おくのほそ道の風景地

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/siseki/2-8.html【おくのほそ道の風景地】より

那谷寺境内(奇石)小松市那谷町ユ122番1外1筆指定面積 30,301.43平方メートル

おくのほそ道の風景地 那谷寺境内(奇石)国指定名勝 平成26年3月18日指定

那谷寺は小松市那谷町に所在する高野山真言宗の寺院である。養老元年(717年)、白山を開いた泰澄が境内の岩窟内に千手観音像を安置したのが始まりとされ、当初は「自生山岩屋寺」と称した。 その後、寛和年間(985~987年)には西国三十三所の巡礼を終えた花山法皇が当地を訪れ、三十三所の一番霊所である那智山の「那」と三十三番霊所である谷汲山の「谷」をとって「那谷寺」と名付けたと伝えられている。江戸時代には、加賀藩三代藩主で小松に隠居した前田利常により、現在、重要文化財となっている那谷寺本堂・三重塔・護摩堂・鐘楼などが建てられた。

元禄2年(1689年)8月、松尾芭蕉(1644~1694)が当地を訪れ、『おくのほそ道』で以下のとおりに那谷寺について触れ、俳句を詠んでいる。

(中略)奇石さまざまに、古松植えならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。

石山の石より白し秋の風

松尾芭蕉は、古歌にまつわる歌枕の名所及び由緒・来歴の地を訪ねて陸奥・北陸路を旅し、紀行文学の傑作である『おくのほそ道』を完成させた。芭蕉とその弟子の曾良が『おくのほそ道』又は『曾良旅日記』に書きとめた場所、2人が俳句を残した名所及び由緒・来歴の地の多くは、近世・近代を通じて広く観賞の対象として知られるようになり、今なお優れた風致景観を誇る。

その1つである那谷寺境内には、そそり立つ奇石に洞穴がいくつか開口している場所があり、石が織りなす自然の造形美が、周囲の木々や懸崖造りの本堂の外観と組み合わさって、優れた風致景観を形成している。芭蕉は、秋風を感じつつ、この風光明媚な奇石の景色を見て「石山の石より白し秋の風」と詠んだのである。

「那谷寺境内(奇石)」は、『おくのほそ道』において「殊勝の土地也」と表現され、さらに俳句の対象となった場所でもあり、今も四季折々に美しい景観を見せ、「おくのほそ道の風景地」を構成する一群の風致景観の一つとして優秀であり、その観賞上の価値は高い。

道明が淵(山中の温泉)

加賀市山中温泉河鹿町ワ13番外1筆等

指定面積 1,216.85平方メートル

道明が淵

国指定名勝 平成27年3月10日追加指定

奈良時代に行基が発見したと伝える山中温泉は、鎌倉時代の長谷部信連による再興を経て、柴田勝家ら戦国武将も保護に努めた長い歴史を持つ。その中でも「道明が淵」(どうめいがふち)は、温泉街の東端を北へ流れる大聖寺川の渓谷「鶴仙渓」にあり、渓流の流れが凝灰岩を深く浸食してできた淵である。その名は、道明という人物が淵に棲む蛟龍を懲らしめたとする伝説に由来する。

元禄2年(1689)、松尾芭蕉は当地に8泊9日と長く滞在し、『おくのほそ道』で以下のとおり「山中の温泉」(やまなかのいでゆ)の効用について触れ、俳句を詠んでいる。

温泉に浴す。其効有明に次と云。

山中や菊はたおらぬ湯の匂

(以下略)

松尾芭蕉は、古歌にまつわる歌枕の名所及び由緒・来歴の地を訪ねて陸奥・北陸路を旅し、紀行文学の傑作である『おくのほそ道』を完成させた。芭蕉とその弟子の曾良が『おくのほそ道』又は『曾良旅日記』に書きとめた場所、2人が俳句を残した名所及び由緒・来歴の地の多くは、近世・近代を通じて広く観賞の対象として知られるようになり、今なお優れた風致景観を誇る。

