「不可能性の文学」の大いなる可能性

https://note.com/muratatu/n/n9e25861e713f 【「不可能性の文学」の大いなる可能性 ――高野ムツオ句集の軌跡から】より

武良竜彦(むらたつひこ)

1  句集『陽炎の家』の時代 一九八七年刊

陽炎の家  高野ムツオ

 二○一四年二月、高野ムツオの句集『萬の翅』が第65回読売文学賞を受賞した。(五月には蛇笏賞に決定した)下記はこの賞の選者代表、高橋睦郎氏の選評である。

 三・一一大災という新千年紀の大事件に真に対応しえたのは、ことを詩歌に限っていえば、詩でも短歌でもなく俳句ではないだろうか。理由は五七五なる窮極最短の定型が含み込まざるをえなかった沈黙の量にあろう。その沈黙のみが大災の深刻によく応ええたということだろう。なかんずく直接の被災地である東北地方の俳句作家たちの仕事が注目を集めたのは言うまでもない。その決定版ともいえるのが、昨年十一月に満を持して出た高野ムツオ句集『萬の翅』だ。収めるは平成十四年から二十四年春まで足かけ十一年間の四百九十六句。この編集によりみちのくという受苦の地の、しかしとりあえず平穏な時間の流れの中で突然噴出した大災の衝撃が、透明な説得力をもって迫ってくる。

 そして次が高野ムツオの受賞の言葉だ。

何も言えないからこそ言えることがあるという、俳句の逆接的かつ不思議な力に、ほんの少しだが触れることができた気がしていた。それはいくら語っても語り尽くすことができない東日本大震災という未曾有の出来事が教えてくれたことなのかもしれない。

 高橋睦郎氏の言葉と高野ムツオの言葉は、高野ムツオ俳句の方法論的本質を言い表していて、深い次元でみごとに響きあっている。

ひと言ことで言えば、俳句を「不可能性の文学」と捉える視座である。それは高野ムツオの出発となった処女句集に、「不可能性の文学」に挑むという明確な方法意識としてすでにあった。

 処女句集『陽炎の家』巻頭「少年記」の中の次の句は、そのことを象徴している。

  泥酔われら山脈に似る山脈となれず

 この「なれず」とは何か。この物理的、社会的な生のなかに訳もなく「投げ込まれる」ようにして始まるわたしたちの、哲学用語でいうところの「存在の被投性」の只中で、生の困難に直面したとき、その困難を受け止めて、それでも生きてあり続けようと意思すること。その意思表明としての言語表現行為が、「不可能性の中に意思を置く」という姿勢である。奇しくもそのことと、俳句という極めて語数の限られた、「何も言えないからこそ言えることがある」という「不可能性の文学」を、敢えて選び取ったという意思が重なり合って、彼の出発点に存在した。

 当時は高度経済成長の只中である。社会は急速に私たちの生を希薄化する方向へ雪崩れ込んでいる最中だった。そんな社会風潮に抗い、「不可能性の中に意思を置く」という表現の方法によって、生きる証を言葉で構築しようとしていた。

  触覚欲しくて揺れる棒状の他人

  産卵できぬ人体密となり溶ける

  晩夏少年抱けば甲虫の皮膚感

 この句集は昆虫や両生類の皮膚感覚を喩とする生の手応えを刻む俳句に満ちている。

 「少年期」が過ぎて、続く「奥羽残花」では、手法は同じだが、より精神的な深みを増した別の方法、他者からの照り返しに応える形で、抗するべきであった社会への接点が模索されている。

  闇の花菜目をみひらきて産月へ

  わが雪国家の暗部はみな目玉

  地の骨か銀河明かりに畑みえ

  しののめの莫大な黙に吾子を置く

 かつて、他者と世界は「棒状」にゆれるのみに過ぎなかったが、その接点模索の結果、他者と世界が全く新しい姿で、高野ムツオの前に立ち現れはじめた。あるときは家の暗部に潜んで、彼をじっと見つめる「目玉」として、あるときは銀河明かりの下に剥き出しなった「地の骨」のように。そして表現者は「しののめの莫大な黙」の中に、自分の分身でもある「吾子」を置くように、己の在処を確かめつつ、その意思を置き直す。

