Facebook長堀 優さん投稿記事
さまざまな偶然に導かれ、古代から使われていたピンク法螺貝を現代に広めたリーコワケワケさんと、ペトログリフ研究の第一人者武内一忠先生の共著が出版されました。
南米で発掘される古代の土器が縄文式土器に似ていたり、ヨーロッパに残るストーンサークルと同じような遺跡が九州で見られたりするのはたまたまの偶然なのでしょうか。
武内先生は、古代、神奈備型の山から湧く腐らない真水を縄文土器に入れて世界中に運んだ民族がラピュタ族であり、彼らの拠点の一つが、伊豆、熱海、真鶴近辺であったと推測します。
また、山形で発掘された石斧に刻まれた文字がシュメール文字とよく似ており「スメル」と読めることから、ラピュタが向かうシュメール、つまりスメル国のミコトを日本でも祀っていたことがわかると武内先生は指摘されます。
世界各地を渡り歩いてきた武内先生の興味深いお話は尽きることがありませんが、この本の中で私が最も驚いた記述は、先日私のタイムラインでも記事をアップした「ウガヤフキアエズ」についてでした。
武内先生は、次のように語ります。
ユダヤとフェニキア、一緒になって日本を持ち上げてきたこの二つの民族に、大和がつけた名前はなにか、
ユダヤはウガヤ、 フェニキアはフキアエズ、 つまり、ウガヤフキアエズとは、ユダヤとフェニキアを示す、 というのです。
もしそうであるなら、後世の史書において、ウガヤフキアエズを一人の天皇として歴史に埋め込んだのは、その出自をわからなくするため、と考えられなくもありません。
その真偽はさておき、名前、地名、そして、遺跡や遺物に刻まれた文字に古代民族の歴史が刻まれることは間違いありません。
義経北行伝説も、江戸時代、蝦夷の開発が始まった折に、地元に多くの史跡や伝承が残ることから注目されるようになったとされます。
さまざまな古文書に史跡や遺物からの情報を加え、先入観なく自由な視点から読み解くという態度が、この先新たな史実を明らかにするのでは、と私は考えます。武内先生、そしてリーコさんの今後のさらなるご活躍を期待しています。
Facebook今野 華都子さん投稿記事【うけひ】
なぜ、スサノヲだけでなく、アマテラスも「御子を生む」ことになったのでしょう。
古事記の「うけひ」の場面は、アマテラスとスサノヲの本質を明らかにする神聖な“試み”であり、単なる勝負ではなく、「いのちの純性」を映す鏡の儀式でした。
「うけひ」とは「受け日」「誓約・うけい「」請け負い」に通じます。
口にした言葉が真実なら吉が生まれ、偽りなら禍が起こる。
つまり、言葉の誠(まこと)を天に証明する行為なのです。
スサノヲは「我は怪しき心も悪しき心も持たず」と主張しました。
その“心の清らかさ”を、生命を生むという創造行為によって明らかにしようとしたのです。
なぜ、スサノヲだけでなく、アマテラスも「御子を生む」ことになったのでしょうか?
表面だけ見れば、スサノヲが疑われたのですから、
彼が一方的に「生んで証明」すればよいように思えます。
しかしアマテラスも御子を生むのは、この儀式が「対の働き」だからです。
古事記では、アマテラスがスサノオの剣を噛んで霧のように息を吹き出し、そこから三柱の女神が生まれる。
一方、スサノオはアマテラスの玉を噛み砕き、息吹から五柱の男神を生む。
どちらか一方が生むのではなく、相手の本質を受けて、新たな命を生み出す。
それこそが、うけひの神髄です。
アマテラスが生むのは「受け取る側の誠」を示すため。
すなわち、どんなものをも愛で包み、清め命へと変える力なのです。
スサノヲが生むのは「差し出す側の誠」を示すため。
自分の力や思いを、私欲ではなく「まこと」によって世に出す”こと。
両者が同時に「生む」ことで、
天と地、陽と陰、男と女、心と言葉、それぞれが一体となってこそ宇宙は正しく循環することを示します。
この結果として、口にした言葉が真実なら吉が生まれ、偽りなら禍が起こる。
つまり、言葉の誠(まこと)を天に証明する行為だったのです。つまり、これは勝負ではなく、宇宙の真理の顕現なのです。
「しきしまの大和の国は 言霊の幸わう国ぞ ま幸くありこそ」
全国古事記塾主宰 今野華都子記す
https://www.kanoya.in/we_love_kanoya/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%BE%A4%E3%81%8C%E8%88%9E%E3%81%86/ 【トンボの大群が舞う ~神武天皇が命名した日本の名「トンボの国」~】より
遠き昔、イザナギ・イザナミは大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)=本州を産み、
「邪麻騰(やまと)」とした。(「大日本豊秋津島(読みは一緒)」とも)
時は下り、神武天皇が東征したおり、神武天皇、嗛間丘(ほほまのおか)に登り、國の状(かたち)を眺め(国見)、「姸哉乎(あなにや) ※『なんとすばらしい』という感嘆の言葉
蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如(ごと)くにあるかな」とつぶやき、ここに本州・日本は、「秋津州(あきつしま)」の呼び名となる。
ゆえに、日本は古来より「秋津島」=「蜻蛉(あきつ)=トンボの国」と呼ばれ、稲が実りとんぼが飛びかう豊かな国土を表すこととなった。
写真に写りしトンボは、いかなる種類か・・・
「赤トンボ」なら、夏に羽化し次第に体が赤くなり、暑い夏には、群れで高山などの涼しい場所に「避暑」に行く。
「ウスバキトンボ」なら、お腹は薄オレンジ色で背面に赤みがあり、熱帯や亜熱帯地方から、群れで南風に乗って海を渡り、北を目指す。
トンボは「勝ち虫」とも称される。
古事記では、雄略天皇が狩りの休憩中、虻(アブ)が腕を刺したが、トンボがその虻をさっと捕まえ飛び去った。天皇はそのことを歌に詠んで讃え、日本(ヤマト)の国号を「蜻蛉島(あきづしま)=トンボの国」としたと伝えている。
それ以降、特に戦国時代の武将達にとって、トンボは勝ち戦への証となった。
トンボは後ろに飛ぶことができないから「前進あるのみ」という意味でも、
空中で素早く虫を捕食して食べることから「勇敢で攻撃力がある」という意味でも、
武具や刀装にトンボを意匠として用い、トンボが、闘いを鼓舞し、「勝利」を呼び込む虫となった。トンボには「精霊トンボ」とも呼ばれるものがいる。
トンボは、先祖の魂を連れてくる、人の魂を載せて運ぶとも言われる。
そう言えば、この写真のトンボの飛んでる様子は、飛行機にも見えませんか?
そろそろ、この地から旅立って大空に散った、特攻の人たちの魂が帰ってくる頃かもしれません。
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