https://fragie.exblog.jp/31386253/ 【俳句に微かなゆらぎをおもいみる。。。】より
国立・谷保に咲いていた鶏頭。毎年ここに立ってこの鶏頭に向き合う。
この日、わたしは鶏頭に指をふかく差し入れてみた。その感触を確かめたかったからである。
「鷹」10月号を送っていただいた。
編集後記に編集長の髙柳克弘さんが、今年度の「田中裕明賞」について書かれている。
その部分のみ抜粋して紹介したい。
(小川軽舟)主宰が十回まで選者を務めてきた田中裕明賞。選者がかわってはじめての第十一回の選考に、佐藤郁良、関悦史、髙田正子の各氏とともに臨んだ。オンラインによる選考会であったが、じゅうぶんに意見を述べ合って、素晴らしい句集を推せたと思う。受賞句集は、生駒大祐『水界園丁』(港の人)。この句集もまた、未来の誰かにとっての「自分にとって大事な作品」に成り得る作品だろう。
今年度の「田中裕明賞」について、授賞式、記念吟行会、お祝いの会について、正直頭を悩ましている。
受賞された生駒大祐さんの顔を日々思い浮かべながら、どうしたものかと思案している。
対コロナについて規制がゆるみつつあることは事実であるが、ふらんす堂はあくまで慎重に行きたい。
人間の命にかかわることであるとおもっている。
冊子「田中裕明賞」の制作はすすめております。
新刊紹介をしたい。國清辰也句集『1/fゆらぎ』(えふぶんのいちゆらぎ)
四六判ハードカバー装帯あり 160頁 2句組
著者の國清辰也(くにきよ・たつや)さんは、1964年佐賀県生まれ、現在は茨城県水戸市在住。1994年「梟」に入会し、矢島渚男に師事。「梟」同人。集名の「1/fゆらぎ」は「エフぶんのいちゆらぎ」と読む。この変わったタイトル、そして収められた俳句を読む前に、読んだあとでもいいが、巻末の著者略歴に記された学歴に目を通すと、極めて優れた理数系の頭脳の持ち主であるがわかる。本句集は第1句集であり、矢島渚男主宰が跋文を寄せている。逆編年体で編まれ、2020年から1996年までの作品が収録されている。このことを跋文を書かれた矢島渚男氏は「逆年順の配列にも決意を感じさせる。」と。
この句集名はいったい何を意味しているか、まずは知りたいところである。
「あとがき」を紹介しよう。
題名の1/fゆらぎは、エフぶんのいちゆらぎと読む。fはfrequencyの略で周波数を意味する。万物は固有の周波数を持っており、それらには微かなゆらぎがある。1/fゆらぎは、微かな変化のうち、人間に安らぎを与えるリズムに相当する。例えば、人の歩行、心拍、脳波、波、ビッグバンの残照として届く電波等の自然現象に広く観測されている。
俳句に微かなゆらぎをおもいみることがあり、また字面が面白いので、本句集所収作品中の一句、 万物に1 / f ゆらぎ秋 から採って題名とした。
そういうものなのか。。とわたしなど目を瞠るばかりである。計り知れない領域だが、万物に「微かなゆらぎ」があると思うと、世界がまた別の様相を呈してくるようで悪くない。
矢島渚男主宰の跋文を紹介したい。
簡潔なものであるが、充分に意を得たものだ。
秋のいろぬかみそつぼもなかりけり
という句が芭蕉にある。元禄四年晩年の作とされる句である。糠味噌壺もない晩年の暮らしに配された「秋のいろ」。この「いろ」は秋の色彩と解してもよいが、「物事の表面に現れて人に何かを感じさせるもの」という意味として、けはい・兆しの意味としてよいだろう。この秋のけはいを現代物理学を学んだ國清辰也は周波数の揺らぎとして、
万物に1 / f ゆらぎ秋
と表現した(1/fはエフぶんの1と読む)。果敢な試みと言って良い。
芭蕉の俳句と、國清さんの俳句を響きあわせるとはさすがの矢島渚男氏である。
万物に1 / f ゆらぎ秋
鶯や空気ますます新しく 戦火遠く電気毛布を調節す
馬の尻てらりてらりと栗の花 夏痩せて舌いちまいの重さかな
担当のPさんが好きな句である。