  奥羽残花わが生加速しつつあり

  冬日くまなし便器は死後のつややかさ

「わが生」が「加速」すると感じるのは、そこに自分を相対化する確かな他者の目があるからだ。死はわれを相対化して止まない他者との関係の位相として、「現実的」にわれの前に立ち現れる。他者の「くまなき」照り返しの中で「つややかに」磨きこまれた便器の輝きのように、死が日常的に意識の中に取り込まれる。近しい他者の死は「不在」として自分の魂に刻まれるが、自分の死は「不在」ではなく「無」である。自分と他者との、そんな絶望的な不連続が、自分を他者に強力に結びつける力として作用する。こうして「つややかな」目眩のように、「私」は死と他者を通して、この世界に繋ぎとめられる。

 続く「黄は急流」では、生の証のように色彩と音響と時間が流れ始める。

  夜は聾するほどに硝子戸に春の魂

  陽炎の中わあわあとわれの家

 この「聾するほど」の大音響を含みこむ春の魂の佇まい。自我の延長としての家族の音響と色彩と時間が急流を作りだす。

続く「額に冬日」では、作者はもう一度、自分の精神の内奥を自省し始める。

  ゴムの木瞑想白鳥は去り人は歩き

  電車ごうごう白鳥は行方不明なり

  白鳥の貌の男が霧の家

 高野ムツオ俳句に特徴的な昆虫類の触覚的表現は、表面的な現実感覚と皮相的で軽薄な現実社会を支配している貧困な言語状況を拒絶するための武器であったように、「白鳥」などの鳥類は、広大な無意識の世界の象徴であり、俳句を作り続けて生きてゆこうと意思した彼の魂の自由の象徴であった。自分の魂の自由の象徴である白鳥を、広大な無意識の世界に向けて飛び立たせながら、生身の彼は観葉植物が眠りこけているような職場という現実の縁を歩いてゆくのだ。他者によって現実世界に繋ぎとめられた身体性を自覚しつつ、その狭間にあるという自覚があってこその、自分の精神の内奥への探求である。それは「不可能性」の中に意思を置いて、生きる証である言語表現の可能性を探求することと同義である。

  暗夜桃枝わが脊椎として眠る

  昼の虫眠ればわれも白骨化

  額に冬日水藻を我と思うとき

 ここが処女句集『陽炎の家』がたどり着いた場所だった。

2 第二句集『鳥柱』の時代 一九九三年刊

鳥柱 高野ムツオ

 そして第二句集『鳥柱』でも、昆虫類の複眼的触覚的な感覚に仮託する句法は健在だ。

  モンシロチョウ飛ぶ水際が死後の景

  わが幼年白蛾の翅に覆われぬ

  薄氷のみな羽化したる土手に立つ

 ここに描きだされた幻想的な風景はある種の難解さを帯びる。幻視的表現は、現実と一対一対応から出発して、記号として普遍性を獲得する過程を経て生まれた言語の属性を拒否する。一般的な言語行為の伝達回路は遮断される。そうすることで、言語を自分という個別的な実存の、思惟そのものを造形する道具としてのみ使用しようとするゆえの難解さである。大量消費社会の受動的な思考の定着と硬直化により、生のダイナミズムが失われ、精神は幼児化し、思惟的言語が痩せ細り、社会全体がそのような存在の希薄化へと突き進んでいる状況の中で、自分という個別的な実存の姿を描きだすことが、表現者として最も大切なことだという認識ゆえに、そのような表現の方法論が導きだされた。

 この句集でも、幻視世界の扉を開く「白鳥」というキーワードは健在である。高野ムツオの魂は、白鳥に象徴される広大な無意識世界と密かに「交信」を続けている。

  白鳥交信している日暮電柱は

  白鳥寄る裸体を拭う寂しさに

  雪の夜の画集展けば鳥柱

 そして「われ」と世界の関係性の修復後獲得した瞑想的で穏やかな境地も深みを増している。

  冬もっとも精神的な牛蒡食う

  みどりの夜子一本の眠れる矢

 かつて精神性というものは「われ」の中にしかなかったが、妻がいて子がいて、その中に「われ」を置き直すことで、自分の外側にあるものの精神性を手中にする、そうすることで初めて詠めた句である。その後、当然のように作者の魂は生存の場を意識し始める。場とはその中に時間を蓄積するものだ。

 

  陸奥の国襤褸の中に星座組み

だが、一度でも故郷を出たことのある者が、そのまま現実の風土の中に還ることができるというのは迷信である。帰還した肉体を故郷は包囲するが、彼に刻印された異邦人的視座は消すことはできない。