その1つである「道明が淵」には、滞在中に2日間訪れており、淵の右岸には「やまなかや きくはたをらじ ゆのにほひ」の句を刻んだ文久元年(1861)銘の句碑が建ち、木橋が架かっている。

渓谷にあって「道明が淵(山中の温泉)」の清流は、「おくのほそ道の風景地」を構成する一群の風致景観の一つとして独特の風致を伝え、その観賞上の価値は高い


http://www.natadera.com/himitsu/ 【1300年の時を経て今もなお】 より

平成29年(2017年)に開創1300年を迎える那谷寺は、全国的に見てもとても長い歴史を持つ古刹。奈良時代の養老元年(717年)に泰澄大師がご本尊を境内の岩窟に安置したことが始まりで、今日まで“自然智”の教えを守り受け継いでいます。

池から発掘された遺跡の数々

約30年前に大池より多くの遺跡が発見されました。調べてみたところ、約650年前に起きた南北朝の騒乱から戦国時代にかけて焼かれてしまった那谷寺の址。白山信仰の拠点として、当時から大きな力を持っていたため、幾度となく政権闘争に巻き込まれたのです。

利常公がおわしける場所

弘治元年(1555年)、加賀の一向一揆軍が那谷寺に立て籠もりましたが、越前の朝倉軍に鎮圧されました。この時、那谷寺は全焼してしまいました。江戸時代、小松に隠居していた三代目加賀藩主・前田利常公が那谷寺の荒廃を嘆き、再建を決意。那谷寺の書院で利常公は実際に住まわれ、再建の指揮を執られました。

秘めたる庭園が、ここに

利常公がおわした書院から見られる庭園は、小堀遠州監修によるものと伝えられています。彼の作風は綺麗寂びと呼ばれ、借景や遠近はもちろん巨石までもを駆使、モダンさを感じさせ江戸時代に人気を集めました。庭園の奥にある阿弥陀三尊の姿に例えられる自然石「三尊石」をぜひご覧ください。

参詣者をやさしく導く杉

那谷寺を再建した利常公は、参道にたくさんの杉の木を植えました。その長さは、小松から那谷寺に至る約10kmとも言われ、御幸街道の一部でもあります。歴史の中で杉の多くは失われてしまいましたが、粟津温泉総湯前に1本だけ「黄門杉」として現存しています。

寺宝から見る

那谷寺の姿

宝物館では前田家より寄進

された美術品を展示しています。利常公の唯一の肖像画をはじめ、豊臣秀吉公が使用した茶道の窯、平安時代に描かれた両界曼荼羅図など随時入れ替えて公開しているので、ご参詣時はぜひ心ゆくまでご鑑賞ください。

心にも形にも残るご参詣

金堂では御朱印を、普門閣では写経を。動と静を併せ持つ毛筆の跡、墨の香りが心を清らかに落ち着かせてくれることでしょう。

〈御朱印〉300円(朱印帳は1,500円)

〈写 経〉1,000円(30分〜60分程度)

湧き出る霊水の恵み

本殿下にある清浄な水「不動明王の霊水(閼伽水)」は、願いを込めながら念珠や指輪など身に着けるものにかけると、運気が上昇すると言われております。憤怒の相を示される不動明王は、迷いを打ち砕き、障害を除き、所願成就へと導いてくださる仏様です。

木造の本殿は巨大な岩山の洞窟とつながっており、境内屈指の秀逸な建築です。この洞窟で「ウマレキヨマル」を現した那谷寺の「胎内くぐり」をご体感ください。母親の胎内を象徴する洞窟へ入り、巡り、外へ出づる…罪穢れを流し清めて、生まれ変わる祈りを捧げる神聖な場所です。

ありのままの自然に触れて

国名勝指定を受けている奇岩遊仙境は、見上げるだけでなく登って体感していただけます。自然が在るからこそ人が在る、まさに「自然智」の具現化です。この教えを大切にしている当寺だからこそ、あえて手すりなどは設置しておりません。登られる際はスニーカーなどの運動靴をおすすめいたします。

