https://note.com/lainjing/n/n7ec13f0458c4 【人生における「軽み」の哲学】より
僕が最近考えていること、それは「人生における軽さ」についてです。
この考えは、松尾芭蕉や一休和尚といった偉大な人物たちの生き方や作品からインスピレーションを得ています。人生において大事なこと、それは「軽さ」である。これは『僕』の人生においてたどり着いた(今のところ)答えです。
軽さとは最高価値に静止している「かるみ」であると考えています。
しかし、この軽みという言葉はなんともいい意味で捉えられることはなかなかありません。
例えば、「軽薄そうな人」、「尻軽」と軽いという言葉にはあまりいい印象を持つことがありません。
しかし、「軽快な走り」、「難しい問題を軽々とやってのける」といういい印象の言葉でも使われることがあります。
これらの身体的な軽さとしては力が充実している状態であることからの最高の価値であり、精神的な面からは飄々としていてつかみどころがなく、好奇心があり遊び尽くしているかのように人生を謳歌します。
人生の達人とはそんな軽みを持っていて、精神さばきもまた軽みを持っているのです。
そんな人生の達人は誰であろうかと考えた時に松尾芭蕉と一休和尚が頭によぎったのです。
まず、僕が「軽さ」について考えるきっかけとなったのは、松尾芭蕉の俳句です。
芭蕉の俳句は、自然と人間の関係を深く理解し、その洞察を詩的な形で表現しています。その中には、人生の重さと軽さの両方が見て取れます。
例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という句は、一見すると単なる自然の一部を描いたもののように思えますが、より深く考えると、人生のはかなさと軽さを感じることができます。
蛙が飛び込む音一つで、静寂が破られ、その後再び静寂が訪れる。その一瞬の出来事が、人生の一部を象徴しているとも言えます。
これが、侘び寂びであるということであり、軽みのなせる技であると考えます。
こんな何もひねりのない句ですから、軽い句のように思えます。
しかし、そんなことはなくその軽さの中に静止した最高の価値を置くという松尾芭蕉の深さはまた素晴らしいものであると言えるでしょう。
次に、一休和尚の詩について考えてみましょう。一休は、禅の教えを広めるためにユーモラスな詩を用いることで知られています。
彼の詩は、深い禅の教えを、軽快で理解しやすい形で伝えています。
これらのエピソードから、僕は「人生における軽さ」の哲学を理解しようとしています。それは、人生の困難や問題に対して、重く考えすぎず、軽やかに対処することの大切さを示しています。また、それは、人生の一瞬一瞬を大切にし、その瞬間の美しさとはかなさを感じることの重要性を示しています。
しかし、この「軽さ」の哲学は、人によって異なる解釈があります。僕にとっての「軽さ」は、物事を深刻に捉えすぎず、フレキシブルに、そして軽やかに生きることの重要性を示しています。これはストレスや悩みを最小限に抑え、自由で開放的な精神状態を保つための哲学とも言えます。
一部の人々にとっては、人生の「軽さ」は責任や義務から逃れることを意味するかもしれません。
他の人々にとっては、それは物事を楽観的に見ること、または困難を乗り越えるための適応力を意味するかもしれません。僕自身も、この「軽さ」の哲学を理解し、自分の人生にどのように適用できるかを見つけることが求められます。
松尾芭蕉と一休和尚は、それぞれの時代と環境で「軽さ」を表現した二人の偉大な人物です。彼らの生き方や作品から学ぶことで、僕たちは人生の「軽さ」を理解し、自分たちの生活に適用することができます。
最後に、僕はこの「軽さ」の哲学を持つことが、人生をより豊かで充実したものにすると信じています。それは、物事を深刻に捉えすぎず、フレキシブルに、そして軽やかに生きることで、人生の困難を乗り越え、自由で開放的な精神状態を保つことができるからです。
そして、それは僕たちが自分自身の人生をより深く理解し、より豊かに生きるための一つの方法となるでしょう。
軽みとはそういった境地の一つなのかも知れません。
facebook相田 公弘さん投稿記事
山川紘矢さんの投稿 https://www.facebook.com/share/p/15okvcnqmP/