 この分裂した自我を表現者はどうするのか。分裂した自我の再統合をしようと、表現者は幻想の陸奥を虚構する。自分の実存のリアリティを求めて、言葉の自在さを武器として、自分の精神をこの虚構世界に解き放つ。そのことによってのみ、幻想の陸奥は現実の陸奥より陸奥らしい自立した言語表現空間として彼の前に広がり、彼の豊かな無意識世界と拮抗した自己表現の俳句が成立する。

3 俳句とは何かという問い

 高野ムツオの師系は二系統あり、一つは金子兜太その上は人間探求派の加藤楸邨、そしてもう一つは佐藤鬼房その上は新興俳句の雄、西東三鬼である。もっと遡れば俳句の歴史の出発点である子規にまで辿りつく。

 子規が新聞「日本」連載「芭蕉雑談(或問)」(明治二十六年十二月二十二日)において「発句は文学なり、連俳は文学にあらず」と断定し、連句でなく俳句のみを作ったこと、俳句を個人の感情の表現としたこと、俳句に写生という方法を導入したこと、の三点をもって「俳句」は出発したとされる。

 当初は「近来書生流ともいふべき無作法の俳句」「言語同断の浪藉高下駄をはきて畳の上を行くやうなる始末」(尾崎紅葉「革命の句作」『太陽』明治三十年十月)というような悪評を蒙りながらの出発だった。

 そしてそれを継承した虚子の客観写生俳句と碧梧桐の新傾向俳句の対立があるが、これは俳句活動としての対立で、内容的な対立というには矛盾を含んでいた。虚子はもともと主観的な俳句を称賛していて「進むべき俳句の道」では、主観を鍛えるものとしての客観の重要さを指摘していたし、写生などにかかわりなく偉大な俳人は生まれてくるものであり、「写生の必要を説くのは偉人ならざる俳人のためだ」と述べていたという(「写生の二字」大正十一年)。そして都市型俳人たちである京大三高俳句会の草城、誓子、東大俳句会の秋桜子、素十、青邨(誓子は双方に参加)が現れ、後の社会性俳句に繋がる新興俳句へと続く。そんな「現代俳句」の歴史についてはここでは割愛する。

 高野ムツオ以降の世代は、過去、展開されたこれらの表現法の違い等を巡る「対立」を、師たちほど切実なものと感じにくい世代である。大括りにすれば、不可能性の文学である俳句の可能性を広げてゆくための、それぞれに俳句世界を豊かにする方法論として受け止める。そして日本の詩歌の歴史的厚みと、その表現方法の多様性おいて、先行世代の対立を超えてゆこうとする意思を持つ。

 それは以下の高野自身の「俳句論」から明確に伺えることである。

 一九九五年『俳句研究』五月号に、「二人の敏雄―三橋敏雄論」を書いたとき、敏雄の方法論について書き、高野ムツオ自身の俳句に対する考え方を次のように述べている。

 俳句という詩形が日常的な一場面を切り取って見せ、その場面における一過性の詩的感懐のみを、主題とするものではないことは自明のことだが、そうならないがために美の共同観念を、一句のなかに措定しようとしたのが季語なのだ。季語に仮託された時間意識がもたらす美の共同観念が一句を安定性へと導くのである。と同時に、季節という美意識に秩序立てられた虚の空間に作り手のポエジー自体さえ取りこんでしまうのだ。季語はそういう意味で両刃の剣なのである。(略)季語を基盤とした伝統的美意識をも、人間の現実の表現として参画させることにあった。

 有季定型俳句という、それに取り組む方法によっては、不可能性に満ちた表現形式の中に、自らの意思を置きなおし、可能性の扉を開こうとする決意が伺える。

 一九九七年『俳壇』三月号に書かれた「俳句形式のダイナミズム論序説」では次のように述べている。

「感動は、俳句形式とともに現れ、ときには俳句形式そのものに拒絶される。その絶え間ない運動にこそ俳句形式の存在意義がある」

「固有性は少なくとも私自身にあっては、俳句定型によって生れると同時に、書き手の表現に向かう意志との狭間で生み出されるものだからである。その狭間が定型のきしみを生み、きしむことによって定型はより確たるものとなる。きしむことなく早々と俳句定型と出会ってしまった場合(そして、実際は、こちらの方の場合がはるかに数多いのだが)は、作者の固有性を胚胎しているとは言い難いのである」

