生命の樹

Facebook清水 友邦さん投稿記事 ·

世界樹・生命の樹は復活と再生、永遠の生命、豊饒の象徴として世界中の民族の神話にあらわれます。

ユダヤ神秘主義のカバラで生命の樹はセフィロトと呼ばれています。

カバラによると万物が生成したのは「神は神を見ようとした」からだと言います。

生命の樹セフィロトは宇宙と万物の創造を象徴として図で表しています。

カバラの神はアインと呼ばれます。なにもないという意味です。神は物質世界を超えているからです。アイン・ソフは限りがないという意味です。

神はあらゆるところに存在しています。有ると無いを含めた全体が神です。

世界はアイン・ソフ(無限)から誕生し、魂はアイン・ソフ・オウル(無限の光)の中でアイン・ソフ(無限)に帰還します。

つまり魂は生命の樹から誕生し再び生命の樹に帰還するのです。

聖書の神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、エデンの園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせました。

人間が善悪を知る知恵の木の実を食べると神は生命の木の実も食べることを嫌い楽園から追放しました。

キリスト教以前の古代世界で生命の樹は知恵の木でもあり偉大な女神の象徴でした。

男性原理の時代になると、永遠の命をもたらす生命の樹は伐採され女神は抹殺されました。

古事記のイザナギとイザナミは天御柱を回って婚姻し国を生みました。

シャーマンを表す巫という漢字は、上が天を、下が大地を縦線は天と地を繋ぐ生命樹を表しています。

その生命樹の両側に舞踊る人を置いています。

生命樹を中心に舞踊ることによって、シャーマンに神や精霊が宿ることを象徴してます 。

北欧神話で混沌とした世界に天と地を結ぶ一本の巨木ユグドラシルが生まれます。

枝葉は全世界を覆いつくして上は北極星まで垂直に伸びて天まで達します。

その根は神々が住む地下の冥界、人類共通の祖先の世界まで繋がっています。

この一本の巨木から、あらゆる生命が生まれて世界に秩序と安定がもたらされました。

物質世界ではあらゆるものが生まれては死んでゆきます。

世界樹・生命の樹は朽ちることなく永遠にそびえる不滅の存在です。

すべての生命は世界樹・生命の樹と繋がり影響を受けています。

岩石、巨木、川や泉や滝、山々は神の依代であり、古代は自然界そのものが神でした。

巨木には神が宿るので、みだりに木を切ったりすることは禁じられていました。

しかし、お金の時代になると神は自然界の森から姿を消しました。

神のいない土地は売り渡され、原生林の巨木は切られてしまいました。

8,000年前の森林は地表の62%を覆っていました。

森林破壊が延々と止まることなく続き、2000年には30%に半減してしまいました。

残された森林も本来の植生の70%が失われています。

森林をガイアの肺とすると、すでに肺の半分以上が失われ残りの肺も7割は正常な状態ではないという事になります。

世界中でさまざまな生きものが急激なスピードで絶滅しています。

生態系のバランスが崩れてきています。

1850年以降、世界の平均気温は上昇しています。

ガイアはバランスを回復しようと気象変動という症状を出しています。

症状が進むとますます巨大ハリケーンや台風、熱波がひどくなるでしょう。

ギリシャ文明の消滅と森の消滅はほぼ正比例しています。

世界各地の文明は森が消えたために衰え、滅んで行きました。

人間も生きている地球と言う網の結び目の一つです。

すべての生き物はそれから離れる事は出来ません。

人間は独立した存在ではなく自然に依存している一部にしか過ぎません。

「白人はいのちの輪を見失っている」と先住民は語ります。

環境と生命全体が自分であることを私たちは忘却しています。


「すべてのものに生命が宿る」という考え方をアニミズムといいます。

縄文はこのアニミズム、精霊信仰をもっていました。

貝塚は貝殻を捨てた縄文人のゴミ捨て場と思われていました。

日本列島は酸性土壌なので骨や木などの有機質は分解してしまうので残りませんが、貝塚は貝殻の持つカルシウム分により酸性土壌が中和されるので

貝殻や獣や魚の骨などの食料のほか、破損した土器や石器、骨角器などの道具類などが大量に出土しています。

縄文人はあらゆるものに霊が宿ると考えていました。

宇宙は円環になっていて、その輪の中で生死は循環しています。

モノノケとはモノとケが合体した言葉です。

古代の人々はモノを単なる物質的存在ではなく、霊的な存在として捉えていました。

ケとキは異語同義語で、中国でキ(気)は潜象エネルギーを表しています。

北海道の北黄金貝塚からは、ポリオ(小児マヒ)に感染して歩行できなかった推定18歳の女性の人骨が見つかっています。

水場には1200点以上に上る「破壊された石器」が敷き詰められていました。

貝塚は単なるごみ捨て場ではなく死と再生の儀礼をする神聖な場所でした。

人間も動物だけでなく道具も全て死ぬと霊となってあの世に帰って行きます。

そして魂を無事にあの世に送るために祈りの儀式をしました。

そうして、再生してこの世に戻ってくるのです。

動物、植物、鉱物、すべての生き物は精霊が宿っている兄弟姉妹であり、人間は命のネットワークの結ぶ目の一部にしか過ぎないとかんがえていました。

食べ物は精霊から分け与えられた物なので感謝して、儀式をしてお返ししなければならなかったのです。

住まいと集落は区切られていない円環構造をしていました。

生と死は円環構造をしており死は精霊の世界に帰るだけであり、すべての先祖の魂はそこから女性の胎内に宿り再び生まれてきます。村の真ん中に墓地を作り、神聖な墓地を中心に家が建てられていました。

縄文以降は男性原理が強く働くようになり、身分の上下が生まれ、支配者があらわれます。

支配者の祖霊を上位にランクがつけられました。

土地は私有財産となり、良い水田、資源がある土地をめぐり争うようになりました。

あらゆるものに差異を設け、自分と異なる障害者は要らないと殺すようになりました。

家は仕切られ堀と塀に囲まれ家には鍵がかけられるようになりました。

村の中心にあった墓地は、村のはずれにもうけられました。

現代になると先祖を敬う気持ちがなくなり遺骨の受け取りを拒否する人が増えています。

神話的思考をしなくなり、人間は自然界の頂点に立つ上位の存在なので森林は根こそぎ伐採して、自然環境を破壊して、植物も動物も絶滅しても良いと考えるようになったのです。

縄文以後も日本人は木の根元にお神酒を注いで山の神の許しを得てから、木を切っていました。

日本人の心には縄文の「すべてのものに生命が宿る」という考えが受け継がれています。

それを思い出してもらいたいと思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000