端午の節句

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端午の節句。もとは田植えの始まる時期、早乙女の穢れを清める行事で、女性の節句だったとか。それが武家社会になり菖蒲と尚武が同音であることから男子の節句へ。いずれにしろ5月は物忌み月であり、菖蒲にて邪気を祓い、鯉のぼりの旗めきの振るえで祓い清め、この日の本をことほぐのです。


花: 🌷🌸🌹🌼🌺🌻@lilacblueblue  5月5日の花:ショウブ(菖蒲)  花言葉:勇気

端午の節句には「菖蒲」湯に入る(奈良時代に中国から伝わった)

背くらべ

はしらのきずは おととしの 五月五日の せいくらべ ちまきたべた にいさんが

はかってくれた せいのたけ きのうくらべりゃ なんのこと やっとはおりの ひものたけ


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【 きょうは「こどもの日」。

  端午の節句に鯉のぼりを飾る理由って? 】

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(「致知一日一言 」より)

端午の節句に鯉のぼりを飾る理由って?〈人気マナー講師・井垣利英先生に訊く〉

堅苦しい、面倒臭そう……と思われがちな年中行事。ひな祭りには七段飾りを、鯉のぼりは大空を泳ぐ大きなものを。そう考えているうち、何もせず過ごしてしまう人がほとんどではないでしょうか。本日ご紹介する『開運 #年中行事はじめました』(井垣利英・著)は、日本人に馴染みが深いはずの年中行事をもっと気軽に楽しみ、幸せに過ごすためのヒントが満載の一冊。中でも、本日5月5日にちなんだ端午の節句にまつわるお話をご紹介いたします。

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端午の節句が男の子の節句になった流れ

武士の時代になると、武将たちは菖蒲を「勝負」、「武を尊ぶ」という意味の「尚武」の二つにかけて、縁起かつぎをするようになりました。菖蒲の葉をかぶとに挿して出陣したりもしたそうです。

戦場では勝たなければ命を落とす死ぬか生きるかの勝負です。すがれるものなら何にでも、ということになりますよね。だから菖蒲は、着物の文様、甲冑や武具、馬具の模様にもよく用いられていました。そんなことから端午の節句は、いつしか「男の子の成長を願う」行事という意味合いを強めていきました。

江戸時代には徳川幕府の公的な行事、祝日となり、男の子の節句として公認されました。それをきっかけに一般の人々にも広まり「男の子の成長を祝い、立身出世を願う」行事になったということです。今は子どもの日として国民の祝日になっていますね。

鯉のぼりは立身出世のシンボル

江戸時代、武士たちの家では端午の節句に、鎧やかぶと、弓矢や槍などをかざり、家紋の入ったのぼりを立ててお祝いしました。

のぼりというのは、戦場で敵か味方かがわかるように、それぞれがのぼりを背負ったり、お城から遣わされた使者に味方がわかるように、自分たちの陣地に立てたものです。

こののぼりを見てかっこいいとあこがれた町人たちが、のぼりの先端に鯉の絵を描いた和紙や、和紙でつくった鯉を貼りつけてかざりました。それが、鯉のぼりのはじまりとされています。

でも、どうして「鯉」だったのでしょうか?それは、「登竜門」という中国の故事からきています。中国で二番目に長い川、黄河の中流には竜門と呼ばれる激流がありました。たくさんの魚が川を上ってくるのですが、竜門を無事上りきることができたのは鯉だけでした。上りきった鯉は竜になったといわれます。

ということで、鯉は立身出世のシンボルになりました。竜門を登ったから〝登竜門〟。イキですよね。

日本ではこの故事にならって「立身出世と子どもの健やかな成長」を願い、鯉のぼりをかざるようになったそうです。今でも、たとえば「芥川賞は作家の登竜門」などという言い方をします。どの分野でも登竜門というのはあるものです。登竜門を突破して乗り越えられたら、その仕事でプロフェッショナルとして活躍する道がひらけます。

たとえば受験や資格試験、就職活動のように、そこを超えたら次のステップにすすめる。そういう意味での登竜門もあるでしょう。夢や希望がある人はぜひ、端午の節句には縁起をかついで、鯉のぼりをかざりましょう。自分の思いを、鯉のぼりにたくします。

鯉のぼりはべつに大きなものではなく、ミニチュアでもいいのです。または鯉のぼりの絵が描かれた手ぬぐいや風呂敷などをかざってもいいでしょう。シンボルですから、男の子の節句とこだわることはありません。