「俳句形式は、その表現形式として不完全性、不安定性を詩的契機とすることで共同性を手に入れ、それゆえ、すぐれて完成された詩の形式になった」

「私たちが俳句を作るということは、五・七・五という音数律を契機として、今までになかった言葉と言葉の新しい関係を構築することで、いわばもう一人の自分と立ち合おうとする、まさにそこに求められるのだ」

 二○○三年『俳句』四月号では、表現行為論としての俳句の創作理論について、次のように記述している。(「沈黙の力ほか」)

「俳句定型の強みとは、沈黙に向かう言葉を創出するところにある」

「現実的な意味付けを拒絶し」

「そのまま読む者の心の奥に入り込む」

「すべて沈黙してしまう世界の創出」その

沈黙性故に「言葉はその不安定性ゆえに、

意味求めてさまよいだす」

「己れの行く末を凝視している作者を発見する」

「俳句の言葉は、物を客観的に描いているようでも、円環して、ついには自己に戻ってくる」

「かくて俳句定型における言葉は、その言葉全体のまま作者と重なり合う」

 俳句とは何かを問い、それに答えようとするとき、高野ムツオは作者の魂の営為の現場に常に立ち戻って、「作品行為論」として論じている。

 戦後民主主義教育の第一期生を自称される宇多喜代子氏の次のような言葉に、戦後民主主義教育の後輩世代である高野ムツオの方法論は、真っすぐ繋がっている。

 願うことは、俳句を俳句として伝えてほしいということである。(略)いい加減な付加価値で俳句を俳句以外のものにしないでほしい。(略)どうぞ健全であってほしいという思いとは、俳句が俳句のままであってほしいという願いであろうか。二十一世紀がいかなる時代になろうとも、正岡子規の病状六尺の天地に発した俳句という小さな詩が、いかに多くの可能性を模索し、いかに多くの人々に哀惜されたかという事跡は残るのである。その末席につながる二十世紀人たるわれら旧俳人としては、以て瞑すべしであろう。

(「二十一世紀の俳句の姿―「われら以て瞑すべし」『現代俳句』現代俳句協会五十周年記念特大号より 平成九年七月)

 

 俳句を俳句のままに、という宇多氏の言葉は、つまり、俳句を外付けの意味ではなく、俳句という短詩形文学が持つ可能性と不可能性の機能のまま語り、作るということだ。引用した高野ムツオの俳句論が、まさにその地平で語られていることは明らかである。ここからさらに高野ムツオは、現代俳句青年期の分裂した自我の再統一を志向しているように見える。それが自分たち世代に課せられた責務であるかのように。それは彼が陸奥の風土の前で分裂した現代人として自我の、再統一と再構築を志したことと無関係ではない。

4 第三句集『雲雀の血』の時代 一九九八年刊

雲雀の血 高野ムツオ

 句集の帯に次の言葉が掲げられている。

俳句は人間の原初感覚を蘇生できるダイ

ナミックな言葉の形式である

 「原初感覚を蘇生できる」という言葉から、私たちはその感覚を失いつつあるという危機感がくみ取れる。その「原初感覚」を体現する代表句は次の句だろう。

  女体より出でて真葛原に立つ

 誕生という原初感覚。「真葛原」という爽快な空間感覚。生きて在る実感がリセットされるような爽快感のある俳句である。

  天地はもともと一つ牡蠣料理

 古代文明社会の人類は持っていたのではないかと思わせる自他一体感、自然との一体感、呪術的生命世界感。

  子の喉の火柱見える秋の暮

  青空の深きところが雲雀の血

  みしみしとみしみしと夜の万緑

  白鳥や空には空の深轍

 二十世紀最大の思想書、レヴィ=ストロースが著した『野生の思考』が、私たちに衝撃を与えたのは、新石器時代までに獲得されていた文明と、現代文明とが決定的に違う「思考」であることを明らかにした点だった。石器という手の延長である道具から始まり、更に土器の製造、布を織る技術、農耕技術、動物の家畜化を主体とした文明は、高度に発展した現代の文明から見れば、ただの未開な段階の一つと認識されていた。しかし、レヴィ=ストロースは、その時代の濃厚な「野生の思考」の存在を描き出すことで、現代文明が失ったものを逆照射したのであった。つまり「野生の思考」とは人間の身体作業という直接性と、天地のあらゆる現象に対する直感的把握が、分断されることなく統一的に感受されていた感覚、そして生き方そのものである。高度に発達してしまった文明社会の中の身体と精神はそれを喪失している。

