https://www.fujisan.co.jp/articles/courrier/01/ 【「わび・さび」の意味を説明できますか?】より
こんにちは、ヨーロッパ班の松村です。
発売中のクーリエ・ジャポン6月号で、「日本に伝わる『美意識』は世界に誇れる文化です」という記事を担当しました。『千利休の功罪。』(阪急コミュニケーションズや『利休入門』(新潮社)といった著書を持つ茶人・木村宗慎さんに、「“和の心”とは何か?」というテーマで語っていただいたインタビュー記事です。
グローバル化が急速に進み、海外の人々に向けて「日本の文化」を語れる力が重要視されるなか、まずは世界的にも人気の高い「茶の湯」の精神について学んでみようという企画です。
さて、茶の湯の精神と聞いて、「わび・さび」という言葉を連想するかたは多いと思います。でも、わび・さびとはいったいどういう意味なのか。はっきり説明できるかたは、きっと多くないでしょう。かく言う自分も、今回のインタビューをするまでは、その意味をきちんと摑めていませんでした。木村さんは、わび・さびについて、まずこう説明してくれました。
「わび・さびは、『侘しさ』と『寂しさ』を表す日本語に、より観念的で美的な意味合いを加えた概念です。わびとさびはよく混同されますが、じつは両者の意味は異なるんです」
えっ、わび・さびって似たような意味じゃないの……? そう驚かれた読者のかたもいるんじゃないでしょうか。日常会話のなかではとかく一括りにされがちな、わびとさびという言葉の違いについて、木村さんはこう続けて説明します。
「さびは、見た目の美しさについての言葉です。この世のものは、経年変化によって、さびれたり、汚れたり、欠けたりします。一般的には劣化とみなされますが、逆に、その変化が織りなす、多様で独特な美しさをさびといいます。
一方、わびは、さびれや汚れを受け入れ、楽しもうとするポジティブな心についての言葉です。つまり、さびの美しさを見出す心がわびなんです」
さびが表面的な美しさだとすれば、わびは内面的な豊かさ。両者は表裏一体の価値観だからこそ、わび・さびと、よくセットで語られるのだそうです。こうした日本の美意識について、しっかりと論理的に語れるようになっておくことが、世界で活躍するためにますます重要になると、木村さんは言います。
「日本の伝統文化は“感性と情緒”に支えられている。そう言われることが多々あります。私は、仕事でよく海外の美術館やアートフェスティバルで講演を行うのですが、そうした場で出会うキュレーターの方やお客さんからも、『日本の美意識は、欧州文化のように論理的には説明できないものだ』と言われたことがあります。
でも、私はそうは思いません。いわば“言葉にならない美意識”を浮かび上がらせるため、まるで補助線を描くように、周辺部に存在するさまざまな価値観を言葉で切り取っていく。そんな感性が、日本では伝統的に育まれてきたと思うんです」
日本の美意識はわび・さびだけでは表せないと、木村さんは言います。「やつし」や「数寄」、「ばさら」に「けれん」といった概念も、日本の伝統文化を語るうえでは欠かせない、とても重要なキーワードなのだそうです。
確かに、どれも一度は耳にしたことがありますが……、その言葉の本当の意味はおわかりですか? 「ちょっと自信がない」──と答えに窮してしまったかたは、ぜひ本誌を手に取ってみてください。
https://kotokurabe.com/wabi-sabi/ 【「わび」と「さび」の違いって? 】 より
「わび」「さび」はいずれも、日本特有の美意識を表す言葉である。「わびさび」と一括りにして使われることが多いことから、両者の意味は混同されやすい。
「さび」は、見た目の美しさについていう言葉である。
「さび(寂び)」とは本来、古びる・色あせる・枯れるなどといった表面的な変化をネガティブに捉えるだけの言葉だった。
