https://note.com/shinjuboshi0028/n/n25e0613a01ff 【「靴紐」を結び直せるひと。/SixTONES「ABARERO」と共に。】より
こんにちは。桜小路いをりです。
先日、図書館で、雑誌『音楽と人』の今年の5月号を借りました。
推しのSixTONESが表紙を飾っていたのですが、最近は雑誌はあまり買っていなかったこともあり。
きちんと読むのは、初めてでした。
その中でSixTONESのメンバーが話していたのは、9thシングル「ABARERO」について。
その後の「こっから」「CREAK」のリリースのスパンからも分かる通り、「ABARERO」は、SixTONES初のドーム公演に合わせて急遽リリースされたシングルです。
改めて、SixTONESの現在地と方向性を魅せつけるような、何かを強く打ち込むような、決意と覚悟に満ちた楽曲「ABARERO」。
その曲についてまとめたライターさんの文章に、こんな言葉がありました。
デビュー以降さまざまな場所へ動き回っていたことで緩んだ靴紐を結び直すような一曲。
この文章を読んだときに、すごく、はっとしました。
私が「ABARERO」に対して懐いていた想い、印象を、ぴたりと言い当てていただいたような。
「靴紐を結び直す」って、とても的確な言葉だと思います。
「靴紐」が緩んでしまうのは、これまで走ったり歩いたりして、休むことなく動き続けてきたからだし、緩んでしまったことにすら気づかないくらい、必死だったということ。
でも、「靴紐を結び直す」には、一度その動きを止めなければならない。
「靴紐を結び直す勇気」は、挑戦して動き続ける勇気以上に、大きなものだと思います。
それでも、「靴紐」がほどけてしまってからでは、きっと少し遅いから。
あのタイミングで「ABARERO」に勝負を懸けたSixTONESは、本当にすごいなと、ひしひしと感じます。
しかも、「靴紐」を結び直したらすぐさま10thシングル「こっから」。
先日、SixTONESのMVの中で再生回数1位になった「こっから」は、「靴紐」を結び直したからこその揺らがぬ自信、熱量に裏付けされた1曲なんじゃないかなとも思います。
「靴紐を結び直す」
これが意識的にできる人って、実は少ないんじゃないかな、と、私は思います。
きっと、ほどけてしまってから「あっ」と気づくことが多いのではないかな、と。
あるいは、誰かに「ほどけてるよ」と言われるまで気づかなかったり。
靴紐が緩んでいることに気づいて、靴紐を結び直せる人。その勇気が、ある人。
それは、自分のことを客観的に見ることができて、さらに、自分の在るべき姿が心の中にきちんと描けている人なんじゃないかと思っています。
傍から見たら分からないような緩みでも、もしかしたら、そのせいで転んでしまうことがあるかもしれない。
そうなる前に、いま一度、きゅっと靴紐を結び直す。新たな決意と、意気込みと共に。
走り続けるだけでは、きっと足らなくて。
どこかで、自分たちの在り方を問い直して、もう一度、在るべき姿を決意と共に心に打ち込まなければならない日が、誰にだってきっとあって。
そんなとき、「靴紐を結び直す」という姿勢を、忘れずにいたい。
その靴を脱ぎ捨てて、新しい靴にするのでもなく。
緩んだ靴紐のまま、走り続けるのでもなく。
一緒にここまでの道のりを歩んできた靴の靴紐を、きゅっと結び直せる人になりたい。
この言葉を読んで、そんなふうにも感じました。
今、この記事をまとめていて、SixTONESの「ABARERO」にさらに新しい印象がプラスされました。
自分自身の在り方を問い直すとき、ただ凛と気高く、その背中を見せてくれるような。
これから、そんな楽曲にもなってくれそうです。
Facebook田中 宏明さん投稿記事
今この投稿を読んでいるあなたにお願いがあります^ ^
ほんの少しだけでいいから目を閉じて ゆっくりと呼吸をして ただ微笑んでみてください
ほら^ ^胸のあたりに なんだか心地よい 温かさを感じるでしょう それがいわゆる
「ハート」の感覚です 日本的にいうと「慈愛」の感覚でしょうか^ ^
でもね^ ^ きっと 目を開けると たくさんのやるべき ことがあります
周りを見渡せば 生気の薄い 何だか死にかけの カッパのようなそんな表情の人ばかりです^ ^なぜなら ほとんどの人が 常に自分の頭の中にある「やるべきこと」「こうあるべき自分」という観念の檻の中で身動きが取れなくなっているからです^ ^
それがいわゆる 我々の暮らす娑婆世界であり「苦しみ」の輪廻が繰り返される場所です^ ^
もちろん誰もそんなところにいたいわけはありませんただどんなに苦しくても 自分の固定観念が自由にありのままにやりたいことをして生きることを「絶対」に許してはくれないのです
そして当然の 結果として 相手の自由を許すことも出来ません^ ^
そんな「許せない」人たちで構成されているのが今の現代社会です
まぁ、許さない地獄と呼んでもいいでしょう😆
世論や常識からずれた人間を執拗に叩くヒステリックなSNSやメディアの報道
会社や学校のわけのわからない慣習や規則 あらゆる人がイライラしながら 胸やお腹の辺りに常に消えない緊張を 貼り付けたまま 仕事をして 学校に通い 子どもを育て 老後の蓄えに備え 冠婚葬祭や 親戚や会社の集まりに まめに顔を出して それでも社会を生きる上では そんなことは「当たり前」のこととして 褒められもせず むしろもっと 成長出来るはずだ!もっと頑張れるはずだと急きたてられて一体いつになったら あなたはホッと一息
つけるのでしょう?
