俳句・時間・エコロジー

https://note.com/mitsukage/n/n1632cbade331 【俳句・時間・エコロジー】より

                                  鈴木光影

一、気候変動時代の俳句

地球温暖化に伴う気候変動が進行している。二〇二三年、日本全国の平均気温は一八九八年の統計開始以降最も高くなり、長期的に見ても過去百年で一・三五℃の割合で上昇している(参考 気象庁HP)。オホーツク海沿岸地域に到達する流氷の厚みは年々薄くなり、この三十年間で三割減った(参考 朝日新聞デジタル・二〇二四年三月一日)。季節ごとの花の開く時期も早まってきている。その他例を挙げればきりがない。その主な原因は、産業革命以後の人間活動による二酸化炭素排出であることは、次のような国際的な専門家らの間での共通認識だ。

 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の最新の報告書によると、世界は産業革命前からの気温上昇を一・五度に抑えることを目指しているが、すでに一・一度上昇しており、このままでは今後二十年の間に一・五度を超える可能性が高いという。一・五度に抑えるには、二〇三〇年に世界の二酸化炭素(CO2)排出を現状から半減させる必要がある。報告書は「この十年の我々の選択と行動が、現在と今後数千年に影響する」とした。国連のグテーレス事務総長は「気候の時限爆弾の時計が刻々と進んでいる」と述べた。

(引用 Science Portal・二〇二三年三月二十四日)

また米国の科学誌「Bulletin of the Atomic Scientists」は、この気候変動や核戦争による人類滅亡の危機を「終末時計」として象徴的に表している。二〇二四年は前年に引き続き人類滅亡まで「残り90秒」と過去最短であった。(参考 朝日新聞デジタル・二〇二四年一月二十六日)

核戦争といえば、二〇二二年にウクライナに侵攻したロシアが核兵器の使用をちらつかせた。日本もその傘の下にいる「核抑止論」だが、実際に核兵器が使用されない保証などどこにもない。世界全体の保有国の核弾頭数はこの十年で減少傾向ではあるが、実戦使用可能な「現役核弾頭」の数は逆に全体で増えているという(参考 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)HP)。核の保有数が増えれば、想定外の事故や最悪の事態である核戦争に発展するリスクも高まる。また、AIを搭載した殺人兵器の技術も高度化している。イスラエルとパレスチナの戦争も深刻な状況が継続している。

このような人類の自然破壊による地球環境の変化、また核や戦争による終末予感的な世界認識は、俳句文学のいわば半身を削ぐごとき事態ではないだろうか。それは「俳句は自然を詠うもの」という花鳥諷詠的俳句の立場からの理由だけではない。俳句文学がその本来的性質として宿している時間性に反する事態なのだ。

この気候変動の進行の中において俳人たちは、歳時記的な季語や季感を従来通り本意、ルールとして内面化し続けられるのだろうか。現実と文学的・美的言語世界との間のズレを、遊芸のごとく消費し続けられるのだろうか。

芭蕉が言うように、俳句が「不易流行」の文学であるならば、これまで不易と思われていたものが流行となりつつある時代なのかもしれない。それならば、これまで我々が不易として享受してきたものは何で、残された不易とは何か。俳句が置かれている状況認識をクリアにするため、俳句における「時間」に注目する。そして「エコロジー」という概念が、この俳句の危機的状況を転換させる視座を与えてくれると私は考えている。

二、高浜虚子・花鳥諷詠論の時間

一口に俳句と言っても、有季定型から無季自由律、最近では日本語以外の外国語でつくられる俳句まで幅広い。現代俳句の上流として、大正・昭和に俳句を大衆化した高浜虚子の俳句論における時間を探りたい。虚子の「ホトトギス」を離脱した「馬醉木」の水原秋櫻子の流れも、またその後の新興俳句の流れも、虚子とは別の俳句の道を目指したといっても「反虚子」という意味で虚子俳句の時間の影響下にある。そのため、虚子俳句への考察は、反虚子の潮流も含んだ現代俳句全体の時間の考察の入口たりえる。

高浜虚子は「俳句への道」で、自身が旅行したヨーロッパ各国について、「その土地の人々の住居と自然の風景とが日本ほど親しめない」との印象を抱き、また「山川草木の上の気候の現象が顕著でない」と外国の自然へ判断を下す。そして、西洋では生まれ得なかった日本独自の「花鳥諷詠詩」として俳句を規定する。

