白鳥は悲しからずや

Facebook小林愛海さん投稿記事  LPL第2講を終えて、

わたしは【拒絶の傷】をものすごく根深く持っていることを実感した。

今まで人を変えてしてきたわたしのパターンがある。

中学生の頃から好きな人や付き合ってる相手が自分にとっての理想ではないと

少しでも《違う》を感じると相手に対してなんだかすごく気持ち悪く感じてしまって

すぐに別れ話をする自分がいた。閉ざしてしまう自分がいた。

・部活でレギュラーではなく補欠→別れる

・くちびるの色が気持ち悪い→別れる

・わたしが〜して欲しい時に〜してくれない→別れる

・つまらない わたしを喜ばせてくれない→別れる

・このクセがいやだ。。受け付けない。。→別れる

・寂しい思いをさせられてる→別れる

・大切にしてくれない→別れる   などなど

こうやって書くと相当わがままなこと言っててわたし何様!?!?!?って自分でもすごく思うけど でも、感覚的に一度そう感じちゃうと どうしてもその人を拒絶してしまって

「受け入れられなくなった」(※父親・母親転移もある)

第一講が終わってしばらく経った時から《拒絶》の文字(感覚)が自分の中に大きくあった。ずっとずっと《拒絶》のふた文字がわたしの中に絶えずずっとあった。

なんで《拒絶》なのか、自分でもわからなかった。でも、LPL第2講を終えてわかったことがある。

わたしは幼少期からずっと大人たちが無表情でいたり話していない時間があることが怖かった。9人家族で、みんなで一緒に住んでいて父が母の家に入った形で[仲がいい]家族ではなかった。一人一人は好きだったけどみんなでいる時はすごく嫌だった。

子供ながらに祖父と曽祖父が皇帝で祖母や母は世話人のように見えた。

父は家に居場所がなかったのか全然家にいなかった。

自営業をしていたから大人たちがお金のことでいつも台所で遅い時間に話し合いがあって

気になるから台所に行ったら『大事な話してるんだから入ったらダメ!!』ってみんな怖い顔・難しい顔しながらこっちを見て《何かあるのかな。。怖いな。。》ってわたしは感じていた。

大人たちが笑っていない時間や沈黙の時間がなぜだかものすっっっごく怖かった。

家に流れる空気感を感じることもすごく嫌だった。明るい雰囲気でいないと怖かった。 

とにかく明るく振る舞ってバカやって大人に笑ってもらい、大人に喜んでもらいたくて聞き分けのいい子・面倒見のいい子・役に立つ子をやって、褒めて欲しくて(にこにこしてほしくて)頑張る子をやった。

徹底的に自分のネガティブなものは押し殺してみんなが笑うように 家が明るくなるように

必死に明るくしていたわたしを思い出した。わたしが泣いて大人にうんざりされるのが怖かった。(すぐ泣く!とか、本当わがまま!!って怒られていた)

わたしが怒ったとき、大人にさらに怒られるのが悔しくてたまらなかった。(怒ってる理由を聞かれることなく鎮圧されていた)

わたしが[明るくない]時に「どうしたの?何かあったの?」ってすごく聞いてくることが鬱陶しかった。

(その時はわからなかったけど、今思えば理由は、この家に疲れていたからで、無理してる自分に疲れていたから。善意の言葉に鬱陶しいなんて言えなかったし、余計心配かけるから言えなかった)

ありのままの自分でいることをすぐに手放して家族の笑顔のために生きることを自分で選択したわたしを思い出した。

だから、少しでも[いい子じゃない、役に立たない、感情をあらわにする黒い自分]を出しちゃうと【拒絶される】感じがして子供ながらに怖くて怖くてたまらなかった。

父や母に『ほら、だから言ったでしょ!』『ほら、やっぱりそうなった!』

『そうなるのわかってたからやるなって言ったのに!』って言う言葉も、ものすごく嫌だった。

ただ純粋に楽しくて、おもしろそうで、やりたくてわたしはやったのに。言われるたびに

すごく惨めな気持ちになった。なんでそんなこと言うんだろう?って怒りが湧いた。

悔しくてたまらなかった。突き放される感じもして、悲しかった。

「どうしてこうなっちゃったのか、一緒に考えよう」こういう言葉が欲しかった。

どんどん《ダメな子》《できない子》《失敗する子》っていうレッテルを自分に貼っていった。

自分がやりたいことをしない子になった。親が望むものをする子になった。

《わたしがやりたいことをすると【失敗】する親が言うものは安全》という解釈が自分の中に組み込まれた。

自分が『これやりたい!』っていうことも感じない人になっていった。

⋆*❁*⋆ฺ。*

あぁ。。うん、そうそう。わたしはこうやって、早くから自分を生きることをやめる選択をしたんだ。

徹底的に自分を表現することをやめる、という選択をしたんだ。

そうだった。思い出した。でも、今は違う。

しんどくて、もう死にたくてたまらないほどしんどい時に【この絶望という景色を知ってる人、このとんでもない絶望という景色を超えた人はこの人しかいない】って強烈に感じた岡部明美ちゃんに出会って、そして生まれて初めて安心と安全な場を感じたLPLに出会って、