しかし鎌倉・室町時代以降、ポジティブな意味も生まれた。この世のものは時間が経つにつれ、さびれたり、欠けたりする。そういった変化を「劣化」とは捉えず、むしろ美しいと捉える価値観が生まれたのである。
そこから「さび」とは、古びて味わいがあるという意味でも使われるようになった。
「わび」とは
これに対して「わび」とは、「さび」の美しさを見出す心のことを指す言葉である。
「わび(侘び)」も本来は、気落ちする・思い通りにならない寂しさといった内面のネガティブな部分についていう言葉であった。
しかし、こちらも鎌倉・室町時代以降に肯定的な意味合いへと変化した。すなわち、簡素・閑寂な趣を楽しむことのできる境地を意味するようになったのである。
まとめ
さび:見た目の美しさ
わび:内面の豊かさ
→表裏一体の価値観
https://gimon-sukkiri.jp/wabi_sabi/ 【日本文化って何だろう?「わび」と「さび」の違い】より
「わびさび」という言葉を聞いたことがありますか。日本の美意識として有名ですが、ちゃんとしたニュアンスは分からない人も多いと思います。
「わびさび」とは、実は1つの言葉ではなく、「わび」と「さび」の2語を組み合わせたものです。そのため、「わび」と「さび」のニュアンスを知ることで、初めて「わびさび」という言葉の意味を理解することができます。
東京オリンピックが近づくにつれて、多くの外国人が日本に来るでしょう。今回は、初めて日本に来た海外の人に日本文化を紹介する上で欠かせない、「わび」と「さび」の概念について解説していきます。
「わび」は「侘ぶ」の名詞形。質素さ、簡素さの先にある日本の美意識。
「さび」は「寂ぶ」の名詞形。古びた空間の寂しさの先にある日本の美意識。
「わび」をもっと詳しく
「わび」は、日本語の古語である「侘ぶ」という動詞に由来します。「侘ぶ」は「気落ちする、落ちぶれる、貧乏になる、困る」という意味を持っていました。つまり、劣った状態を表す否定的な意味の言葉でした。そこから転じて「質素で簡素な暮らしをする」という意味になりました。
現在の「わび」は、質素で簡素な状況の中に美しさを見出す日本の美意識を表す言葉です。不足・欠如・欠乏・不自由といった足りない状況下で、静寂で閑静な中から生まれる趣を楽しむ、というニュアンスです。
「わび」は千利休や松尾芭蕉と深く関わっています。
茶道の一つの形式に「わび茶(侘茶、侘び茶)」というものがあります。「わび茶」は村田珠光(むらたじゅこう)から始まり、千利休が完成させました。これは豪華できらびやかな茶道とは異なり、簡素で「わび」を重要視したものでした。世俗的な価値観から外れたものとして評価されました。
「わび茶」は安土桃山時代に流行りました。千利休のように簡素で閑静な茶の湯を好む茶人のことを「侘び数寄(わびすき)」といいました。
さらに江戸時代前期に俳句を発展させた松尾芭蕉(ばしょう)も「わび」という概念を重視しました。実際に松尾芭蕉の句にも「わび」という言葉が登場しています。
「さび」をもっと詳しく
「さび」は、日本語の古語である「寂ぶ(荒ぶ)」という言葉に由来します。「寂ぶ」は「荒れた気持ちになる、色褪せる、さびる、古くなる」といった意味を持っていました。つまり、時間がたち、生命力がなくなっていく様子を表す否定的な意味の言葉でした。
現在ではそこから転じて、静寂さ、寂しさの内にある美しさを表すようになりました。「わび」と同様に日本の美意識を表す言葉です。古くなることで出てくる味わい、枯れた空間の中に感じられる趣が「さび」という言葉の中に込められています。
「わび」と同じく、松尾芭蕉が重要視した概念です。芭蕉により主導され、影響された俳句の作風のことを蕉風俳諧(しょうふうはいかい)といいますが、その理念の中心の1つとして「さび」があります。
まとめ
以上、この記事では、「わび」と「さび」の違いについて解説しました。
