半うつ

Facebook加藤隆行さん投稿記事

東北の心の駆け込み寺・精神科医・平光源先生の新刊、拝読させていただきました。

『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』 https://amzn.asia/d/edIdgxm

平先生の本を読むと、いつも感じるこの感覚。「優しい」とか「やわらかい」では足りない。

「重い」でもなく、もちろん「軽い」でもない。──そう思って言葉を探していたら、

ふと浮かんだのが「地に足のついた」という言葉。

ご自身も地を這うような精神的苦しみを味わい、本書にも記されている3.11の地獄の現場を生き抜いた先生。だからこそ書ける“実感のこもった言葉”がここにあります。

一方この本は、とてもユースフル(役に立つ)な本でもあります。脳内ホルモンを車の「アクセル」「ブレーキ」「エンジン」にたとえ、どの順番で回復させていくのか。その時なにをどんな風に取り組んでいったらよいのかが、とてもわかりやすく書かれています。「車自体(=あなた)はすばらしい」「必要なのは ”変わる” ことではなく、メンテナンス」というメッセージが、深く響きます。

そしてこれはボクの推測ですが──先生は、読むことすらしんどい状態の人に、最大限の配慮をして書かれています。やさしく、端的に。文字数を少なく、改行を多く。やわらかいながら的確に心に届く言葉を選ばれて書かれている。まるで読みながらも “呼吸ができる本” のように。「半うつ」という言葉のやさしい入口から、回復への道を、静かに、丁寧に導いてくれる本。心のエンジンを休ませたい人に、ぜひ手に取ってほしい一冊です。

平先生、ありがとうございます。「半うつ」という言葉広めたいですね。さて、今から積極的現実逃避に行ってきます😂


https://sunmarkweb.com/n/nf756394bdc6a 【憂鬱以上、うつ未満…強くあらねばと思う人ほど「半うつ」になりやすい必然】より

なんだか最近、心にモヤがかかったような感覚が続いている。体調が悪いわけでもないし、大きな悩みがあるわけでもない。それなのに、以前のようにスッキリとした気持ちになれない――。そんな状態に心当たりがあるなら、それは『半うつ 憂鬱以上、うつ未満』の著者で精神科医の平光源さんが定義する「半うつ」かもしれません。

 平さんは現代社会で生きている以上、半うつは誰にでも起こりうると指摘します。

江戸時代の人からすれば、全ての現代人がすごい 江戸時代の人が現代にタイムスリップしてきたら、きっと驚くでしょう。「この人たちは、いつ息を抜いてるんだ?」「こんなに生き急いで、疲れないのかな……」「……で、いつになったら幸せになれるの?」と。

 絶え間ない通知、終わらない仕事、SNSでの比較、情報の洪水、AIの台頭、経済の不安定さ……。

 これだけの負荷を毎日背負いながら、それでも朝起きて、仕事をして、家族の世話をして、日々を重ねている現代人は、本当にすごいと思います。

 昔なら一生かけて経験するはずの情報量を、私たちは毎日処理している。

 昔なら村という小さなコミュニティで比較していた自分を、今は世界中の人と比較させられている。そんな中で「頑張れない」と感じるのは、当たり前です。

 むしろ、これだけ大変な時代に生きているのに「もっと頑張らなければ」と自分を責めてしまうあなたは、十分過ぎるほど頑張っています。

「半うつ」になってしまうのは、あなたが弱いからではありません。 あなたの責任でもありません。 この複雑で過酷な現代社会を、一生懸命生きようとした結果なのです。

 だからこそ、まずは自分に「よく頑張ったね、お疲れさま」と声をかけてあげてください。

強い人ほどなりやすい

「半うつになりやすいのは、どんな人だと思いますか?」

 この質問に対し、あなたはもしかすると「心の弱い人」「ストレスに弱い人」を想像したかもしれません。 でも実際は、その逆です。

 この複雑な現代社会では、これまで「良い」とされてきた性格特性が、むしろ人を追い詰める罠になってしまうことが多いのです。例えば、責任感が強い人。

「この仕事は私がやらなければ」「みんなに迷惑をかけるわけにはいかない」と考えて、どんどん仕事を抱え込んでしまう。

 昔なら責任感の強さは美徳でしたが、今は、やるべきことが無限に増え続ける時代です。責任感が強いということは、その無限の重圧に1人で立ち向かうということになってしまうのです。 または、我慢強い人もそうです。もちろん簡単に諦めず、目の前の壁に立ち向かうことは素晴らしいことです。しかし、我慢強い人は、ある意味、自分の心の状態に鈍感なところがあります。疲れていても「まだいける」、心が辛くても「みんなも同じはず」と、どんどん自分の感覚を麻痺させていってしまいます。これらの特性を持つ人たちには、共通点があります。それは、「強くあらねばならない」という思い込みです。

そしてこんな言葉を口にするわけです。「私が弱音を吐いたら、みんなが困る」「私がしっかりしないと、チームが回らない」「私が倒れるわけにはいかない」

 でも、考えてみてください。「本当の強さ」とは、無理を続けることでしょうか?

