Facebook能村 聡さん投稿記事【 宇 宙 の 法 則 】▶︎再連載中です。第六章 愛の法則です。
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第六章 愛の法則
次に、「愛の法則」をお話ししましょう。私たちの思念(想念)はエネルギーです。
よい思いを出すか、悪い思いを出すかで創造されるものが変化します。
愛の力とはこの創造エネルギーのことをいいます。
私たちは本来、神と同じ存在であり、創造者なのです。
愛とは宇宙エネルギー、「創造」のエネルギーのことです。
私たちは「愛」に対して、とても狭い価値観でしか、教えられていません。
ここで述べている愛は、日本語では、仏法の慈悲や慈愛や、イエスの説いたアガペーに近いです。
愛っていう言葉は(特に日本人はそうだけど)男女の間の愛(性愛エロース)を中心にしてしか、見えていない人もいらっしゃいます。
そして、その男女の“愛”の定義は、”束縛の愛”、”奪い合いの愛”、”獲得する愛”、”失う愛”・・・というものだと現実的には思われています。
そんなのは全く本当の”愛”からかけ離れているのに、それが男女の愛の姿だと刷り込まれています。
人間は愛を勘違いしがちです。こういう施し(行為)を相手にしたら、相手から何かいいことが返ってくるだろうという打算で、結果(見返り)を「求める」のは、「奪う」ことであり、これは本当の愛ではなく「エゴ」でしかありません。
奪う愛とは、すべてにおいて求めることです。
相手に求めること「〇〇して欲しい」と言う愛です。
愛して欲しい、褒めて欲しい、認めて欲しい・・・すべて「●●して欲しい」です。
この状態は、愛を渇望し、相手から愛を奪っていることになります。
愛を求めるものと勘違いしています。
本来の愛は見返りを一切求めず、ただただ「与える」ことです。母親が乳飲子に接している姿そのものだと言えます。
「宇宙の愛」とは何かは、太陽を見れば直感てきに分かると思います。
太陽は私達にエネルギーを与えた代わりに、お金を請求することはありません。
そして誰彼と差別すること無くすべての存在にエネルギーを与え続けています。
愛は与えれば与えるほど結果として自分に返ってきます。”与え愛”となります。
与え愛は、互恵にはなりますが、等価交換とは違いますし、与える物事の人間世界の論理で決まる経済的価値とは関係ありません。
この宇宙でもっとも力があるのは無条件の「愛」です。
さて、ここで敢えてちゃぶ台をひっくり返しますね。
「無条件、無償の愛を与えなさい」なんて、上から目線で洗脳や刷り込みをされた途端に、我慢して無理して、頑張って、“与える”愛に耽溺することに陥らないようにしてください。
これは宗教(すべての宗教宗派がそうではないですが・・)が、リターンは功徳だとか言って、神仏への愛とはお布施(寄進)だと言って、半ば強要する罠に嵌らぬように。
本物の神仏(宇宙創造意識)は物質的なものなど求めていません。
愛は自己犠牲でも我慢でもないのです。
愛すること、与えること自体が本来は“歓び”です。
だから、与える愛は、自分が幸せになることは大事で、自分だけが独り占めしないで、その幸せのおすそ分けでもいいのです。
ましてや、愛は“押し付け”ではないです。相手がいらないという物事を“与える”というお節介は、愛ではありません。
“あなたを愛してるから言っているのよ”というセリフは、親子の間や夫婦でよくありますね。これは相手の自由意志を奪っていることに気づく必要があります。
“与える”って思うから、傲慢やエゴが出てくるし、相手から何も返ってこないと、自分の愛が枯渇してしまう恐れを感じてしまうのでは?
自分の観点から相手を見るのじゃあなく、相手の観点から自分の愛をみてください。喜んで、“もらっていただける”“、受け取っていただける”相手がいればこそ、与える行為にも意味が生まれるのです。
つまり、「あなたがいてくれるから、私は愛という想いを感じることができたんだ」と、相手への感謝で、与える愛を捉えるのです。その時に愛という感情は、何にも増して素晴らしいという気持ちになれるのです。
そんな幸せな気持ちを、自分に「与えて」くれて本当にありがとうなんです。これが高次元の宇宙の愛です。
私たちは、この地球を現在支配している闇のカバール勢力に、すべての恐れや不安を捨て、愛と思いやりだけによって、彼らを包摂し、赦すことができます。この闇を抱き参らせるには愛が必要です。これは陰謀論ではなく真実です
三次元世界では、闇と光、善と悪、正邪、男と女、優劣、勝ち負けなど、「基準」をもうけて、どちらかをジャッジ(審判)する思考に支配された、いわゆる二元性(二極性)世界ですね。二元性思考への囚われこそが次元上昇を妨げる原因となります。
敵味方と分かれて、戦争では闘っていますが、この世界に敵などいません。敵と思っている人はあなたの魂の成長を助ける先生んあかもしれません。「汝の敵を愛せよ」とイエスは言っていますね。
三次元の世界で経験するすべてのことには学びとしての意味があります。
その学びをすべて必然と認め、受け入れて、次元上昇に備えてほしいと思います。
経験する全てのことが魂の成長には必要な要素であり栄養であり、そのような経験を経ることで「宇宙の愛」に近づけるのではないでしょうか?
