[日本人の心のふるさと<かんながら>と近代の霊魂学<スピリチュアリズム>]近藤千雄[著]より
(1)靈的構成 一靈・四魂・五情 :神道では人間という存在について《一靈・四魂・五情》という表現をする。意識の本体としての《靈》、それを表現する媒体としての四つの《魂》、そして表現される喜・怒・哀・楽・怨または欲の五つの《情》をもって人間生活を集約している。靈のことは[意識の本体]とも表現。靈とか魂という用語は人によって様々な意味に用いられていて、今もって一定しない。それは英語でも同じで、靈はsprit、魂はsoulであるが、両者はどこがどう違うかと問われて明確に答えられる人はまずいないであろう。それだけ捉え難い性質をしているということでもある。ここではスピリチュアリズムの観点からそれに具体的な解説を施してみたいと思う。 三位一体の存在 スピリチュアリズムの発達によって明らかになったことの一つに、人間が靈と魂と肉体の三位一体の存在であることが挙げられる。三位一体ということは三者を切り離すことが出来ないということで、本来の自我である靈は魂と肉体の制約を受け、魂は靈と肉体の制約を受け、肉体は靈と魂の制約を受けている。これを図式化したのがここに掲載したMan`s Bodies(人間の身体)と題するイラストである。
荒魂・和魂・幸魂・奇魂は浅野氏の説にならって筆者が書き加えたもので、肉体と魂の一つであることに着目して頂きたい。一般に「精神」と呼んでいるものはそれら諸々の身体の働きの反映である。 人間には肉体を含めて四つの身体があることは最早動かし難い事実と受け止めてよいであろう。日本語には複数形というものがないので、「人間の身体」というだけでは「肉体」と誤解されかねないが、英語では“Bodies”と複数形になっていることに注目して頂きたい。つまり全部で四つの身体があって、肉体はその内の一つに過ぎず、地上生活を営む為に必要な機能を具えた身体ということである。言い換えれば肉体は自分ではなく、自我が使用する道具の一つに過ぎず、それを使用する自我は靈的存在で、肉体の死後にも存在し続ける。つまり今度は幽体でもって生活することになる。 図に付記してあるように、エーテル体と一つになった肉体のことを神道では荒魂と呼ぶ。キメの荒い身体ということで、これが食欲と性欲を主体とする肉体的煩悩の媒体である。もしこれだけであれば動物と選ぶところがないが、イラストで御覧の通り、肉体を包み込むように幽体(アストラル体)という、肉眼には映じないが肉体に近い性質(半物質ともいう)の身体が具わっている。これが感情や情緒、芸術的感性や審美眼等の媒体となっている。神道で和魂と呼ぶのは、和やかさを生み出す媒体だからである。もっとも、それはプラス面、ないしは陽性の面が顕現した場合であって、仏教で[煩悩]と呼んでその消滅の為に各種の難行苦行を説いているマイナス面、ないしは陰湿な面が顔を覗かせることもある。同じことが次の霊体(メンタル体)、神道でいう幸魂についても言える。本来は理性や知性、論理性、学術性などを担当する高等な媒体であり、学者などのオーラを靈視すると、その性向を示す色彩が顕著であるという。が、これが一転して利己的な方向へ働くと、知的罪悪を生むことになる。神体または本体のことを神道では奇魂と呼ぶ。やまとことば的な分析をすれば、奇は「くしび」即ち不可思議、神秘的、霊妙といった意味であるが、「くし」は「櫛」に通じ、多くのものを一つに纏める作用を意味する。例えば生き字引のように知識を蓄えるばかりでは宝の持ち腐れとなるが、それを一つに纏めて新たな知恵ないしは叡智を生み出す力が奇魂である。 興味深いのは、この神体又は本体が英語でCausal Body(コーザル・ボディ)と呼ばれることがあることである。Causalというのは原因ないしは根源を意味するcauseから来た単語で、要するに存在の根源ということである。
魂とは何でしょう?
私の体験では「セルフであり、意志としてのエネルギー」です。
日本古来の考えは神道に見ることができます。
『ウィキペディア(Wikipedia)』には
「人間の心は四つの魂、四魂(荒魂、和魂、幸魂、奇魂)からできていて、この四魂を一つの霊、直霊(なおひ)が統括するとされる。荒魂には勇、和魂には親、幸魂には愛、奇魂には智というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊(なおひ)がコントロールしている。簡単に言えば、勇は前に進む力、親は人と親しく交わる力、愛は人を愛し育てる力、智は物事を観察し分析し、悟る力である。
直霊(なおひ)の機能を一語で表すと『省』(かえりみる)で、自分の行動の良し悪しを省みることで、四魂を磨いていく働きをする。直霊はものごとの善悪を判断して、人を誤らせないように導き、もしも誤ってしまった場合は、それらを反省し、自らを責め、悔い改めようとする。またこの直霊だけが、直接『天』につながり、四つの魂をコントロールすることで四つの魂を磨くという働きをする。」と紹介しています。
「言霊はこうして実現する」出版社:文芸社 著者:大野靖志には
「一般の神道では、魂にはその新しいものを生み出す側面を表す荒魂(あらみたま)、優しく平和的な側面を表す和魂(にきみたま)、収穫をもたらす働きを表す幸魂(さきみたま)、奇跡のような力をもたらす奇魂(くしみたま)……という四種類があるとされているが、伯家神道はそこに精魂(くわしみたま)が加わって五魂となる。そして、そのそれぞれの働きを調整させることが鎮魂であるとされている。 」
佐々木合気道研究所の研究論集 【第153回】 には
一霊四魂三元八力
古神道では『天上から下された四魂を一霊が統括して人体に宿り、霊止(ひと)になるという。四魂とは、荒魂・和魂・幸魂・奇魂である』。 また、明治時代の神道家である本田親徳(ほんだちかあつ)は、『霊には力無く、力には霊無し。霊、力相応じて、而して神と為り物と為るを得る也。』という。本田親徳の古神道霊学では、万物の生成は「霊」、「力」、「体」の三大要素によって起こるとしている。そして、「体」として剛体、柔体、流体の3つを挙げ、これを三元とし、そして「力」として動、静、引、弛、凝、解、分、合の八つを挙げ、これを八力としている。
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