Facebook森井 啓二さん投稿記事
日本の繊細な四季は、人の感性を豊かにしてくれる。
何でもないようなことを、美しいことに変容させるのは、私たちに備わっている感性と純粋知性です。
Facebook今野 華都子さん投稿記事
声と祈りが「訓(よみ)」となり、かたちになったとき縄文の精神から文字の誕生へ
私たちの祖先、縄文の人々には「文字」はありませんでした。けれど、彼らは豊かな感性の言葉を持っていました。
風の音、水のきらめき、火のゆらぎ、鳥の声自然のすべてを“語りかける存在”として受け止めていたのです。
土器の渦巻き模様や、土偶の姿かたちは、その祈りの心を「形」にしたものでした。
つまり、文字こそなかったものの、「心を伝えるかたちと言霊」はすでに存在していたのです。縄文時代の人々にとって、ことばは“記号”ではなく祈りの響きでした。
祭りや舞、火を囲んで歌う声の中に文字を持たない「うた」があり、そこには自然と人、神と人とが響き合う世界が広がっていたのです。
やがて「漢字」という異国の文字が伝わります。
日本人はそれを神聖な知恵の印として受け入れましたが、そのままでは日本語のやわらかい響きや祈りの言葉を表せませんでした。
そこで始まったのが、「訓読(くんどく)」という知恵の技です。
漢字の意味を借りながら、自分たちの言葉(やまとことば)の順序と響きで読み直す。
たとえば「山川草木」を「やま・かわ・くさき」と読むように、日本の心で漢字を“よみかえる”工夫が生まれました。
この訓読の発想こそ、外来文化を受け入れながらも自分の魂で再構築する力の象徴でした。
音が形となり、祈りが文となる
訓読によって、漢字は「外国の文字」から「日本の言葉を映す鏡」へと変わります。
その流れの中から、音を記すための仮名(ひらがな・カタカナ)が生まれました。
ひらがなは女性たちのやさしい筆の流れの中で、カタカナは僧侶たちの学問の工夫の中で育まれました。こうして生まれた三つの文字、漢字・ひらがな・カタカナは、いまもひとつの文の中で調和しています。
異なるものが出会い、互いを生かし合うその姿こそ、日本人の「和(やわらぎ)」の精神そのものです。文字とは、ただ情報を伝えるためではなく、いのちの響きを伝えるもの、
その源には、縄文から訓読を経て続く、「自然と共に生き、響きあう心」が脈々と息づいているのです。全国古事記塾主宰 今野華都子記す
Facebookわたなべ こうさん投稿記事『「直感」は「腸感」?』😊
日本語で言う「直感」や「虫の知らせ」不思議な第六感のような感覚は、英語では、「6th Sense(シックスセンス)」や「Gut feeling(ガットフィーリング)」と呼ばれます。
ここでの「Gut」 は直訳すると「腸」。つまり「お腹からくる感覚」という意味になります。
予感や不安が「腸」から伝わってくるような感覚は、昔は迷信とも思われていましたが、
近年の研究では、腸は100兆個以上の腸内細菌と複雑な神経ネットワークを持つ「第二の脳」として知られています。
この腸と脳のネットワークは「腸脳相関」と呼ばれ、感情や意思決定にも影響するのだそうです。緊張やストレス → お腹が痛くなる、消化が悪くなる
安心やリラックス → 消化がスムーズになる
こうした反応は、「腸」が状況を感じ取り、脳と共同で行動や感情を調整している証拠です。
昔から「腹が立つ」「腹をくくる」「腹の虫が収まらない」といった表現があるように、
日本語は感情や判断を腹にたとえてきました。
「虫の知らせ」も、腸が発する微細なサインを感じ取る文化的な言い回しかもしれません。
腸内に棲む細菌たちが分泌する物質は、セロトニンなどの神経伝達物質にも影響を与え、
氣分や直感的な判断にも関わっているといわれます。
もしかすると、「あ、これは良い流れだ」と感じるのも、「何か嫌な予感がする」と思うのも、腸内細菌の働きが一因しているのかもしれませんね( ◠‿◠ )
「直感」=「腸感」
直感は論理だけでは説明できない、自分の経験と身体からの総合情報とも言えます。
時には頭で考えるよりも、「腸」から感じた信号に耳を傾けることで、より自分らしい選択ができるかもしれません。
次に何かを決めるときは、「腸」に聞いてみると、素敵な方向に導いてくれるかもしれませんね╰(*´︶`*)╯♡
0コメント