http://www.furusatoa.biz/jiseinoku/hokusai-jisei.html 【悲と魂でゆくきさんじや夏の原‥北斎(辞世の句)】より
江戸時代後期の浮世絵師、化政文化を代表する一人、葛飾 北斎(かつしか ほくさい)は、嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉、卒寿(90歳)にて臨終を迎えたようです。
翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめバといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す。
すなわち「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天が私の命をあと10年伸ばしてくれたら』と言い、しばらくしてさらに言うことには『天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう』と言吃って死んだ」。
悲と魂でゆくきさんじや夏の原 葛飾北斎
現代語訳:「人魂になって夏の野原にでも気晴らしに出かけようか」
※「気散じ(きさんじ)」は心の憂さをまぎらわすこと。
※葛飾 北斎:宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉生まれ。
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島根県立美術館:北斎・肉筆画帖(福寿草と扇)
島根県立美術館の浮世絵コレクション
島根県立美術館は、約3,000件の浮世絵を所蔵しています。その中核を成すのが、松江出身の実業家・新庄二郎氏(1901-1996)旧蔵の「新庄コレクション」(471件)、津和野出身の北斎研究者・永田生慈氏(1951-2018)旧蔵の「永田コレクション」(2,398件)という2つの個人コレクションであり、これに島根県が独自に購入した作品群で構成されています。
世界的にも評価が高い葛飾北斎と歌川広重の代表作を網羅しており、摺りや保存状態が良好な作品、世界で1点または数点しかない貴重な作品や資料も少なくありません。特に北斎に関しては、質・量ともに充実した内容を誇っています。
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葛飾北斎(かつしかほくさい)
肉筆画帖(福寿草と扇)にくひつがじょう(ふくじゅそうとおうぎ)
天保中~末期(1835~44)頃、紙本着色、一帖(十図)、[永田コレクション]
Katsushika Hokusai
The album of brush paintings, Adonis and fan
[Nagata Seiji collection]
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化政文化(かせいぶんか)とは
化政文化(かせいぶんか)とは、江戸時代後期の文化文政時代(1804年 – 1830年)を最盛期として、江戸を中心として発展した町人文化を指す。化政とは文化・文政を略した言葉。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など、一般に現代に知られる江戸期の町人文化の全盛期にあたり、国学や蘭学の大成した時期でもあります。
江戸時代の元号の変遷
慶長—–1615 元和1615-1624 寛永1624-1645 正保1645-1648 慶安1648-1652 承応1652-1655 明暦1655-1658 万治1658-1661 寛文1661-1673 延宝1673-1681 天和1681-1684 貞享1684-1688 元禄1688-1704 宝永1704-1711 正徳1711-1716 享保1716-1736 元文1736-1741 寛保1741-1744 延享1744-1748 寛延1748-1751 宝暦1751-1764 明和1764-1772 安永1772-1781 天明1781-1789 寛政1789-1801 享和1801-1804 文化1804-1818 文政1818-1831 天保1831-1845 弘化1845-1848 嘉永1848-1855 安政1855-1860 万延1860-1861 文久1861-1864 元治1864-1865 慶応1865-1868
葛飾北斎 代表作
代表作に『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。
北斎漫画 映画(松竹)
浮世絵師・葛飾北斎と友人の戯作者・滝沢馬琴の交流を中心に、女性の魔力にとり憑かれていく北斎を幻想的に描いた作品。矢代静一の同名戯曲を名匠・新藤兼人監督が映画化。田中裕子(お栄(葛飾応為))が15歳から70歳までを演じ話題となった。
父・北斎には男子が2名と娘が3名(または4名)いたとされますが、お栄の生没年は不明ですが、1801年頃の生まれと推定されています。お栄は「アゴ」が四角く出ていたとされ、普段から北斎はアゴと呼んでいたと伝わります。
号の応為(おうい)は、父・北斎のことを、いつも「おーい」と呼んでいたから、応為になったとも言われています。
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北斎漫画キャスト
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鉄蔵(葛飾北斎):緒形拳
佐七(曲亭馬琴):西田敏行
お栄(葛飾応為(鉄蔵の娘)):田中裕子
お直:樋口可南子
お百(左七の女房):乙羽信子
十返舎一九:宍戸錠
式亭三馬:大村崑
歌麿:愛川欽也
