Facebook加藤隆行さん投稿記事【「心が広い」のカンチガイ】
この三連休は瞑想のお勉強と実践をしています。
実は、今年一年間は他のことはあんませず座ってばかり。いつも部屋に籠もって静かに座っているだけになった旦那の姿を見て「あなたはどこへ 行ってしまうのかしら」と嫁さんからは
変人扱いされていますし周りの人たちとはかなり疎遠になってしまっていますが長く探してきたものが見つかってそれを実践できていることが自分としてはとても楽しいです。
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昨日、座っていて気付いたこと。「心が広い」という言葉がありますね。ボクは昔からこの心が広い人になりたかった。自分の心が狭すぎてケチで余裕がなくてとても嫌いだったからです。だから自分を変えよう変えようと思った。
もっと人に優しくせねば親切にならねば部下には時間をしっかり割いて指導せねば知識も自分だけのものにせず共有せねば お金もケチらずに振る舞まわねば
そうやってきて どうなったかというとよけい自分が嫌いになりました。
行動としてはしているけど心がついていっていない。時間も余裕もお金もなくなっていくし
あれもこれもやってやったのに思ったリターンがないと他人に変な期待をして よりイライラし そんな自分をまた心が激狭い、と責める始末。
表向き「いい人」を演じながら まあこんなことを延々と心の中でしていたのですわ。
で、昨日気付いたのは「心が広い」ってのは親切とかケチでないとかそういうことじゃなくて
本当に「心の”空間”が広い」のだということ。
瞑想していると思考から自由になっていきます。
アタマにあれこれ浮かんできてもそれをスルーするスキルを磨くからです。
そしたらアタマにもココロにも広い空間ができる。
静かで落ち着いた前後左右上下に広がるだだっぴろい余白ができるのです。
これが「心が広い」。以前のボクの心の空間はこんな感じでした。
「心狭いケチ余裕ない嫌い 変えねば優しくせねば親切にならねば 時間割かねば 『心』 知識共有せねば お金出さねば嫌いやってやった イライラ自分嫌い」
座ってる今は
「
『心』
」
ほら広い。広ければ余裕があるので自然に親切にするし 自然に時間や施しもできるし
いろんなものを共有するのも抵抗 なくなって 勝手に親切で優しい人になっていきます。
思考でガチガチにした自分が ゆったり呼吸できるようになって 呼吸できれば ああ満たされてるなと感じられて ただ本来の自分の質が戻ってくる。
わざわざ「心が広い人」なんかにならなくても「心を ギッチギチにしする 自分のクセ」
=自己否定グセを手放すことができれば勝手に「心は広かった」ことに気がつくのです。
ということでよかったらみなさんにも瞑想オススメします。
『赤無敵』でお伝えした感情を肯定するワークも独自にアレンジした瞑想のひとつです。
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来年初旬から瞑想講座を始める予定です。よかったらご一緒に座りましょう(^ω^)
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生きる意味を問うことを諦め神から問われる生き方をしようと決めた和多志は結婚後 クリスチャンワーカーになるため(子育てをしながら)大学生となり、院でも聴講し 要約 学ぶことを始めました。 院では自分の成育歴を振り返る課題もあり 戸籍を取り寄せてファミリーツリーを完成したり聞き取りをしたり、今までタブーだった自分の過去を取り戻す作業をしました。
それまで和多志は実母の名も、いつ、何が原因で亡くなったかも知らないままでした。
愛する者に自分の歪みを手渡したくないと願い本格的な心理療法の学びも始めました。
我が家は教会中心の 典型的なクリスチャンホームとなりました。
しかし教会は世俗化し、聖霊との出合いはなく、教会での働きに喜びが持ち切れなくなりました。子育ても一段落付き 残された時をどのように過ごすのが神のみ旨に沿うのか 改めて問う時が来ました。棚上げした生きる意味への問いも また浮かび上がってきました。
このときの答えは「意味は自分が創造するもの」でした。
和多志の創造した意味は愛する者の幸せ(四無量心)です。私和多志たちは過去の経験からいろいろな信じ込みを持ち(色眼鏡 をかけ)未来を制限します。過去を清算し未来に空を生み 愛する者の幸せのために可能性を広げていく、それが答え(創造した意味、生きる意味、生かされる意味)です。 和多志の人生での出会いの特徴はキリスト教と心理療法です。
NLP,スリーインワン、ブリーフセラピィ、催眠療法、キネシオロジー、認知療法、ユング(箱庭中心)、アドラー其の他いろいろな学びをし、それなりの資格も習得しました。
心理療法こそ 過去を清算し未来に空を生む方便です。人生で出会ったものを他者のために生かすことは「生かされてきたことへの感謝とお返し」であり、自分の人生の統合でもあると考えました。
次の働きの場をみなみ心理健康オフィスに選んだ理由です。
他者の援助をするためには是非とも自分をクリァリングする必要があります。
その為に必死で一人セッションを続けました。
一番大きなトラウマである デビルチャイルドのスタックポイントを解放したときに 身体が立っておれないほど振え 鮮やかなアメジスト色の光が輝き、次いで白昼光が輝き(二回繰り返しました)次の日やや鈍い光の繰り返しを見ました。
それから霊現象がはじまりました。
すべてに紫光が見え始めました。、
(目を閉じたときの紫光は 平安そのものでしたが マゼンダーやライトグリーンの光も見えました)
基底部から(前につんのめる様に) エネルギーがあがり続けました。
それは心地よい体験でした。クンダリーニエネルギーが覚醒したわけです。
それから白くて透明な歪んだ像が見えたり 目を覆いたくなるような苔むした 醜い蛇(龍?)やサソリが見えたり 事物の裏に色々な像が見えたり 美しいコーラスや 自然の音リズムに乗って 霊のメッセージが聞こえたり その話の内容は (脳の情報を読むこともありましたが、)和多志の知らない世界のことばかりでした。
毎晩こむらがえりが3,4度起こり始めたのがスタートでした。
心停止が起きたり 歩くことができなくなったり 指がなえて伸びなくなったり 、毎朝 瞼は開けようがなく 指でようやく開ける状態でした。
霊現象は書き上げればきりがありません。
人知を超えた「死と隣り合わせの不思議な現象」はどんな意味があったのでしょう?
心理健康オフイスを通しての人生へのお返しより 霊的な戦いのほうが 和多志の真実のライフビジョンかと思ってしまいました。
(顕在意識の意図を超えて起こってしまいましたから)
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霊現象は同時に激しい魂の嘆きを伴うものでした。
ダンワールドの主宰するセドナ瞑想旅行に参加したことがあります。
(ダンワールドの指導者資格、マスターヒーラー資格も取得しています。)
ベルロックに足を踏み入れた途端 跪きたいような畏敬の念と嘆きが起こり涙を流し続けてしまいました。
かの有名なグラウンド・キャニオンにも行きましたが 大した感慨もなく 、シナイ山の勇壮さを偲んでしまうほどでした。
ダンワールドではダイナミック瞑想をしながら 魂の吠える嘆きを嘆き続けました。
魂の嘆きの意味を知ることこそ ライフヴィジョンを捉えなおすことになりました。
和多志が得た結論は 今世のライフヴィジョンとも重なるヴィジョン。
「木を植えた男」のように、「ヨブ」のように ヒーリング活動をしていくことです。
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