わび:無駄な装飾を排除した先にある、質素さの中の美
さび:古く、寂しい空間の中にある美
海外、特にヨーロッパの観光名所としては、豪華絢爛な建造物や、荘厳な建物などが多いでしょう。モン-サン-ミシェル修道院やヴェルサイユの宮殿などは美しく、圧倒的な存在感を感じさせる建物です。
日本の「わび」「さび」の概念は、それらとは対照的に「質素さ」「古さ」「静けさ」を重要視するものです。例えば、京都の銀閣寺や茶室などは「わび・さび」を体現した歴史的建造物であるといえるでしょう。
どちらが優れているということはありませんが、「わび・さび」が非常に日本的で独自の美意識であることは間違いないでしょう。日本人としてしっかりと理解しておきましょう。
https://intojapanwaraku.com/culture/13279/ 【わびさびとは何か?日本人ならではの美意識をわかりやすく解説】 より
素朴さを感じる茶道具、静寂に包まれた庭園を見た時に感じる美しさ。それを私たちは「わびさび」という言葉を使って表現しがちです。この「わびさび」、何となく日本らしい、とはイメージできるけど、その意味までは正直わかりません。今回は「わびさび」の成り立ちや、茶道・日本庭園との関係などについて調べてみました。
わびさびは、日本独自の美意識、例えば質素で静かな様子や不完全であることをよしとするひとつの名詞のイメージですが、実際は、侘び(わび)・寂び(さび)のふたつの名詞が繋がったもの。それぞれ意味も違うようです。まずはそれぞれの意味からみてみましょう。
侘びの意味
わびは「侘び」と書き、動詞「わぶ」の名詞形です。「(1)わびしいこと。思いわずらうこと、悲しみなげくこと (2)俳諧(はいかい)・茶道の精神で、おちついて、静かで質素なおもむき。閑寂」(出典:「新選国語辞典」第9版)という意味で使われています。
もともとは、「思うことがかなわず悲しみ、思いわずらうこと」という意味でしたが、室町時代あたりから、失意や窮乏(きゅうぼう。金銭や物品が著しく不足して苦しい様子)などの自分の思い通りにならない状態を受け入れ、積極的に安住しようとする肯定的な意味・内容をもつようになりました。
置かれている状況を悲観することなく、それをむしろ楽しもうとする精神的な豊かさを表現した言葉なのですね。
寂びの意味
さびは「寂び」と書き、動詞「さぶ」の名詞形で、「古語大辞典」によると、「日本の古典芸術の代表的な美のひとつ。現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美。無常観や孤独感を背景として、和歌・連歌・茶など、ジャンルを超えて重んぜられた」とあります。もう少し簡単に言いかえると、「古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられること」ということでしょうか。
平安時代後期〜鎌倉時代初期の歌人、藤原俊成(としなり)は、歌合(うたあわせ。歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び)で「寂び」を用いた和歌を残すなど、古くから使われていたことがわかっています。
精神性を表現した侘びとは異なり、寂びは内面的な本質が表面的にあらわれていくその変化を美と捉える概念のようです。
その後、「わびさび」の美意識は中国から伝来した禅宗と結びつき広がっていきます。室町時代以降、禅宗の物事の本質を求める思想が武士・知識階級の人に広まり、石や砂紋などで水の流れを表現する枯山水など、文化面でも影響を与えました。
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侘び寂びの使い方
侘びと寂びの意味がそれぞれわかったところで、具体的にどのように使うのか調べてみました。
「侘び寂び」って、どんな時に使うの?