夏痩せて舌いちまいの重さかな
この句はわたしも面白いとおもった一句だ。本句集を読んでいくと、重さや距離(時間的、空間的)などを意識させる句がある。作者はそういうことに極めて敏感なのかもしれない。舌に重さがあるとは日常的にはほとんど意識したことがない。いまだってわたしの舌は口の中できわめて軽快に位置している。重さがあるのだろうかっていま舌先を動かしてみたが、闊達によくうごきまず重さは感じない。しかし、夏痩せとなってしまった。こうなると頬もこけ、口を開くのも億劫になってくる。地球の重力に舌が引っ張られていくような辛さである。「舌いちまいの重さ」が極めてリアルになって説得力をもった句となった。ほかに「たましひはふぐりのあたり雪催」という句があって、「たましひ」に重さがあって「ふぐり」のあたりで留まっているというのがおもしろくきわめて俳諧的。
馬の尻てらりてらりと栗の花
「夏痩せて」の句も初期の句であるが、こちらも作者初期の句である。この句は、「栗の花」の季語がよく合っていると思った。厩舎の近くに栗の木が植えてあって、栗の花が咲いている。夏の暑い時期のことだ。むんとむせ返るような厩舎に馬たちがいる。その馬の尻が強い光線に照らしだされて光っている。「り」音の繰り返しがリズミカルで調子よく、読み手の心に気持ちよい波動をおこす。
人体は味はひ深し黴にほふ
これは前半にある句で2018年のもの。「黴にほふ」で面白い一句とみたが、考えてみると「人体は味はひ深し」という措辞は、観念ではわかるような気がするが、いったいどういうことだろうかとはたと思ってしまった。たとえば人体というものを研究していけばその創造物としての素晴らしさに感銘をうける、などということは聞くが、そんな通り一遍のことか。あるいは夏の夕暮れに、わが腕をこう持ち上げてみてぐるんぐるんと回して、なんとよく出来ていることか、と思ったり、鏡のなかの顔をながめて目鼻立ちの造作とその働きに感銘したり、蚊にさされたところから微かに滲む血の色になにゆえ血は赤いのだろうかと疑問におもったり、しかし、これはまだまだ初心者の域を出ないような気がする。國清さんという作者は、万物にかすかな揺らぎを見出すことのできる方なので、きっと人体への味わいの仕方はさらに複雑にして繊細なのかもしれない。この句、「黴にほふ」で俄然、人体への夢想は現実に引き戻されてしまう。「黴」もまた生き物であり、「黴にほふ」としたことでこの一句に複雑な味わいを与えた。
何もせぬ手を洗ひをり春の暮
この一句も不思議な一句だ。重力を感じる一句である。手の重たさをとおして、心の重たい春の夕暮れをおもった。「何もせぬ」と言ったって何かはしただろうとは思うが、多分「役立つことのない無為の手」と作者には思われたのだろうか。だらりと無駄に垂れ下がった手。それを洗っている。水も重たく、暮れてゆく気配も肩に重たい。春愁であるが、それを肉体の一部をとおして実感しているのだ。「春の暮」であるからこその一句だ。
一九九六年から二〇二〇年早春までの作品から二百七十句ほど集めた。初めての句集である。所載の句のほとんどは、俳誌「梟」に掲載された句である。
矢島渚男先生には御選と跋文を戴くことができた。頭を垂れるのみである。
ふたたび「あとがき」を紹介した。
本句集の装幀は、君嶋真理子さん。
素敵であるがなかなかむずかしい集名を君嶋さんらしくデザインした。
題字はツヤ消し金箔。
表紙は落ち着いたなんど色ともよぶべき青。
知的な青だ。
扉。
花布も栞紐も表紙と同じ色に。
岩盤に楔一列日の永き
永い試行錯誤が漸く結実をはじめたかに思われ、これからに大いに期待をいだかせる。型にはまらず新しい視点を持った楽しみな作者である。(序・矢島渚男)
秋の声別の自分にすれ違ふ
今日仕事場にくるとき、ふっとこんな感覚をもった。「秋の空」でもなく、「秋の暮」でもなく、「秋の声」で自分のなかにある「違和」のようなものが呼びおこされる一句である。
