https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BC_(%E9%95%B7%E6%B8%95%E5%89%9B%E3%81%AE%E6%9B%B2) 【とんぼ (長渕剛の曲)】
https://www.youtube.com/watch?v=KCqSzqBT0ik
Facebook加藤隆行さん投稿記事「自信を持ちたいんです」
カウンセリングでもよく出てくるフレーズです。でも多くの人が思う「自信」って、「オレってすごい!」「私なら絶対できる!」みたいなノリ。
でもそれ、実は「自信」じゃなくて──「慢心」です。むしろ内心では不安だから、必死に自分を盛り上げてるんですよね。
ほんとの自信とは、「失敗しても大丈夫」「できなくてもまあいいや」と思えること。
つまり、弱々でダメダメな自分でも「大丈夫」と信じてあげられる“安心感”。「自分を信じる」から自信。「強い」「できる」といった“条件付きの自信”は、その条件が崩れた瞬間に消えてしまいます。
だから、真の自信とは“何があっても自分を見捨てない”力。ドヤ顔で武装するより、布団でゴロゴロしながらまあ今日も大丈夫やろ」ってつぶやけるほうがよっぽど自信アリです。
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さて、もうひとつのカンチガイ。それが「強さ」です。多くの人が思う「強さ」って、
「泣かない」「負けない」「落ち込まない」。……それ、ただのロボットです笑。
ほんとの強さとは──「弱さを受け入れる器」を持っていること。怖がってもいいし、泣いてもいいし、負けてもいい。そんな自分をちゃんと許せる人は、他人の弱さにも優しくなれる。
だから本当に強い人は、「弱い人を助けられる強さ」を持っている人。隣で「泣いてもいいよ」って言ってあげられる人です。それこそが、筋肉ムキムキマンよりもずっと強い。
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結論。「自信」も「強さ」も、外に張り出す派手さじゃなくて、内側に“安心できる器”があるかどうか。恐れを持ったままでも、オープンでいられる心の基盤があること。
失敗した自分には「できなくてもまあいいか」弱くて怖がってる自分には「怖いよね」「でも、それでも大丈夫」と言ってあげられること。それができたら、あなたはもう立派な“自信と強さの持ち主”です(^ω^)
Facebook加藤隆行さん投稿記事
責任をとることと、自分を責めることを一緒にしている人、けっこう多いんですよね。
「責任(せきにん)」の「責」と「責める」の「責」が同じ字だから、無意識に混ぜちゃうのかもしれません。でも——ここ、意味は真逆です。「責める」は、誰かを“悪いことにする”こと。「自分を責める」なら、自分を悪いことにする。「他人を責める」なら、他人を悪いことにする。どちらも「悪い」ってラベルを貼ったところで、その先には進めなくなっちゃうんです。そこで“思考停止”。「私のせいだ…」も「アイツのせいだ!」も、実はどちらも同じ構造。どちらもただ「責めてる」だけで、実はそれ、責任から逃げてるのと同じ。むしろ「責任のがれ」ってことです。
だから不思議なことに、どちらも現実は一ミリも動かない(笑)。
本当の「責任」って、“事実を事実として引き受けて、現実に対処すること”。
そこに「悪い・良い」のジャッジは要りません。むしろジャマ。
たとえば、コップを割ったら、事実を認めて片づける。それが責任。「私が悪いんだ…」と
ガラスの前で落ち込んでても、コップは戻らないし、「だってアイツが押したから」と人を非難してもダサいだけ。それは責任を取ってるんじゃなくて、ただ自分を罰してるだけ。他人のせいにしているだけ。
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「反省」と「後悔」にも似ています。反省は未来に向かう。後悔は過去に沈む。
同じように「責任」は前進の力で、「責める」は足を止める力なんです。
じゃあ、なぜ人は自分を責めちゃうのか。それは「もう同じ失敗をしたくない!」という
“恐れ”があるから。誰かのせいにしておけば、前に進まなくていいのです。
つまり、自分責めも一種の防衛反応。だから出てきてもOKなんです。
大事なのは、「おっと、また責めちゃってたな」と気づくこと。そして、そっと手放す。
それでいい。責めることを続けると、心がどんどん萎縮して、「責任を引き受ける勇気」まで
失ってしまいます。
だからこそ——責めるより、引き受ける。悪者探しより、「これからどうする?」。それが、本当の責任。今日もどうか、誰も悪者にしない優しい責任感で人生を引き受けていきましょう(^ω^)
Facebook Sammaditthi Asakura
過去を引きずらず、未来を不安がらず、今を強く生きることで、明日の礎を築こう。
皆さまが素敵な1日を過ごせますように。(祈)
Facebook 加藤隆行さん投稿記事
「正直に言う」ことは大事。「素直でいる」ことも大事。どちらも、ウソをつかずに
自分らしく生きるためのキーワード。
でも──実はこの二つ、似てるようで少しちがうんです。その違い、パッと言えますか?