心配は誰にでも起こる自然な感情ですが、確かに手放すことができれば、より軽やかで高い波動を保つことができます。心配を払拭するための具体的な方法をご提案します。
1. 今この瞬間に意識を向ける
• 心配の多くは「未来への不安」や「過去への後悔」から生まれます。しかし、現実に存在するのは「今この瞬間」だけです。
• 実践方法:
• 深呼吸をする。息を吸うときに「今ここにいる」と意識し、吐くときに「心配を手放す」と心の中で言います。
• 簡単なマインドフルネス瞑想を行い、目の前の感覚に意識を集中させます。
2. 心配を紙に書き出す
• 心配事を頭の中に抱え込むと、どんどん大きく感じられます。紙に書き出すことで、頭の中を整理し、冷静に向き合えるようになります。
• 実践方法:
1. 紙に心配事を書き出す。
2. その隣に「その心配が現実になる可能性」と「もしそうなったらどう対処するか」を書きます。
3. 最後に「今できること」を考えて、実行可能な小さな一歩を見つけます。
3. 感謝のリストを作る
• 感謝の気持ちは心配を軽減する強力なエネルギーです。感謝のリストを作ると、今自分が持っている幸せに意識が向き、不安が和らぎます。
• 実践方法:
• 毎晩寝る前に、感謝できることを3つ書き出します。小さなことでも構いません(例: 今日も無事に過ごせた、美味しい食事をとれた)。
4. 手放しの祈りやアファメーション
• 心配は「自分が全てをコントロールしなければならない」という意識から生まれることが多いです。祈りやアファメーションで手放しの感覚を育てましょう。
• アファメーションの例:
• 「私は宇宙の流れを信頼します。全ては最善のタイミングで展開しています。」
• 「心配を手放し、安心と平和を受け入れます。」
5. 心配を「エネルギー」に変える
• 心配は実は「行動のエネルギー」として変換できます。具体的な行動を起こすことで、心配が軽減されます。
• 実践方法:
• 「今、自分がコントロールできること」にフォーカスし、それを行動に移します。例えば、健康が心配なら運動を始めるなど。
6. ネガティブなエネルギーを浄化する
• 心配がたまると、エネルギーが重く感じられることがあります。簡単な浄化方法で波動を軽くしましょう。
• 実践方法:
• 塩風呂(入浴剤や天然塩を入れたお風呂)に浸かる。
• 森や自然の中で散歩し、自然のエネルギーを取り入れる。
7. 「大丈夫」の言葉を使う
• 「大丈夫」と自分に言い聞かせるだけでも心配が和らぎます。この言葉には強い癒しの力があります。
• 実践方法:
• 心配が浮かんだとき、「大丈夫、大丈夫」と繰り返して自分を安心させる。
8. 心配を手放す「ビジュアライゼーション」
• イメージを使って心配を解放する方法です。
• 実践方法:
1. 目を閉じて、心配を「雲」や「風船」としてイメージします。
2. その雲や風船が空に昇り、消えていくのを想像します。
3. 同時に「私は心配を解放しました」と心の中で唱えます。
9. 笑いとリラクゼーション
• 笑いは心配を手放す強力なツールです。コメディを観たり、楽しい友人と時間を過ごしたりしましょう。
• 深いリラクゼーション(ヨガやマッサージなど)も、心配を解放する助けになります。
結論
心配を完全になくすことは難しいですが、「心配に振り回されない自分」を育てることは可能です。日々の習慣や意識を少しずつ変えていくことで、波動を高く保ちながら、安心と平和の中で過ごせるように
https://kigosai.sub.jp/bs/?p=31186 【髙柳克弘さんの HAIKU+】より
「今何が俳句で問題か」という統一テーマで、現在ご活躍中の俳人をお迎えして俳句の未来を考える「HAIKU+」。その第3回が12月1日神奈川近代文学館で開催されました。講師は俳人の髙柳克弘さん。人気、実力とも若手トップランナーのおひとり髙柳さんのお話に、参加者一同、惹きこまれました。以下、髙柳さんの講演録を紹介します。
〝軽み〟ならぬ〝重み〟の時代へ 髙柳克弘
はじめに
芭蕉が晩年に辿りついたという〝軽み〟。現代俳人にも少なからぬ影響を与える〝軽み〟ですが、口当たりの良い言葉がもてはやされる現代には〝重み〟こそが意味を持つのではないでしょうか。〝重み〟は主題を持つことで生じると私は考えます。俳句において季語は必ず主題であるべきなのか。俳句で思想や観念を書くことはできないのか。俳句ならではの主題の表現法とは何であるのか。みなさんと一緒に考えてみたいです。