・例えば寺社仏閣。古い建築物になると、木造部分の装飾に痛みや、緑青(ろくしょう。銅製のものにできる青緑色の錆び)があります。それを表現する時に、「この静けさに包まれた寺院は、華やかな装飾こそないものの、侘び寂びの趣を感じる」などといいます。
・石の蹲(つくばい)に生えたコケを見た時に、緑の美しさはもちろん、それが育つまでの時間にまで思いが巡ります。そして、石の何十年経っても変化しにくい特性から、安定感を覚える方もいるでしょう。そういった場合に、「この蹲からは侘び寂びを感じ、見ていると心が落ち着く」などと表現します。
・紅葉が散りゆく時に、そのはかなさや残った枝の寂しさ、やがて訪れる冬の厳しさを想像し、「この紅葉の艶やかさと散り際に侘び寂びを感じる」といいます。
以上のように、侘び寂びは事象・空間に対して、自身の感情が静かに揺れ動いた時などに用いるようですね。
日本文化とわびさびの関わり
日常におけるわびさびの使い方がなんとなくイメージできたところで、日本の文化とわびさびの結びつきについて、その人物をキーワードにして調べてみました。
千利休の茶の湯における「侘び」
わびさびと聞くと、茶道を思い浮かべる方も多いかもしれません。その始まりとはどのようなものだったのでしょうか。
室町時代の貴族や武士の間で、中国の豪華な茶器 (唐物) を集める美術品鑑賞としての「茶の湯」が広まる一方、室町時代中期以後には村田珠光(しゅこう)・武野紹鴎(たけのじょうおう)らによって、簡素で静寂さを感じる道具を使って行う新しいお茶の礼式がつくられました。それが「侘茶(わびちゃ)」です。
村田珠光は「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章を残していて、満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも、雲の間に見え隠れする月の方が美しいと述べています。この文章にも表れているように、不足した美を楽しむ精神を侘茶の中で主張したのです。
こうした珠光の茶の湯をさらに深めたのが、当時国際的な商業都市だった堺の有力な町衆だった紹鴎で、彼に茶の湯を学んだのが千利休です。利休は人びとの心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯を目指します。また、自らの審美眼により数々の道具を創造するなど、それまでの茶の湯には見られなかった独創性を発揮して、侘茶を大成しました。
江戸時代になると、茶道における侘びは根本美意識と位置付けられるようになり、積極的に志向すべきものとして、茶人たちによってその意味や内容が規定されていきます。「侘び茶」という言葉が出てくるのも実は江戸時代です。
松尾芭蕉の俳諧における「寂び」
「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な松尾芭蕉。当時、華やかさなどがもてはやされていた俳諧において、わびさびを織り込んだ芭蕉の俳句は大きな衝撃を与えるものでした。
芭蕉の弟子のひとり、向井去来(きょらい)は『去来抄』に「さびは句の色なり」と記しています。この、さびは俳句を詠んだ作者の心情に表すものとして、芭蕉も積極的に志向していたのです。
小堀遠州の「綺麗寂び」
「綺麗寂び」とは、江戸時代初期に小堀遠州(こぼりえんしゅう)が形づくった、茶道の美の概念です。小堀遠州は千利休や古田織部に茶道を学んだ武将・茶人で、豊臣から徳川へという激動の時代を生き抜き、茶道に彩り豊かな王朝文化を結びつけた新しい形を創造します。
明るい息吹を感じるあかぬけたその美意識は「綺麗寂び」と呼ばれました。生涯に遠州が開いた茶会の数は400回あまり。大名・公家・旗本・町人などあらゆる階層を招き、延べ人数は2,000にも及ぶと言います。
わびさびの世界は、身近な自然から建築、茶道、文学に至るまで、幅広い分野で共有されてきた感覚なのですね。
世界へ広まる”Wabi-Sabi”
「わびさび」という言葉は英語でもWabi-Sabiで通じます。海外から訪れた人が旅行客が日本を表現するときや、日本文化を海外に紹介するときに言葉の代名詞のように用いられることもしばしば。では最後に、わびさびや禅を本を通して世界へ広めた方をご紹介します。
ひとりめは日本の思想家である岡倉天心です。”The Book of Tea (邦題:茶の本)”で日本の茶道について、禅や道教・華道との関わりとともに日本人の精神性を紹介しました。