 高野ムツオはその「原初感覚」の生命力溢れる力を、言語芸術である現代俳句の中で復活させようとした。人間の身体という直接性と、天地のあらゆる現象に対する直感的把握を統合することによって。現代文明のあらゆる束縛から心身を解放して、生き生きとした生命力精神力を取り戻すために。

5 第四句集『蟲の王』の時代 二〇○三年刊

蟲の王 高野ムツオ

 第四句集は精神的にも技法的にも、高野ムツオ俳句世界の集大成である。

① 幻視の手法とその進化

世に横溢する皮相な現実把握を拒否するために、幻視的手法で深い認識の底から言葉を立ち上げる作句法。

 月光の高まりである意志の斧

 星雲の匂いなりけり春の土

 一億年ぽっちの孤独春の雨

② 無意識の世界の開拓

現実社会の貧相な言語状況と想像力を撃つために、広大な無意識世界の豊穣さの造形を以てする作句法。「白鳥」などの鳥類をキーワードとした句に顕著である。

 凶暴性溺愛の声夜の白鳥

 尾にこもる魂のあり夏の月

 いくたびも虹を吐いては山眠る

 わたしたちの無意識の豊穣さの由来は「億年」単位の過去の記憶の分厚さによるものだ。現代社会の言語表現の薄っぺらさは過去を喪失しているからに他ならない。現実の街ではことばはすぐ揮発するが、無意識の層に刻み込まれることばは不朽である。

③ 触覚的・複眼的視座による現実の相対化

 そして「昆虫」「魚」「蛇」などをキーワードとした触覚的、複眼的な、視点に寄り添った感覚によって、現実社会の一面的な価値観を強要する共同体的圧力を無価値化してしまうような、独特な感覚の作句法。

  金蠅が来て夕焼の話する

  卵より出る寂しさや冬の虹

  空気にも絶壁がありなめくじり

  洪水の光に生れぬ蠅の王

 人間中心の世界観に疑念を差し挟む感性は、かすかな命の気配にすら意識を向ける。

④ 幻視に強固なリアリティを確立する

幻視の句法が転生変異した変奏曲として、さらにリアリティと豊かさをました句法。

  霧の部屋に眠るや霧を言葉とし

  闇に始まり闇に終りぬ聖夜劇

  めつむれば見えてくるもの冬怒涛

 現実に安易に還元してしまえない言語芸術世界を拓くこと。現実を契機とするがそれに依存しないこと。造形俳句の極地とも言うべき句法である。たとえば「霧の部屋」の句は現実的な背景を持ち出すことはできるが、「非在」としての「霧の部屋」と「霧の言葉」の只中に、自分自身の眠りという「不在」を投げ込んだと解するとき真価を発揮する。何ものにも拠りかからず詠う、自立する言語芸術世界への「意思」そのものである。

 この方法はとても危険な陥穽と隣り合わせである。現実に依存しない純粋な思惟の世界の造形作業は、逆に言えば現実への回帰回路を自分で遮断することになり、言語表現としてはその句だけで完結する遊戯に陥る危険性がある。その罠に陥らないためには、その言語幻想の中に、現実よりさらに強靭なリアリティを持つ言語表現を創造できているかどうかが問われる。高野ムツオ俳句が、その陥穽に陥らずに済んだのは、これまで触れてきた①から④までの方法論を「原初感覚」で統合し、もう一つの「野生の思考」によって、言葉が痩せ細ることを防ぎ、幻視的幻想言語世界であるにもかかわらず、身体的な感覚と連動する世界を創造し、言語遊戯に堕さない努力をしたからだ。

 高野ムツオの師、佐藤鬼房の同世代の「社会性俳句」派の俳人たちが、経済的繁栄という時代風潮の中で、自分の拠って立つ場を喪失していったとき、佐藤鬼房が身体的苦難と東北の風土的苦難という精神的な場を創造してその危機を乗り越えたように、高野ムツオは虚構の身体性、幻視の精神性を仮構することで、自分の俳句言語が現実性から乖離して希薄になってしまう危機を乗り越えた。原初的感覚の中に、心身を統合する野生の思考、彼我、性差、生死、時空すべてが確かな実存の手応えを持って統合される俳句世界を開拓したのである。