https://kazumiyao.blog.ss-blog.jp/2018-02-25 【群れない】より
アオサギが悠然と池の中の岩に体を休めていました。シロサギもそうですが、サギは群れません。動物には常に群れる動物と、群れない動物があります。人間の場合は、群れる人と群れない人が居ります。私の場合は、マイペースでどちらかと言えば群れないほうかもしれませんね(笑)。
https://diamond.jp/articles/-/288638 【どうして人は、必要以上に群れたがるのか】より
孤独からはじめよう
他人と物理的・心理的な距離が広がり、「1億総孤独」といえる現代。他者に依存せず、「個」として自立するには、どうすればいいのでしょうか。寺田倉庫の経営改革などを果たし、NHK「SWITCHインタビュー達人達」でコシノジュンコ氏と対談、著書『ぜんぶ、すてれば』は4万部を超えるベストセラーとなった「77歳・伝説の経営者」、中野善壽氏は、「孤独を生きることで、自分の感性を信じ、磨き抜くことができる」と語ります。中野氏は孤児同然の幼少期を過ごし、孤独のなかを生きてきました。しかし、そこで自分の感性を磨き、「個」として自立していきます。社会に出てからは「孤独を武器」に、伊勢丹・鈴屋での新規事業展開や、台湾企業の経営者として数々の実績をあげてきたのです。本連載では、中野氏の新刊『孤独からはじめよう』に掲載されている「他人に依存せず、自立して、素の自分をさらけ出して生きる」51の人生哲学から抜粋。「一人で生きるのが当たり前の時代」に肩肘を貼らず、自分に期待し、颯爽と人生を楽しむ考え方を紹介します。
どうして人は群れたがるのか。
それは人間という生物が哺乳類の中でも非常に弱く、生きるために群れる必要があったという現実的背景によるものでしょう。
様々な能力を身につけ、文明の利器を手に入れるまで、人間は群れることで命をつないでいました。
他者と協力して獲物を狩り、井戸を掘り、農作物を収穫しなければ、生きることさえできなかったのです。
つまり、群れることは「生きるための知恵」だった。
だから、僕たちは本能的に孤独を不安に感じてしまうのです。
しかし今は、一人でも命足るだけの環境が十分に整う時代になりました。
コンビニやスーパーに行けば、いつでも一人分の胃袋を満たす食料にありつけますし、緊急時に頼れるインフラも張り巡らされています。
生命の安全を守るための群れは、太古の昔ほどには必要ないのです。
それでも、孤独を恐れ、必要以上に群れを求める心理は根強く残っています。
結果、学校や会社、国家に依存して、「集団に帰属する個人」としか自分を説明できない人が圧倒的に多いと思います。
新型コロナウイルスによって「出社しなくていい」と突然言われて戸惑い、本来は働き方を自由に解放するはずのリモートワークによって、調子を崩す人もいると聞きます。
集団の中で管理されることに慣れ過ぎてしまったがために、本来は持っていたはずの「個」を見失ってしまったのでしょう。
群れから離れ、孤独の中で「個」を磨く
孤独に不慣れなのは、本人が弱いせいではありません。
多くの社会が長らく、「管理」を前提とした社会システムを敷いてきたからです。
土地と戸籍を管理して、場に人を縛り付け、個人の移動を制約した近代の政策は、それによって戦乱を鎮めてきましたが、「自分の意思を持つよりも、お上に管理されるほうが楽に生きられる」という「考えない個人」を増やしました。
飼い慣らされることに抵抗を感じなくなってしまったのです。
その感覚は、戦後の高度経済成長期に強烈な成功体験となった大量生産型の工業社会にも受け継がれ、現代人の価値観のベースになっていると思われます。
しかし、これからの世界は、まったく違う価値観へ塗り替えられようとしています。
国境や情報の境目はどんどんなくなり、「個」としての力を問われる時代にすでに突入しています。
今、自分が何を感じ、何をしたいと思うのか。
敏感に心の声を聞き、感性を発揮していく。
そんな生き方、働き方が、これからのスタンダードになるはずです。
自分自身の輪郭を明確に縁取るためには、群れから離れ、孤独の中で「個」を磨く時間がもっと必要なのだと、早く気づくべきです。
(本原稿は、中野善壽著 『孤独からはじめよう』から一部抜粋・改変したものです)
中野善壽(なかの・よしひさ)
東方文化支援財団代表理事
寺田倉庫前代表取締役社長兼CEO
1944年生まれ。弘前高校、千葉商科大学卒業後、伊勢丹に入社。子会社のマミーナにて、社会人としてのスタートを切る。1973年、鈴屋に転社、海外事業にも深く携わる。1991年、退社後すぐに台湾に渡る。台湾では、力覇集団百貨店部門代表、遠東集団董事長特別顧問及び亜東百貨COOを歴任。2010年、寺田倉庫に入社、2011年、代表取締役社長兼CEOとなり、2013年から寺田倉庫が拠点とする天王洲アイルエリアをアートの力で独特の雰囲気、文化を感じる街に変身させた。2018年、日本の法人格としては初となるモンブラン国際文化賞の受賞を果たす。2015年12月、台湾の文化部国際政策諮問委員となる。2019年に寺田倉庫を退社。地域や国境を越えた信頼感の醸成をはかり、東方文化を極めたいという飛躍したビジョンを持つ東方文化支援財団を設立し、代表理事に就任。国内外のアーティスト支援を通して、地方再生やアジアの若手アーティストの支援などを行っている。2021年8月、ホテルニューアカオ(ACAO SPA & RESORT)代表取締役会長CEOに就任。著書に『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『孤独からはじめよう』(ダイヤモンド社)がある。
孤独を力に変え、前に進む術を。
現代は、孤独の力を見失いがちな時代です。
あまりにも情報が多く、顔の見えない他者の声が無数に聞こえては流れていき、内なる自らの声がかき消されてしまいます。
いつしか消耗し、虚しさを持て余して、恨みを垂れる。
そんな繰り返しは、もうやめようと僕は言いたい。
もっと純粋な気持ちで、ありのままの自分で生きようと。
孤独を味方にすれば、選択肢は広がり、共に事を成す仲間は増え、家族や友人をより愛せるようになるのです。
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