なんでも話せて受け止め合える仲間に出会って、わたしはわたしを知っていった。

取り戻していった。

もちろんまだ私に帰る旅は続くけどこうやってあの時の、悔しかった・悲しかった・怖かった・惨めだった、そう感じながらも必死に必死に生きていた小さな自分を想い出して・もう一度出会って、寄り添ってあげられたことがとてもうれしい。《終わっていく》ことが、とてもうれしい。

幼少期、大人に【拒絶される】ことが恐怖でたまらなかったわたしは、

【ありのまんまの自分でいたら拒絶される】という痛み持ったまま大人になったわたしは、

人から拒絶されるのが怖くて怖くて自分を相手の気に入られるように偽り少しでも関係性に歪みが起こると(無意識に偽りの自分でいることに疲れた、もあったと思う)相手から『別れたい』って言われるのが恐怖だから言われるより先に『別れる』って自分から手を離し

一方的にシャッターを下ろしてきたんだと自分自身に起きていたカラクリを知った。

もうひとつ、圧倒的な被害者の意識。拗ねまくってるわたし。

被害者でいたいから人を責め加害者に仕立て上げる。そんなわたしも、立派な加害者。

もう、被害者・加害者もやめる。無意識ってすごい。無意識って怖い。無意識って痛い。

そして無意識って、とても健気。

そして今度は大人・親になった今大人も親も人間だということを知った。

怒ることもある、しんどい時もある、悲しい時もある、泣くこともある、明るく笑うだけじゃない親も大人もたくさんの感情や情動を持った人間なんだということを知った。

みんな一緒。そんなことを受け取った、LPL第2講だった。


Facebook清水 友邦さん投稿記事 「偽りの自分に気づく時」

過去の失敗を引きずっている自分と、今ここにいる自分の二種類の自分がいます。

過去を引きずっている自分は 認めてもらえなかったり、誉めてもらえなかったり

物事が思い通りにならない事にイライラしたり怒ったり、悲しんだりしています。

ほとんどの人が自我の壁を厚くして過去の記憶に触れないようにしています。

そして、何事もないと、自分は幸せだと思い暮らします。

しかし、誰かに、自尊心を傷つけられたり、物事が思い通りに行かないと、とたちまち奈落の底に落ちてしまうのです。

ほとんどの人が過去を引きずっている偽りの自分を自分だと信じ込んでいます。

今ここにいる自分は海の底のように常に静かです。今ここには時間と空間がありません。

無限の広がりと永遠だけがあります。そこには深い沈黙があります。

全てを許して包み込む愛があります。

過去を引きずっている自分をちょっと静かにしてもらえればいいのです。

沈黙した瞬間、たちまち、いまここの自分に気がつきます。今ここの呼吸に集中することで沈黙が起きます。

複数の人々に沈黙が起きると、その場に沈黙のスペースがおきます。

集団の中で沈黙が発生するとその場にいた個人にも沈黙が起きます。

グループ・ダイナミクスで起きる沈黙はレゾナンスという共鳴現象です。

炎から炎へイグニッション(点火)が起きるようなものです。

沈黙が起きると、考えたその瞬間に、思考を観察する気づきが突然現れます。

禅の修行も瞑想もした事も無い普通の主婦に気づきが起きるので、誰でもそれは起きると言う事です。

思考に気づいている意識は、目覚めた意識と呼ばれています。

透明な知性をそなえた大いなる自己のことで、観照者、目撃者、真我と呼ばれています。

目が醒めると、今まで眠っていたことに気がつきます。

そして意識的に、目覚めたまま眠りに入ることが、できるようになると、夢を見ているものだけが夢ではない事を、理解します。

それ以外の全ては、夢のように現れては消え去る実体がないものです。

全ては現れては変化し消えてゆくのが、この物質世界であり、現象世界です。

自己の本質は、肉体でも感情でも思考でもありません。

悲しみも喜びも、雑念も静けさも気づきのスペースで、ただ、あるがままに起きています。

それらは、来ては去って行きますが、自己の本質は、それに関わることなく、常にかわらず、いまここにあります。

光があたってもあたらなくとも、実際の月の形はかわらないように、思考があってもなくとも、瞑想をしてもしなくとも、あなたの本質は全く変わらずに、常に存在しています。

しかし思考が作り出している虚像に振り回されているために、その事に気がつきません。

悲しみや絶望に陥っても、本当の自分は変わることなく、常に今ここにあるのです。

それを確認するのが呼吸の道です。

◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

絶え間の無い思考に気がつくには、一旦、日常生活から離れて、頭が静かになる経験が必要です。今ここに注意を向けることで、過去と未来を彷徨う思考が静まります。

思考が静まった時、今までの偽りの自分を超えた本当の自分が現れます。

思考が作り出す自我の夢から覚めた時、今ここで、あるがままに輝いている本当の自分を知るでしょう。

次のような方は下丹田が弱く身体のエネルギーラインが滞っている可能性があります。

・思考が気になって静かな瞑想が苦手な方

・すぐに空想や妄想にふけってしまい、人の話を聞くのが苦手

・やりたいことがあるのに頭で考えてばかりで物事が進まない方・練習では実力を出せるのに本番になると実力を発揮できない方

・身体感覚が鈍い方 ・人の意見に左右されやすい方・迷ってばかりいて決断できない方

・気が上がりやすい方・過去や未来のことばかり考えてしまう方


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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