https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946220895&owner_id=7184021&org_id=1946239083 【山頭火の日記(昭和8年8月8日~、行乞記・仙崎)】 より
『行乞記』(仙崎)
八月八日
五時半出立、はつらつとして歩いてゐたら、犬がとびだしてきて吠えたてた、あまりしつこいので桂杖で一撃をくれてやつた、吠える犬はほんとうに臆病だつた。水声、蝉声、山色こまやかなり、大田へはいつてゆく道はやつぱりよろしい。十時には秋吉に着いて行乞、さらに近在行乞、財布(ナイフとルビをふるべし)を忘れてきてゐる。夕立がやつてきた、折よく観音堂で昼寝。もう萩が咲いてゐる。新屋といふ安宿に泊る、愛嬌のない、井戸もない宿だつた、相客はいかけやさん、料理人、前者はおしやべり、どこか抜けたところがある、後者は生来の世間師、いらないものがある。水は正直ですよ、といつていかけやさんが修繕したバケツに水を入れて覗いてゐる。さすがに秋吉附近は大理石の産地、道ばたの石ころも白い光沢を持つてゐる。
旅立つ今朝の、蝉に小便かけられた
朝月のある方へ草鞋はかろし
あぶない橋の朝風をわたり山の仕事へ
笹に色紙は七夕の天の川
そこは涼しい峠茶屋を馬も知つてゐる
夕立晴れた草の中からおはぐろとんぼ
昼寝覚めてどちらを見ても山
おのが影をまへに暑い道をいそぐ
暮れると水音がある暗い宿で
月夜の音させる牛も睡れないらしく
旅はいつしか秋めく山に霧のかかるさへ
霧ふかく山奥は電線はつづく
ゆふべの鳥が三羽となつて啼いてゐる
山のまろさは蜩がなき
蜩のうつくりなくに田草とる
かなかなもなきやんだ晩飯にしよう
行程五里、行乞四時間。今日の所得は 銭弐十六銭、米弐升八合。木賃は三十銭 (等級は中の下)。お菜は野菜づくし
【行乞記(仙崎)】
『行乞記』(仙崎)には、昭和8年8月8日から昭和8年8月28日までの日記が収載されています。
八月十日
朝の山を眺めながら朝酒を味はつた、樹明君は夜明けに起きるなり自転車を飛ばせていつた。七時すぎてから地下足袋を穿く、ほろ酔のうれしさである。峠は近道(いひかへれば旧道)を歩いた、道連れとして面白い人物が待つてゐた、彼は酒好きの左官、女房に死なれて焼糞になつてゐるが、近く後妻を貰ふつもり、どうでせうかと訊く、是非お貰ひなさい、それが最も賢明な策ですと勧説して別れた。三隅へ二里、十時頃に着いた、さつそく行乞をはじめる、今日はどういふものか気分がすぐれない、手当り次第に何でもぶちこわしたいほどいらいらしてゐる、かういふ場合の行乞はとても苦しい、自他共に傷づく行為である、しかし私は無理にも行乞しなければならないのだ、私は銭が欲しいのだ、不義理な借金をいくらかづつでも払はなければならないのだ。――仙崎まで三里の間、行乞しつゞけた、中途で橋の下の草の上で昼寝などして。投げてくれた一銭銅貨は投げかへしてやつた。田舎饅頭、五銭で六つはうまかつた。若い飴売鮮人と話し合うた。こぢれた気分がすこしづつほぐれた、こだはるなこだはるな、水のながれるやうであれ。仙崎の宿はよかつた、設備(部屋も夜具も便所も湯殿も井戸も)待遇(その大半はおかみさんのサービス如何にある)共によかつた、木賃料は一昨夜の宿とおなじく三十銭だが、その倍の値打はある、相客三人、屋号は寺田屋。今日の所得(銭六十四銭、米二升二合) 晩のおかず(さしみ、茄子、焼海老) 夜は近所のお寺の夜店を見物した、観音祭らしい。桟橋の涼風が身心をさはやかにしてくれた。昨日は山の青さ、今日は海の青さ、明日はまた山の青さを鑑賞することができる。
朝月残る木槿が咲いてゐるながれ
島へ渡しの、氷や菜葉や郵便や
氷屋ができて夾竹桃の赤や白や
落ちてきて米つく音の水がながれる
近道のいちはやく山萩の花
