https://miho.opera-noel.net/archives/3599 【第七百三十二夜 種子島七海の「銀杏落葉」の句】より
今朝、ふれあい道路を守谷市から東側の取手市に向かってパン屋へ車を走らせた。銀杏並木の街道は、日に日に落葉が増えていたが、今日、銀杏落葉で埋めつくされて、黄色い絨毯の道になっていた。黄の中を走るのは心がはなやいでくる。今宵は、「銀杏落葉」の作品を紹介しよう。
銀杏が黄色いかおしてあはははは 小3 種子島七海
(いちょうが きいろいかおして あはははは) たねがしま・ななみ
この作品は、筆者が、「インターネット・ハイクワンダーランド」を開設して、子ども俳句を募集した際の投句にあった句である。授業で俳句を教えている、いくつかの小学校の教師が投稿してくださった。日本だけでなく、南米の日本人学校の教師も生徒の作品を投稿してくださった。「インターネット・ハイクワンダーランド」は長く続けることはできなかったが、掲句のような作品と出会うことができた。
その後、監修金子兜太、編著あらきみほ、切り絵八木健による『名句もかなわない子ども俳句170選』の中に入れた。文章を紹介しよう。
「お母さーん! まってよー!」
落葉をひろいながら歩いていたら、お母さんはもう、ふかふかの黄色い並木道のずっと向う。ノンちゃんがかけだしました、犬のオペラがノンちゃんをおいかけました。
イチョウがお腹をゆすって笑っているみたいに、ふいに黄色の葉をぱらぱら落としはじめるのは、そんなときです。
銀杏落葉の1文を、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の中に見つけた。銀杏の葉っぱの落ち方が書いてある。寺田寅彦は、戦前の物理学者であり随筆家である。
かつて、「からすうりの花と蛾」の随筆に惹かれて、ある夕方、牛久沼にある小川芋銭居の庭から雲魚亭への入口のからすうりの花を見に友だちを誘って出かけたことがある。学者の文章は、丁寧な客観描写が凄い。
銀杏落葉の落ち方の特長が書いてある箇所を、紹介してみよう。
銀杏落葉 寺田寅彦
もう一つよく似た現象としては、銀杏の葉の落ち方が注意される。(略)秋が深くなると、その黄葉がいつの間にか落ちてこずえが次第にさびしくなって行くのであるが、しかしその「散り方」がどうであるかについては去年の秋まで別に注意もしないでいた。ところが去年のある日の午後何の気なしにこの木のこずえをながめていたとき、ほとんど突然にあたかも一度に切って散らしたようにたくさんの葉が落ち始めた。驚いて見ていると、それから十余間(けん)を隔てた小さな銀杏(いちょう)も同様に落葉を始めた。まるで申し合わせたように濃密な黄金色の雪を降らせるのであった。不思議なことには、ほとんど風というほどの風もない、というのは落ちる葉の流れがほとんど垂直に近く落下して樹枝の間をくぐりくぐり脚下に落ちかかっていることで明白であった。なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウイッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった。
もう1句、紹介してみよう。
銀杏散るはげしき音の中にあり 平岡仁期 『新歳時記』平井照敏編
(いちょうちる はげしきおとの なかにあり) ひらおか・じんき
冒頭に、今朝のびっしり敷き詰められた銀杏落葉のことを書いたが、もう少し思い出してみると、一箇所に纏まって落ちたのではないかと思うほどこんもりした銀杏落葉があった。またある時、銀杏落葉がまっすぐ真下に落ちるところを見たことがあった。その時は、銀杏落葉の1枚そのものが重量があるからだと思っていた。
平岡仁期さんの作品は、一度にどっと落ちる銀杏落葉であったのではないだろうか。今宵は、『寺田寅彦随筆集 第4巻』の文中から、ある銀杏の葉の落ち方を学んだ。
https://yujyaku.blog.fc2.com/blog-entry-1104.html 【■ 心急く銀杏落葉の堆き ( こころせく いちょうおちばの うずたかき】より