今日のメルマガは、その言語化にチャレンジ。
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正直な人は、思ったことをそのまま言えます。「嫌なものは嫌」「これは違うと思う」そうやって、事実や考えを曲げずに伝える勇気があります。
でも時に、その“正直”が相手を傷つけてしまうこともある。言葉は正しくても、空気が少しピリッとする。それは、頭で整えた「正しさ」が、心の柔らかさを追い越してしまうから。
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一方で「素直」は、もう少し内側の話。自分の中の感情を、そのまま感じられる状態です。
「本当は悲しかった」「寂しかった」「助けてほしかった」そうやって、誰にも見せない気持ちを自分で認めてあげること。素直な人は、強がらない。正しさよりも本音のあたたかさ”を大事にします。
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「正直」は、頭の誠実さ。「素直」は、心の誠実さ。「正直」は“外に向かう強さ”。
「素直」は“内に戻るやわらかさ”。そんなふうに言えるのかなと思いました。
で、どちらも大切なんだけど、ボクは最近、もうひとつその先にある言葉を師匠に教えてもらいました。それが──**「透明さ」**です。
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「透明」って、何も隠さないというより、“濁らない”ということ。
正直のように「言葉で分かってもらおう」とせず、素直のように「気持ちをわかってほしい」と求めるでもなく、ただ、静かにそこにいてそのままを表現できている人。
透明な人は、何も言わなくても伝わる。言葉よりも存在で、まわりを安心させる。
見せびらかさない、自己主張しない、そんな“在り方”の美しさです。
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正直は「語ること」。素直は「感じること」。透明は「ただ在ること」。たぶん人の成熟って、この順番で深まっていくのかもしれません。
今日も、自分の“透明さ”が、ちょっとでも増しますように。祈っとこ(^ω^)
Facebook 加藤隆行さん投稿記事
先日の記事、かなり大きな反響をいただきました。『「責任をとる」は
「自分を責める」ではない。』
https://www.facebook.com/takayuki.kato.547/posts/pfbid0yvJXwcqLZCsFJfiZt1rnME1SyAR63cRmDeuWxQLa8Y384qW8vtBLHAhDY3CjpmxUl
その分ですね、その中には、こんな声も何通かいただきました。
「自分を悪いと責めて、 ちゃんと戒めないと責任が取れないのでは」「自分も悪かったと省みることが、 成長ではないか」とても真面目で誠実なご意見です。
ボクも、言ってることはよくわかります。
でもね、だからこそあえてその誤解を解くために、前回の記事を書きました。
今回はさらに深めてみますね。
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「責任をとる」と「自分を責める」は、似てるようでまったく違う。
いわば、“混ぜるな危険” です。自分を責める人は、たとえ表面的には「責任をとった」としても、心の中ではまだ終わっていません。
どんなに頭を下げても、どんなに反省しても、どんなに行動では責任をとったとしても、自分を責め続けるかぎり、その出来事はずっと“過去の罪”として心の中に生き続けます。
一人が罪を背負ったままです。だから「責任をとって終えた」とは言えないのです。
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さらに私たちは長い間、「自分を責めることが成長だ」と“教育”されてきました。でも、それは明確に間違いです。それは「成長」ではなく、**恐れによる“しつけ”**なんです。
「怒られるからやらない」「悪い子にならないように我慢する」まるで恐怖による動物の調教。それは、成長ではなく“制限”です。自分を責めることで成長したように見えても、
それは「もう失敗しないように」と心を縮こまらせているだけなんです。
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そして、自分を責めて解決しようとする人は、自分のキャパを超える大きな責任が来たときに
無意識にも怖くなって逃げてしまうかもしれません。(もしくは責任で潰れてしまう)
だって、「責任=自分を叩くこと=恐怖」だと心に刻み込まれているから。
しかも、自分を悪いと判断する人は、いずれ他人にも「悪い」と判断します。
そして「許せない」が増えていく。これ、心の法則なんです。(スピ的にはこれをカルマといいます)自分に「厳しさ」で対処することにはこういう弊害があります。
本当の「責任」とは、状況をフラットに見て、関係者全員を “許す” ところまで含まれます。
「自分の責により、 ただそういうことがあったのだ」と 明らかに見て受け入れ
誰をワルモノにするのでもなく対処する。これが責任の取り方で、そこまでいって、
ようやく“完了”です。
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責任とは本来、“現実に応答する力”です。叩く力ではなく、応じる力。
だからこそ——責めるより、引き受ける。そして、許す。
それが、本当の「責任をとる」ということ。今日もどうか、誰も悪者にしない
優しい責任感で人生を引き受けていきましょう(^ω^)
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