鯉のぼりは豊作への願い

鯉のぼりが人々の間に広まると、農村では、田んぼに鯉のぼりを立ててかざる風習が生まれました。なぜ田んぼかというと、農家の人たちにとって、鯉のぼりは神さまが宿られるヨリシロだと考えられたからです。

旧暦五月は早苗月といい、田植えをはじめる月というのはお話ししました。だから「今から田植えをはじめますから、神さま、応援にきてください」という願いを込めて、田んぼに鯉のぼりを立てました。田植えの前に農耕の神さまを招いて、豪雨や日照りなどで作物が不作ということがないように、たくさんの収穫があるようにと、願ったのです。

お米が無事収穫できるかどうかは、人々にとっては死活問題ですから、祈る思いで鯉のぼりを立てたのだと思います。

(本記事は『開運 #年中行事はじめました』より一部を抜粋・編集したものです)

◇井垣利英(いがき・としえ)

株式会社シェリロゼ代表取締役、人材教育家、メンタルトレーナー、マナー講師。名古屋生まれ。中央大学法学部卒業。 女性が多く働く全国の企業で、社員研修、講演会を年間100本以上行う。化粧品、ジュエリー、エステティック、介護、幼児教育などに携わる女性のやる気とマナーを向上させ、売上アップにつなげる日本で唯一の専門家。活動は15年以上に及び、これまで、3000人以上の自社スクール受講生の人生を好転させた。テレビ出演、新聞、雑誌の取材は200件以上。『仕事の神様が“ひいき”したくなる人の法則』(致知出版社)、13万部を突破した『しぐさのマナーとコツ』(学研)など著書多数。

『開運 #年中行事はじめました』』(井垣利英・著)

定価=本体1,540円(税込)

堅苦しい、面倒臭そう……と思われがちな年中行事。ひな祭りには七段飾りを、鯉のぼりは大空を泳ぐ大きなものを。そう考えているうちに、何もせず過ごしてしまう人がほとんどではないのでしょうか。マナー講師としてメディアでも活躍する井垣利英さんは、そんなに大事に考える必要はないといいます。ひな祭りには二色のガラス玉などを女雛と男雛に

見立ててペアで飾ってみる。鯉のぼりは、鯉のぼりの絵が描かれた手拭いや風呂敷などを部屋に飾ってみる。そんな工夫をするだけで日常生活にも彩りが出てくるといいます。

本書は、日本人に馴染みが深いはずの年中行事をもっと気軽に楽しみ、幸せに過ごすためのヒントが満載の一冊。お正月に門松を飾る理由、節分の鬼を追い払う2つの魔除け、始業式が4月8日に始まる理由、盆踊りにこめられた2つの意味……などなど、知れば「へーっ、そうだったんだ!」と誰かに話したくなったり、心がポッと温かくなったりします。

「年中行事を学んでから街の景色が輝いて見えるようになった」

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http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/matsuri/katei/03/ 【端午の節句(節供)】より

 端午の節句(節供)は、5月5日に武者人形を飾ったり、鯉のぼりをあげて男の子の健やかな成長を祈る行事です。

 端午の「端」は初め、ということから「月の初めの午(うま)の日」、そして、「午」は五と同音であることから、「月の初めの五日」という意味にもなったようです。また、中国の古い暦では、1〜12月をそれぞれ十二支になぞらえ、5月を「午月(ごげつ)」「午(うま)の月」と呼んでいました。

 中国では5月5日に蓬(よもぎ)で作った人形を家の戸口にかけたり、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲んだりして邪気を祓う風習がありました。蓬も菖蒲も共に強い芳香があることから、邪気を祓う魔除けの薬草とされていたのです。この風習が平安時代に日本へ伝わり、貴族からしだいに民間へと普及していきました。

 日本では、5月という月が田植えを間近に控えた「物忌(ものい)み月」であったことから、邪気を祓い身体を清めるために菖蒲酒を飲んだり菖蒲湯に入ったりしました。この菖蒲が「尚武(しょうぶ)=武を尊ぶこと」と同音であることから、武家では甲冑(かっちゅう)や刀などを飾り、男の子として勇ましく、無事成長することを祈ったのです。これが後に武者人形飾りとなりました。