その景色、奇なりて自然なり

地上約20mの「展望台」からは、奇岩遊仙境を含む那谷寺の境内を一望いただけます。桜や紅葉もさることながら、新緑、純白の雪と四季折々の眺めは実際に訪れた方だけが体感できる感動。撮影はもちろん写生を楽しむ方も多く、心に残る景色が広がります。

霊峰白山を拝して

清く白くやわらかな稜線を描く白山は、古来より女性的な山として表現、神聖視されてきました。白山信仰のある那谷寺では、白山権現の本地仏である「十一面千手観世音菩薩」を本殿と金堂にてお祀りしています。

北陸白寿観音霊場のひとつ

長寿をはじめ認知症や中風封じにご利益をいただけるとされる健康長寿の仏・白寿観音を奇岩遊仙境前の広場にてお祀りしています。約10年前、平成の高齢化社会を見据え、那谷寺が中心となって「北陸白寿観音霊場」を構成いたしました。

かの俳人と小説家の句碑

江戸時代の俳人・松尾芭蕉は南加賀にも訪れ、那谷寺にも参詣しました。後に「奥の細道」にて詠まれた俳句を句碑として残されています。また、『遠山の金さん』を執筆した那谷町出身の時代小説作家・陣出達郎の句碑もあります。

「庚申さん」と呼ばれます

那谷寺の庚申さん(青面金剛)は古くから縁結びの神様として信仰され、粟津温泉の恋物語「おっしょべ節」の中にも登場します。赤い糸でお札を結び、願いを心に描きながら「なむしょうめんこんごう(南無青面金剛)」と3回ご真言を唱えてお祈りください。

神仏習合の理想郷の表れ

明治時代に神仏分離令が出され廃仏毀釈が起こるまで、一般的に神道と仏教が融合していました。発令されてから多くの寺(仏教)・神社(神道)が分けられましたが、那谷寺は奇跡的に残り、現在も神仏習合の理想郷を表現しています。

意匠が凝らされた

小さな塔

国指定重要文化財に指定された那谷寺の三重塔は、仏塔の文化財の中で最も小さいと言われていますが、小さいからこそ匠の技を間近に見て感じられます。中でお祀りしています大日如来は、南北朝の騒乱時に惨禍を避けるため山奥へ運び出して隠していました。

食べて飲んでほっと一息。

「普門閣」には休憩所も併設されており、美しい庭園を眺めながら抹茶やコーヒーを味わえます。また那谷寺の僧侶の修行場でもあった『生雲』では、現在宿泊や食事(夜のみ)ができます。

白山を遥拝する山頂の宿

かつて那谷寺の僧侶たちの修行所だった生雲は、現在「自然を拝し、自然に抱かれる山頂の宿」の「白山自然智の宿・生雲」として宿泊や夕食日帰りが可能です。神道火祭りはここで行っており、宿泊された方はご同席いただけます。

〈夕食日帰り〉15,000円〜(1名様)※要予約

白山自然智の里・生雲

人が集まる場所として

那谷寺開創1300年を迎えるにあたり、那谷町有志による「那谷寺1300年祭実行委員会」が結成され、さまざまなイベントを企画・実行しています。昔、寺は人と地域のコミュニティを築き深める場でもありました。門前朝市やライトアップ、きもだめしなど町も人も盛りあげていく身近な活動にご期待ください。

境内に潜むかわいいあの子

小松市の老舗和菓子屋「松葉屋」の店主が当寺とご縁がある事からご寄附くださいました那谷寺オリジナルキャラクター「なたちゃん」。その顔出しパネルをはじめ、境内美化を護る「護美小僧」や楓月橋建立の際に棟梁が遊び心で作った「棟梁サル」までかわいいキャラクターが境内にそっといます。見つけられましたでしょうか?

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