Facebook坂爪 捷兵さん投稿記事・・・日本の誇り・・・「庭園」
わが国が世界に誇る美術文化の代表的な一つが日本庭園である。日本を訪れる外国人観光客は年々増加しているが、彼らは一体日本の何に感ずるのであろうか。「どこで日本の文化を感じたか」とたずねると、多くの人は「日本庭園を鑑賞した時に日本文化を実感した」と答えるという。
日本の庭園は他国と大きく異なる。ことに欧米の庭園は幾何学的、対称的、人工的なものが多い。それに対して日本庭園はわが国の「自然風景を日本的に再現した」ものと言われている。山、樹木、池、川、瀧、石等が渾然一体となり、自然や建物と見事に融け合っている。遠くの山並などをとり入れる「借景」の様式もある。禅寺には幽玄閑寂な枯山水の石庭がある。
庭園様式には平安時代の寝殿造様式、鎌倉時代の枯山水様式、室町・桃山時代の書院造様式、江戸時代に成立した回遊式庭園様式がその代表的なものである。最も総合性に富むのが回遊式庭園で、江戸期、大名たちは競って名庭園を造り上げた。
代表的な大名庭園をあげると水戸の偕楽園、金沢の兼六園、全国いたる所に名庭園は数知れない。
これらの日本庭園をたずねてみるなら誰しもその庭園美に打たれ、心が落ち着き癒やされる思いがして、人間と自然との一体融合を理屈抜きに感ずる。外国人が日本庭園に深く惹かれる意味は大きい。キリスト教やイスラム教などの一神教世界の人々の自然観は日本人と大きく異なる。元来彼らは人間と自然は別箇の存在と見なしてきた。この世界は、神―人間―動物―自然という厳然たる階層秩序があるとする。神は唯一絶対の創造主であり、被造物である人間・動物・自然は神からみると全く取るに足らぬ存在でしかない。被造物の間にも序列があり、人間が上で次いで動物、自然だが、この三者の間も無限の隔たり、断絶がある。それゆえ人間と自然は全く別々の存在であり、決して一体たりえない。これがキリスト教などの一神教の自然観であり、日本人が古来受けついできた自然観、世界感の対極にある。欧米人は西洋キリスト教文明こそ絶対とこれまで長らく信じてきたから、神道にもとづく日本人の自然観、世界感は理性的には承諾しえない。しかし彼らは日本庭園を見た時、理屈を超えて感情心情でその芸術的美しさに気づくのである。
人間は理屈、理論だけでは物事の本質を知ることはできない。
それらが日本ほど多い国はない。日本人の神道的心性に立つ自然観を日本庭園を見せることにより外国人を無言で了解させる道があるというのは、何と素晴らしいことであろうか。
Facebook 草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
「畏怖」といのちのつらなり
日本において、大いなるものへの敬意や驚きは「畏怖(いふ)」という言葉に深く表れています。ただ恐れるのではなく、人智を超えた存在への尊敬と、それと対をなすように感じる自分自身への謙遜が混ざり合った言葉です。
人間の力を過信せず、こうして大いなるものの存在を意識することに、まさに人の知恵が生きてきたように思います。
今、「ビッグヒストリー」という言葉で、138億年ともいわれる宇宙の歴史を捉えようとしています。ビッグバンからはじまり、地球ができ、生命が生まれ・・・から、いま生きる私たちまでを包括して見つめ直すという視点は、「いのち」をどう捉えるかという問いに壮大なスケールを与えてくれます。
この視点こそ、「歴史の巨大さに対する人間の謙遜」=「畏怖」のカタチに思われ、現代がようやく古の智慧に追いつこうとしているような、そんな気がしてきます。
日本人が、咲いた桜より散る桜に思いを寄せるのは、惜しむという気持ちのあらわれです。風に舞う花の無常観の美しさですが、ビッグヒストリーの視点から見れば、この「無常」こそが、いのちが絶えず変化しながらやがて宇宙へと還っていくサイクルの姿でしょう。
『わび さび」とはそこに美を見出す日本人ならではの感覚だと思います。
人間の体は約37兆個の細胞でできていると言われます。しかし、もともとたったひとつの受精卵から生まれたものです。
さらに、地球上のすべての生き物は38億年前の、ひとつの細胞(LUCA・最終共通祖先)に行き着きます。私たちは個でありながら、途方もない過去からの連続性とつながりを持っていることを示しています。
いま吹く風にも、億万年の分子が残っています。その中を生きているということが、まちがいなく壮大なビッグヒストリーの一部として存在している証です。
いっときいっときを慈しんで生きるとは、いのちの歴史を慈しむことなのでしょう。
まもなく冬がやってきます。次のいのちをじっくりと温める季節になりますね。
https://www.youtube.com/watch?v=0ljFG2rzhH4
https://riwh.jp/2020/04/01/%E5%8D%97%E5%A1%9A%E4%BF%A1%E5%90%BE%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/ 【ビッグ・ヒストリー】より 南塚信吾
2010年代以降、日本でも「ビッグ・ヒストリー」が盛んに紹介されるようになってきた。これは、ビッグバンに始まって今日までの歴史を扱うもので、これまでの歴史学の射程を気が遠くなるほど拡大して、そのなかでの人類の位置を追求しようというものである。したがって、天文学、宇宙論、物理学、生物学などの自然科学と、考古学、地理学、歴史学などの人文科学を相互した学問分野になる。
種々の前史をふまえて、1990年ごろにオーストラリアのデイヴィッド・クリスチャンを中心に始まったビッグ・ヒストリーの研究・教育活動は、2010年にはInternational Big History Associationという国際組織を作るまでになった。そして、2013年にビル・ゲイツがこれに関心を持って、デイヴィッド・クリスチャンとともにBig History Projectを立ち上げ、世界各国でのネットを活用した教育に力を入れてきている。
21世紀に入ってから、世界史では人類「文明」の誕生あたりから現代までのかなり長期的な視野での歴史が注目されてきた。つまり、古代・中世・近代のいずれかの時期の世界史でも、前期代・近代の世界史でも、世紀別の世界史でもなく、それらを超越した通時代的な世界史である。しかし、近年、これをさらに超える長い歴史が提唱されてきている。改めて整理してみると、現在、この大きな歴史を考える方法としては、
1万数千年前の人類「文明」の誕生から考える歴史
200万年前のアフリカにおける「人類(ホモ・サピエンス)」の誕生から考える歴史
40億年前の「生命」の起源から始めて人類の歴史を論ずる歴史
宇宙の始まりから人類の歴史までを論ずる「ビッグ・ヒストリー」
が併存している。「人類」がどこからきてどうなるのか、地球上の「生命」というものがどこからきてどうなるのか、そしてさらに地球を一部とする「宇宙」がどこからきてどこへ行くのかが問われているのである。これらは、これまでは歴史学の扱う分野ではないと考えられていたが、地球科学や生命科学の発達を基礎に、気候変動や地球温暖化などの問題に直面して、そうではなくなってきたのである。
21世紀に入ってからの主な著作(邦訳)をあげてみよう。
1.人類文明の歴史 1万3000年前~
ウイリアム・H・マクニール『疫病と世界史』佐々木
(略)
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