https://blog.goo.ne.jp/ksk364/e/1f1d48e9f9dcb1b0185517fc7847fb67 【みんな俳句が好きだった(ゆらぎ)】より
いつも駄句を並べてコメントをお願いしておりますが、それもいささか恐縮と思い今回は俳文をご紹介させていただきます。題して、『みんな俳句が好きだった』著者は内藤好之。朝日新聞学芸部で「朝日俳壇」を担当。ホトトギスの同人。
取り上げた俳句は、その道のプロにして、俳句はアマチュア。そのせいか新鮮に映るものも少なくありません。
”川端康成は、月を詠もうと、中学の寄宿舎の窓側に布団をしいて空を眺め、三島由紀夫は向島百花園の吟行に加わった。フランス留学中、画家仲間と一番鶏が鳴くまで句会にふけったのは浅井忠や和田英作。松本清張は小説に自作の句を織り込んでいる。鈴木真砂女は、自宅が全焼した夜にも俳句を詠み、与謝野晶子や吉川英治は泥棒に入られたことを句にしている。”
”俳句は業余の遊びと割り切る文人がいた半面、芥川龍之介は俳句の他に趣味なし。横光利一は小説に資すると真剣だった。渥美清や夏目雅子は句会を心待ちにした。武原はんは、句会で振るわないと、悔し泣きした。”
そんな愛すべきアマチュア俳人たちの俳句と内藤好之の解説文(多少、手を加えてあります)をご紹介します。
①(我為の五月晴とぞなりにける)~徳川慶喜。
”実に清々しい。この青空は自分のためにあるような気がする。五月晴れの題詠で、虚子の添削の筆が入っている。長い定年後を趣味に生きた。日本画、油絵、写真、書、乗馬、ドライブなどなど。それに俳句が加わったのは最晩年の一、二年のこと。五男の鳥取藩主・池田仲博候の縁で、彼の本邸での句会に招待され、そこに虚子がいた。ところが老公の句は月並み。失礼ながらと、虚子が手直ししたのが掲句だった。老公は、目をつぶったまま、「容易に首肯しなかった」”、と。
注)ゆらぎ思うに。いささか古めかしい。もう少し現代的でからりとした軽妙な句になりませんかね?どなたか一句を!
②(願はくば朧月夜の落椿)~坪内逍遥
”仕事人間だった坪内逍遥の願いは、ぽとっと落ちる椿のように働いている最中に命を終えること。この句の詞書に「六十一になりし時落椿を愛で、”あざやかに咲き誇りたるさながらに落ちて散りたる花椿あはれ”、と詠みしを思ひいでで」とある。折にふれ、時に従っての感懐を、短い詩の形式に盛り、託そうというに過ぎなかったであろう。 逍遥は早稲田大学に文学科を開設。「早稲田文学」を創刊した。1928年には、シェークスピア全集40巻の翻訳を成し遂げた。”
注)ゆらぎ思うに、味わい深い句と感じ入る。
③(山いくつ越えて行くらむ春の雲)~島崎藤村
”おうい雲よ・・・どこまでゆくんだ。」と雲に問いかけた山村暮鳥の名詩を彷彿させる句。藤村には、雲を詠み込んだ詩が多く、「雲の詩人」とも。また散文詩風の長い作品「雲」も残している。「西は入日の上に輝く層雲の黄色、金色なる、南に浮かべる淡黄色を帯びたる、さらには東なる雲ぐもの灰色の薄き紫色とを混じえたる、色彩の変化、発想の豊富、・・・」
若菜集の詩の一つ、「初恋」はあまりにも有名である。
”まだあげ初そめし前髪まへがみの 林檎りんごのもとに見えしとき 前にさしたる花櫛はなぐしの 花ある君と思ひけり・・・”
注)ゆらぎ思うに、雲の行方には作者の憧れの人でもいるのだろうか、とも思わせるロマン溢れる句だ。
④(麦の秋何かうれしきこと待たれ)~平塚らいてう
”らいてうは、女性解放運動家で敗戦後は平和運動シンボル的存在だった。「青鞜」に、らいてうの書いた発刊の辞は、女性の覚醒を促す歴史的文章として有名だ。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。・・・」 新しい女への非難の声は凄まじく、らいてうの家には石が投げ込まれた・・・・ 70歳を過ぎたら、野の花を愛でながら句作をして過ごしたい、月一回の句会にもでたいと、句作三昧の日々を夢見ていた。