ふたりめは陶芸家であり、日本の民藝運動にも関わったバーナード・リーチ。彼はその著書、”The Unknown Craftsman: A Japanese Insight into Beauty (邦題:英文版 柳宗悦評論集)”で侘びと寂びについて解説しています。
次はレナード・コーレンという作家・編集者です。彼は、著書”Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers (邦題:わびさびを読み解く)”という本で、それまできちんと明確化されていなかった「わびさび」という感覚を、モダニズムと呼ばれる近代的な思想との比較などを通して言語化することを試みた著書を発表しました。
4人目は鈴木大拙(だいせつ)です。彼は円覚寺の釈宗演(しゃくそうえん)のもとで禅を学んだあと渡米し、禅についての著書を20冊以上英語で執筆し、世界に知らしめた仏教学者です。”Outlines of Mahayana Buddhism(邦題:大乗仏教概論(だいじょうぶっきょうがいろん)”の執筆やハーバード大学やプリンストン大学などで、仏教哲学や禅思想の講義なども行い、「ZEN」ブームのきっかけとなった。
最後にご紹介するのは米アップル社創業者のひとり、スティーブ・ジョブズです。彼は禅に傾倒し、曹洞宗の僧侶を師と仰ぎます。彼の作った製品は洗練さを極めており、禅の影響を強く感じます。そんな彼の傾倒ぶりは、スティーブ・ジョブズ(ウォルター・アイザックソン著)などにも記され、その精神性が世界へ伝わることとなりました。
このようにして「わびさび」という概念が日本の美意識であるということが世界へ広まっていったのです!
https://wabisabi-nihon.com/archives/15718 【「侘び寂び」の精神とは?理解しておきたい日本人独自の「美意識」の意味】 より
先日、久しぶりに宇治へ行ってきました。
京都市内もよいけれど、宇治もこじんまりして素敵なところですよ。
宇治のよさは、洛中とは違う「侘び寂び」を感じる静かなところです。
以前、冬の平日に行ったときは、ここが観光地?というほど人が少なくて、宇治上神社や宇治川添いを、のんびり静かに歩きました。
「侘び寂び」という言葉は、日本人が感じる感覚的なものですが、言葉で説明するのはとても難しいですね。今では「和風の古い物」に対して使う言葉のようになっています。
それはそれでよいのかもしれません。言葉というのは変わっていくものですから。
「侘び寂び」の大成者は、茶人の千利休といわれます。でも、万葉の時代から「侘び寂び」という言葉はあったのですよ。
万葉集の歌人と千利休のいう「侘び寂び」は、同じものではないでしょう。
日本人の美意識の1つといわれるこの言葉は、実に奥深いものなのです。
「侘び(わび)」と「寂び(さび)」は、もともと別の物でした。
「侘び」は「侘び茶」という言葉もあるように、今でも茶道で使われることが多いです。
では、「寂び」はどういうものなのでしょう。
俳人松尾芭蕉の根本精神は、この「寂びの精神」だといわれます。
「侘び」と「寂び」はまとめて使われることが多いですが、異なるものなのです。
今回は、「侘び」「寂び」という言葉の意味を、簡単にお伝えします。
「侘び」~花は野にあるように
私たちは、静寂な古いお寺などに行ったとき「侘び寂び」を感じると言います。
普段は「侘び」と「寂び」の違いを、特に気にすることなく一緒に使いますね。
でも、「侘び」と「寂び」は、ニュアンスの異なるものなのです。
辞書的に言うと、「侘び」は、不完全な物、不足しているものから感じられる美しさのこと。
昔から日本人は人工的に完璧に作り込まれたものよりも「自然のままのもの」、「不完全なもの」を好む傾向がありました。
(1)村田珠光の「わび茶」
「侘び」という言葉が、茶道で使われるようになったのは室町時代です。
この頃の茶道の茶会は、高価で派手な唐物(中国製)の茶器を使うとても豪華なものだったそうです。
ところが、そんな荘厳な茶会を否定する人が表れました。
それが、村田珠光(じゅこう)という茶人です。彼は、日本昔話のとんちで有名な大徳寺の「一休さん」に学んだ禅僧でした。
彼は、日本の茶道具を使った点茶法を生み出し、そこに「禅」の質素な精神を加えたのです。それが、「侘び茶」の始まりです。(「侘び茶」という言葉が使われたのは江戸時代に入ってからです。)
村田珠光の考える「侘び」を表現するこんな言葉があります。
「雲ひとつかからずに輝く月よりも、雲間に隠れた月のほうが味わいがある」
この2つの月の表現、違いがよくわかりますね。
「不完全な美の追求」のニュアンスが、なんとなく伝わるでしょう。
あなたは、どちらの月がお好みですか?
