのです。
勾玉は、古代の日本において非常に重要な神秘のアイテムとされ、そこに宿る力や神聖さが多くの神話に描かれています。
忌部族と稲持族の勾玉神話では、勾玉が単なる装飾品ではなく、神々との橋渡しとなる神聖な神器であり、そこに宿る力が神秘的な作用を持つとされています。
両部族の伝承に共通するのは、勾玉が神々から授けられたものであり、そこに秘められた力が自然や人々に与えられるという信仰です。
このように、阿波忌部族と稲持族の神話には、勾玉が重要な役割を持ち、神聖な儀式や豊穣、守りの象徴として語り継がれてきました。
それぞれの部族の信仰に基づく神話から、古代日本における自然崇拝や霊的な信仰の深さを感じることができます。
※これらの「古代阿波国物語」の記事等は、尼崎の「友行神社」周辺を開祖した「先祖友行」の「文書(もんじょ)」から代々受け継がれた口伝を元に記事にしております。
■四国・徳島邪馬台国研究学会(邪馬台国学術研究員) あわほつまつたゑ継続者・德島ホツマツタゑ研究会主宰 友行安夫(記)
https://www.youtube.com/watch?v=0mnkbp82jDk
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