命の循環

https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/001225.html 【見えない木 -いのちを通して心の中にたち続ける-】より

藤澤 めぐみふじさわ めぐみ

布教使 京都市伏見区・興禅寺住職

もう、ない寂しさ

 御衣黄桜(ぎょいこうさくら)と呼ばれる桜をご存じでしょうか? 俗に「黄桜(きさくら)」と呼ばれているその桜の花は、まるで木の葉と見まがうような黄緑色の花を咲かせます。

 その黄桜の木が、家の近くを流れる宇治川の堤防に一本だけ自生していました。正確にいうと、去年の9月まではあったのです。数年前、毎朝のウォーキングですれ違う方が、熱心に写真を撮っておられたのがきっかけで、私はその木が桜だと知りました。

 それ以前から、黄桜の木はたっていたのです。けれども、桜といえば淡いピンク色の花びらを思い浮かべる私には、まさか黄緑色の花をつけるその木が、桜だとは思いもしませんでした。ましてや、花の咲かない時期に木だけを見ても、桜だとは気づかなかったでしょう。いや、ピンク色の花をつける桜の木だって、花がなければ桜の木だと気づくこともないかもしれません。桜は、花が咲いてはじめて、その木が桜だと実感するのでしょう。

 以来、黄桜の花が咲くと、私もウォーキング途中に写真撮影をしては、その花を楽しんでいました。するとその私の姿を見て、「木の葉を撮影しておられますが、何か珍しい葉なのですか?」と声を掛けられる方があり、私はまるでずっと前からその木を知っていたかのように、黄桜の花について話しました。

 その黄桜が、去年9月の台風21号の風で根本から折れてしまい、堤防から姿を消しました。黄桜だと知らずに、いや、木があることすら気づかずに通り過ぎていた私が、珍しい〝黄桜〟だと知ってから、毎年花が咲くのを楽しみにしていました。そして今年も咲くものだと思い込んでいました。でも、今年はもう黄桜の木があの場所にないのです。「ない」となると、寂しいなぁと思います。あったことを知りもしなかった私が、それが〝黄桜〟だと知った瞬間から、「あることが当たり前」になり、毎年花を咲かせてくれるのだと思い込んでいました。でも、もう、ないのです。

 あの木が倒れてしばらく、折れた枝が地面に山積みにされていました。それを見ながら「あぁ、もうあの黄緑色の花を見られないんだなぁ」と寂しい気持ちになったことでした。

つらさは消えない

 周囲の桜もやがて花を散らし、新緑の季節になった6月のある日、黄桜の木がたっていたあたりに、名も知らぬ草花がいっぱい咲いていることに気がつきました。おそらく、倒れた木が栄養となって土を育て、小さな草花たちを芽吹かせたのでしょう。この草花たちは、「見えない黄桜の木」によって育てられたのだと思うと、なんだか寂しい中にも懐かしいような、それでいて「見えない黄桜」は今もここにたっているのだと思えて、心強くなりました。

 今年7月、私のお寺の近くで、京都アニメーション放火事件が起こり、多くの方が犠牲となりました。あまりにも大きな事件に、何かできることはないかと、毎月命日に現場となった場所を訪れ、手を合わせてきました。

 ある時、そのことを知られたご遺族から、お寺に電話がかかってきたのです。遺骨を抱きしめながら、1時間以上にわたって、亡くなられた息子さんの思い出を語られたその方は、「いるのが当たり前だと思っていました。でも、突然いなくなって、すごく、すごく寂しくてつらくて...。お念仏しても、つらさは消えなくて...」と嗚咽(おえつ)しながら、つらい中にも息子さんとの思い出を話してくださいました。

 私はただただお話を聴かせていただくことしかできませんでしたが、息子さんとの思い出を語るお母さまの言葉の一つ一つやお念仏の中に、息子さんは生き続けておられると思いました。

 黄桜の木は倒れてなくなったけれど、〝見えない木〟として、草花たちのいのちを通し、今、私の心の中にたっています。

 私も、この12月22日で父がお浄土へ往生してから5年目の冬を迎えます。住職となって5年経ってもなお、聴くことの大切さと難しさを痛感するばかりで、何もできないのですが、父が伝えてくれたお念仏や、心の内を話してくださる方々が、この私を育ててくださいます。見えない黄桜の木のように。


