Facebook長堀 優さん投稿記事
七月十七日は、アララト山にノアの方舟が漂着した日と伝わります。
まさにその日、徳島県の剣山では、山頂に御神輿を担ぎ上げる「例大祭」が行われ、京都でも「祇園祭」のクライマックスとなる山鉾巡行が挙行されます。
日本と古代ユダヤ支族の繋がりに強い興味を抱く私のようなものにとっては、待ちに待った大切な日です。
祇園祭はご存知のように、八坂神社の祭礼です。しかし、八坂氏のルーツ自体、じつは日本ではない可能性があるのです。
嵯峨天皇の命で編纂された古代の公文書「新撰姓氏録」に八坂氏は、
インドのオリッサ・意利佐→
タイのチェンマイ・川麻乃→
高麗・狛国を経て日本に渡ってきた、と明記されているからです(「八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐也」)。
そのルーツを思わせるがごとく、オリッサで行われるラタヤートラ祭りでは、山や鉾によく似た山車が街を巡ります。
それだけではありません。
2016年に私が京都で撮影した山鉾巡行の写真を掲載しますが、ラクダ🐪やバグダッドの宮殿を思わせる絵が飾られており、シルクロードを彷彿とさせます。いったいどこの国のお祭りなんでしょうか。
祇園はシオン(神殿の丘、シオニズムの語源とも言われる)に由来するとも言われてますが、祇園祭には毎回ロマンを掻き立てられます。
私が見た時は雨でしたが、今年は晴れて何より☀️❣️ 復活を心より喜びたいです\( ˆoˆ )/
剣山の「例大祭」の写真は、加藤サリーさん、鵜飼佳子さんからお借りしてます。
お二人の投稿から、現地の興奮がリアルに伝わってきて感激してます✨ありがとうございました😊
京都も徳島も見事に晴れ、大いに盛り上がってめでたい限りです🙌 弥栄❣️弥栄❣️
実はこの連休「線状降水帯」予想(予告?)が発令されてました。
しかし、当日の雨雲を見ると(写真を掲載してます)四国,近畿を含む日本の中央部で大きく断裂してるように見えます。
不可解な発生と不可解な顛末は、最近の台風でもよく見られることですが、この日、剣山の上空には不思議な雲が集まっていたようです。
その中心部には、レンズ型の透明な部分があり、周りの雲が吸い込まれていくかのように見えます。
鵜飼さんの写真では、なにか巨大な🛸みたいなのが浮かびあがっちゃってるような、、、お祭りを応援するため、雨雲を掃除してくれたのでしょうか🪅
相変わらず世の中は混沌とした状況が続きますが、国際情勢は水面下で大きく蠢いているようです。
真実は何か、自らの感性が試される日々がこの先も続きますが、大変動の時代を楽しみましょう❣️
なんと言っても宇宙は日本を応援してくれているのですから♪
https://plaza.rakuten.co.jp/axnonchan777/diary/201901110000/ 【不動のアオサギ 】より。
アオサギは南北アメリカ、オセアニアおよび極地を除く全世界に分布しています。
日本とは異なり、欧米ではなかなか人気のある野鳥なのですよ。
古代エジプトでは、アオサギをモチーフにしたベヌウという神様がいました。太陽神ラーとも冥界神オリシスとも結びつき、ベヌウは生、死、再生に係る不死の聖なる鳥のイメージです。
ナイル川の氾濫とともに現れ、水が引くと去っていく、また洪水になると現れる、この繰返しがアオサギを再生の象徴に押し上げたようです。
このアオサギに対する不死・再生のイメージは、時代を下ってギリシャやローマに受け継がれていったそうです。
それが不死鳥、英語名ではフェニックスなのです。
ただし、姿形はアオサギからは大きくかけ離れ、タカに似た姿で伝承されました。
手塚治虫の不朽の名作「火の鳥」では、孔雀に似た姿で描かれています。親爺年代の日本人にとっては、このイメージがとても強いですね。
その他、アオサギはキリスト教的にはとても賢い鳥とされたようです。塒も食事場所も一か所に決まっているなど、行動規範の事例になっています。更にはヨーロッパの先住民ケルト人の神官は、アオサギのポーズで魔術を行ったとか。このように西洋人はアオサギに対してなかなか良い印象を持っているようです。但し一部の国では、害鳥として駆除され尽くした受難の時代もありました。一方日本ではどうでしょうか。
一部のマニアを除いてアオサギに関心を示す人は少ないでしょう。
このアオサギに気が付く人すらいませんでした。
こんなに図体が大きいのにですよ。
この辺りはとても田舎ですから、アオサギの姿は頻繁に見ているものと思います。
しかし皆の意識はスルーです。 見ようとしません。 まだシラサギの方が人気がありますね。
