Facebook相田 公弘·さん投稿記事
「耳」からはいってくる他人の評価が、自分の「心」になってしまうのが「恥」。
自分をありのまま「公」にすれば「聡」明に生きられる。
僕らは真っ「白」な状態で生まれます。辛いこと、悲しいこと、嬉しいこと、いろんな経験を重ねることで「羽」が生えてきます。それが「習う」という字です。
これから先どんなちっぽけなことでも、体験したことのすべてはあなたの羽の一部になる。
そしてあなたの「羽」はたくさんの「異なる」人と出会うことで「翼」に変わります。
「辛」いに「一」を足すと「幸せ」になる。「幸せ」の土台は「辛い」、そして「辛い」という字は「+」の上に「立っている」。辛いから幸せになれるんだよ漢字はそう教えてくれている。 ひすいこたろう
Facebook色平 哲郎さん投稿記事 花は一瞬にして咲くのではない。
花は一瞬にして咲くのではない。大地から芽から出て 葉をつくり、葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり 花を咲かせ、実をつくっていく。
花は一瞬にして 咲くのではない。花は一筋に咲くのだ。
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すべての人が幸せを求めている。しかし幸せというものは そうやすやすと やってくるものではない。 時には不幸という帽子をかぶってやってくる。
だからみんな 逃げてしまうが、実はそれが幸せの正体 だったりするのだ。
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雑魚は雑魚なりに、大海を泳ぎ。我は我なりに、大地を歩く。
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生も一度きり、死も一度きり、一度きりの人生だから、一年草のように、独自の花を咲かせよう。
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花は一瞬にして咲かない。大木も一瞬にして大きくはならない。一日一夜の積み重ねの上に
その栄光を示すのである。
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川はいつも流れていなくてはならぬ。頭はいつも冷えていなくてはならぬ。
目はいつも澄んでいなくてはならぬ。心はいつも燃えていなくてはならぬ。
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本気になると世界が変わってくる。自分が変わってくる。変わってこなかったら、まだ本気になっていない証拠だ。本気な恋、本気な仕事。ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。
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日の昇るにも手を合わさず、月の沈むにも心ひかれず、あくせくとして一世を終えし人の
いかに多きことぞ。道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。せかせかとして過ぎゆく人のいかに多きことぞ。二度とないこの人生をいかに生きいかに死するか、耳をかたむけることもなくうかうかとして、老いたる人のいかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも告げ結う声のあることを知ろうともせず、金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。
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咲くも無心散るも無心花は嘆かず今を生きる
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一難去ってまた一難。でも思えば、この難によって、念が鍛えられ、念の花が咲き、念の実が熟するのだ。
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一番恐ろしいのは、自己との妥協だ。
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おのれが尊いのではない。おのれをおのれたらしめるものが、おのれのなかにあるから尊いのである。だからこのおのれたらしめるものを見出さなくてはならぬ。自覚しなくてはならぬ。
そのことなくしては、人は人としてのねうちがあるとは言えない。
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木が美しいのは、自分の力で立っているからだ。
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最高の人というのは、この世の生を、精いっぱい、力いっぱい、命いっぱい、生きた人。
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少食であれ!これは健康のもと。少欲であれ!これは幸福のもと。この二つのものを
しっかりと身につけよう。この世を悔いなく終わるため。この世を楽しく生きるため。
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大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。一呼吸一呼吸の今である。
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鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ。
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天才には、そう誰にでもなれないが、本物には、努力次第でなれる。
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流れてさえおれば、水は必ず海に達する。それと同じように、努力さえしておれば、所思は必ず遂げられる。
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人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ。
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本を何百巻読んでも、本ものにはなれない。本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。
足からきた悟りが、本ものである。
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漫然と生きているのが、一番いけない。人間何か希望を持たねばならぬ。希望は小さくてもよい。自分独自のものであれば、必ずいつか、それが光ってくる。そして、その人を助けるのだ。
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われわれの不幸は、待たなくてもやってくる。だがわれわれの幸福は、待つだけでは来ない。
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尊いのは、頭ではなく、手ではなく、足の裏である。一生人に知られず、一生きたない処と接し、黙々として、その務めを果たしてゆく。しんみんよ、足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ。頭から光が出る。まだまだだめ。額から光が出る。まだまだいかん。
足の裏から光が出る。そのような方こそ、本当に偉い人である。
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流れの中で人は生まれ 人は死す。一瞬もとどまらず 永遠に流れてゆくもの わたしもまたその一人 あなたもまたその一人でも孤独であってはならない 一つに集まり 一つに溶け合い
流れてゆく それがわたしの乞い願う 美しい流れ 朝は朝日を浴び 夕は夕日に染まり
語り合い 手を取り合い 流れてゆく 楽しい流れにしてゆこう
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事
ふたつの果実
ある夜、ひとりの若者が月の光をたよりに行く手を探しながら、ある小屋にたどりついた。そこは、僧が暮らす小屋だった。若者はしばらくドアの前に立っていたが、それから恐る恐るノックした。
それに応えて、中から声が聞こえた。「そこにいるのはだれだ。なにを探しているのだ」。
「私はじっさい、自分がだれなのかわからないのです。もう何年も幸せを探し求めてさまよって、あなたの小屋にたどり着いたのです」。
中から笑い声が聞こえた。
「自分を知らない者がどうやって幸せを見つけられるというのだ? それでも知らないということを知っている君は十分に知っているとも言えるなあ。ドアをあけてやろう」。
こうして僧は若者を招き入れた。
「幸せとは何なのですか?どうか教えてください」。
「親愛なる者よ。幸せは自立の中にある。他人に頼って幸せを探すなど馬鹿げたことだ。実際、幸せを探すことなど馬鹿げている。外に存在するものは探し求めることはできるが、自分の内側にあるものをどうやって探し求めるというのだ?」
それから僧は、ふたつの果実を見せて言った。
「君にこの果実をあげよう。どちらにも魔法の力がある。一つ目の果実を食べると、君は幸せが何かを理解する。二つ目の果実を食べたら、君は幸せになる。だが、どちらかひとつしか食べることはできない。片方を食べると、もうひとつは消えてしまうからだ。そして、もし二つ目の果実を食べることにしたら、幸せがなんであるかを理解することはないだろう。君はどちらを選ぶ?」
若者は少しためらってから言った。「私はまず、幸せがなにかを知りたい。それを知ることなしに、幸せをどうやって見つけられると言うのですか」。
僧は笑い出した。「君の探求がなぜこんなに長くかかったかわかったよ。いやいや、これからも幸せが見つかることはないだろう。幸せがなにかという知識を探すことは、幸せを手に入れることとは違うんだよ」。
●妙味のあるたとえ話です。幸せは、定義の前にすでに「ある」ものなのですね。幸せがなにかがわからないのは、定義ばかりを外に追い求めているのからですね。
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