水は岩からお盆のそうめん冷やしてある
【仙崎】
この日の日記に、「仙崎の宿はよかつた、設備(部屋も夜具も便所も湯殿も井戸も)待遇(その大半はおかみさんのサービス如何にある)共によかつた、木賃料は一昨夜の宿とおなじく三十銭だが、その倍の値打はある、相客三人、屋号は寺田屋」とあります。この日は、長門市仙崎の寺田屋に泊まっています。円究寺に、「どうしようもないわたしが歩いている」の句碑があります。山頭火が長門市を歩いたのは昭和8年8月10日、11日の2日間であり、仙崎で6つの句を残していますが、この中に適当な句がなかったため、山頭火の作品の中から「浄土宗のお寺にふさわしい、お念仏の道にも通じる、と思われるこの句を選んだ」といいます。
【童謡詩人・金子みすゞ】
ちなみに長門市仙崎は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人・金子みすゞ(本名金子テル、明治36年4月11日~昭和5年3月10日)の生誕地で、みすゞが幼少期を過ごした金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」があります。みすゞは、大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに500余編もの詩を綴ったとされます。
http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/
八月二十一日
草取、身辺整理。藪蚊と油虫とが癪に障る。早く晩飯をすまして、蚊帳の中で読書をしてゐるところへ樹明君が来て、井手逸郎さんの到着を知らしてくれる、私は駅前の宿屋まで出迎にいつたが、かけちがつて、逸郎さんはひとりでもう庵にきてゐられた。酒も下物もすべてを樹明君が負担してくれた、いつもすまないと思ふが、さう思ふだけでどうにもならない。三人で夜のふけるのも忘れて話しあつた、愉快な一夜だつた、送つて街へ出かける、まるし食堂でビールを飲んで別れる。樹明君はいつしよに戻つて泊つた。
朝焼うつくしいとかげの木のぼり
泣く子泣かしておく青田風
述懐一句
がちやがちやがちやがちや生き残つてゐる
【朝焼うつくしいとかげの木のぼり】
この日の日記に、「朝焼うつくしいとかげの木のぼり」の句があります。また山頭火の句に「ひよいと穴からとかげかよ」があります。とかげは、この場合、自然から山頭火という孤独な男への、使者なのです。
八月廿三日
今朝はすつかり秋だつた。七時から嘉川在を行乞したが、何分にも心臓がわるくて気分がすぐれない、無理に二時間ばかり家から家へと歩いて、今日明日食べるだけのお米を頂戴して帰庵した。曼珠沙華が一輪、路傍の叢に咲き出てゐた、折つて戻つて、机上に飾つてゐたら、油虫が食べてしまつた。死生から脱することは出来ないが、死生に囚はれないことは出来る、宗教的修行の意義はここにある。行乞してゐると、村の餓鬼君がホイトウホイトウといふ、いつぞや敬治居に泊つたとき、坊ちやんが、「おぢさんはホイトウかの」といつて私達を微苦笑させたが、ホイトウはおもしろいな! 午後、夕立があつた、落雷もあつたらしい。
青田おだやかな風が尾花のゆるるほど
秋暑く何を考へてゐる
ここにも家が建てられつつ秋日和
何もかも虫干してある青田風
【ホイトウ(乞食)】
この日の日記に、「行乞してゐると、村の餓鬼君がホイトウホイトウといふ、いつぞや敬治居に泊つたとき、坊ちやんが、『おぢさんはホイトウかの』といつて私達を微苦笑させたが、ホイトウはおもしろいな!」とあります。ホイトウとは「陪堂」と書き、禅宗などでは僧堂の外で陪食を受けることをいいますが、ここでは乞食、ものもらいの類をいいます。山頭火はホイトウ(乞食)の境遇に甘んじ、ときには「メイ僧のメンかぶらうとあせるよりもホイトウ坊主がホイトウなるらん」の戯れ歌も記しています。乞食にも二通りあって、コツジキとコジキでは紙一重ながらも雲泥の差があります。本来いう乞食とは、敬われる存在です。山頭火は、昭和5年10月30日の日記で次のようにいっています。
「嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、体でも嘘をいはないようにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。」
八月廿五日
曇、風模様、二百十日前後らしい天候。出勤途上、樹明君が立ち寄つて暫らく話す。晴れてきた、おだやかなお天気となつた。気分はすぐれないけれど、もう食べるものがなくなつたから、しようことなしに近在行乞、やうやく米一杯半と句四つ戴いた。昨日の御飯が少しばかり残つてゐたので昼飯をすます、少々ベソをかいてゐる、お茶漬にして食べる、ルンペンを通つてきたおかげで、何でもおいしくして腹をいためない。これから水がうまくなる、と今朝樹明君と話しあつたことである、むろん、酒はいよいよますますうまくなる。秋が来ると、私はいつも牧水の酒の歌をおもひださずにはゐられない。こんばんの御飯はほんとうにおいしかつた、からだのぐあいもだいぶよくなつたやうだ、気持がうかないのは一杯やらないからだらう(二十二日、二十三日、二十四日、二十五日と四日間飲まない、いや飲めない)、機械も人間も同様で、油がきれたのだ、誰か来て油をさしてくれる人はないか、などとアル中患者の愚痴を一言書き添へて置く。昨日から待ちつづけてゐる敬坊は今日も来なかつた、私は失望するよりも、何かあつたのではないかと心配する。行乞帰途、路傍に捨ててあつた大根を拾うてきた、そして浅漬にして置いた、勿論、捨ててあつたぐらゐだから牛の尻尾みたいな屑大根である、それでも私が作つたのよりもよく出来てゐる、私は不生産的な人間だから、せめて物を粗末にしないことによつて、それを少しでも償ひたいと努めてゐる、そしていつも物の冥加といふことを考へてゐる、生きてゐるよろこびを知るならば生かされてゐるありがたさを忘れてはならない。それにつけても、その大根を拾ひあげるとき、私は何だかきまりが悪かつた、禅坊主らしくもない羞恥感である、古徳先聖の勝躅を再思三考せよ(巻煙草の吸殼を拾ふ場合は別である、それは恥ぢなければならない、恥づべき享楽のあらはれだから)。ありがたさがもつたいなさとなるとき、その人の宗教的情操は高揚したといつていい、彼はもののいのちにぴつたり触れたのだ。
まえもうしろもつくつくぼうしつくつくぼうし
胡瓜もをはりの一つで夕飯
こうろぎよあすの米だけはある
星がまたたく山こえて踊大皷の澄んでくる
改作二句追加
酔ざめの水くみに出て草月夜かな
家を持たない秋がふかうなるばかり
昼もしづかな蠅が蠅たたきを知つてゐる
蠅たたきを感じつつ蠅が飛びまはる
追加(昨年の句を改作して)
雪ふりつもる法衣のおもくなりゆくを
朝の鐘の谷から谷へ澄みわたるなり
曇れば鴉鳴もかなしくて
夕鴉鳴きかはしてはさびしうする
追加
濡れて涼しく晴れて涼しく山越える
いつもひとりでながめる糸瓜ながうなる
秋空へ屋根葺きあげてゆく
はだかとなれば秋らしい風で
水くんであほぐや雲は秋のいろ
【家を持たない秋がふかうなるばかり】
この日の日記に、「家を持たない秋がふかうなるばかり」の句があります。また、山頭火の句集『草木塔』に次のようにあります。
「 家を持たない秋がふかうなるばかり
行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。」
八月廿八日
晴、早天、酔うて倒れこんできた樹明君はそのままにして出立。
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