生命のらせんの不思議 椿の花に思う

https://henrymiura.hatenablog.com/entry/20120421/1334971282 【生命のらせんの不思議 椿の花に思う】より    机草子

我マンション、各棟の前に椿の木がたくさん植えられている。毎年、寒のころから咲き始めるのだが、今年の冬は寒い日が多かったためか、桜と同じ時期にまで開花が遅れた。咲いている時は綺麗なのだが、咲き終わった椿は花びらが汚くなって、みじめな思いがする。月に一回の掃除の時に散った花びらの始末が大変だ。そこにいくと、やはり桜の散り際はきれいで風情がある。

 椿の写真をマクロで撮ろうとして近づくと、花びらが螺旋をえがいていることに気がついた。2010年の7月4日に我がブログで、「雪月花の数学」「感動する数学」として、フィボナッチ数列と螺旋のことについて書いたことがある。(ブログの検索窓に<フィボナッチ>と書いて検索するとその時の記事が表示されます。)

 自然界には「らせん」がたくさんある。「生命のらせん」の不思議だ。Webで螺旋を検索したら、以下のURLが見つかった。自然界の色々な螺旋の写真と説明が載っている。

 螺旋にも、アルキメデスの螺旋、等角螺旋、台風の螺旋、銀河の螺旋、貝の螺旋、葉のつき方の螺旋、花びらの螺旋、松ぼっくりの螺旋etc. 自然界には色々な螺旋がある。

 銀河も含めて、生命(いのち)の世界にどういう原理が働いているのだろうか。物理学の量子力学の原理まで行きつくのかもしれない。原理がわかったとしても小生の頭脳では理解できないだろう。なにごとのおわしますかはしらねども、Something Greatのかたじけなさに感謝して自然の神秘、美しさを味わえればいいと思う。

     「椿見て 銀河のらせん かたじけな」(遍理)


Facebookはる ひなたさん投稿記事【魂の学びは螺旋のように巡る】

私のもとには、10年、20年、そして25年以上にわたり学びを続けてくださる方がいます。

長い年月を通して感じるのは、タロットの学びとは「技術」ではなく「人生そのもの」だということです。

カードを通して自分の心を見つめ、他者を理解し、人生の中で起こるすべての出来事を「学び」として受け取っていきます。

タロットを学ぶということは、生き方そのものを磨き続けることなのだと感じます。

そして、この学びには終わりがありません。

私自身も同じように、ずっと学び続けています。

人として、魂として、地上にいる限り成長は続いていくのだと思います。

長く通ってくださる生徒さんたちを見ていると、それぞれに不思議なリズムがあることに気づきます。

ある時期は熱心に通い、ある時期は少し離れ、数年経って、また新しい姿で戻ってこられる。

それはまるで、魂の計画のように感じられます。「離れる=終わり」ではありません。

多くの方は、学びを通して内面的な変化を迎えると、自然と次の段階へ進んでいきます。

それは魂の成長に必要な「ひとりの時間」です。

そして、人生の新しいステージを迎えるとき、また再び「いまの自分に合う学び」として戻ってこられることがあるのです。私も同じように変化を重ねています。

私自身が成長し、意識が変わるたびに、新しい出会いや学びが訪れます。

私の内側が変化すると、その波動に共鳴する方が自然と集まり、そして、長く学んでくださった方々は、それぞれの場所で自分の役割を広げていかれます。

この循環は、本当に素晴らしいものです。新しい出会いがあり、感謝とともに旅立ちがあり、

また新しい再会がある。それが絶え間なく続いていきます。

だから、誰かが離れることは決して悲しいことではなく、その方が「次の学びへ進んでいる」という自然な流れなのです。そして数年後、また扉を開けてくれたとき、お互いが成長した姿で出会い直すことができます。

タロットを通して見えてくるのは、学びとは「線」ではなく「螺旋」だということです。

同じ場所に戻ってきても、同じ自分ではありません。

以前より深く、以前より優しく、少し高い視点で同じテーマを見つめ直しているのです。

それが、魂の成長というものなのだと思います。

人は学びのたびに、自分自身に出会い直します。

過去の自分を癒し、受け入れ、本当の自分に少しずつ近づいていきます。

そして、学びを重ねるほどに、人はより自由に、より豊かに生きられるようになります。

「学び続ける人」と「教える人」という立場を超えて、私たちは同じ螺旋の中で成長を分かち合っているのだと思います。

誰かが私を必要とするように、私もまた、生徒さんの存在によって磨かれています。

だからこそ、私はこれからも、訪れる方の魂のタイミングを信頼し、その方が必要なときにいつでも戻れる場でありたいと思います。学びは終わらない。出会いは途切れない。

そして、魂の旅は今も静かに、螺旋を描きながら続いています。


Facebook 千々松 健さん投稿記事 

【北斎のGreat Waveに宿る黄金比——芸術と宇宙の戯れ】

映画『おーい 応為』が上映中。 主人公は、あの葛飾北斎の娘・お栄。けれど、彼女はいつしか「応為」と呼ばれるようになった——さて、なぜ?

健さん☆の説によれば、鍵は古代の錬金術書「エメラルドタブレット」に刻まれたトート神の言葉。 「一為る者が全てを成就した」 「下為る者は上為る如く、上為る者は下為る如し」 そしてもう一つ、「一為る者が適応することによって全てが形成される」

北斎は晩年、「為一(イイツ)」と名乗り、娘には「応為」と名付けた。 “適応する者”としての応為——それは、宇宙の理(コトワリ)に応じて形を変える筆のような存在。

健さん☆の直観では、「一為る者」とは【φ:1:Φ】の三つの数。 掛けても差し引いても“1”になる、不思議な黄金比の三位一体。 まるで富嶽三十六景の構図のように、見えない秩序がそこにある。

そして、あの「神奈川沖浪裏」。 荒れ狂う波の中に、黄金比螺旋が潜んでいる可能性は大。 波頭の巻き、舟の配置、富士の位置——すべてが【φ:1:Φ】のリズムに乗っている。 北斎の筆は、ただの風景を描いたのではない。宇宙の呼吸を、絵の中に封じ込めたのだ。

聖書の「初めに言葉が在った」は、こう読み替えられるかもしれない。 「初めに黄金比が在った。黄金比は神と共に在った。」

応為という名には、筆先に宿る宇宙のリズムが響いている。 北斎の遊び心と深遠なる直観が、娘の名にそっと刻まれていたのかもしれません。

https://www.youtube.com/watch?v=4V6oak_e-tg

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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