言葉が見つからないことを肯定したい

https://www.cinra.net/article/202409-kiminoiro_imgwyk/gallery/6  【言葉が見つからないことを肯定したい——映画『きみの色』山田尚子監督×牛尾憲輔が語る創作への思い】より

アニメーション映画『きみの色』が8月30日に公開された。

『きみの色』は、『映画 聲の形』や「けいおん!」、「平家物語」などを手掛けた山田尚子監督による新作オリジナル長編アニメーション最新作。人が「色」で見える高校生のトツ子が、同じ学校に通う少女・きみ、古書店で出会った音楽好きの少年・ルイとバンドを組むという「音楽×青春」のストーリーが描かれる。

思春期の葛藤や、淡い思慕、何かを好きになるときの気持ちなど、さまざまな情感を美しい色彩感で描く本作。音楽は牛尾憲輔が手掛けている。牛尾は山田監督が手がけた『映画 聲の形』『リズと青い鳥』「平家物語」の劇伴も担当しており、本作で4回目のタッグとなる。

これまでの作品でも、山田監督と牛尾は制作の初期段階から深く抽象的なコンセプトを共有していたという。今作では牛尾は劇伴に加え、主人公3人が結成した劇中バンド「しろねこ堂」による劇中歌の作曲も担当している。

今作の制作はどのように進められていったのか。山田尚子監督と牛尾憲輔へのインタビュー取材が実現。話は「簡単に言葉にはできない思い」をどう掘り進め、どう表現に昇華するかという創作論へと踏み込んでいった。

あらすじ:⾼校⽣のトツ⼦は、⼈が「⾊」で⾒える。嬉しい⾊、楽しい⾊、穏やかな⾊。そして、⾃分の好きな⾊。そんなトツ⼦は、同じ学校に通っていた美しい⾊ を放つ少⼥・きみと、街の⽚隅にある古書店で出会った⾳楽好きの少年・ルイとバンドを組むことに。 学校に⾏かなくなってしまったことを、家族に打ち明けられていないきみ。⺟親に医者になることを期待され、隠れて⾳楽活動をしているルイ。トツ⼦を はじめ、それぞれが誰にも⾔えない悩みを抱えていた。

言葉ひとつで、曲ができた——本作での牛尾の挑戦とは?

—『きみの色』を拝見した感想として、言葉にしづらい感情や、簡単にわかったつもりになれない情感や、そういうものが表現されている作品だと思いました。たくさんの人に深く響くように思います。

山田尚子(以下、山田):ありがとうございます。

—まず、今回の作品のモチーフとして高校生のバンドという題材を選んだ理由はどういうところにあったんでしょうか?

山田:ライブシーンを描きたいな、と思ったのがきっかけです。オリジナルなので、本当に作品のためにできた純度の高いバンド曲を生み出せる。その辺は自由にできる。そういうところは楽しみに思っていました。

山田尚子(やまだ なおこ)

2009年テレビアニメ『けいおん!』で監督デビュー。数々の社会現象を巻き起こす大ヒットを記録し、2011年『映画けいおん!』にて長編映画初監督を務める。『たまこマーケット』『映画 聲の形』などの話題作で躍進を続け、2022年テレビシリーズ「平家物語」、2024年リリース予定のショートフィルム『Garden of Remembrance』を監督。完全オリジナル劇場長編最新作『きみの色』では、『第26回上海国際映画祭』金爵賞アニメーション最優秀作品賞を受賞。

—今回も牛尾さんに音楽をお願いするというのは、最初から決まっていたんでしょうか?

山田:劇伴の音楽を牛尾さんに担当していただくというのは最初の企画段階から決まっていました。バンドをやるということのほうがあとから決まったくらいの感じかもしれないです。

牛尾憲輔(以下、牛尾):ただ、僕が普段つくっているのはバンド曲とかポップスじゃないので、誰も僕がバンドの曲を書けると思っていなくて。僕自身もそうだったし、山田さんは優しいから「他の方に振ってもいいですよ」って言ってくれていたんですけれど。でも、声をかけてもらった手前、挑戦したい気持ちはあって。最初の段階で「水金地火木〜」って山田さんが言っていて、「水金地火木土天アーメン」という言葉一つだけで、曲ができた。これはちゃんとかたちにしたいなって気持ちがあって、頑張りました。

牛尾憲輔(うしお けんすけ)