古代の日本人はどうであったのでしょうか。万葉集では僅かに一首、古事記ではたった二か所。日本書紀にいたってはたぶんノーマーク。アオサギはおろかサギの類は登場していないようです。え~本当ですか、という感じですね。
早乙女が並んで田植えをしている背景に、アオサギやシラサギが舞う姿は、とても日本的な風景だと思っていましたのにね。
もう少し調べてみますと、気比神宮(福井県)や熱田神宮(愛知県)などでは白鷺が神使なのだそうです。
それなら何故日本書紀や古事記に記載が少ないのか、謎は深まるばかりです。
古代はこれぐらいにしまして、平安時代、かの才女・清少納言が記しました枕草子の第38段にはサギが登場します。
鳥は、異所(ことところ)のものなれど、鸚鵡(おうむ)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。
郭公(ほととぎす)。水鶏(くひな)。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居(くもい)まで聞ゆる、いとめでたし。
頭赤き雀。斑鳩の雄鳥(いかるがのおどり)。巧鳥(たくみどり)。
鷺(さぎ)は、いと見目も見苦し。眼居(まなこゐ)なども、うたて萬(よろづ)になつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみに居かはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。千鳥、いとをかし。
ここでは、サギはけちょんけちょんに貶されております。
鷺は、見た目がとても見苦しい。あのぎょろりとした眼つきなども嫌な感じで、
すべてが可愛げのない鳥であるが・・・、ですって。
下の写真は別の場所で撮影した、全く別のアオサギの成鳥です。
確かに、鳥類は恐竜の直系の子孫、否恐竜そのものであるという、近年の研究による常識となったことを彷彿させる姿ではないでしょうか。
清少納言の時代に考古学があるはずもなく、恐竜の存在すら認識していなかったものと想像されます。これは偶然の一致なのでしょうが、可愛げがないという印象も頷けるものがなくはないですね。
ところで、鎌倉時代に編纂され、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで、6代の将軍記という構成で書かれた、吾妻鑑という歴史書があります。
鎌倉幕府唯一の公式文書ともいわれますが、特に後半部分は執権北条氏の捏造との噂も聞かれます。お話の信憑性は置いておいて、吾妻鑑には何度かアオサギが登場します。
このうち、第46巻の1256年(建長8年)6月14日の条には、巳尅光物見。長五尺餘。其躰初者似白鷺。後者如赤火。其跡如引白布。白晝光物。尤可謂奇特。雖有本文見。於本朝無其例云々。又近國同時見云々。とあります。
読み下しはこのようになります。
巳の刻光物見ゆ。長五尺余り、その躰初めは白鷺に似たり。後は赤火の如し。
その跡白布を引くが如し。白昼の光物尤も奇特と謂うべし。
本文の所見に有りと雖も、本朝に於いてその例無しと。また近国同時に見ると。
更に現代語に直しますと、
午前10時頃、光物が見えました。 長さは1.5mほど。
その物体は初めは白鷺に似ていました。 後には赤い火のようになりました。
其の後に白い布を引いたように見えました。 真昼間の光物はとても珍事と言えます。
中国の文献には載っていますが、日本では前例は有りません。 近国でも同時間に見たそうです。
とでもなりましょうか。この話の繋がりなのか、
江戸時代まで来ますとついに「青鷺火」という怪奇現象にされてしまいました。
別名「五位の火」ですから、アオサギではなくゴイサギであるという説もあります。
どっちにせよ、怪談話の主人公となっています。
ぐだぐだ書きましたが、日本人は文化的に見ても、アオサギたちにそれほど好印象を持っていないようです。
ただ単に良く見かけるから、ありふれているからだけではないのですね。
良く観ますと金色の虹彩、青みがかったグレーを基調とした羽衣。
目の上から後頭部にかけて伸びた黒い帯状の冠羽。 なかなか素敵でしょ。
一度番になると一生同じパートナー。 巣を作る樹も毎年同じです。
餌場への執着が強く、非繁殖期は縄張り争いが勃発します。
地上戦も空中戦も繰り広げます。 観ていますとなかなか面白いですよ。
それにしてもこの子、何で動かないのかやはり謎です。
お地蔵さんのようにじっとしていました。
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