「曖昧さ」が余情を生む

http://blog.livedoor.jp/toshio4190/archives/1080197711.html 【俳句のもつ曖昧性(捩れ)】より

ときに句会の席で「その解釈は間違っている」という声を耳にすることがある。

タブーとされている鑑賞への否定である。

外山滋比古は、著書『省略の詩学』の中で、言葉の圧縮(省略)による曖昧性(捩れ)や、切れによる余韻、断絶、飛躍のある俳句の世界では、それを鑑賞するにあたり「作者の意図よりも読者の解釈の方が優先される」と書いている。

そもそも俳句の鑑賞というものは読み手の自由であり、他のメンバーからの鑑賞批判や作者の「自句自解」による句意の押し付けは厳に戒められている。

解釈は「読み手の数」だけ存在し、俳句が作り手と読み手の「共同作業」だからこそ、ときに「読み手の鑑賞力が作者の意図を超えて稀代の名句にする」こともあるのだ。

 ここで、外山滋比古のいう俳句のもつ「曖昧性(捩れ)」の例を挙げてみる。

 ①病雁の夜寒に落て/旅寝かな    芭蕉

 この句の場合「旅寝」するのは「病雁」なのか「作者」なのかが 曖昧である。

 通常の線的な文脈からすれば「病雁」と考えるのが妥当なのだが、「落て(おちて)」で断絶させて読めば、旅寝の主体は「作者」と考えるほうが余情がある。

②田一枚植ゑて立ち去る/柳かな   芭蕉

③遠山に日の当たりたる/枯野かな  虚子

②は、西行の和歌〈道のべに/清水流るゝ柳かげ/しばしとてこそ/立ちどまりつれ〉の「遊行柳」を踏まえた句である。一読して「立ち去る」が柳に掛かるように思えるが「柳」は単に 背景として配合された言葉と考えられ「立ち去る」のは「早乙女」なのか、「芭蕉一行」なのか、の諸説がある。

③は、虚子の代表句。

「当たりたる」という連体形のつながる先は、本来の文法からすれば「枯野」に思えるが、この句は「当たりたる」で断絶していて、日の当たっている「遠山」に、近景としての「枯野」の景が取り合わされたものと考えられている。

このように、時に俳句は線的な連続性や文法的な整合性に従わない「曖昧さ」が余情を生むのである。 


https://academist-cf.com/fanclubs/264?lang=en 【世界最短の詩、俳句を通して、美しさの多様性と核心を解き明かしたい】より

はじめまして!京都大学大学院教育学研究科博士課程2年の櫃割仁平(ひつわりじんぺい)と申します。小さい頃から色々な物事に感動してきて、その感動体験が自分の人生観を形成してきました。それが多くの人にも当てはまることであったら、感動体験や美を感じる体験に大きな力が秘められているのではないかと考え、研究の世界に足を踏み入れました。研究の時間も好きですが、芸術を堪能する時間も大切にしていて、絶景を見に行ったり、週末は美術館に行ったり、コンサートに行ったりしています。好きな画家はウィリアム・ターナー、好きなバンドはBUMP OF CHICKEN、好きな映画はニューシネマパラダイスです。最高に美しいです。

What do you want to achieve through your research?

美術館に行った時、大好きなバンドの新曲を聴いた時、人助けの行動を見た時など、私たちは「美しい」という感情を抱きます。私自身も感動しやすい性格で、日々出会う様々な事象に美を感じ、その度に、目の前の景色が変わるような体験をしてきました。このように美には人の心を動かし、価値観を変容させる力があります。私は、自分自身が抱く感情について、そして、美という感情に強く興味を持っています。

しかしながら、美しさを感じるポイントは人それぞれで、この個人差ゆえに近年まで、美の研究は発展してきませんでした。それが、ダンスや詩など、研究題材が多様化してきたり、脳科学と統合した神経美学という学問が生まれたり、研究の土台が出来上がりつつあります。美には個人差があり、多様であるという部分と、通常、脳の眼窩前頭皮質が活性化するといった共通する部分とが研究されてきました。

私は、世界最短の詩、俳句を題材にして、美に関する多様性や共通性(核)を解明したいと考えています!俳句は日本発祥であり、美の文化差を反映しうるという点で多様性を含んでいると同時に、その究極の短さから、美の核心に触れられるポテンシャルを持っています。

What kind of process are you trying to achieve?