注)ゆらぎ思うに、掲句は、そんな日々を夢見たらいてうの心を表しているようだ。
⑤(白粉の残りていたる寒さかな)~中村吉右衛門
”化粧をすっかり落としたつもりだったが、まだ顎のあたりに残っていた。すっきりしないはずだ。役から抜けきれない、中途半端な気分、寒さが身にしみる。初代吉右衛門は名家名門の出ではなかったが、六代目尾上菊五郎とともに市村座で活躍。昭和に入ると円熟味を加え、吉右衛門一座を組織した。「科白(せりふ)まわしで、天下を取った」といわれた活殺自在の名調子。
行きつけの修善寺の宿の大女将が高浜虚子の夫人いとさんの同級生だったことから、宿にきた虚子と知り合い、門下になった。「破れ蓮の動くを見てもせりふかな」と普段の生活の中にも役者根性がはみ出ているのがわかって面白い。虚子は、「どの句もわかりやすく、情景がくっきり浮かぶと。
”京が好きこの秋雨の音も好き”
句会で自分の句が採られて披講されると、「きちえもん」と嬉しそうに名乗ったという。
注)ゆらぎ思うに。この人の句は、素直でいいなあと思う。ちなみに二代目吉右衛門は大好きな俳優の一人。
⑥(飯うつすにほひに秋を好みけり」~岸田劉生
”劉生は、娘の麗子や村娘お松の肖像画で知られる洋画家。・・・羽釜で炊いたご飯をお櫃に移す、湯気の中で粒だった米が輝き、えもいわれぬ匂いが立ち込める。新米ならなおのこと。作者は嗅覚から秋を感じている。
神奈川県鵠沼で関東大震災にあい、京都に引っ越した。なぜか人が変わったように酒を痛飲、茶屋遊びに明け暮れる。それから二年半して鎌倉に転居後は、遊蕩を反省している。「来年からは、遊ぶまいと思う。そしてサビを楽しもう。いろいろ勉強したい。書、南画、詩、俳諧など。その翌年のホトトギスの雑詠欄には、いくつもの句が入選した。
”春風やいくともなしに長谷の寺”
注)ゆらぎ思うに。匂いに秋を感じる、というのは出色の表現だ。作者の繊細な感覚には恐れ入る。
⑦(露しげき嵯峨に住み侘ぶ一比丘尼」~高岡智照尼
”作務衣に身を包み、竹箒で草庵の庭を掃く。剃髪前のあれこれが浮かぶ。はたしてあれは現実か。露みたいなもんではないのか。作者は大徳寺塔頭の祇王寺庵主を長く務めた。大阪に生まれ、38歳の時に出家。私生児として生まれ、起伏の激しい人生だった。「舞妓・芸者にも、妾にも、映画女優にも。人妻にも、酒場のマダムになりきれず、若い燕との愛の巣にも敗れ、ついには頭をまるめる」
33歳の時、生まれて初めて俳句を詠んだ。「羽子板の大一番やふきざらし」が、ホトトギスの虚子選に入った。出家後は俳句から、遠ざかったが、祇王寺の庵の復興がなった頃から句作を再開した。
”身の秋や仏に甘えたき心”
90歳を過ぎての実感を日記に書きつけた。 ”短夜は人生たった九十年” ”奔放に生きし過去はも遠花火”
注)ゆらぎ思うに。祇王寺は、苔と緑の木立の美しいところである。再三、足を運んだ。でも、男には坊主になって、籠もるような小ぶりの寺があるのだろうか。似合わぬことか、と。(笑)
⑧(囚われの幾日そばだつ雲の峰」~秋山牧車
今回10名のアマチュアの句を取り上げたが、みんななにかしら馴染みのある人ではある。しかし、この秋山牧車という人の名前は知らなかった。しかも陸軍軍人である。ではあるが、その考えるところには深い共感を覚えたので、あえて取りり上げることにした。 加藤楸邨の「寒雷」の俳人。
”ここはフィリピン・ルソン島のカルバン収容所。敗戦の昭和20年秋。丈高き入道雲が地を圧する。いつまでここにいるのか。我が身はどうなるのか。収容所には、山下奉文大将も入っていた。牧車は、加藤楸邨の「寒雷」の俳人。終戦に一年前に軍の報道部長を命じられ、マニラに飛んだ。だが、敗色濃厚。ゲリラや米軍の攻撃に苦しめられ、兵士のみならず従軍記者、従軍作家も次々に倒れる。そんな中でも句会を開き、幾千の蛍の集まる木を愛でる。
”密林の句座黙すとき燭ゆらぐ”