天然の風光が明媚で、また四時の循環が順序良く行われる、その天恵を享受しているこの日本にあっては、祖先伝来の特殊の文芸である花鳥諷詠詩が存在して居るということを忘れてはいけません。

(「俳句への道」二『玉藻』二七、七)

虚子の「花鳥諷詠」の論拠は、西洋の国々と日本の間の自然及び四季の変化の比較から始まる。「俳句への道」五で虚子は「花鳥諷詠(後に説く)の我が俳句が、日本の詩として自然に発生したいわれを明らかにした」とも言っている。つまり、外国に比べて俳句にとって望ましい「日本の風景、気候の変化、四時の現象」を、日本固有の詩である俳句の発生条件としているのだ。

 この山川雲霧、禽獣中魚、草木花卉という横糸、春夏秋冬という縦糸、即ちこの経緯の織りなす天地を描き、その天地に情を寄する心が我が俳句への道である。

(「俳句への道」五『玉藻』二九、九)

ここで虚子のいう横糸は空間的・物質的条件、縦糸は時間的条件と言い換えられる。虚子の花鳥諷詠の俳句を分析的に眺めるならば、空間と時間の「織りなす天地」である。虚子は、このような空間・時間が安定的・恒常的であることを俳句の発生・成立条件として求めていることがわかる。

ところが先に述べたように、現在、縦糸は気候変動によって四季の循環が狂ってきている。横糸にしても、森林伐採や水質汚染による生物多様性の破壊が起きている。つまり、虚子にとっての俳句が自然に生起する前提が崩れかけている。それが日本のみならず地球全体の現在地なのである。

私はこのような進行中の状況をもって、花鳥諷詠論や虚子個人を否定したいわけではない。日本の俳人のほとんどが「当季雑詠」で俳句を作り毎月その句を持ち寄る句会を行っていることを考えれば、この「四時の循環が順序良く行われる」ことは、俳人一般に内在されている時間感覚なのである。「花鳥諷詠」はそれを万人向きのスローガンとして表しているに過ぎない。

それでは、「花鳥諷詠」を一旦離れ、日本の俳人が俳句を詠むときに根幹に抱く時間意識や環境意識の内実とはいかなるものか、そしてその現在的な危機について考えたい。

三、日本文化と俳句の時間

前節で触れた高浜虚子の花鳥諷詠論では「四時の循環が順序良く行われる」時間が俳句の時間であった。ただしこの時間は、季節の植物など空間的・物質的な自然物が生成されてくる変化としての時間に限られる。これは俳句、また花鳥諷詠俳句における基盤となる時間ではあるが、その全てではない。

日本固有の自然的、文化的背景から生まれてきたとする俳句固有の時間を知るには、日本文化固有の時間について知らなければならないだろう。加藤周一は、日本を「今=ここ」の文化であるとしたうえで、日本文化特有の時間を次のように三つに分類して規定する。

 日本文化のなかには、三つの異なる型の時間が共存していた。すなわち始めなく終わりない直線=歴史的時間、始めなく終わりない円周上の循環=日常的時間、始めがあり終りがある人生の普遍的時間である。そしてその三つの時間のどれもが、「今」に生きることの強調へ向うのである。

(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

引用部を補足すると、一つ目の「始めなく終わりない直線=歴史的時間」は、『古事記』など日本神話的な時間である。キリスト教の『旧約聖書』などに比して、日本の神話は「天地創造」の経緯が記されず、終末論も語られない。二つ目の「始めなく終わりない円周上の循環」は、「花鳥諷詠論」と同義で、四季の区別が明瞭でそれが循環する時間である。『万葉集』や『古今和歌集』など貴族たちによる美的言語世界の時間であり、農民たちの日常にとっての自然的条件でもある。三つ目の「始めがあり終りがある人生の普遍的時間」は、諸行無常やこの世に生を受けやがて死を迎えるという人間の条件としての時間である。

これら三つが〈「今」に生きることの強調へ向かう〉。二つ目の時間を基盤に置きつつ、神話的な時間や作者が生きる一回性の時間などが複合的に絡まり合い、「今」を詠む俳句の言葉に結晶されるのだろう。実際、同書で加藤は、俳句の時間について松尾芭蕉の俳句〈閑さや岩にしみ入る蟬の声〉などを引用したのちに次のように述べている。

