https://ameblo.jp/angelcake0823/entry-11689272238.html 【白鳥の道案内*坂上田村麻呂と白鳥伝説】より
東北の白鳥信仰を民俗学者の谷川健一さんの本で知りました。次の動画は、旧大越町(福島県田村市)に残る白鳥伝説のです。
語り部の方が、白鳥に導かれて鬼との戦いに勝利した坂上田村麻呂のお話をされてます。
いまでも白鳥神社の欄間には、鬼とされた大多鬼丸との戦闘の様子が彫刻されているそうです。
動画の下に勝者の坂上田村麻呂の伝説と敗者の大多鬼丸の伝説を紹介いたしましたが、地元田村市では敗者の大多鬼丸のお話が人気があるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=mEh9fimihSg
大多鬼丸と白鳥伝説
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-4-1.htm
『鬼五郎と幡五郎伝説』よつば
その昔、早稲川の里には、里の長である鬼五郎と、弟の幡五郎の兄弟が住んでいました。二人は力を合わせ、先祖から受け継がれてきた故里の田畑を守り、さらに豊かにしようと、里の人々の先頭に立って働いていました。
政府の蝦夷討伐が始まったのはちょうどこの頃、陸奥の平定を大義に掲げる政府軍を率いた坂上田村麻呂が、この地にも攻め入ってきました。
これに猛然と立ち上がったのが阿武隈山系一帯に勢力をふるっていた大多鬼丸。もちろん彼の部下であった鬼五郎も秀でた武術を発揮し、政府軍を迎え撃ちました。しかし、ねばる政府軍を前に戦いは長期戦へともつれこみました。
激しく長い戦いの中で奮闘を重ねた大多鬼丸軍にしだいに敗色が濃くなり、仙台平まで追い込まれてしまいました。
「お前は生きのびて立派に守ってくれ。わしは死んでも鬼となってこの地を見守るぞ」と鬼五郎は弟に言い残し、壮絶な最期を遂げました。
愛する故郷のため、勇敢に戦い抜いた鬼五郎と、兄の遺志を継ぎ豊かな早稲川の里づくりに励んだ弟の幡五郎。故郷を愛した兄弟の想いは、今も人々の胸に脈々と生き続けています。おわり
『坂上田村麻呂と白鳥伝説』tori
昔々、大越町(福島県田村市)の辺りは千島大多鬼丸という人が治めていたのだが、ある時、蝦夷を平定すると言って都からやってきた坂上田村麻呂が、その大多鬼丸と戦をはじめた。田村麻呂は大軍を連れてやってきたが、その頃、この辺りは深い山の中で、木々や草々がうっそうとして、昼間も暗かった。
田村麻呂の軍が進むことができなくて困っていると、一羽の白鳥が飛んできた。見ると、鳥は「こっちさこ」というように羽をバサバサさせて飛んでいた。
田村麻呂は、その白鳥についていった。すると、広い野原に出た。軍隊は思わず「ワァーッ」と大声を上げて駆けだした。すると、また鳥は「こっちさこ」というように山の方に飛んでいく。またついていくと、大多鬼丸のところにたどり着いた。田村麻呂たちはそこへ攻めていって、大多鬼丸を滅ぼしてしまった。
田村麻呂は「あの白鳥は日本武尊命様の化身に違いない」と考え、この地に神社を造り祀った。それが白鳥神社なのだ。白鳥が飛んできたところを鳥生平(とりんだいら)、軍隊が駆け入った場所を欠入(かけいり)といい、大声をあげて軍隊がやってきたので「大声」と呼んだ。それが今の「大越」となった。おわり
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大多鬼丸も鬼五郎も愛する故郷を守ろうとした英雄だったのでしょうね。きらきら!!
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https://www.city.tamura.lg.jp/soshiki/30/bunkazai_tamuramaro2.html 【「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)②」 令和6年2月号掲載】より
前回(令和6年1月号掲載)は坂上田村麻呂(以下、田村麻呂)の生誕にまつわる伝説を紹介しました。今回は市内に残る神社や寺院、地名にまつわる伝説を紹介します。
地名に関する伝説
まず、地名に関する伝説として、田村麻呂が敵を見るために登った鞍掛山(田村麻呂の馬に鞍を掛けたことが由来)から矢を放ち、矢が山の肩をそれたことから片曽根山(船引)。
白鳥に導かれ、大声を出して駆け行ったことに由来する地名・大越と欠入(かけいり)(いずれも大越)。馬を洗ったところに由来する地名・馬洗戸(うまあらいど)(都路)。兵士を休ませたところに由来する地名・休場と五十人山(いずれも都路)。亡くなった兵士を船に乗せ、川を引いてきたことに由来する地名・船引(船引)などがあります。
戦勝祈願
次に、戦勝祈願に関する神社・寺院の伝説として、菅谷神社(滝根)、一石寺(いちこくじ)(現存しない。大越)、天日鷲神社(都路)、山口観音(都路)、東鳥堂(現 東鳥神社・船引)、明石神社(船引)などがあり、これらは苦戦を強いられている時に戦勝を祈願し建立したというものです。
特(生涯学習課)文化財連載_坂上田村麻呂②_写真①菅谷神社(滝根)差替え_特(生涯学習課)文化財連載_坂上田村麻呂②_写真③天日鷲神社(都路)差替え_特(生涯学習課)文化財連載_坂上田村麻呂②_写真⑤明石神社(船引)
(写真:菅谷神社、天日鷲神社、明石神社)
戦勝御礼
そして、戦勝御礼に関する神社・寺院の伝説として、白鳥神社(大越)、子松神社(常葉)、鹿山神社(常葉)、日鷲神社(常葉)、堂山寺(現 堂山王子神社・船引)などがあり、これらはスサノオノミコトや日本武尊(やまとたけるのみこと)の化身が、清水寺から授かった観音菩薩像の化身が白鳥や鷲などの鳥に姿を変え、田村麻呂軍を導き、戦いに勝てたので、それに対する御礼から建立したというものです。
特(生涯学習課)文化財連載_坂上田村麻呂②_写真②白鳥神社(大越)差替え_特(生涯学習課)文化財連載_坂上田村麻呂②_写真④子松神社(常葉)
(写真:白鳥神社、子松神社)
兵馬の供養
また、兵馬の供養に関する神社・寺院の伝説として、亡くなった兵士や馬を供養するため、京都・清水寺の一定法師を迎えて開山したという慈心院(常葉)、船引川(大滝根川)に浮かべて引いてきた棺の一つを永久に保存するために建立したという宝船寺(ほうせんじ)(現存しない。船引)。
このほか、田村麻呂建立伝説がある神社・寺院として、京都・鞍馬寺を模して建立したという入水寺(滝根)、剛叟寺(滝根)、峯霊神社(大越)、三渡神社(常葉)、大聖寺(船引)などがあります。
次回は、田村麻呂軍と戦った大多鬼丸(おおたきまる)など蝦夷(えみし)側を主人公とした伝説にスポットをあてるとともに、歴史上の田村麻呂の生涯を紹介します。
information
田村市の出版物にも、田村麻呂に関する記述があります。図書館で閲覧可能ですのでぜひご覧ください。(生涯学習課、各公民館でも販売しています。)
「田村市史3 田村市の伝説」、「田村市史6 田村市の寺社仏閣【神社編】」、「田村市史7 田村市の寺社仏閣【寺院仏堂編】」など
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