デング熱や血便にも悩まされたがついに停戦。悔し泣き。停戦後もガリ版の新聞を出し続ける。「自決するな、切込みをやめよ、我らは祖国再興のちからなり」、と。 句集「山岳州」の後書きには次の言葉があった。「あの惨憺たる境涯を生き抜くことができたのは、・・・部下の力によること勿論であるが、物を見、事を思い、自らを省みるという俳句の心を忘れなかったことが、不十分ながら精神の平静を保ち得た強い原動力であったと考え、俳句は命の親であったと信じている」
注)この句の背景を思う時、秋山牧車の思いは、深々と心に染み入って来る。俳句に、こんな力があったのか、と思うと、徒や疎かに戯れ句は詠めない
注)ゆらぎ思うに。余談であるが、山下奉文(ともゆき)が死刑になる直前に遺言として残した4か条には胸を打たれる。
⑨(つくばひに水の溢るる端居かな)~小津安二郎
”坪庭の手水鉢には、掛樋から水が注ぎ、溢れ出していく。座敷の縁近くに座を占めて眺めていると、身の内を涼風の吹き渡る思いがする。作者は、「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋刀魚の味」などを残した、世界的な映画監督。日記によれば、掲句は、昭和9年7月、東京・田端の料亭に招かれた時の作。静謐感に満ちた小津映画そのままの世界である。
小津映画といえば、何よりローポジション。「畳の上で暮らす日本人の視線にふさわしい」と、床からわずか数十センチのところにカメラを据えて仰ぐように撮影する。その結果、静かな画面とゆったりしたテンポの、独特の小津調が生まれた。小津映画は、定形の枷の中で表現する俳句にも似ているといえる。小津語録・・・「七分目か八分目を見せておいて、その見えないところがもののあわれにならないだろうか」
色彩豊かな蕪村の句を好んだ。茅ヶ崎や蓼科にこもり、盟友の野田高悟氏と脚本を練るのに疲れると、蕪村の句の「暗誦合戦」をした。映画人から初の芸術院会員に選ばれた。
”春の雪石の仏にさはりきゆ”
注)ゆらぎ思うに。句は端正にして、しかも情感が感じられる。
⑩(あじさいや涙もろきは母に似て)~中西龍
”かつて、毎夜9時45分。NHKラジオから、「赤とんぼ」の調べに乗って、次のようなナレーションが流れた。「うたに思い出が寄り添い、思い出にうたは語りかけ、そのようにして歳月はしずかに流れてゆきます。こんばんは・・・」 詠うような哀調を帯びた独特の節回し、「中西節」だ。毎日待ちかねるフアンが全国に大勢いた。「楷書」でしゃべるNHKのアナウンサーの中では異色、というより異端だった。原稿は自分で書き、放送作家任せにしなかった。番組の内容が聴取者の心の襞に静かにはいり、心に漣が立つようにするには、どうしたらいいか。そこで考えたのが、「美しい夢を、詩心を」盛り込むことだった。そこで最短詩形の俳句を活用するのが、一番いいとなった。時には自作の句も披露した。
”おじぎ草微燻の友となりにけり”
”山茶花のくれない散るや遠き恋”
伝説的な逸話がある。初任地の熊本には、白絣の着流しで着任した。鹿児島局での高校野球の実況では、試合の進行中、事前に調べた選手の生い立ちを延々と喋った。そして、「そうこう申しておりますうちに、金子君はいつ間にやら一塁に」といった調子。
注)ゆらぎ思うに。こんな人間的なアナウンサーは、今はいないだろうなあ。飾り気のない句には魅力を感ずる。
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と、いうような訳で、全100句より精選した10句をお届けしました。みなさんは、いかが感じられたでしょうか。いわゆる花鳥諷詠的な句はありませんが、その時々の思いをこめて詠まれた句には惹きつけられました。その道のプロによるアマチュアの句は、いいですね。
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