 鯉のぼりは滝を遡る力強い鯉にあやかり、たくましく成長するように願いがこめられております。

 現在では「子供の日」として国民の祝日にもなりました。

 また、端午の節句には、地域によって柏餅や粽をいただきます。粽は、中国から渡ってまいりましたが、柏餅は、日本発祥で江戸時代から食べられるようになったと言われております。柏の木の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちないという特性から「家系が絶えない」さらには「子孫繁栄」とされ、柏の葉で巻いた柏餅は、縁起の良い食べ物とされております。


https://www.hibiyakadan.com/lifestyle/z_0037/ 【端午の節句(こどもの日)に菖蒲湯に入り、柏餅・ちまきを食べる由来】より

5月5日は国民の祝日「こどもの日」です。こどもの日は男の子の節句とされている、端午の節句の日でもあります。端午の節句には菖蒲湯に入り、関東では主に柏餅を、関西では主にちまきを食べる風習があります。しかし、各風習の由来を知らない方は意外と多いのではないでしょうか。ここでは端午の節句に菖蒲湯に入り、柏餅・ちまきを食べる由来を、端午の節句の歴史と共にご紹介します。

【端午の節句の風習1】菖蒲湯に入る由来

菖蒲湯

こどもの日に菖蒲湯に入る由来は端午の節句の歴史と深い関係があります。端午の節句は、古代中国において、月の初めの厄払い行事として生まれました。 古代中国では、雨季を迎える5月は病気や災厄が増えることから、邪気を祓うために菖蒲を使用した行事があります。菖蒲の持つ強い香りが邪気を祓うとされていたため、邪気払いに菖蒲が使用されていたようです。また、菖蒲は菖蒲湯として使用されるだけでなく、お酒に浸して飲むこともありました。

端午の節句に菖蒲を使用する風習が日本に伝わり、平安時代には、宮中行事として端午の節会が行われます。端午の節会では、香りの強い菖蒲を身に付けたり、菖蒲を丸く固めたものを飾ったりしました。鎌倉時代から江戸時代になる頃には、端午の節句は男の子の行事として認知されます。当時は武家社会だったため、「勝負」「尚武」などの言葉にかけられた菖蒲に、男の子が逞しく成長することを願いました。当時の風習を残しながら、端午の節句は今日に至るまで続いています。菖蒲湯は体をいたわるだけでなく、厄除けの効果やこどもの成長を祈るための行事です。 菖蒲湯はリラックス作用や血行促進が期待できる他、肩こりや腰痛予防にも効果があると言われます。こどもの日に家族で菖蒲湯に入ることもおすすめです。

【端午の節句の風習2】柏餅を食べる由来

柏餅

端午の節句に柏餅を食べる風習は、江戸時代に日本で生まれました。柏は、冬になっても葉を付けたまま過ごし、新芽が吹く頃に落葉する特徴があります。後継ぎができるまで葉を落とさないため、縁起担ぎのめでたい木と言われています。神事に欠かせない餅を縁起の良い柏の葉で包んだ柏餅を端午の節句に食べることにより、男の子が元気に育つことを願っています。柏の木は西日本にはあまり生育していません。また、江戸には跡継ぎを大事に考える武家が多く存在していたことから、柏餅を食べる風習は関東を中心に東日本へ広がりました。

【端午の節句の風習3】ちまきを食べる由来

ちまき

ちまきを食べる風習も、中国の古い歴史に由来します。 古代中国に、屈原という忠誠心の高い高名な詩人がいました。政治にも携わっていた彼は、多くの人民から支持されていましたが、それを好ましく思わない者の陰謀によって国を追われ、川へ身投げしたという言い伝えがあります。嘆き悲しんだ多くの民は、屈原が魚に食べられないよう川へちまきを投げ入れました。 この言い伝えから、中国では、ちまきは「忠誠心が高い象徴」として考えられています。そのため、忠義のある子に育つことを願い、こどもにちまきを食べさせました。屈原が入水した日が5月5日であったことから、端午の節句にちまきを食べる風習が生まれ、日本に伝わっています。 ちまきを食べる風習は、当時の都があった関西・近畿を中心に西日本へ広がりました。

おわりに

端午の節句に行う風習の由来についてご紹介しました。それぞれの風習の由来を知れば、行事に懸ける想いや楽しみ方も変わってくるはずです。逞しく、忠誠心ある男の子が、次の代まで災い無く育つよう祈願する1日にしましょう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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