6 第五句集『萬の翅』の時代 二〇一三年刊

萬の翅 高野ムツオ

 この句集は中間時点のアンソロジー『高野ムツオ集』で、題名も含めてすでに刊行が予告されていた。だがその刊行は遅れた。

高野ムツオ集

 この句集の時代が始まったのは、平成十四(二〇○二) 年だが、その年の一月に師である佐藤鬼房が他界している。その結社の継承、師の業績の集成、自分の二度にわたる癌疾との闘い、そして東日本大震災での被災という激動の波が、彼の人生と句業を襲い、予告されたこの句集刊行は遅れた。ともあれ、その壮絶な体験が、より一層、高野ムツオの方法論と作品の真価を世に認識させることになったことは、逆に幸いであったと言える。

 震災直後、その筆舌に尽くし難い過酷な体験に、俳句を作れなくなる人が増えるか、作り得たとしても、心情を直接的に吐露するような俳句が世に溢れ、俳句言語が混乱し劣化するのではないか、という危惧の念を抱いた者もあるだろう。確かに一部にはその方向に流れた俳句も多数見かけた。

 その中で救いだったのが、被災者である高野ムツオが自らの句法を崩すことなく、俳句ならではの手法で詠ってくれたことだ。その年の俳句年鑑のアンケートでも、高野ムツオの俳句が、最も多数の俳人たちに支持されている。

 なぜそんなことが可能だったのか。

 その理由の論述を試みたのが、本稿の目的の一つでもあった。すなわち、「不可能性」の中に意思を置き、現実に依存しない自立した創造的俳句表現で、今ここに息づく命の手応えを詠い続けたからであると言えよう。その集大成がこの句集『萬の翅』である。

 この句集の評として、震災俳句ばかりがクローズアップされて語られがちだが、震災体験によって生み出された俳句だけが優れているわけではない。たとえば震災前に詠まれた俳句をここに揚げてみる。

  光れるはたましいのみぞ黴の家

  裸木となる太陽と話すため

  人の世のうしろ狗尾草揺れる

  芽吹くとは血を吹くことか陸奥は

  明日のため冬夕焼を輸血せり

  残り時間酸葉の花と思うべし

  万の翅見えてくるなり虫の闇

  たましいが匂う万象枯れてより

 震災体験以前の俳句だが、まるで震災が予知されているような俳句に感じられないだろうか。高野ムツオ俳句は現実に依存しないが、抜き差しならぬ命の手応え、感触に満ちている。そうであるが故に、読者はここに震災の予感を感受してしまうのだ。

 次の句は咽頭癌の手術を体験した後の句である。

  喉切られゆくなり飛燕思いつつ

  細胞がまず生きんとす緑の夜

  一呼吸ごと一宇宙夏の雨

 現実の体験を契機にはしても、主題がそのことに依存していない。それを突き抜けて命の手触りを鷲掴みにする迫力がある。その独自の作句法が確立している俳人にとって、震災体験を経ても、ただの機会句で終わらせない精神的ボルテージが維持され得たのだ。

 最後に震災体験後の俳句を引用しよう。

  四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と

  膨れ這い捲れ攫えり大津波

  車にも仰臥という死春の月

  泥かぶるたびに角組み光る蘆

  瓦礫みな人間のもの犬ふぐり

  鬼哭とは人が泣くこと夜の梅

  陽炎より手が出て握り飯掴む

  みちのくの今年の桜みな供花

  みちのくはもとより泥土桜満つ

  桜とは声上げる花津波以後

  日々新た死者も草芽もわが老いも

  夕焼の死後へと続く余震かな

  かりがねの空を支える首力

  死してなお雪を吸い込む鰯の眼

  初蝶やこの世は常に生まれたて

 他の震災体験者の俳句と、高野ムツオ俳句は何が違うのか。

 現実体験に基づく感慨の直接的な表現をした俳人が多い中で、高野ムツオ俳句は、震災という事象の総体を俳句によって、造形的、構成的に捉えようとしていることである。

 この句集には、震災の物理的把握があり、そのことが人間に齎す文明批評的視座があり、喪失に対する深い哀悼があり、祈りがあり、生があり死があり、過去があり、そして未来さえある。

 日常社会に溢れる伝達言語に依存せず、現実体験を突き抜け、自分自身の内側から立ち上がる個別的で存在論的な世界を、造形言語表現をもって切り拓く。

 ここには、そんな俳句という「不可能性の文学」の、大いなる可能性の確かな手応えがある。

 それが戦後世代の代表的存在である高野ムツオ俳句の到達点であり、その方向性が現代俳句の未来でもあると言えるだろう。       ―了

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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