Facebook長堀 優さん投稿記事

熊本の水害で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。これ以上被害が広がらないことを祈るばかりです。

 この豪雨をもたらした雨雲の前線を西に辿れば、中国、揚子江流域の上海から、上流の四川省に至ります。

 少し勢いが衰えたであろう九州でもこれほど甚大な被害が出ているのですから、その源の中国ではいかばかりであったのでしょうか。

  以下、台湾ボイス TAIWAN VOICE より。

 揚子江流域にある人口三千万の重慶では、すでに三十日以上大雨が続き、現在マンションの四階以下(!) の人は避難するよう勧告が出ています。避難民は一千万人を超えるとも言われます。

6月28日、重慶の下流にある世界最大の三峡ダムは、決壊に備え、放流を始めました。

 このダムは、完成後の精密検査をすることなく使用開始されています。衛星により、すでに十メートルの歪みがあることが確認されてますが、共産党政府は、許容範囲内としています。

 にもかかわらず、三峡ダムの現在の放水量は、毎秒三万五千㎥に達するのだそうです。ちなみに黒部ダムの最大放水量は毎秒九百㎥と言いますから尋常ではありません。

 揚子江は大河ですから一概に比較はできないでしょう。しかし、三峡ダム下流の街、宜昌がすでに全域冠水しているのに、この放水量ですから、ただならぬ危機感を感じます。

 しかも、三峡ダムの上流の四川省近辺にはなんと千くらいのダムがあるそうです。世界的なダムも四つあると言います。

 7月2日には、この四川省で震度三の地震がありました。震度三とはいえ、土地やダムは大雨ですでに緩んでいますので、決してあなどれません。

 このような大災害のとき、中国のトップは必ず現地に駆けつけるのに、習近平にその動きはまったく見られません。洪水に巻き込まれることを恐れているとの指摘もあります。

(以上 台湾ボイスより)

 これほどの豪雨被害を受けている一方で、中国は、武漢ウィルスで動揺した日本の隙をついて、尖閣を奪うかのような動きを本気で見せています。

 三峡がなければ、すでに侵攻していたかもしれません。その時は、ウイグルのように、前もって入国していた中国人スパイたちがその動きに一斉に呼応していたことでしょう。これは妄想でもなんでもありません。

 尖閣は言うに及ばず、香港、ウイグル、南沙諸島などでも牙を剥き続ける中国に豪雨と地震とは、まるで、天が中国の頭を抑えているかのようにも見えます。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」ということなのでしょうか。たいへんなことが起こる前に、なんとか共産党政府には、軌道修正をしていただきたいものです。

 騒然としてきたのは、中国だけではありません。

 ご存知のように、北欧では、大気中の放射線濃度が高まっており、ロシアでの原発事故が疑われています。

 日本もあちこちで揺れ始めています。関東も穏やかではありません。

 この先地球に何が起こるのか、とても気になります。

 さて、これまで人類は、自由意志と創造力を用いて、輝かしい発展を遂げてきました。それはそれで素晴らしいことです。

 しかし、同時に、エゴや物欲に奔走し、自然破壊、争いや殺戮、富の極端な集中などの過ちを重ねてきたことも事実です。

 弱肉強食の社会が限界を迎え、人類の存亡が危うくなってきたこの時期、流れが大きく変わろうとしているようです。

 隠されてきたこともどんどん明らかになってきています。コロナ騒動をみても、もはや騙したり取り繕ったりすることができなくなったことを強く感じます。

 この先、何が起こるのかはわかりませんが、何が起ころうとも、変容しつつある地球に合わなくなった古いシステムが壊れ、新しい世の中を作り上げるための準備に過ぎないと言えるでしょう。