美の感じ方は、人それぞれであるというだけでなく、育ってきた環境や接してきた人に大きく影響されます。その最たる例が文化だと考えています。日本では、わびさびや粋、幽玄といった独特な美意識が存在しています。例えば、わびさびは未完成なもの、欠けたものに感じる美しさです。俳句はその短さから、全てを言い切らない「不言の芸術」であるとも称され、時に曖昧さを伴って、鑑賞されます。この美意識は他の文化ではあまり見られません。俳句はHaikuとして、様々な言語に翻訳されており、これらの題材を用いて、文化比較研究を行うことで、「多様性」を示します。

また、俳句は圧縮された最小限の表現を用いていて、美の核心にも近いと考えています。物理の世界では、原子、原子核、核子、そしてクォークと、小さい世界を探索することによって、様々な物質や現象を知ろうとしてきました。同様に、美や芸術の領域でもその小さい世界に迫っていくと俳句にたどり着き、ここから美の核心を明らかにできるかもしれません。具体的には、俳句の美の評価を高める要因を1つずつ解きほぐし、脳科学の知見も用いながら、共通で活性化する脳部位を示していきます。

(2023年8月 追記)

これからのプロジェクトでは,2つの方向でAIを活用していきます。1つ目に,AI生成俳句を実験題材とします。季語や字余りなど細かい統制がなされた俳句を大量に利用でき,それらと人間作俳句を比較することで,人の芸術鑑賞スタイルや美意識に新しい示唆を与えることができます。2つ目に,分析にAI,特に自然言語処理の技術を利用していきます。例えば,俳句を鑑賞している際の発話をテキストデータとして収集し,そこで登場する言葉の特徴や単語間の関係性に注目します。それによって,これまでの心理学実験の基本であった単純な点数データでは明らかにできなかった複雑な心理状態を明らかにすることができるかもしれません。

What research topics are you currently working on?

現在、俳句の「曖昧さ」に注目して研究しています。俳句は文字数、つまり情報量が少ないがゆえに、多くの曖昧性を生み出します。目の前の事象をすべてを言い切らない(言い切れない)ことによる芸術のおもしろさがあると考えています。

昨年度、私たちは、参加者の方に俳句を段階的に評価してもらう実験室実験を行いました。具体的には、俳句を上五・中七・下五と段階的に提示して、曖昧さを感じた度合いと美を感じた度合いを評価してもらいました。その結果、「曖昧さの解消(最初に抱いていた曖昧さが鑑賞の過程で減少すること)」が俳句の美しさを上げるということが明らかになりました。つまり、曖昧性は最初はあった方がいいが、ずっと曖昧なままがいいわけではなくて、それがどこかで解消することで美しいと感じられる、ということが分かりました。

これから、この結果を脳機能の観点から検証しようと考えていて、MRIという脳画像を記録できる機器の中で、俳句の鑑賞と評価を行ってもらう予定です。曖昧さを感じた時に活性化する脳部位の活動の減少と美を感じた時に活性化する脳部位が関連していれば、曖昧さの解消が美に繋がるということの根拠になります。

(2023年8月 追記)

昨年度,人間俳句,AI俳句,そして人間とAIの共創俳句を比較する研究の論文出版を行いました。そこでは,人間とAIの共創俳句が最も高い美しさの評価を得たという興味深い結果を示したのですが,実験に参加したのは俳句の非熟達者でした。これからは,俳句熟達者 (例えば,句会の主宰者) にAI俳句を鑑賞,評価してもらうことで,AI俳句の発達についてさらに深い理解が得られるとともに,熟達者と非熟達者の鑑賞スタイルの相違などを明らかにできると考えています。

Why are you challenging Academist?

挑戦した理由には、経済的な側面と社会的な側面があります。

まず、今年ライフステージの変化によって、これまで免除頂いていた授業料を払うことになりました。新たに授業料分の資金を作りながら、これまでと同水準の研究をしていくことに難しさを感じ、クラウドファンディングの挑戦を決意しました。

また、私は研究が大好きで、生涯をかけてやっていきたいと思っています。同時に、社会と繋がり、研究者に関わらず多様な面白い方々と会ったり、お話したりすることがとても好きです。そのような繋がりから、研究のことを高校生や学校の先生向けに話す機会を頂いたこともありました。その中で、博士課程生や研究者と話す機会がこれまでありませんでした、といった声をよく聞きました。つまり、研究者が、社会と繋がる機会が少ないのではないか、という問題意識を持っています。このクラウドファンディングは、そんな社会に広く「美しさ」の研究を知ってもらえる機会であり、かつ、自分自身も、自分の研究を分かりやすく伝えるためのいいチャレンジになっています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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