 限界を超えても頑張り続けることでしょうか?むしろ、自分の限界を認めて、適切に休息を取り、必要な時には助けを求める。それこそが、本当の強さだと私は考えます。

ひと昔前は、「強い人」とは「何でも1人でやり遂げる人」のことだったのかもしれません。

でも現代のように複雑で過酷な時代では、「強い人」の定義を変える必要があります。

本当に強い人とは……・自分の限界を正直に認められる人・助けが必要な時に「助けて」と言える人・完璧でなくても、それを受け入れられる人・時には立ち止まる勇気を持てる人だと、私は考えます。つまり、従来の「強さ」にしがみつくことこそが、現代では最も危険な行為であり、心を弱らせてしまいます。

もし、あなたがこれまで「良い」とされてきた特性を持つ人なら、それは素晴らしい長所です。しかし同時に、現代社会では「半うつになりやすい特性」でもあることを知っておいてください。あなたの強さは、正しく使われてこそ価値があります。自分を壊してまで発揮する強さは、本当の強さではありません。


Facebook作原 弘さん投稿記事【うつ病の家族との関わり方、悩んでませんか?】

心の扉って、どんな扉やと思います?

実は、「外開きで取っ手がない扉」なんです。

こっちから無理に開けようとしたら…バタンッ!て、もっと固く閉まってしまう。

でもな、ちゃんと“話を聴く”ってことを続けてると「あ、この人にはちょっと話してもええかな…」って、そっと扉が開いていくんです。

その瞬間を、見逃さないでほしいんです。

家族ができることって・最後までちゃんと聞く・否定しない・自分の気持ちを押しつけない

たったこれだけで、「また話したい」って思ってもらえるんです。

それができたら、その扉は少しずつ、開きっぱなしになっていきますよ。

【あなたはどう感じましたか?】

「こんな接し方、うちでも意識してみようかな」って思ったら、ぜひコメントで教えてくださいね。「うちも家族のことで悩んでます」って方も、お気軽にどうぞ。


Facebook加藤隆行さん投稿記事【やさしさはタイミング】

今日、コンビニで買い物したときのこと。店員さんがレジ袋にオニギリを入れながら「今日は寒いですね〜」って言ってくれたんです。

そのときボクは、なぜか「はあ…」としか返せなかった。しかも無表情で。

心の中は「は?急に話しかけんといて…」みたいな。いやいや、あなた悪くないのに。

そんで家に帰ってから思ったんです。ああ今、やさしさに鈍感になってたな、って。

人って、疲れてるときとか余裕がないときって、ほんとに「やさしさ」を受信できなくなります。「気をつけてね」って言われても「うるさいな」って思ったり、「ありがとう」って言われても「いや別に」って言ってしまったり。心がカチカチに固まってると、やさしさの電波を

キャッチするアンテナが折れたみたいになるんです。

でもね、面白いのはここから。自分が “受け取れない側” になってみてフト気づいたのは、

人にやさしくすることの難しさ。

だって、どんなに相手のことを思って丁寧に言葉をかけても、相手が受信モードじゃないと、

その言葉は届かない。つまり──やさしさって、「与える側の力」だけでは完結しない。

相手が受け取れる“余白”があって、はじめて循環するものなんですよね。

だからもし、あなたが誰かに優しさを向けたのにそっけなくされたとしても、それは、

あなたの優しさが足りなかったわけでも、相手があなたを嫌っているわけでもない。

ただそのとき、相手のアンテナが少しお休みしていただけかもしれません。

そのあと、家に帰ってあたたかい紅茶をいれながら、「さっきの自分、 ちょっと疲れてたな」ってぼんやり思いました。

それで湯気をながめていたら、折れてたアンテナがニョキニョキっと伸びてくるような

イメージが浮かんで、なんだか少し元気になった。

その夜もう一度、同じコンビニに行ったら、店員さんにこう言えたんです。「ありがとう、寒いですね」って。

やさしさって、届ける側と受け取る側、どちらの準備もそろったときに静かに成立するものなんだと思います。

届かなかった優しさも、ちゃんと心をあたためてるかもね。(^ω^)☕

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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