 見方を変えれば、すべては人類が起こしたカルマの解消に他ならないのかもしれません。

 でも、どんなことが起ころうとも何も恐れることはありません。魂の観点から見れば、全ては「大丈夫」なのです。

 神は、人に自由意志とアセンションを、ワンセットで与えたと言われます。

 であるなら、アセンションには、人類が、行ったことに対する責任をとるという意味合いもあるのかもしれません。

 アセンションを超え、地球では新しい幸せが循環する社会の構築が進んでいくことになります。

 カバールがどうなろうが、トランプや習近平が何をしようがもう関係ありません。社会の変容は、他力本願では成し遂げられないことを自覚する必要があります。

 他の誰でもない、一人一人の自立と気づきが、集合意識の進化を引き起こすのです。そして、アセンションという大難を小難に変え、社会の建て替えを加速させます。

 この大変動の時期、東日本大震災で世界に称賛された日本人の本性が、地球新生のために発揮されていくはずです。

 地球の明るい未来へ思いを馳せつつ、覚悟を持って日々を過ごしたいと思います。

 この先、長くなります。ここで中締めとさせていただきます。ありがとうございました。

 ・・・・・

 ここからは悪魔ルシファーと、るしえるの物語になります。見える世界の大変動のひな形とも言われます。

「人々は非常にネガティヴなもの、現象を通して、まことのものを知るようになるのです。

 多くのものが虐げられ、多くの者が貧しさにあえぎ、多くの者が病に苦しみ、多くの生命が損なわれようとする時、そのような時こそ、人々の心が、まことに大切なことがなんであるかを知る時なのです。」

 これは、山田征さんという一人の女性に降ろされた「いえす」と名乗る神霊からのメッセージです。

 山田征さんは、著書「光と影のやさしいお話」の中で、いえす、まりあ、ふらんしす、るしえる、など複数の神霊からのメッセージを紹介しています。

 この本が伝える最も重要なメッセージは、「善も悪もすべては神の手の内にある、どんなに酷く悲惨な出来事も、全ては人類の進歩のために用意された」ということになります。

 神の命により、これまで全ての悪を担ったのは大天使「るしえる」でした。

 るしえるは、悪魔ルシファーとして、この世の全ての悪を担ってきたのです。

 しかし今、時が至り、使命を果たし終えたルシファーは、自らを再び愛の天使に変えようとしている、といいます。

 ルシファーによって支えられてきた悪なるもの、闇なる部分は、取り除かれていく時を迎え、時代は大きな転換期に突入したのです。

 このメッセージが伝えられたのは三十年前だそうです。

 しかし、ルシファーに操られた世の動きは直ぐには変わらず、その後も混乱を極めていくことになります。

 勢いづいた巨大な船は、そんなに簡単に方向転換できないということなのかもしれません。

 それでもようやくここに来て、見えない世界の一大変化が地上に及んできたようです。

 これまで世界を裏から支配してきたグループは勢いを失い、メディアを見ても、嘘偽りがはっきりと分かるようになりました。

 先ほども述べましたように、隠すことも、騙すこともできなくなってきたのです。欺瞞、傲慢はもう通じません。

 いえすが光を担ってきた一方で、るしえるは、ひとえに人類の成長のため、いえすという光に伴う影として存在してきました。

 影としてのるしえるの悲しみ、そして彼が重大な任務から解放された弾けるような喜びが、彼の詩には溢れています。

 引用は少々長くなります。しかし、るしえるの歓喜を、ぜひ共有していただけたらと思います。

「 昔 人に悪はなかった 人々は 明らかな愛そのものであった  清らかな光そのものであった私もまた その大いなる神の愛そのものであったことを いま そなた達の前にはっきりと伝えておきたい 神は人々に大きな愛の贈り物として 自由に遊ぶ心をお与えになった

人々は神の計らいにより まるで神のごとくに 自由にものごとを考える思考というものを与えられたのである 人々は まるで神のごとくに豊かに明るく 自由に人々を愛し

ありとあらゆるものを 美しく眺めて暮らしていた なぜ人々は それらのことから離れることになってしまったのか 神の世界は全きものではあったが やはりプラスとマイナス 

陰と陽なるふたつの性格を持たざるを得ぬひとつの要素が生じたのである。」

アダムとイブは、ヘビにそそのかされ、知恵の実を食べ、楽園を追放されたと聖書は伝えます。

 ヘビをるしえる、そして知恵の実を自由意志と考えれば、聖書のこの一節は、るしえるの物語そのものと言えます。

 その後、人類は自由意志を手にし、目覚ましい発展を遂げてきました。

 これはこれで素晴らしいことでした。その一方、人類はさまざまな過ちも重ねてきましたが、すべては神の手の内で行われたのです。

 しかし、今、人類は存亡の危機を迎え、いえすとるしえるの真実に気付く時を迎えました。

 るしえるは続けます。

「人々が すべての善き面において神にすがるがごとく その逆さまなる面においても

己を救うものが要るであろうと神は思われた 全き神は 私を呼ばれた " 私に比類するほどの愛あるそなたよ その愛ある心を すべて私に委ねてはくれぬか" と そして神は言われた