 そこ(引用者註・芭蕉の句)では時間が停まっている。過去なく、未来なく、「今=ここ」に全世界が集約される。

(加藤周一・前掲書)

これと同様の指摘として、山本健吉も、俳句とは時間性の「抹殺」、また「俳句は時間の法則に反抗し、様式の時間性をみずから拒否する」(「挨拶と滑稽」)と記していた。これは加藤が提起した三つの時間が表向きには「抹殺」「拒否」され、「今」へ集約されているという事であろう。

注意したいのは、加藤の「時間が停」まるも山本の「時間性の抹殺」も、三つの時間や過去・未来が最初から無いのではない。俳句として言語化される以前には確かに在って流れていた多様な時間が削ぎ落され、「今」に集約されるのである。その意味で俳句とは、過去と未来や加藤の三つの時間など、多様なる時間の「今」における幻影である。

さて再三述べるが、現在、二つ目の「始めなく終わりない円周上の循環」と未来の時間が危機にある。四季が不安定化し、地球規模で終末的な未来予想もある。

日々作られ続けている俳句の言葉の裏側では、時間感覚の変容が確かに進行しているのだ。そしてそれは、俳句特有の「今」への集中の強度を弱めることに繋がるのではないか。

例えば、代表的な季語である「桜」を使った松尾芭蕉の〈さまざまの事おもひ出す桜かな〉は、過去においても未来においても、安定的な四季の循環の中で桜の花が咲く春がやってくるからこそ、「今」の桜が輝きを増すのである。掲句は「今」の桜から、過去のさまざまの桜とその時の出来事を思い浮かべているが、同時に今が過去の思い出となる未来の桜も期待されている。

円環的時間が確固としてあるがゆえに、過去と未来が「今」に映し出される重層的な桜となる。ところが未来がその限りではないとすれば、現在から一方的に過去を振り返るノスタルジーの象徴へと桜が閉ざされてしまう。俳句が美しき過去を懐かしみ、今の過ぎ去りを哀惜する文学に限定化されてしまう。

円環的時間は、いわば無意識的に、意識として現れて来る俳句的「今」の強度を担保していた。その安定的時間は、俳句文学にとっても地球や人類にとっても失われるべきではないと思う。しかしそれが失われかけている現状と向き合い、俳句の「今」に集約される「今ではない時間」の再構築を模索していく時が来ているのではないだろうか。

四、俳句とエコロジー

さて、ここまで論じてきたような自然環境問題と俳句との関係を考え論じる際、一般的に次のような結論となりがちだ。

俳句は四季折々の動植物や日本古来の季節と調和した暮らしの季語を詠み込む文芸である。ゆえに俳句に親しむことで、自然の尊さとその恩恵を受ける日本人の営みの豊かさを再認識させてくれる。

この論調はもちろん虚子の花鳥諷詠論に準ずるものである。〝俳句はエコロジーの文芸である〟という言説もそのような文脈から生じうる。しかし、エコロジー(ecology)とは本来「生態学」であり、環境にやさしいという意味での「エコ」は二義的である。

生態学としてのエコロジーとは、辞書的には「生物とそれを取り巻く環境の相互関係を研究し、生態系の構造と機能を明らかにする学問」(「大辞林」第三版)である。

さらに、本論において生態学としての「エコロジー」というとき、次の三つの意味を内包する用語として用いたい。(参考 立花隆『思考の技術 エコロジー的発想のすすめ』)①「関係」②「循環」③「脱人間中心主義」。①は、地球上に生きている生物は個々の種によって完結しているわけではなく、他の多くの種や環境との「関係」の間で互いに繫栄しているということ。また生物の関係に限らず、「生態学的思考」といえば、様々な分野ごとの境界を超えて正しい関係づけを考えてゆく思考である。②は、関係が発展し食物連鎖などの「循環」的な生態系を形づくるということ。また土、水、大気などの自然環境における循環もある。③は、①と②から帰結するが、人間が主体で自然環境は人間によって開発される客体であるという「人間中心主義」を脱していこうという思想を宿すということ。

環境にやさしいという意味でのエコロジーではなく、関係性の学問としてエコロジーと俳句の「関係」を考えることこそ俳句にとって有意義であると私は考えている。

同時に、俳句を生態学としてのエコロジーという観点から論じる場合、俳句は本当にエコロジーの文学であるだろうかという問いも生じてくる。ある意味において、俳句はエコロジーに反する文学なのかもしれない、という視点について、次章以降で論じてみたい。

