https://note.com/028mikoto/n/n2751b3a7c595 【妖怪俳句】より
冬になると詠みたくなるもの、それは妖怪俳句。
「雪女(雪女郎ゆきじょろう)」「鎌鼬かまいたち」「狐火きつねび」などの妖怪はれっきとした冬の季語となっていて、『俳句歳時記』には心惹かれる句が数多くあります。
雪女郎おそろし父の恋恐ろし(中村草田男) 三人の一人こけたり鎌鼬(池内たけし)
狐火を信じ男を信ぜざる(富安風生)
私は殊
「狐火」からは、闇夜、峠道、青白い炎、怪しさ、昔話……等々、ありきたりな連想ばかりが浮かんできて、「my狐火」を未だ見つけられず……。
句や歌を詠もうとする時、無意識のまま常識として刷り込まれている枷が邪魔をして、その頑強さに参ってしまいます。
きゆうきゆうと群れて狐火ネオン街 昼光にゆらぎて狐火の孤独
ああ……全然、景が見えてこない……。この冬もまた、妖怪俳句修業です~。
美しい黒髪の女性…そう「雪女」だって冬の季語!妖怪俳句の世界へようこそ | 和樂web 日本文化の入り口マガジン
五・七・五の十七音で作られる世界で一番短い詩形、俳句。日本語はもともと五音七音のリズムと相性が良く、テレビやネットでのキャ
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昨年、小学館「和樂web」に書かせていただいた妖怪俳句の記事です。
妖怪の謂いわれや、魅力的な妖怪俳句をご紹介しています。
よろしければご覧くださいね。
https://mag.nhk-book.co.jp/article/18790 【妖(あやかし)の季語をつかった俳句 —— 俳句と映像【NHK俳句】】より
楽しむ 俳句
2022年度『NHK俳句』の講座「俳句と映像」で講師を務めるのは高柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)さん※。番組では、動画をもとに、遠隔地の風景から俳句を作ってみるという、コロナ禍の時代に即した試みをします。12月号の兼題は「狸」。狸、狐、雪女など妖の季語をつかった句をご紹介。
雪深い冬は、狩りの季節です。次のような句には、狩りの対象としての狸が詠まれています。
鞠まりのごとく狸おちけり射とめたる 原はら 石鼎せきてい
吊つるされて足を揃そろへし狸かな 清崎きよさき 敏郎としお
罠わなありと狸に読めぬ札吊れり 村上むらかみ 杏史きょうし
石鼎の句は、撃たれて地面に落ちたときの様子を、鞠に譬たとえています。わずかに弾んだのでしょう。無残な光景を、鞠が跳ねる華やかなさまに譬えたことに意表を突かれます。敏郎の句では、吊るされた狸がきれいに足を揃えているところが物悲しさを誘います。脚が短い狸の特徴も、よく押さえられていますね。杏史の句は、狸罠を詠んでいます。人間が間違って近づかないように札を掛けているのですが、当然、狸には読めません。当たり前のことを真面目に言っているところがユーモラスであり、人間に知恵ではかなわない獣の哀れも感じられます。
狩りの対象になったあとには、毛皮をとられたり、汁にされたりします。
狸汁座中の一人ふと消えぬ 佐藤 さとう 紅緑こうろく
実際には、宴の輪の中から、誰かが中座したというだけなのでしょうが、まるで化かされた気持ちになります。「狸汁」であるからこそ、そんな幻想がふっと湧くのですね。
「狸」という季語の特徴は、物語のキャラクターとしても愛されているという点です。人間を化かしたり、腹鼓を打ったりといった、現実離れした姿で物語に登場します。民話の「かちかち山」や「文福茶釜」、現代のアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」など、狸が活躍する物語は古今に数多あります。俳句の中でも、怪異として縦横に跋扈ばっこします。
稲刈りて地蔵に化ける狸かな 正岡まさおか 子規しき
稲刈りのすんだ村にやってきた狸。地蔵に化けて、収穫を狙っているのかもしれません。童話の一場面のようです。
枯野原汽車に化けたる狸あり 夏目なつめ 漱石そうせき
狸が汽車に化けるという、明治時代に生まれた偽汽車の説話を踏まえたものでしょう。漱石には『夢十夜』という、幻想性の強い小説がありますが、句作の上でもときに、こうした現実を離れた空想の世界に遊んでいます。
かりくらの月に腹うつ狸かな 飯田いいだ 蛇笏だこつ
「かりくら」とは、狩り場のこと。人間は、狸を獲ってやろうと狙っているのですが、当の狸は、のんきに月見をして腹鼓を打っています。捕まえられるものなら捕まえてみろと、挑発しているようです。
十七世紀半ば以降、博物学の発展によって、生物を物語としてではなく視覚で捉えるようになったと哲学者ミシェル・フーコーは言っていますが(『言葉と物』)、目には見えない仮想の世界も、俳句の中には豊かに温存されています。これらの愉快な化け狸の句は、そのことの証拠です。
歳時記の中には、たとえば「狐火」(冬)といったような怪異の季語を見出すことが出来ます。 狐火や髑髏どくろに雨のたまる夜に 蕪村ぶそん
野末で死んだ者の「髑髏」に、おりからの雨がひたひたと溜まっています。そのかたわらに、狐が吐くといわれる「狐火」がちらついています。雨の中に見えているというのですから、現実ではありえない灯火であり、なんともおどろおどろしい風景です。蕪村は怪異に関心が強く、妖怪の絵もたくさん残しています。
蕪村の巧いところは、怪奇趣味の句においても、しっかり描写を忘れないことです。「髑髏に雨のたまる」は、野ざらしの髑髏の描写として、たいへん生々しいですね。怪異の句は、作り事だと読者に見抜かれないようにする必要があります。虚構であっても、いかにもありそうな、ひとつの映像として示すわけですね。もう一句、蕪村の「狐火」の作を紹介しましょう。
狐火の燃えつくばかり枯尾花 蕪村
枯れた芒に、狐火が燃え移りそうだというのです。「見てきたような噓」とはこのことでしょう。
怪異の季語としては、「雪女」(冬)もあります。「雪女」は天文の季語なのですが、やはり字面から妖怪としての「雪女」が連想され、俳人の創作意欲をかきたててきました。
筓こうがいは白骨作り雪女 鈴木すずき 真砂女まさじょ
雪女見しより瘧おこりをさまらず 眞鍋まなべ 呉夫くれお(※)
真砂女の句は、「筓」という装いに着目して、本当に雪女を見てきたかのようです。雪女は好きになった男を氷漬けにしてしまうという伝承もありますから、この「白骨」は、殺した男のものなのかもしれません。ぞっとしますね。その名も『雪女』というタイトルの句集も持つ作家の呉夫(※)は、「雪女」という季語に執着しました。「震」ではなく「瘧」であることがその恐ろしさを物語っています。
近現代の俳句は「写生」を基調としますが、現実的な句ばかりでは痩せてします。今よりも人間が自然の驚異を生々しく感じていた時代の記憶が、季語には封じられています。それもまた、俳句の世界の奥行となっているのです。
※眞鍋呉夫さんの「呉」は、正しくは旧字体です。
選者の一句 子と待つや檻おりの狸の腹鼓 克弘
選者 高柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)
1980年、静岡県浜松市生まれ。藤田湘子(ふじた・しょうし)に師事。「鷹」編集長。句集に『未踏』『寒林』、著書に『NHK俳句 作句力をアップ 名句徹底鑑賞ドリル』『別冊NHK俳句 脳活!まいにち俳句パズル』シリーズなど多数。
※高柳さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。
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