“ 私の愛する これら多くの民人達を見るがよい 私はこれら自由意志を持つに至った民人において 私のすべてである この大いなる宇宙の秘儀を 完成せねばならぬ

それがため この民人達は ひとたび 私から遠く離れたる者とならねばならぬ

しかし その旅路はまことに厳しく 過酷なものとなるであろう

これより先 民人達は 陰と陽 光と影の中にありて その両の面を すべからく現すものとなるであろう あるときは光であり あるときは影となる

私は本来 影を伴い得ぬ光である

それ故に 私はいまひとつの光をつくろう その光とは 影と共にあり 影を伴う光である

そなたをわたしの光から生まれた影としよう その影を伴う光も 私より生ずる

決して分かち得ぬ愛のしるしであることを知ってほしい さあ ゆくが良い

人々はおのが身に生じた 悪しき心 悪しきことからを どのように扱うべきか まだ知ってはいない そなたゆきて わたしにかわりてなすが良い わたしにかわる力をそなたに与えよう 決して戻るな 時至るまで 決して戻るではない また このことを忘れるな

そなたの戻る日の来るまで この私も決して涙の枯れる日はない

そなたの力が 大いなればなるほどに 人々はまた苦しむであろうが それもまた 全き私のもとへの回帰の旅路であると知るがよい

私もまた 人々と共に苦しむ者となるであろう よきかな 私の苦しきこの胸のうちを知るが良い

旅立て 誰にも知らるな そなた一人の知るところのものである

そなたと共にある 光を担う者のみが(注:いえす)このことを知るであろう

ゆけ 旅立て "そのようにして私るしえるは 神のもとを去った一人のものの他このことを知るものはいなかった

全き神の愛に光り輝く その者の名は  いえす 彼 いえすは 私と そのようにして対をなす者とはなったのである

全き神よ 私はその日から 私の持てる大いなる力の故に まことに 神の言わるる人を愛する心のゆえに闇の国の帝王とはなりたるものを」

 神の意志のもと、ある時はいえすを、またある時はルシファーを仰ぎながら、人類は、善悪を超えた様々な体験を積み、魂の進化を遂げてきました。

 すべては必然で必要な過程だったのです。

「人々よ   そなたたちは もう幼子ではない己の歩みし 生命の旅路その意味するところのものをいまこそ人々よ 知るが良い いえすによりて あがなわれし罪ばら

私によりて収められし 諸々の悪しきことがら そなたたちの心にありては いまだ消えざる 重きことがらではあるが もはや知るとき至りぬ

すべては 神の御心によりて 我らと共に歩みし 遠き旅路でありしことを 知りたまえ 知りたまえ 人々よ まことに多き 悪しきことがらの数々 それらはすべて 人にありて取除かるべき 神の いまひとつの姿でありしものを 人々よ 知るが良い そなたたちの前に置かれし 二人の天使の その役割を いまこそ人々よ 知るが良い

彼 いえすは 光の光 そして 私は その光に伴いし 影であった

かなしきかな光なきところに影はなくまことに影は光に 伴いきたり

おお  私の全き光よ影なる全き光の光 神よ私はこれにて解き放れしか私に与えられし

この大いなる闇の帝国そはいまこそ人々の前にありてガラガラと 音立てて崩れ去りし

もはやあとかたもなし あるは 全き光のみ

人々よ 知るが良い そなたたちの前にあるは 全き神の 愛のきざはしのみ

登りゆけ ふりむくではない 登りゆきて やすらぐが良い そこにてまた我も待つなり

我もまた ともにやすらぐなり やさしき人々よ 私と共に このありあけの 歓びの歌をうたおう 神の創りたまいし この全き 世界よ 全き 宇宙よ全き 人々の心よ

すべてはいまこそ朝の目覚めを迎える」

 重く尊き使命から解放された大天使るしえるの歓喜はまだまだ続きます。

 しかし、長くなるのでこれくらいにしておきましょう。

 ご興味があれば、ぜひこの本をご覧ください。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 時は至れり

 地球におけるいえすとるしえるの物語に参加できたことを、私は深く感謝しています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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