トンボの眼鏡

「自分を制限する信じ込み」についてお話します。

例えば「跡取り息子」というステレオタイプは 日本の社会に未だ残っていますね。

そんな暗黙の価値観がある大家族の中で 子どもが与えられます。

一人目・女の子(女の子は育てやすいとされ、一姫二太郎など言われるわけですから 歓迎です。)

二人目の女の子(そこそこ受け取れるのが一般的です。 

然し3番目が男の子であった時周囲の愛と関心は 男児に傾き ストレスフルな子ども時代を過ごす傾向が強いです。

三人目の男の子(周囲の期待がかけられ 男の子イメージが 自己イメージとして植えこまれることが多いです。)

三人目の女の子(「男の子だったらよかったのに」 という呟きを聞いてしまうことが多いです。

性を否定されることは生を否定されること!

心理療法をしていると その人の痛みの源泉が 兄弟の布置にあることが多いのに氣付きます。

幼い時に 周囲の大人たちが言った何氣ない一言を受け取り自己イメージと変え 自分の一生を縛ることがあります。

和多志たちは関係存在ですから 文化の中で、グループの中で色々な評価を受けてしまいます。

その評価が外からのもの(外的抑圧と呼びます)と感じている場合は評価と自分が一つにはなっていませんが 外からの評価の一部が やがて自己イメージになってしまうのです。(内的抑圧と呼びます)

和多志たちは自己イメージのように生きていきます。

自己イメージを検証し 色眼鏡を外していく作業は素敵なことです。

昔、スリーインワンのワークショップで 全身のスタックポイントを見ました。

驚くことに正中線と関節の全てがスタックポイントでした。

それを省みて  和多志の口から出た言葉は「邪魔もの」でした。

母と兄を殺した デビルチャイルドという信じ込みを持っていたと氣づきました。

和多志は終戦直後(昭和20年)に受胎しました。食糧難の極致です。

何度も堕胎の刺激を受けました。それでも命が与えられました。

然し母は  和多志が1歳になる前に、 和多志をおんぶしたまま、栄養失調で倒れてなくなりました。

和多志には同じ母から生まれた光義という名の兄がいました。母が亡くなって この兄が 和多志を愛してくれました。

和多志が2歳の時 よちよち歩きで崖っぷちを歩いてしまったようです。 

三輪車で遊んでいた兄が心配して 三輪車ごと駆けつけ 崖から転落しました。

勿論入院し 院内感染で肺炎になり 亡くなりました。

この悲しい出来事故に「 和多志を愛した人を  和多志が殺した」と 信じ込んでしまったのです。

そんな自己イメージがあれば 愛される資格がないと思いますよね。

生きていて御免なさいの人生を歩むことになりました。小学低学年は生きる屍でした。

新しい母に愛されてはならない子どもであり続けました。

父さえ拒絶することをしました。レイプも引き付けました。女であることをどれだけ呪ったことか!!

それ故に 愛するものに自分の歪を手渡さないよう自分と向き合い、癒し続けました。

勿論多額のお金も使いました。

この痛みを原風景として描くとナイル河に流されるモーゼのイメージでした。

この原風景を箱庭で表現した時 河に流される幼子は 羽の取れた丸々と太った天使でした。

和多志がこの箱庭から得たメッセージは「デビルチャイルドという人生を自分の意志で選んで生まれた。生き切れるように 多くの力を神によって供えられた。」という 内容でした。

振り返ってみると 壁は人一倍(以上かも)ありましたが、「多くの恵みを得、社会からも人々からも信頼を得、生かされて来た」ことへの感謝を捧げずにはおれませんでした。

中学生時代 行きつく先が墓場なので 好きなことをしようと心に決め 満足できることを探し求めましたが 得られず、生きる意味を失ったニヒリストになってしまいました。

お金、地位、快楽 得ても仕方がないものでした。

もしそれを得ることを目的とすれば 得れば得るほど「もっと」を望み まるで「勝ち得たことが次の欲望への誘い水になる」かのように、飢えと渇きは身を焦がすほどになると思わずに

おれなく、それ以上に 求めたい氣力も湧きませんでした。

生きる意味を求め続けた思春期の問いは一旦棚上げすることで和多志は生き残りましたが 今ではそれは「自分が創造するもの」ということができます。

魂と一つになって意味を創造するために 力になるのが「カウンセリング・セラピー・ヒーリング」です。

意味の創造の為には 色眼鏡が拭い去られなければなりません。

心の浄化が必要だとも言えます。

和多志はそのために人生で得た財を注ぎこめる人を 幸せだと思います。

( 和多志は優の字が好きです。人が憂うと書いて優れている、優しいと読みます。)

そして 和多志が創造した意味とは「愛する者の幸せ」でした。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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