「沈黙の春」

https://www.goo.ne.jp/green/business/word/ecoword/E00536.html 【「沈黙の春」 とは】より

読み:ちんもくのはる

DDTやBHCをはじめとする有機塩素系殺虫剤や農薬などの化学物質による環境汚染について、科学的な調査・研究をもとに世界で初めて本格的に取り上げた本。米国のレイチェル・カーソン(1907-1964)が執筆し、1962年に雑誌「ニューヨーカー」誌上で連載された。本書は、化学物質による野生生物や自然生態系への影響、人間の体内での濃縮、次世代に与える影響にまで警鐘を鳴らし、連載直後から全米の国民に衝撃を与えた。「沈黙の春」というタイトルには、化学物質を何の規制もなく使い続ければ地球の汚染が進み、春が来ても小鳥は鳴かず、世界は沈黙に包まれるだろうという意味が込められている。

当初、化学業界や農薬協会などから激しい非難や攻撃を受けたが、本書をきっかけに米国政府がDDTを全面禁止するなど化学物質規制を大きく転換させるきっかけとなった。また、環境保護局(EPA)発足にもつながったといわれている。特筆すべきなのは、大学や研究所に所属する研究者ではなく、執筆業のかたわら生物や化学の研究を続けていたカーソンが、独自の観察や調査、考察に基づいて本書を執筆したことだ。本書は30カ国以上で翻訳・出版され、彼女の知性と勇気は現在に至るまで環境や化学に携わるものの道標となっている。


https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00625726  【産業春秋/「沈黙の春」とコロナ危機】より

米国の生物学者レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出版され60年になる。「奇跡の農薬」ともてはやされたDDTの生態系汚染を告発した警世の書だ。

「自然は人間が勝手に考えるほどたやすくは改造できない。昆虫は昆虫で人間の化学薬品による攻撃を出し抜く方法をあみ出している」。全体を貫く自然共生の思想は現代こそ道標になる。

「科学技術の進歩は大切だが、やり方が乱暴すぎる。結果として人間が苦しむことになる」とレイチェル・カーソン日本協会関西フォーラム代表の原強さん。コロナ危機も人間が後先考えず進歩を追いかけた帰結か。

最終章「べつの道」では生き方の選択を迫る。「私たちは、いまや分かれ道にいる。(略)すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが(略)行きつく先は禍(わざわい)であり破滅だ」。

コロナは変異を繰り返し、今は人間が「沈黙の春」をさまよい続ける。宿敵のようなウイルスでさえ何らかの「利他性」があって地球上に存在しているのだろう。自然との向き合い方を改めない限り、地球の安全を守れる「もう一つの道」の扉は開きそうにない。自然界からの逆襲に、レイチェルの嘆息が聞こえてきそうだ。


https://www.shinchosha.co.jp/book/519703/#b_review 【環境の破壊と荒廃にブレーキをかける書  レイチェル・カーソン『沈黙の春』】より 

上遠恵子

 アメリカの作家で海洋生物学者でもあったレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(原題:Silent Spring)の改訂版が出版された。カバーは、メイン州在住の写真家エリオット・ポーター氏の可憐なゴゼンタチバナの花で飾られ、本文も一段組になって読みやすくなっている。

 この本は化学物質による環境汚染への警告の書である。人間がこのまま劇薬のような化学物質を無秩序・無制限に使い続けていると生態系が乱れてしまい、やがて春がきても鳥も鳴かずミツバチの羽音も聞こえない沈黙した春を迎えるようになるかもしれないという寓話ではじまる。私たちはこの本によって、はじめて環境の汚染と破壊について目を開かされたと言ってよい。

『沈黙の春』は、アメリカでは一九六二年六月に雑誌「ニューヨーカー」に抜粋が掲載されるや賛否両論の議論が沸騰し、九月に単行本が出たときはその日のうちに一万部が売れたということだ。化学企業からの攻撃も熾烈で反カーソン・キャンペーンのためには多額の費用が投入された。アメリカでの論争はケネディ大統領の科学諮問委員会のウィズナー報告書が出るに及んでカーソンの評価はきまり政策もかわった。日本では、それほど激しい反応はなかったように思うが、研究者の間ではこの本は真剣に読まれていたのを覚えている。

 科学技術は二十世紀になって発展し、特に第二次世界大戦後に急速に発展した。人々は豊かさと便利さを手にすることができた。もっともこの豊かさはいわゆる先進国と言われる国々の人だけが享受できたのであったが。しかし発展のかげでは、環境汚染や自然破壊が進行してさまざまな環境問題が噴出してくるようになった。そうした状況のなかで『沈黙の春』は、環境を考える原点として読まれていった。

 レイチェル・カーソンの初期の著作は海洋生物学者らしく海に関する三部作『潮風の下で』(宝島文庫)『われらをめぐる海』(ハヤカワ文庫)『海辺』(平河出版、平凡社ライブラリー)があるが、いま年齢を越えて読まれているのが彼女の没後に出版された『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)である。この本は、カーソンが姪の息子であるロジャーという幼子とメイン州の自然のなかで過ごした体験をもとに書かれたエッセイで、子どもにとって自然界の不思議さ神秘さに目をみはる感性すなわちセンスオブワンダーを培うことがどんなに大切かを静かに語りかけている。心の荒廃が大きな問題になっている現在、レイチェルのメッセージは多くの読者の共感を得ている。また最近『センス・オブ・ワンダー』は長編記録映画としてグループ現代によって映像化された。メイン州の森や海岸の自然を背景に原作を訳者である私が朗読するという朗読ドキュメンタリーという新しいジャンルの映画である。この本も映画化を機に装いを変えた。カバー、本文の写真をすべてロケに同行された自然写真家の森本二太郎氏がメイン州で写したものに入れ替えたのである。前のバージョンも同氏のものであるが今回はより本文に添ったものになった。因に『沈黙の春』のカバーの写真家エリオット・ポーター氏を森本氏は尊敬する先輩であると言っておられることも、この二つの作品を結びつける不思議な縁である。

 しゃにむに走り続けてきた二十世紀だった。カーソンは『沈黙の春』の最終章“べつの道”の冒頭でこう語る。“私たちは、いまや分れ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり《人も行かない》が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、決めなければならないのは私たちなのだ”と言っている。四十年まえのこの先見性のある提言を私たちは生かして来なかったのではないだろうか。

『沈黙の春』はこれからも環境汚染を、私たちの生き方を鋭く告発し警告を発し続けるだろう。また、『センス・オブ・ワンダー』は、感性を豊かにと願う親やすべての人達へ穏やかで説得力のあるメッセージを送り続けるだろう。破壊と荒廃へ突き進む現代にブレーキをかける役割を担う大切な二冊である。

(かみとお・けいこ レイチェル・カーソン日本協会理事長)

▼レイチェル・カーソン著/青樹簗一訳『沈黙の春』は、発売中

著者プロフィール

レイチェル・カーソン

Carson,Rachel Louise

(1907-1964)ペンシルベニア州スプリングデールの農場主の娘として生れる。ペンシルベニア女子大学で動物学を専攻後、ウッズホール海洋生物研究所などで研究を続ける。1936年漁業水産局に就職し、政府刊行物の編集に従事。1940年に魚類・野生生物局に移り、1952年に退職するまで、野生生物とその保護に関する情報収集にあたった。1951年の『われらをめぐる海』で、生物ジャーナリストとしての地位を確立。1962年に発表された『沈黙の春』は、自然破壊に警告を発した先駆書として、その後の全世界に大きな影響を与えた。

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