俳句の未来

https://gendaihaiku.gr.jp/about/greeting/ 【会長挨拶 俳句の未来は現代俳句協会が創造する 高野ムツオ】より

 現代俳句協会は1947年 (昭和22年) 9月1日に結成されました。表現の自由を前提として現代俳句の社会的地位の向上と俳人の生活の相互扶助などを目的としました。1958年あたりから会員希望者が増え、入会審査のため既会員による選挙制を導入しました。1988年 (昭和63年) に当時の会長金子兜太が「質に閉じこもる方向から広く門戸を開いて質を育ててゆく方向」を主導して、選挙のハードルを低くし、さらなる会員増強に踏み切りました。結果、当時の俳句ブームにも乗って、一時期は会員数が1万名に迫る勢いとなりましたが、その後、少子高齢化などの影響により会員数は減少し、現在は約4200名に留まっています。

 現代俳句協会は『昭和俳句作品年表戦後篇』や個人句集などの出版、月刊『現代俳句』、『現代俳句年鑑』の編集発行、「現代俳句協会賞」、「兜太現代俳句新人賞」などの顕彰はじめ多方面に活動を展開しています。

 その活動は、会員の年会費の収入によるところがほとんどです。会員の減少は慢性的な収入減をもたらしてきています。そこで、会員増強のさまざまな工夫を凝らし会員増強が喫緊の課題であるのは今も変わりがありません。

 現代俳句協会はこの厳しい状況のもと、数年来の中村和弘前会長の主導と協会役員の努力により、昨年、任意団体から一般社団法人へと団体のあり方を一新しました。協会史77年の中でも画期的なことです。法人化によって現代俳句協会がより社会的な地位を築き、さらに多角的に活動が展開できると期待できます。

 そのような課題と展望の時期に現代俳句協会長の任を担うこととなりました。もとより非力ではございますが、現代俳句協会成立と同じ年に生まれた77歳の私が引き継ぐことに宿命のようなものを感じています。

 現代俳句協会は何より表現の自由を標榜する団体です。有季定型も無季定型も自由律も俳句です。季題もまた重要な発想方法の一つ。文語仮名遣い、口語仮名遣い、一行、多行、分ち書き、など、どの表記も表現も認め合い、日本語以外の言語による俳句もまた俳句なのです。結社の主宰者も誌友も無所属も同じ現代俳句協会の平等な一会員なのです。そう認めあった上で俳句を作り、同時に俳句はどうあればよいか、これもまた自由に主張し論じ合い、この言葉の饗宴にこそ俳句の魅力があります。互いに現在只今の俳句を楽しみながら、俳句をこれからの若い世代に伝えていく手立てを探っていきます。


https://www.kogumaza.jp/2406haikujihyuu.html【俳句時評 雑感 渡 辺 誠一郎】より

先日小生が俳句の講師を務める仙台のカルチャーセンターが、この九月に閉鎖されることが明らかになった。その閉鎖の理由は、会員減少に伴う経営的な事情であるらしい。

カルチャーセンターのみならず、現在は、戦後の社会教育、文化の「かたち」が少しずつ変容を余儀なくされつつあるような気がする。その原因は、何より参加者の高齢化である。

俳句の結社もカルチャーセンターと同じように、戦後社会において、重要な表現の場、学習の機会を提供してきた。俳人が急増した時期は、新たな結社が興り、「結社の時代」とも言われた。しかし今や結社の高齢化率が止まらず、会員減少は明らかだ。俳句の全国組織(現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会)の会員数の減少傾向も同様に止まらない。平均年齢がすでに七十五歳を超えていると言われる。

 この様な危機的な状況の中で、現代俳句協会は昨年に法人化を進め、新たな時代への取り組みを始めた。法人化は組織の社会的信用度を高めるためとのことである。今回の総会では、新たな役員体制も示され、若返りが図られた。しかし今年の総会でも明らかにされたことであるが、若手会員の獲得や地方自治への俳句講師の派遣等、様々な会員増への取り組みにもかかわらず、明らかな会員増にはつながってはいない。かつては九千八百名の会員の時代があったが、近頃は四千名台である、組織的な危機の状況にあるのは変わりない。新しい会長に就任した高野ムツオは、機関誌「現代俳句」5月号に、「俳句の未来は現代俳句協会が創造する」