私は一九八〇年に生まれ、いわゆるロストジェネレーション世代です。バブル崩壊後、将来不安が蔓延して、企業が新人採用を控えたので、就職氷河期になりました。そんな中、就職活動はしないで、俳句の研究や実作で生計を立てようとしたんです。とても不安なとき、芭蕉の「薦を着て誰人います花の春」という句が、すごく救いになっていたんですね。そんな思い出があるものですから、私の原点には、俳句は生を支えてくれるものといいますか、人生とは何か、生きるとは何かという主題をしっかりと持った、重みのある言葉だという認識があるんです。
私が今日お話しようと思っているのは、まずは①俳句には主題の重みがほしい、②主題を伝える技巧を磨きたい、ということです。
まずは①についてです。日常的で常識的な見方に即した句は、軽いのではないか。もちろん、日常的な感覚は大切です。芭蕉の「薦を着て」の句も、新春のにぎわいの中に見かけた乞食の姿が発想の源にあるわけです。ふつうだったら、はなやかな雑踏の中で薦をかぶっている人を見たら、かわいそうだ、とかああはなりたくない、というふうな感想を抱き、そのような感情を滲ませて詠むでしょう。でも、この句では「います」と、ふつうとは違う見方をしている。題材や言葉づかいは、日常から発していても、物の見方は、日常とは違う。つまり、俳句を作る主体は、生活者であることを、どこかで切り捨てなくてはならない。日常を成り立たせている常識を疑い、問いかけ、ときに否定する。今の言葉でいうところの、〝批評精神〟ですよね。芭蕉はそのことを風狂といったのではないか。日常を、日常的な視点から詠んでも、あまり面白い俳句にはならない。ある偏った物の見方、変わった物の見方をすることで、日常の中にも、さまざまな主題を拾うことができるのだということです。自分の中の、偏りやこだわりを大事にしたい。
題材が日常的であることや、言葉遣いが平明であることを軽いといっているのではなく、物の見方の軽さ、〝批評精神〟なき句を、「軽い句」と定義したい。
芭蕉はよく旅をしていますが、それも、旅人となり、生活者であることを切り捨てるためでしょう。生活者とは、この世で生きていく常識を身につけ、常識の範囲内で生き、生活を安定させることを第一に考える人、と定義しておきます。
旅の中で作られた句が、生活者の視点を切り捨てていることは、推敲の過程を見ればわかります。『おくのほそ道』の旅で、黒羽の光明寺の行者堂を訪れたときには、役行者の下駄を拝観して、「夏山や首途を拝む高あしだ」と詠んだ句を、
夏山に足駄を拝む首途かな
と直しているのは、見事な主題の発見だと思います。前者では、「高あしだ」の珍しさに主眼があるのですよね。直したあとだと、旅立っていくことそのものに主眼が移っている。前者は軽い句ですが、後者は重みが加わった、ということがいえるのではないか。旅で俳句を詠むとき、ついつい、物珍しさに目を奪われてしまうのは、まだ日常の意識が抜けていないから。あるいは、須賀川で等窮宅の庭に庵を結んでいた脱俗の僧・可伸を訪ねた際は、「隠家やめにたたぬ花を軒の栗」という句を作り、あとで、
世の人の見つけぬ花や軒の栗
と推敲しています。前者は、栗の花を、芭蕉もまだ見つけていません。隠れ家の主は見つけているのですが、芭蕉は見つけていない。でも、推敲したら、芭蕉も主の側にいってしまった。目立たない栗の花の良さを知る人になってしまった。「世の人」であることを、やめてしまっているわけです。
芭蕉が最後に行きついたのは軽みの境地だということで、現代俳人もそこに到るべきなんだ、とよくいわれますが、果たして芭蕉の最高の作はそこにあったのでしょうか。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という芭蕉晩年の句は、旅への妄執ということが主題になっている。軽みといいながら、芭蕉は最後まで、軽くなりきれていない。日常を日常のままに終わらせないのが芭蕉という俳人でした。