いよいよ今日から12月。今年は夏の終わりから急速に時が過ぎていった感じがする。そのせいか、例年になく心が落ち着かない。
本日の掲句は、そんな心境を昨日見た銀杏落葉に重ねて詠んだもの。銀杏の黄葉は、もうかなり落ちていて、樹下に絨毯のように堆積していた。銀杏落葉は冬の季語。
ところで、落葉と言えば、いつも思い出すのが以下に示す二つの句である。一つが、水原秋桜子の句。
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々(群馬県赤城山にて)
この句は、「啄木鳥(きつつき)」が秋の季語、「落葉」が冬の季語なので季重なりになる。ただ、啄木鳥に切れ字の「や」がついているため、啄木鳥を主たる季語とみなし、秋の句とされている。
啄木鳥が木をつつく音、それに急かされるように葉が落ち始めた、晩秋の高原牧場の景が目の前に見えるように詠みこまれている。名句としての評価も高い。自選自解では、現場で詠んだのでなく、翌年に思い出し、苦労なく詠みあげたと記載されている。
もう一つの句は、加藤楸邨の以下の句。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ
この句は、「木の葉」もしくは「木の葉降る」が季語で、季は冬。丁度今頃に詠んだものと思われる。破調の句だが、木の葉がひっきりなしに降る様子に何か心急かれるものを感じ、「いそぐな、いそぐなよ」と木々に呼びかけつつ、自分の気持ちをなだめている様子が伝わってくる。また、あえて、ひらがな表現にしているところに、作者の思いが込められているようだ。
尚、ここでは、「木の葉」が使われているが、「枯葉」では寂漠たる感じが強く出過ぎ、「落葉」では地面に落ちてしまって、動揺する感じが出てこない。
銀杏落葉に関しては、過去に意外に詠んでなく、以下の一句のみ。読み返し一部修正した。
真黄なる銀杏落葉の褥かな *褥(しとね)
因みに、銀杏の季語については、銀杏(いちょう)単独では季語にならず、「銀杏(ぎんなん)」「銀杏の実」「銀杏黄葉」「銀杏散る」は秋の季語、「銀杏落葉」は冬の季語。「銀杏の花」は春の季語になる。
銀杏落葉の句は結構詠まれており、その中から比較的分かりやすいものを以下に掲載する。
【銀杏落葉の参考句】
鳩立つや銀杏落葉をふりかぶり (高浜虚子)
蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな (鈴木花蓑)
敷きつめし銀杏落葉の上に道 (池内たけし)
花の如く銀杏落葉を集め持ち (波多野爽波)
銀杏落葉城の裏道明るうす (池田三斗史)
https://ameblo.jp/masanori819/entry-12636592581.html 【2020.11.8 一日一季語 銀杏落葉《いちやうおちば》 【冬―植物―初冬】】より
このままぢや銀杏落葉に埋もれる 貝森光大
落葉樹は、葉の寿命が1年以内(数ヶ月程)でふつう冬に一斉に落葉します。
春に発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、自らを生長させたり、種子を作るための養分を貯蔵します。そして冬には寒さと乾燥から身を守るために葉を落として活動を停止します。先日の、チコちゃんでもこのサイクルのことを放映していました。
銀杏落葉、都内では、まだ、銀杏の黄葉が始まったばかりかも。12月になると盛んになることでしょう。
【季語の説明】
銀杏はイチョウ科の落葉高木で、黄葉や落葉は他の落葉樹に比べ遅い。並木道や公園を金色に染めている銀杏落葉は初冬の美しい景である。
→ 銀杏散る(秋)
【例句】
銀杏落葉終へて枝ぶり残りけり 嶋田一歩 銀杏落葉粉になるまで踏まれけり 宮津昭彦
まつすぐに立つ木は銀杏落葉中 今瀬剛一 銀杏落葉踏みしむ音の中にをり 片山タケ子
修道女銀杏落葉の中行けり 坂本知子
(略)
0コメント