との文章を次の様に寄せている。

「現代俳句協会は何より表現の自由を標ぼうする団体である。有季定型も無季定型も自由律も俳句である。季題もまた重要な発想方法の一つ。文語仮名遣い、口語仮名遣い、一行、多行、分ち書き、など、どの表記も認め合う。日本語以外の言語による俳句また俳句なのだ。結社の主宰者も誌友も無所属も同じ現代俳句協会の平等の一会員なのである。そう認めあった上で俳句を作り、同時に俳句はどうあればよいか、これもまた自由に主張し論じ合う。この言葉の饗宴にこそ俳句の魅力がある。互いに現在只今の俳句を楽しみながら、俳句をこれからの若い世代に伝えていく手立てを探るのだ。」と。

幅の広い俳句観が示されている。他の全国組織へのメッセージとも読める。全国組織の三者統合の布石なのかは不明だが、それを裏図けるように、従来まで現代俳句協会の会員?役員でなかった、日本伝統俳句協会に所属し、鎌倉虚子立子記念館館長を務める星野高士が副会長に就任したのには驚いた。

 一方、国際的な動きをみても、今や外国でも「俳句」が詠まれる時代。自ずと幅広い懐の深い俳句の考え方が求められる。掘田季何によると、俳句人口は、国内よりも外国の愛好者を合わせた数の方が多いという。この現実に、幅広い俳句観、受け入れるための体制が必要ともいえる。すでに国際化の言葉で安易に捉えられないような現実があるのだ。小生も先日フランスのテレビ局のスタッフを塩竈と松島に案内したが、その時のスタッフの俳句や芭蕉についての知識、認識の高さに驚いたものだ。我々が想像する以上に、俳句についての関心が高いことに身をもって体験した。

 三協会統合のハードルの高さは、様々あるが、一つは俳句観である。日本伝統俳句協会の定款を見ると、虚子の俳句観を踏まえて、「有季定型の花鳥諷詠詩で ある伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の向上に寄与することを目的とする」とある。俳人協会定款の目的を読むと、「俳句文芸の創造的発展とその普及を図り、もってわが国文化の向上に寄与する」とあり、実際どうかはわからないが、俳句観は伝統俳句協会よりも広いようだ。この様な中で、全国組織の統合論の話が聞こえてきた。統合論は、今までも俳壇では時々話題になってきた。

 これに関連して、近頃目にしたのは、昨年末に上梓された筑紫磐井が著した『戦後俳句史 nuveau 1945-2023-三協会統合論』である。

 本書は、第一部「第二芸術論・社会性・ポスト社会性」、第二部「戦後の俳句史」、まとめとして、「おわりに・三協会統合論」の編成で、付録に「戦後俳句史略年表」が付いている。すなわち、戦後俳句史における俳句と俳壇の動きを繙き、全国三協会の統合のための道筋・展望を提起しているのである。そのための戦略の大切さを説く。本書の様々な分析のうち、一つだけふれる。ここでは、統合論の中で「やっかい」な扱いとなる「花鳥諷詠」について、次の様に書いている。

 虚子の「題詠句会」から生まれ出た類想句は、近代俳句の典型、いわば標準世界を成し、「歳時記」の世界に収まることになるが、これを筑紫は「本質的類句」としているとした上で、虚子が「ホトトギス」誌上の俳句とは異なるいわゆる戦後俳句にふれた事実があることを例に挙げている。「ホトトギス」の新人会作家が企画した「研究座談会」で、戦後の代表的作家の俳句を虚子が選をしたことである。この時虚子は、戦後俳句の中から、(〈葛咲くや嬬恋村の字いくつ 波郷〉〈友ら護岸の岩組む午前スターリン死す 鬼房〉など三十五名の戦後の俳人の作品を選んでいる。

ここで筑紫は虚子が、無季俳句すら選んだことに注目している。このことから、「虚子が排斥したのは不熟な表現であった」点こそが重要であったとし、虚子にとって、花鳥諷詠派の作品が必ずしも絶対ではないことを明らかにしていると結論づけるのである。つまり表現のスタイルは様々でも、優れた表現であるかが選の基準だと。

そして、少なくとも、これは「三協会統合論を考えるために重要」な視点であると筑紫は述べるのである。もちろん三協会の統合だけで、俳句の未来は保証されるわけではない。虚子の姿勢は、統合のためのステップするための力にはなるのは確かであろう。同時にあくまで作品本位であることを、再認識する契機にもなる事でもあるのだ。少し視野が広がった。


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