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NHK特集ドラマ「眩」(くらら)~北斎の娘~宮崎あおい主演
NHK特集ドラマ「眩」。葛飾北斎は、江戸時代中期の浮世絵師で、現在では世界的にも有名ですが、若いころはなかなか絵も売れず、貧乏だったと言います。そんな中に生まれたのが葛飾お栄と言う事になりますが、3女(3娘)であり、またの名を阿栄、應栄、栄女(えいじょ)とも呼ばれ、画号(号)は応為(おうい)となります。
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眩(くらら)~北斎の娘~The great wave Trailer
曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)
明和4年6月9日(1767年7月4日) – 嘉永元年11月6日(1848年12月1日)
江戸時代後期の読本作者。代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家。
馬琴を題材とする作品
中年期以降の部分が『曲亭馬琴日記』に取材して、多くの作品が描かれている。その早い例が芥川龍之介の『戯作三昧』であるが、以後、小説に登場する馬琴は老人であることが多い。杉本苑子『滝沢馬琴』、平岩弓枝『へんこつ』、森田誠吾『曲亭馬琴遺稿』などがある。
松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
寛永21年(正保元年)(1644年) – 元禄7年10月12日(1694年11月28日)
江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房(むねふさ)。俳号としては初め宗房(そうぼう)を称し、次いで桃青(とうせい)、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。
旅に病で夢は枯野をかけ迴る 芭蕉(辞世の句)
宝井 其角(たからい きかく)
寛文元年7月17日(1661年8月11日) – 宝永4年2月30日(1707年4月2日)
延宝初年(1673年)、芭蕉に入門。蕉門十哲の一人に数えられる。延宝7年(1679年)刊行の『坂東太郎』に発句3句が見え、延宝8年(1680年)以後、『桃青門弟独吟廿歌仙』『田舎之句合』『次韻』『武蔵曲』に入集。
赤穂浪士討ち入り前夜、四十七士の一人の大高忠雄(源吾)と会い、煤竹売りに身をやつした姿を憐れんで「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠んだ。これに対して源吾は「あした待たるるその宝船」と返して、討ち入り決行をほのめかしたとされる(歌舞伎『松浦の太鼓』)。
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忠臣蔵と北斎の浮世絵
歌舞伎を題材にした浮世絵が多く摺られたように、この『仮名手本忠臣蔵』を題材にした浮世絵も少なくありません。全十一段からなる『仮名手本忠臣蔵』を、「鶴岡の饗応」から「合印の忍兜」まで、一段一枚ずつ描いたのが、葛飾北斎です。
浄瑠璃の三大名作とは
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の3つです。仮名手本という名前の由来ですが、47人をイロハ仮名47文字に擬え、武士の「手本」とした題名にしたことにちなみます。
葛飾北斎 仮名手本忠臣蔵 七段目
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忠臣蔵浮世絵国際シンポジウム
2022年2月11日(金)、Zoomウェビナー上で、忠臣蔵浮世絵国際シンポジウムが開催されました。シンポジウム当日は、国内外の専門家がオンラインで参加し、忠臣蔵浮世絵の変遷や特徴を紹介しながら、赤穂市「忠臣蔵」浮世絵データベースによる作品情報公開の意義と活用の方向性について論じました。
池波正太郎の「若き獅子」
時代の変わり目に行き合った、才幹に富む、強烈な個性たち。
栄光を得るか、悲劇の人となるか……。
高杉晋作は、幼い頃から文武に秀で、鬼才と呼ばれた。「脱藩」しては主家に戻り、たちまちにゆるされた。これは異例のことである。いかに彼の才能が頼まれていたかがわかる(「若き獅子」より)。ほかに浅野内匠頭、葛飾北斎、明治の逆賊・小栗忠順(おぐりただまさ)など、時代を動かした英雄たちの激烈な人生を描く短編集。
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喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)
(1753年(宝暦3年) – 1806年10月31日(文化3年9月20日)
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。1790 – 91年(寛政2 – 3年)から描き始めた「婦女人相十品」「婦人相学十躰」といった「美人大首絵」で人気を博した。映画「北斎漫画」には同時代に活躍した浮世絵師として登場します。
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まとめと関連情報
江戸時代後期の浮世絵師、化政文化を代表する一人、葛飾 北斎(かつしか ほくさい)は、嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉、卒寿(90歳)にて臨終を迎えた北斎の辞世の句を掲載しました。
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