Facebook天外 伺朗さん投稿記事
西田 聡2017年10月19日 ·【生きる力】ㅤ
ここ数年で、整体院への子供の来院が急増した。多くは「起立性調節障害」と呼ばれる疾患で学校へ行けなくなった、小・中学生(一部高校生)だ。
私は、学校へ行ける行けないは、大きな問題ではないと考えている。「生きる力」さえあれば、学校などどうでもいい。むしろ、現代日本においては、学校が子供の「生きる力」を削いでいるような気さえしている。
そんな中、先日、霊気の先生からお勧めいただいたこの本。「生きる力」の強い子を育てる。著者は、元ソニーの取締役である天外伺朗さんである。
「生きる力」とは何か。天外さんのお考えを、本文から抜粋する。
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「生きる力」というのは、言葉を変えれば「自己実現に向かう力」だ。自分の能力を伸ばすとともに、それをいかんなく発揮し、思いを実現して社会の中で意義のある活動をし、自らの位置づけを獲得していく力だ。
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さらに、天外さんは、次のように定義をされている。
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生きる力の定義
1、大地をしっかりと二本の足で踏みしめて立つ力(アレクサンダー・ローエンのグラウンディングと言う概念、…自立心、足が地についている、外部の雑音や他人、世間の評価で信念が揺るがない…など)
2、自らを肯定する力 3、自らを常に磨く力 4、自己実現へ挑戦する力
5、意志の力 6、物事を前向きに解決する力 7、大自然を畏敬する心
8、全体の中で適切で調和的な立ち位置を確保する力 9、人生を楽しむ心
10、感受性、感性 11、独創力 12、決断力 13、好奇心
14、やる気 15、人間的魅力 16、積極性、行動力 17、バイタリティー
18、交渉力
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とても共感できる。
では、子供の「生きる力」を育むには何をすれば良いのか。この本にも色々書かれているが、私が何よりも必要だと思うのは、大人が自分の「生きる力」を育むことだと考えている。
現代日本の社会を見よ。
自己実現など、とうに放棄した。夢みたいなこと自分には関係ない、今がしのげればそれでいい。あるいは、自己実現など考えたこともない。
そんな大人が大半を占める。
現状打破したいと思いつつ、結局は何も行動しない。安全で居心地の良い日常にとどまり続ける。そんな大人が「生きる力」の強い子を育てるなど、どだい無理な話である。
まずは大人から、自分から。私たち大人が、自分らしく、自立して、自由に毎日を生きること。言葉を変えれば、大人が輝いて生きること。それがスタートだと私は考える。
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
ふたつの果実
ある暗い夜のことだった。雲で覆われた空に雷鳴がとどろき、稲妻が走っていた。ひとりの若者が稲妻の光をたよりに行く手を探しながら、ある小屋にたどりついた。そこは、老いた賢者が一生を過ごす場所だった。
若者はしばらくドアの前に立っていたが、それから恐る恐るノックした。
それに応えるように、中から声が聞こえた。「そこにいるのはだれだ。なにを探しているのだ」。
「私はじっさい、自分がだれなのかわからないのです。そして、もう何年も幸せを探し求めてさまよっています。そうやって探すうちに、あなたの小屋にたどり着いたのです」。
中から笑い声が聞こえた。
「自分を知らない者がどうやって幸せを見つけられるというのだ? それでも自分を知らないということを知っている君は十分に知っているとも言えるな。ドアをあけてやろう。ただし、覚えておくがいい。誰か別の人のドアが開いたとしたら、それは君のドアではない」。
こうして賢者は若者を招き入れた。自分の前に立っている老いた僧の眼差しに触れて若者は思わず足にひれふした。「幸せとは何なのですか?どうか教えてください」。
「親愛なる者よ。幸せは自立の中にある。君が自立した途端に幸せがあふれ出すだろう。他人に頼って幸せを探すなど馬鹿げたことだ。実際、幸せを探すことなど馬鹿げている。外に存在するものは探し求めることはできるが、自分の内側にあるものをどうやって探し求めるというのだ?」
それから老いた僧は、ふたつの果実を見せて言った。
「君にこの果実をあげよう。この果実にはどちらにも魔法の力がある。一つ目の果実を食べると、君は幸せが何かを理解する。もし二つ目の果実を食べたら、君は幸せになる。だが、どちらかひとつしか食べることはできない。片方を食べると、もうひとつは消えてしまうからだ。そして、もし二つ目の果実を食べることにしたら、幸せがなんであるかを理解することはないだろう。さあ、君が決めるのだ。どちらを選ぶ?」
若者は少しためらってから言った。「私はまず、幸せがなにかを知りたい。それを知ることなしに、幸せをどうやって見つけられると言うのですか」。
僧は笑い出した。「君の探求がなぜこんなに長くかかったかわかったよ。いやいや、これからも幸せが見つかることはないだろう。幸せがなにかという知識を探すことは、幸せを手に入れることとは違うんだよ」。
●内側にあるものを外に追い求めるかぎり見つかることはないですね。ふたつの果実は、私たちの前にもあるようです。選択しているのは、いつも私たち自身・・・。
Facebook相田 公弘さん投稿記事「我は咲くなり」
他者評価と自己評価のお話しです。
他人にどう見られているか、他人からどう評価されているかは、いつも気になることです。
ほめられればうれしいし、けなされれば哀しい。
嫌われれば悲観し、好かれていれば心は安らかです。
尊敬されれば生きる勇気が与えられ、反対に軽蔑されたり、無視されれば、生きる自信まで失ってしまう。
それが人間なのです。
しかし、他人の評価とは別に、「自分」が存在することも忘れてはなりません。
他人の評価には、たしかに的確なものもあり、それに謙虚に耳を傾けることも重要です。
しかし、他人の評価がすべてではないことも知るべきです。
他人も不完全な人間だからです。
「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」 (武者小路実篤)
「幸せはあなたの心が決める」
渡辺和子 著
坂村真民さんの詩に、「咲くも無心散るも無心 花は嘆かず 今を生きる」というものがあります。
坂本龍馬さんは、「世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る」と言いました。
他人の評価は大事です。しかし、それに囚われすぎて自信をなくしてはいけません。
あなたという存在は、この世でたったひとりのあなたなのです。
代わりはいません。他人の評価に振りまわされて、自分の花を、精一杯咲かすことを忘れてはなりません。我は咲くなり! ※魂が震える話より
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