Facebook清水 友邦さん投稿記事 「日本のシャーマニズム」
日本三大霊場の一つが、高野山、比叡山と並ぶ下北半島の恐山です。
恐山はイタコが有名ですが、恐山にイタコが住んでいるのではなく、恐山の大祭(7月20日 ~ 7月24日)の時だけイタコが各地から集まって来ます。
イタコはかつて東北の各地に住んでいました。
最も古い日本の宗教の形態はと問えば仏教でも神道でもなく、それはシャーマニズムです。
シャーマニズムはおそらく数十万年も遡ることができる人類最古の宗教的伝統です。
世界中の狩猟採集民族にはあらゆる事物には精霊が宿るというアニミズムの信仰がほぼ共通して見受けられます。そして霊的存在と交流する人々をシャーマンと呼びます。
エリアーデによるとシャーマンにはトランス状態になって肉体から抜け出して霊的存在と交流して帰還するエクスタシー(脱魂型)と霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション(憑依型)があります。
死者を口寄せするイタコはポゼッション憑依型です。
東北地方におけるシャーマンが誕生するプロセスには2つのタイプがありイタコ系とカミサマ系に分かれます。
カミサマ系はある日、突発的に神懸かり、シャーマンの病とよばれる変容をへて、祈祷師としてデビューします。信者を持つ新興宗教の教祖タイプです。
南部地方(旧南部藩)では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれます。津軽ではゴミソと呼びカミサマ系は死者の口寄せをせず予言や託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行ないます。
天理教の中山みき、大本教の出口なお、霊友会の小谷みき、天照皇大神宮教の北村サヨなど神がかった女性達によって様々な新興宗教が幕末から明治以降に立ち上がりました。
イタコ系はほとんどが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして一定期間修行して、死んだ人の霊をおろさせる口寄せの技術を学んで自立します。
イタコの口寄せには決まりがあって「肉体を去ってから百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にしました。百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだと説明されていました。
しかし厳格に定められていたこの決まりも、時代が下がるにつれて守られなくなり、決まりをまらないで霊を降ろすイタコが多くなってしまいました。
明治以前の仏おろしは一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に1~2回が精一杯だったと言われています。
恐山の大祭はあまりにも有名になったために、商売目当てにイタコのほかにカミサマやゴミソも参加するようになりました。短時間で現金収入が得られるので、口寄せの時間も2~3分と短くなり、本来の地元のイタコによる死者の巫儀の意義はすたれて、観光客相手に簡単な口寄せで済ましてしまうお粗末なものになってしまったのです。
イタコは一般にインチキだと思われていますがイタコにもピンからキリまであり、よく当たると評判がたつイタコには長蛇の列ができました。
40年前に最も評判が高かったのは今では伝説となったイタコ「間山タカ」でした。
江戸時代の青森県の右側は南部藩で、左側は津軽藩に分かれていました。昭和10年頃から始った恐山のイタコの人数は最盛期80人もいたが昭和29年には50人、昭和40年に31人になり、平成になると10人以下になってしまいました。
以前は盛んだったイタコの市も最近では恐山の他に津軽の川倉地蔵堂と南部の法運寺の三カ所だけになっています。
イタコもよる年波には勝てず次々と他界しイタコの数は激減しました。
私が訪れたときの恐山の大祭のイタコは3人でした。
イタコは衰退の一路をたどり、イタコ組合も消滅し、今やイタコは風前の灯火です。
真性のシャーマニズムを期待して出かけても近年の恐山のほとけおろしは様式化された演技の口寄せしかみられなくなっていました。
恐山の口寄せパターンは次の通りです。
イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌います。
「あーいーやーあー」
「何がしらのご縁か、何の引き合わせか。
「今日は恐山に呼んでくれて、ありがだいことだ。」
「本当は死にたくなかった。」
「先に逝ってしまって申し訳ない」
「家族の健康を願っている。」
「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」
「某月某日、喜びあり。良いことがある。」
「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。」
「今日はおまえに会えて良かった。喜んで帰る。」
イタコは数珠をじゃらじゃら鳴らしながら津軽弁で話すので通訳が必要です。
イタコはかつては地元の人々との繋がりの中で部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていました。
口寄せには死口(しにくち)といって行方不明になった死者の霊を憑依させ「ワ(私)のからだはどこそこにある。」と遺体の場所を遺族に告げることもありました。
ほかに生口(いきくち)といって行方不明の生霊(いきりょう)を憑依させ居場所をつげることさえありました。
生口(いきくち)は最も辛く3時間も汗だくになりながら全国の神さん稲荷さんにお願いして四方八方手を尽くして探してから魂を抜きイタコの身体に寄せる、そうしてタコ部屋に監禁させられていた行方不明者をあてたイタコ(三浦かしの)もかつてはいたのです。
昔の東北は津々浦々までイタコが大勢いました。どの集落にもイタコがいたのです。
かつては生者と死者の境界が分たれてはおらず生と死は連続していました。
昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道はありませんでした。盲目の娘は特に霊能力がなくとも、まわりの勧めにより、しかたなく、イタコの師匠のもとに弟子入りしたのです。
入門は早いほど良いとされました。
7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESPも多数報告されています。そして7歳から14歳 ころまでの子ども達は暗示にかかりやすく、8歳から11歳がその頂点だといわれています。
子供は大人の様に世界と自我との境界がはっきりと確立されてはいません。
自我がまだ未発達の方がイタコの世界感を受け入れやすいのです。
師匠も弟子も盲目なので般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしでおぼえます。
様々な仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞をおぼえなくてはならず、おぼえが悪く10年もかかったイタコもいたといいます。
一人前のイタコになる仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれていました。
祭壇が祀られている行場で弟子に神懸かりが訪れるまで何回もおこなわれました。
食事は精進で塩断ち、穀断ちをして干し柿、干し栗、などの果実で餓えをしのぎます。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき、白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶりました。
神懸かりが起きるまで真言を唱えながら右回りにぐるぐると旋回しました。気合術師を呼んで気合のいをかけることもありました。
イタコの弟子は極度の疲労と緊張の中ではげしく身体を震わせてついに失神します。師匠はその時に「何がついたか?」と問いかけました。そうして答えた神仏の名がイタコの生涯の守護霊・守護神になったのです。
そして師匠数珠を譲り受けてイタコとして独立したのです。
イタコの数珠はイラタカ数珠と呼ばれています。普通の数珠と違い独特で珠は無患子(むくろじ)の実で子安貝、熊の爪、獣の牙と角が使われています。
イタコはこのイラタカ数珠をじゃらじゃらならしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来てもらうのです。
イタコの入魂儀礼の様式は時代と場所によって多様です。いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をしました。
寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させます。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じます。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴です。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しています。
正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続けました。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのです。
右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれています。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが知られています。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになります。
イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのです。
儀礼はスイッチが入るまで続きます。そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生しました。
イタコ系は人為的ですがカミサマ系の新興宗教の教祖達の特徴は人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれます。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのです。
そしてシャーマンの病と呼ばれる危機状態を通過します。以前の古い自我は崩壊し、目に見えない世界と交流しても日常生活を送れる新しい自我が再生されました。
霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になり、人が集まると新興宗教の教団ができあがりました。
古代日本のシャーマニズムは審判者(サニワ)と巫女によっておこなわれていました。
しかし、地方のそれぞれの神々が勝手に託宣していては統制がとれなくなります。そこで天皇を頂点とする国家体制がしかれると、中央に神の託宣を審議する役職がおかれるようになりました。神の序列がなされ、女性の地位は低下して儀式から遠ざけられるようになりました。
仏教が広まると神は仏の臣下となり、神託は仏教教団が管理する様になっていったのです。 江戸時代のイタコは仏教の管理下に置かれていました。
狩猟採集社会から農耕社会に変わり、 右脳から左脳優位になると神の声は聞こえなくなりました。
わずかに神々の声を聞く事が出来る者は予言者や神託者、巫女、占い師などの専門の職能者になりました。
時代が下がると神託者もいなくなり、残された言葉を解釈するだけになりシャーマニズムは形骸化していきました。
理性中心の近代合理主義が頭を占めるようになると人々は神話的思考をしなくなりました。
スピリットを見失うと、シャーマンをささえた共同体は崩壊して、シャーマンも姿を消してしまったのです。
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