2008年、ソロユニット「agraph」名義でデビューアルバム『a day,phases』を発表。バンド「LAMA」のメンバーとしても活躍するほか、電気グルーヴとの活動や様々なリミックス、楽曲提供、プロデュースを行なう。2014年、テレビアニメ『ピンポン THE ANIMATION』の劇伴を皮切りに、以降アニメ、実写を問わず多数のサウンドトラックを担当。劇伴を務めた主なアニメ作品に『日本沈没2020』(2020年)、『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021年)、『チェンソーマン』(2022年)など。山田尚子監督作品には『映画 聲の形』(2016年)で初参加。以降、『リズと青い鳥』(2018年)、「平家物語」(2022年)と続く。

—挿入歌の作曲も牛尾さんにお願いするというのは、最初から決まっていたわけではなかった?

山田:普段歌ものの曲を作られていないので、断られるかなと思っていたんです。

牛尾:すごく気を遣っていただいて。そもそも、あんまり歌のある曲を書かないし、自分でもバンドでポップに響くものを書けると思ってないので、僕が一番不安でしたけど。でも「水金地火木〜」が思い浮かんじゃったので。であれば、ちゃんと自身の手でやりたいなって思ったのを覚えてますね。

2人が共有しているもの。「やわい部分」を大切にし合うということ

©2024「きみの⾊」製作委員会

—山田監督と牛尾さんが共有しているものについて、改めて教えてください。表現への感性とか、価値観とか、どんな共通点がある感じでしょうか?

山田:ものをつくるとき、ものが生まれる瞬間の、あまりにもやわい部分っていうのを大切に理解されている方。よく話すカブトムシの幼虫の話があって。幼虫のときに人が触っちゃうと、成虫になれないことがあるんです。つまり、一番大事な時期に手を加えてしまうことの危うさみたいなものがある。そこをお互い理解し合えていて、本当にやわい部分のときに横槍を入れない、ちゃんとお互いを信じて待てる。そういうものがずっとある気がします。

牛尾:すごく大事なことだと思います。音楽でも映画でもそうですが、描いてることは全然違うのに、類型に見えるものっていっぱいあるじゃないですか。そういうことを、0を1にする、0を0.01にするような、すごくもがいてるときに口を出してしまう人がいる。

例えば、10代の子がたまたま乗ったロボットで大活躍するという新しいロボットものの作品をつくっているときに、横の人が「それ、ガンダムでしょ」って言ったら、それはもうガンダムにしかならないんですよ。「それってこれでしょ」って決めつけちゃうと、そういうものになっちゃう。それぐらい、言葉で決めつける危うさってあるんです。それはこういう作品だよねって、作品が終わった後に批評として出てくる言葉だから、そこまでは言葉があっちゃいけないと僕たちは思っています。

例えば山田さんが新しい映画をつくろうと思っているときに、高校生のバンドものの映画をやるって言ったら「でも『けいおん!』がある」って言ってしまう人がすごくたくさんいるんです。でも僕らはその危うさの感覚を共有しているし、お互いに仕事と趣味を共有しているから、そんなことは言わない。それが理解できているから、最後に映画が完成して、こういう取材で話すようになるまで、言葉であんまり説明しない。そういうことが信頼の上に成り立つという。

だから、自分がこういうものが好きで、こういうことをやりたいんだというのは、ともすれば言葉を操る人に抹殺されてしまうんだけど、それを出しても恥ずかしくない。自分が好きなものを出すのって、汚い表現で申し訳ないけど、本当にパンツを脱ぐ作業だから。本当に恥ずかしいことなんだけど、それをやっても受け止めてくれるので、さらけ出せる。これはまさにこの映画が描いていることだと思います。

—まさに、いまお2人に語っていただいたことは、この映画のテーマにまつわる話でもあると思います。トツ子たちがバンドを組んでいる過程においても、最初の一歩を踏み出すときのためらいとか、喜びとか、そういうものがすごく大事に描かれている感じがあります。

山田:芽を摘まない、といいますか。最初に言っていただいたみたいに、言葉にならないものなんです。言葉にならない、まだ名前がついてないものを受け取っている自分たちを肯定したい。自分たちはそうやってものを好きになってきたなっていう。人に説明する時に困っちゃうかもしれないけど、それはそれでいい。言葉が見つからないことを肯定してもいいんじゃないかという気持ちがあります。

©2024「きみの⾊」製作委員会

コンセプトワークのつくり方は? 唯一無二の「特殊」な関係性から

—過去作でも山田監督と牛尾さんは制作の初期段階で丁寧にコンセプトワークを行なってきたということですが、今回もそういうつくり方だったんでしょうか?