主題だ、重い句だといっても、俳句は音数がとにかく短いですから、人生だの愛だのといった観念的な命題を扱うのは難しいという意見は、古くからあります。俳句ではむしろレトリックを重視する立場ですね。何を詠うか、よりも、どう詠うか、が問題になるということです。思想対レトリックの構図で言えば、正岡子規と夏目漱石が若き頃に交わした書簡の言葉が、私にはとても響きます。
故に小生の考にては文壇に立て赤幟を万世に翻さんと欲せば首として思想を涵養せざるべからず。思想中に熟し腹に満ちたる上は直に筆を揮つて、その思ふ所を叙し沛然驟雨の如く勃然大河の海に瀉ぐの勢なかるべからず。文字の美、章句の法などは次の次のその次に考ふべき事にてIdea itself の価値を増減スルほどの事は無之やうに被存候。
明治二十二年十二月三十一日付正岡常規宛夏目金之助書簡より
明治二十二年ですから、彼らが二十二歳のときですね。子規が文章を書き散らしてばかりで、アウトプットばかりでインプットが足りない、だからもっと読書をして思想を持つように友人として助言している文脈であり、詩歌について述べたものではないのだけれど、思想を第一、レトリックを第二と強調しているのは、重要だと思います。なぜなら、夏目漱石は文章はもちろんのこと、やはりその俳句もかなり観念的だからです。
菫程な小さき人に生れたし 漱石
無人島の天子となれば涼しかろ
といった句は、彼のいうところのイデアの表明でもあるでしょう。欲得を離れた、自然や天命に従う生き方をしたいということ。後年、「即天去私」の四文字で示される思想です。漱石は、俳句でイデアを詠むことに何の問題もないということを証明してみせたわけです。手紙のやりとりのなかで、漱石の発言に、子規はまともに反論できていません。子規に限らず、近代俳句は長らく、漱石の問いかけ、つまり思想という問題から目を背けて来たように思います。
高浜虚子は「季題」という言葉で、俳句の主題を、季節の話題に限定してしまった。季語を深く詠みこんで、人生や真理の話題に至るということも、もちろんありうるでしょう。虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」は、時間は移ろうのだけれど自分の意思だけは曲がらないという、伝統的な無常観に抵抗する思想を詠み込んでいます。ただ、季題中心主義では、表現し得ないものもある。虚子は、俳句に表現できる限界を定めたわけですが、俳句はそれほど狭いものではないのではないか。実際のところ、現代の私たちは、季語を主題にして句を作っているでしょうか。現実には、季語の力を借りて、といいますか、言い方は悪いのですが季語を利用して、だしにして自分の言いたいことを言っているのに近いのではないか。たとえば、
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む 金子兜太
これらの句の場合、わかりやすく「妻抱かな」「原爆許すまじ」に主題があるといっていいでしょう。「春昼」や「蟹」という季語は、主役というよりも脇役です。こうした句は、季題中心主義によっては辿りつけない主題を持っています。
ここで、②主題を伝える技術を磨きたい、という話題に入っていきます。この技術というのは、主題を多義的に伝える技術といいかえられます。多義的、曖昧性とか、ポリフォニック(多声的)とか、さまざまな言い方を考えているところなのですが、要するに主題がはっきり伝わり過ぎないよう、ごまかすというか、まぎらわせる技巧がいる。たとえば兜太の句にはどこか「原爆許すまじ」の深刻さを茶化すような声もひそんでいる。「蟹」が出てくるところがそうでしょう。蟹がはさみをふりあげているのって、どこか滑稽ですよね。「蟹かつかつ」と妙にリズミカルなのも楽しい。原爆を取り上げた句に、滑稽味があるというのは、日常的な倫理からすると許されないことかもしれないけれど。でも、この句は滑稽味もあるから、悲壮感も際立ってくる句なんだと思います。
それから草田男の句も、「妻抱かな」はすごくエロティックなんだけれど、「砂利」を踏んでいるというのが、なんだかおかしい。「春昼の道踏みて帰る」じゃだめですよね。コンクリートの道をまっすぐ帰るというのでは、「妻抱かな」が伝わり過ぎる。「砂利」を出すと、リビドーに駆られてものすごく心は逸ってるんだけれど、砂利に足をとられて進みづらい、ジャリジャリ靴の音が鳴っている、ともすればコケそうになっている、というどこかリビドーに駆られている自分を茶化しているようなところもある。