もう少し手取りが 増えたら もう少し有給が 使えるようになったら 子どもに手がかからなくなったら 旦那が先に死んだら(笑)その時こそ自由に自分のやりたい ことが出来る「はずだ」 はい^ ^僕が代わりに言わせてください そんな日は永遠に来ません😆
なぜなら あなたの「自由」は常に何かの条件を必要としているからです
だから 旦那が死んでも やっぱり貯蓄に励んでしまうのです 不安で未知なる「この先」のために^ ^
自由とは何でしょう? それはあらゆる「思い込み」や固定観念」からの自由以外には ありません^ ^ もしあなたが本当に自分自身の「思い込み」から解放されたとしたら その時あなたは 例え牢獄の中にいても自由です^ ^ 病院のベッドの上で寝たきりになっていても自由なんです^ ^ もちろんどこか素敵な海外の別荘にいてもね^ ^
自由とは何かの 条件ではなくあなたの「在り方」なんです^ ^
話しは変わりますが 僕はもうすぐ この「社会」は必然の流れとして崩壊していくと思っています^ ^
これ以上人を幸せに しない社会が続いていく ことに意味は無いし ただ苦しみを再生産
し続けることにも 限界があるからです^ ^
仮にそれでも 今の社会が崩壊しなかった としたら その苦しみが 環境を汚染し
人の心を汚染し続け やがてこの地球は 人間の汚染によってもたなくなるでしょう
社会ではなく 命の土台の崩壊です どちらにせよ 待っているのは崩壊です😊
さぁ^ ^ もうそろそろ腹を決めては いかがでしょう?
自分を 生きることに命をかけてもいいじゃない どうせみんな必ず死ぬんだから
せめて生きている間は リラックスしながら躍動するハートを 生きていたいじゃない^^ ^
だからこそ今 跳べ!命よ!ハートを生きる喜びを 取り戻せ! 命の花を咲かせなさい!
と、彼岸花が申して おりました😆ワハハ🌈 らぶ💓
Facebook加藤隆行さん投稿記事【おむつを脱いだ大人たち】
昨日のおむつの話、反響がたくさんありました。まさかあんなにみんなの心に響くとは…おむつって偉大(笑)。赤ちゃんはなんの制限もなくおむつにおしっこをします。
「出したい!」と思ったら、そのまま出す。迷いゼロ、自由そのもの。
ところが大人は、おむつを履いてもそう簡単にはできません。膀胱はパンパンなのに、
頭が全力で止める。「出してはいけない!」「漏らしてはいけない!」身体は「出したい!」と言ってるのに、心理的抵抗がハンパない。
でこれ、ただのおしっこの話じゃなく心理のことは実はぜんぶ同じって前回書きました。
まだ何も親や社会から取り入れていない「無垢」な赤ちゃんは欲求をそのまま出します。
でも育つにつれて、たくさんのルールを覚えていく。「あれをしちゃいけない」「これはこうあらねばならない」それは、そうしないと見捨てられてしまうから。怒られてしまうから。
悲しませてしまうから。赤ちゃんや幼児は自分だけでは生きていけません。
だから親や社会に所属するために本音や欲求を抑え込むことを覚えていきます。
しかもこれは「頭で覚える」のではなく「身体全体で覚える」んです。これを「無意識」や「潜在意識」とか呼びます。そうやって無意識に禁止や制限を積み重ねてきたものが今の「私」。禁止や制限を積み重ねることが「大人になる」ということでもあります。
そう──大人はおむつを脱いだ代わりに、たくさんの禁止や制限のルールをくっつけてきたのです。もちろん、社会で生きる以上ある程度の制限は必要です。
大人がそのへんで自由におしっこ垂れ流すわけにはいきませんからね(笑)。
ただ一方で、禁止や制限が強すぎると人は自由を失い、あらゆる思いを抑圧して、ものすごく苦しくなっていきます。
でも、それだけ自分の欲求を制限しなければならなかったのには大きな理由があります。
「こうしちゃいけない!」と思わざるを得ない強い「恐れ」がそこにあったからです。
そうやって自分で自分を追い詰め、恐れに囚われ、がんじがらめになってしまったもの。
これがメンタルの病やお悩みの正体。しかもポイントはこれが「無意識」に行われているってことなのです。
最初に戻ります。赤ちゃんは「無垢」で制限なし。大人は環境に影響され、たくさんの制限や禁止をくっつけてきた。批判を恐れずにいえば、人生はこういうゲームなのです。
なにもなかったところに自分でコツコツと厳しいルールをくっつけていき、自分で難易度を上げていく。その攻略法は、“自らつくった”ルールを外していくこと。そして「子供に還っていくこと」なのです。
怖いけどね。だから、おむつ履いておしっこしてみるといいよ。自分の制限がガスっと外れます。そこのドラッグストアで数百円で試せまっせ。実際にやってみた人、マジで“世界の見え方”が変わります(^ω^)
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