牛尾:はい。今回もそういう回はありました。

—そこではどういうことを話し合うんですか?

牛尾:そこがさっきの話とつながるところなんですけど、説明できないんです。例えば話の流れが、物理用語からスタートして、関数にいって、ということはこういう絵画だよね、ってことはこの詩だね、という流れで話が飛んでいく。

お互いの感性みたいなものがあるんですけれど、その繋がりの論理性は外から見てわからないだろうから、言葉尻だけ追っていくとよくわかんないことになってしまう。その表面だけ切り取ってしまうとだいぶ誤解を招いてしまうので、言葉で言えないんです。

山田:難しいですね。いろいろな話をするなかで、たぶんお互いが投げたものに対していい意味で勘違いをするんだと思うんです。全部芯まで話し切らないで、ちょうど勘違いできる状態で持って帰るといいますか。

牛尾:それはあるかもしれないですね。

山田:それでお互いが作品を出す、という。すごくいいなと思うのが、お互いが出したものに対して笑わないんです。普段自分はお調子者なんですが、何かつくるときに関しては、笑ったりしないですね。どんなに変なことを言っても、ちゃんとそれを語り合える相手だと思います。

牛尾:わけがわからないことを言っているのに、ハラハラ泣いてたりする。その相手を見ても笑わないし、うむうむ、という感じになる。それは特殊なことかもしれない。僕は自然なことだと思いますが、ほかにあまりそういう相手はいないです。

—牛尾さんはいろんな劇伴を担当していますが、こういうつくり方は稀ですか?

牛尾:山田さん以外はいないですね。

—山田監督にとってはどうですか?

山田:お話がしやすいので、牛尾さんとご一緒できてラッキーだなと思います。ロジカルに話すこともできるし、ものすごく感覚的に話しても受け止めていただけるので、とても助かります。牛尾さんとのやりとりに慣れてしまったところがあるので、別の方とお仕事をするときに言葉の使い方を忘れているかもしれません。

牛尾:思い出さなくていいですよ(笑)。

色と映像表現の相関性——色から音をつくることも

—主人公のトツ子には人の「色」が見えるという特性があります。それがある種の映像表現のユニークさにもつながっていると思うんですが、作品を観ていると、牛尾さんのつくっている音と山田監督の色の表現に、ある種の共感覚的なものを感じました。色から音を感じたり、音から色彩感を感じたり、そういう不思議な体験をしたような余韻があったように思います。お2人としてはどうでしょう? まずこの特性にしようと思った由来と、そのことによってどういう効果が作品に生まれたと感じていますか?

山田:作品としては「見える能力を持っている人」ではなくて「感じている」という、トツ子なりのルールみたいな書き方をしていて。今回の作品では色ですが、人それぞれに何かを感じるためのルールがある。五感だけじゃない、第六感みたいな、それぞれのルールがあるんじゃないかなと思うんですね。それを色にしただけなんです。

そういうふうに観る方との橋渡しができるといいなと。光があるから色というものが存在しているわけで、ということは光というのはきっと音にもつながっていくのかなってうかがったら、そうだ、とおっしゃってくださって。

牛尾:結局、音も波ですからね。もちろんアーティスティックな部分で色に影響を受けることは大きいので、フィルムを観て音から色を感じたのだとしたら、伝わってよかったなと思います。同時に、色から逆算的に音をつくっているところもたくさんあるんです。

—というと?

牛尾:例えばホワイトノイズっていう言葉があるんですけれど、ノイズっていう音色は、そこに含まれる音の形によって色が決まるんです。つまり、色のスペクトラムとしてノイズは表現できて、全部の音の周波数がすべて均一になると真っ白になる。それをホワイトノイズっていうんですね。

ということは、ホワイトノイズを切り取ると緑も赤も青も全部出てくる。その切り取るフィルターをプログラミングして作ってあって。トツ子がキャラクターを見るときに、その色が赤いときはレッドノイズ、青いときはブルーノイズみたいな感じで、そういう音を混ぜ込んだりしています。

そういうのをベースに、さらにその色を感じるように上にいろんな和音を足したり、いろんなことをチャレンジしたつもりだったので、そういうことはコンセプトから導き出されたものとしてあります。もちろんそのノイズが鳴ったから色を感じるとは思わないですが、少なくとも、そういう思想のなかで劇伴は構築されています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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