私はギラギラ輝く月は怖いので、雲間に隠れてちらちら見える月の風情に一票です。
(2)千利休が「侘び茶」を確立
少し時代が下り、安土桃山時代(戦国時代)に入ると、茶道の大成者として超有名な千利休が登場します。利休は、珠光の理念を茶器、作法、空間すべてを含む「茶道」の中に確立させた茶人です。
茶室には書(掛け軸)生け花、器という大事な要素があります。茶道の生け花は、とても簡素ないけ方です。
「花は野にあるように」
これが、茶道の花の生け方を表す言葉です。
けっしてゴテ飾り付けず、「自然のまま」に咲いているように生けることを目指します。人工的に「自然を演出する」という試みでもあるのです。
私たち日本人は人の手で完璧に作り上げられたものよりも、ありのままそこにあるもの、不完全でも自然の中で作られた美しいもののほうが好ましいと感じるのでしょう。
私はきれいに整いすぎた空間、だだっ広くて荘厳な空間は、気後れして落ち着きません。観光でさらっと訪れるぐらいなら、すごいなーっという感想ですが、そこで暮らしたいとは思えないのです。
それより、厳選されたモノだけ置かれた清潔な古い和室のほうが、よっぽどほっとします。
そこにあるのは、たった一輪の季節の花と、一息できるお茶。それだけで十分です。
「侘び」という言葉は、そんな日本人の落ち着いた心を象徴する言葉でもあると思います。
「寂び」
「寂び」は、動詞「さぶ」の名詞形です。「さぶ」には、「生気、活気が失われる」「時を経てもとの姿が劣化する、おとろえる」という意味があります。
時を経たものは、劣化しながらも独特の美しさを持ちます。骨董品やアンティークの良さはこれにあたります。
そして、次第に「寂び」は「人のいない静寂な状態」を指すようになりました。ポイントは、「人のいない静かでさびれた空間」という点です。
ここで先程述べたの松尾芭蕉について、考えてみます。松尾芭蕉の俳句には、このポイントを押さえたものが多いのです。
「夏草や つわものどもが 夢のあと」
「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
これらの名句は、すべて「人気のない静かで寂しい空間」で詠んでいます。
その空間にいるのは、観察者の芭蕉一人です。
だからこそ、その静寂を破る蝉の声や水の音が際立つのです。そうしてはじめて、単なる静けさが「寂び」という境地に達するのでした。
つまり、「寂び」とは、静かさの中にたった一人の身を置いて始めて成り立つものなのです。
アンティークな古い味わいのあるものに囲まれた一人が好きな内向型にぴったりの空間ですね。やっぱり、「わびさび」最高です。
おわりに
日本人の美意識「侘び寂び」は、ただ質素で閑散としているだけではないと分かりました。
もっともっと情感のある「本質的な美しさ」をさす言葉なのです。
自然のままありのままのものを愛する心、人気のない静寂の中で古びたものの本質的な価値を愛でる心、落ち着きがあって素晴らしいと思います。
昔の日本人はこんな風に過ごすことが風流と考えていたのに、なぜ、今はみんなでパーッと騒ごう!というノリが主流なのでしょう。これも、戦後の「精神の欧米化」によるのでしょうか。私は、そういうのは疲れます。
では、最後に、「侘び寂び」について、まとめておきます。
★「わびさび」とは、日本人が持つ美意識の1つである
★「わびさび」の「わび」と「さび」は、もともと別のもの
★「わび」とは「不足しているもの、不完全な物から感じられる美」のこと
★「さび」とは「静寂の中にある古びたものから感じられる美」のこと
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