五、芭蕉の風雅とエコロジー

高浜虚子が「要するに俳句は即ち芭蕉の文学であるといって差支ない事と考える」(『俳句はかく解しかく味う』)と言っているように、虚子の花鳥諷詠論は、江戸期の芭蕉の文学論が虚子の近代精神を通して表出されたものである。つまり現代の危機に晒されている俳句は、ある意味において芭蕉の俳句である。

虚子の花鳥諷詠論は、芭蕉の次のよく知られた一節との連関が思われる。

 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

(松尾芭蕉『笈の小文』)

引用部はいくつかの要素に分けて読むことが肝要だと思われる。つまり前半と中盤の全てが「造化」へと帰結されるようにも印象されるが、その間いくつかの異なる論点が混ざり合っている。

まずこれまでの議論を経て気づくのは、「四時を友とす」は虚子の「四時の循環」を内在化して生きる俳人としての在り方である。日本文学史を遡れば、『万葉集』にその萌芽を見、『古今和歌集』以後歴代の勅撰和歌集が四季によって和歌を分類している伝統にも通じる。さらにこれは中国大陸の漢詩文の影響も受けて形成された。当然、芭蕉の内にも教養としてその時間感覚があった。

山本健吉が、「それは真であると同時に、美でもある世界である。それは日本という島国の風土現象の全体的認識であるとともに、千数百年にわたって日本人が磨き上げて来た一つの美的創造物――あえて言えば一つのフィクションの世界でもあるのだ」(『最新俳句歳時記』文春文庫・1977)と言っているように、農耕における現実の自然と対峙する実用的な時間体系であるとともに、「美的創造物」としての時間である。

次に芭蕉にとって「風雅」とは何か。別の文献で「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし。」(許六離別詞「柴門の辞」)とあるように、芭蕉にとって風雅は、現実世界に背を向けて役に立たない「虚」の世界である。門弟の各務支考は「言語は虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶ事は難し。」(支考「陳情の表」)と芭蕉の言葉を書き留めている。西行、宗祇、雪舟、利休に連なる自らの俳諧は「虚」の美的世界である。そして芭蕉は我が身の置き所を「実」ではなく「虚」に定める。風雅の世界に身を置きつつ、現実世界を眺める。その逆ではいけない。

ひとまず「四時」「風雅」ということを今の「四時の循環」が崩れつつある現代に重ねるとどうなるだろうか。

確かに、気候変動が現在のように実感される前であれば、伝統俳句的「ルール」である旧暦と新暦の間のズレや歳時記の季語による「美的創造」の世界と現実生活との落差は、まだ連結可能であった。しかし、これから先気候変動が進行した場合、実と虚の間の落差は断絶となり、両者間の交流が不可能になってしまうのではないだろうか。

元々、芭蕉のような「旅をすみか」とできる人は昔も今も稀有な存在であろう。実際のところは、生きるために仕事や家事をし、実生活に身を置きつつ、「虚に居て実をおこなふ」ことを精神的な営為としようとするのが俳人の大多数であろう。もしもその「虚」が「実」からあまりにかけ離れてしまったらどうなるだろうか。近松門左衛門は「虚実皮膜」と、虚実の微妙な接点にこそ芸術の真実を見出した。少しずつ少しずつ、その「膜」が厚く、固くなってきているのが今日ではないだろうか。このような状況において俳人に残されていると思われる道を、ここで三つ仮定してみたい。

1、あくまで歳時記的「虚」に留まり続け、古典的美を追求する。

2、「実」をとり、気候変動後の世界をリアリズムで告発する。

3、新しい「虚」と「実」の関係を再構想・再構築する。

1と2は、それぞれ虚と実に傾いた極論であるとしても、今後このような立場をとる俳句作家が出てこないとは限らない。そしておそらく両者は互いの思想を、「それは詩ではない」「現実を見ていない」と非難し合い、相容れないだろう。

それでは3の「再構想・再構築」はいかにして可能か。1と2という相反する立場を止揚することはできるのだろうか。これは本論にとっても核心的な問いである。

六、芭蕉の造化とエコロジー

さてここで話を戻すが、『笈の小文』の引用部でもう一つ、後半の次の箇所は、エコロジーの観点から見逃せない。「見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」

