Facebook金谷ホテル歴史館さん 投稿記事 紅葉のいろ
毎年この時期に色を変えるもみじ その葉の色を何色と言うのでしょうか
猩猩緋 紅赤 茜色 蘇芳•••••
赤の色だけで20種類以上も名を持つ日本語 私たち日本人は古来から細やかな観察眼を持って自然を見つめてきたのでしょう
この秋、侍屋敷の庭には何色の色が散りばめられているのでしょうか
Facebookやまとことばサロン(万葉集•古事記•俳句•和歌) ·潮康史さん 投稿記事
小倉百人一首より
「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」
読み
おくやまに もみぢふみわけなくしかの こえきくときぞあきはかなしき
意味
奥山で散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くとき、とりわけ秋が悲しく感じられる。
古来より日本人は、秋は物悲しく寂しいと感じた民族ですね。
夏を「陽」とすれば、秋は「陰」へと移ろう季節でした。
Facebook中尾 佳貴さん投稿記事 もみじと日本人
紅葉と書いてもみじと呼ぶほど、秋に紅葉する樹木としてとても有名な樹木でもみじが散ればそれは秋の終わりであり、冬の始まりとも言われている。
そう考えている人はおそらく、比較的街に住んでいる人たちだと僕は思う。
僕が知っているもみじは秋の中盤、他の樹木の紅葉のピークよりも少し早く色づき始める。
それは人の手にとって植樹されたもみじではなく、人の手がほとんど入っていない山の中のもみじのことだ。
もみじは確かに他の樹木に比べて気温が低くなってから色づき始めるので秋の終わりを告げるように思われるかもしれない。しかし実は、天然のもみじは沢沿いや渓谷沿いの急な斜面や崖の近くに生えていることが多い。つまり、山の中でも比較的気温が低いところに生えている。
だから、街中のもみじとは少し違ったタイミングで色づくのである。
山の中を歩いていると、鮮やかに染まったもみじは少し遠くの斜面に生えていて、近づくのは容易ではない。
だが、その鮮やかさや周りの風景とのコントラストは遠くから見るとついつい足を止めてしまう。昔の人々がそのもみじの木を近くで眺めたいと思い、庭や寺社の境内に植えたのではないだろうか。俺にはその気持ちがよく分かる。
もみじの漢字は実はもうひとつある。木に花と書く『椛』。(読み方は「もみじ」と「かば」)これは国字といって中国には無い日本で作られた数少ない漢字のひとつだ。
まるで花が咲くように美しく華やかな様子を見てこの漢字が作られたのだろう。
秋に咲く花は少ない(ちなみに椛の花はとても地味)が、散っていく木の葉を花に例えるあたりがなんとも日本人らしい。
Facebook依田 孝吉さん投稿記事
今日は七十二候の楓蔦黄(もみじつたきなり)
カエデやツタの葉が色づき始める頃です。北国や山々はすでに紅葉に染まっている頃ですが、紅葉前線が日ごとに南下してくる晩秋には、平地でも美しい秋の景色が楽しめます。
秋が深まるごとに色を重ね、まもなく散っていく紅葉は、移ろいゆく季節を愛でる日本人にとって格別なものであり、春の桜と同じくらい待ちわびられる存在でした。
紅葉狩りの歴史は古く平安のころから始まったそうです。ちなみに紅葉(もみじ)の語源は「揉みいず」で、色が揉み出されるという意味です。
最低気温が8度以下の日が続くと、葉が色づき始めるそうです。
冬に備えて自分の葉を落とす植物は、葉に水分や養分を送らなくなります。
すると、葉の色素が変化して、緑から黄や赤などの色に変わっていくのです。昼夜の寒暖差が大きいこと、十分な日差しや適度な湿度があることなどが美しい紅葉の条件と言われています。
あまりに乾燥していると葉が色づく前に枯れ落ちてしまうため、川沿いや湖のほとりではきれいな紅葉が見られるそうです。
葛もみぢ 朝から暮るる そぶりなり 一茶
草紅葉
秋も深まる頃、ふと足元に目をやれば、路傍の雑草にも黄や紅にと色を変えるものがある。絢爛たる木々の紅葉とは趣を異にするが、野山の草の素朴で可憐な色づきに、昔の人は心を寄せ「草の錦」と愛でました。
水車場へ 道は平らや 草紅葉 虚子
照葉(てりは)
俳句では紅葉の美称で、草木にいい、晩秋の季語で「照紅葉」ともいいます。降り注ぐ陽を受けて、明るく鮮やかに照り輝く黄葉・紅葉は殊のほか美しいものです。
冬隣のこの時季、彩を深め心持も華やいでいくような語感もあります。
下水に 寄ればまばゆき 照葉哉 麦水
2023年11月3日 旧暦9月20日 仏滅 乙丑(きのと・うし) 明治節 楓蔦黄 紅葉・龍田姫 文化の日 文具の日 弥五郎どん祭り 唐津くんち・案山子揚げ
0コメント