これらは二つとも、ずいぶんまじめなことをいっているのだけど、どこか句の中には、そんなまじめさを茶化すような声も聞こえてくる。主題を示しつつ、主題を薄める、濁らすという処理が必要になってくるわけで、これは特に俳句に限ったことではないです。
主題を持つことは大切なんだけど、主観をぼかすことも大切だということ。ぼかした方が伝わると言うのかな。異化作用っていいますよね。すごく単純化して言うと、たとえば、竹下しづの女の句で、
短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎
は多義的、多声的ですが、仮に、
短夜や乳ぜり泣く子をひたあやす
などとしてしまうと、独白的になってしまう。短夜の句は、一句の中に、いろんな声がある。「明日も早いのに、いやになっちゃう」「いっそのことうっちゃってやろう」「いや、やっぱり大事な我が子だ」というふうに、漫画でよくある、頭の上で天使と悪魔があれこれ言っているみたいなものですね。主題としては我が子の愛おしさということになるでしょうが、それをぼかしている、わかりにくくしている、ということでしょう。わかりにくくないと、伝わらないという矛盾を、詩人は突破しなくてはいけないわけです。
さきほど、「軽み」ということはあまり芭蕉にとって重要ではなかったのではないか、最後まで芭蕉は軽くなりきれなかったではないか、というような話をしましたが、軽みの対義語は「重み」ではなくて、「重くれ」なんですね。否定的な意味がかなりこめられた言葉です。「重くれ」というのは、モノローグ的で、一方的な俳句が「重くれ」なのではないか。なかなか芭蕉の言葉を追っても「重くれ」の具体的な作例は見えてこないのですが、知識偏重で、作者が出張り過ぎている句を「重くれ」といっているようです。私は、『去来抄』にある、
時鳥帆裏になるや夕まぐれ 先放
について去来が、はじめは下五が「明石潟」であったのを、「夕まぐれ」に直したというエピソードに注目しています。去来は「時鳥帆裏になるや」でじゅうぶん景色としても情感としても面白いから時鳥の名所である「明石潟」をつけるのは「心のねばり」であるといっている。この「心のねばり」が「重くれ」に近いもので、読者の多様な解釈を妨げてしまうものだと理解しています。「明石潟」だと、「ふた声ときかずはいでじ郭公いく夜あかしのとまりなりとも 藤原公通」(『新古今和歌集』)にもあるような、時鳥の名所に来た喜びという、解釈が一つに定まってしまう。作者が意図する解釈ですよね。「夕まぐれ」だとぼかした感じになって、どこの港でもよくなる。
つまり、「重くれ」と「重み」は違うということ。「重くれ」は困るけれど、「重み」と「軽み」は矛盾しない。「重み」を備えた「軽み」もあるということです。結局のところ、これが理想なのでしょうね。作者の主張がきちんとこめられていながら、多様な解釈も許すという。現代俳人の例では、「来ることの嬉しき燕きたりけり 石田郷子」「夏の闇鶴を抱へてゆくごとく 長谷川櫂」「空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明」などは、私の目指したい、重みのある句です。
最後に恥ずかしながら、私自身も主題を大事に作ってみた句をいくつか紹介してみます。
僕はちょっとおかしな家に育ちまして、父が暴力的というか、今でいうドメスティックバイオレンスが平気でまかりとおる家でしたので、「家庭」というのは本当に安らげるものなのか、家庭が束縛になることもあるのではないか、というようなことを、俳句を通して考えてみたいという思いがあります。
卓に葡萄「まるで家庭じゃないみたい」 克弘
聖家族万引き家族運動会
あとは、現代日本の大勢の人間が属している企業文化と、隔たったところで生きているという負い目と自負というものも、考えていきたいテーマです。
ビルディングごとに組織や日の盛 克弘
通帳と桜貝あり抽斗に
こんな感じです。もちろん、これらは自信作というわけではなく、いろいろ挑戦している途中といったところです。まだまだ長い俳句人生ですから、失敗も重ねつつ、生涯に二、三句くらい、主題を持った、重みのある句ができればいいと思っています。
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