「造化」とは天地自然本来の営みである。引用結論部ではその造化に従えという。ここまでは、先ほど論じたエコロジーの考えに通じる。造化の大きな流れの中では、全ての生き物は平等な自然界の現れである。ところが、ふいに登場する「夷狄」「鳥獣」は外国人や人間以外の動物を差別する反エコロジーの言葉とも思える。引用部での「夷狄」「鳥獣」はいかなる文脈から出てくる言葉だろうか。

「夷狄」は中国由来の言葉で、「夷」は東方の野蛮人、「狄」は北方の未開人の意味。中華の恩恵をこうむらない異民族たちに対する蔑称である。松永貞徳の歌学書『戴恩記』に「人変じて夷狄となり、再変じて禽獣となる」とある(『芭蕉文集』)。また王陽明の語録『伝習』中に「その琉の弊、孟子は禽獣夷狄に比するに至る」(『岩波四字熟語辞典』※「その琉」は墨子・楊子などの流派)とある。芭蕉の引用部もこれらの前例が下地にあるだろう。日本における「蝦夷」を蔑視する意図はなく、「風雅」を解さない人という程度の意味だろう。神田秀夫もこの個所について次のように、指摘している。

 芭蕉は武士的なものが自分の一部分なのであつて、そこは生地なのである。芭蕉も又、「夷狄」「鳥獣」を蔑視する点、儒教的意識があり、その許す範囲で、「造化にしたが」つてゐるのである。

(神田秀夫「芭蕉における荘子」)

ちなみにこの「夷狄」については、もう一つ解釈ができるように思われる。芭蕉は下級武士の家柄だった。「夷(えびす)」は、古くは荒くれ武者の意にも用いた。「夷は弓ひく術知らず」(『万葉集』)(『岩波新漢語辞典第3版』)。ここから、戦に心を奪われて花に心を置くことの知らない武者という思いもあったのではないか。戦火の絶えない現代の国際社会においては、芭蕉の言葉を、武器を捨てて風雅に生きる「非戦文化論」として読み解きたくも思えてくる。

さてこのように当時の歌学書や中国古典に出てくる「夷狄」を風雅でない人の象徴として使用したことは時代背景的にも理解できる。

しかし造化の一部であるはずの「鳥獣」を離れは、造化と明らかに矛盾しないだろうか。人間中心主義ではないだろうか。どうやらここに、我々俳人のなかにある根本的な矛盾が疼いている。

高浜虚子は、俳句は「客観写生」で作れと言った。客観とは俳句に詠む自然物等々を対象化するということである。世界を客体化、対象化したとき、我々は「鳥獣を離れ」ているのだろう。だがこれは「造化」に反しているのではないか。俳句が自然を扱う詩であり、それを言語という一般的記号に置き替える以上、客観化は避けられないことなのかもしれない。しかし、それは本来の「造化」と異なる態度ではないだろうか。つまり、芭蕉の文学論には人間中心主義の要素が少なからず潜んでいる。そしてそれを継承する高浜虚子も、さらに現代の俳句も、人間中心主義と決して無縁ではないと私は考える。

人間中心主義とはいわば差別の心である。人間個体として生きる限り、その主観は捨てられないのかもしれない。しかし差別は、それが自らの内に存在していることを認識することがその克服への第一歩であろう。

また、むしろ人間が容易に人間中心主義を脱しうると信じる方が、自己絶対化の檻に囚われているというべきだ。

その意味において俳句とは「脱人間中心主義の文学」ではなく、自らの人間中心主義を内観しつつ、「脱人間中心主義を思念する文学」である。換言すれば、俳句とは「エコロジーの文学」ではなく、「エコロジーを思念する文学」なのである。

芭蕉の俳句論から、俳句が少なからず内包している人間中心主義について論じた。なお芭蕉自身後年の「かるみ」という境地に至ったのは、この「人間中心」と「造化」の間の齟齬を消化しようとする態度であったのではないだろうか。

さて最後に、「造化」についてもう少し踏み込んでみたい。芭蕉が「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす」と言った時、「造化」と「四時の変化」が非常に近しいもののように印象される。

元々の『荘子』大宗師編における「造化」は「造物者」ともいわれ、その中の寓話では次の要約のように、天地自然を大いなるつぼ、造化を鋳物師に喩える。

 鋳物師が金を鋳ようとするとき、るつぼの中の金が「自分は名剣になりたい」とねだったとすれば、鋳物師は不祥の金だと思うだろう。同様に、ひとたび人間として生まれたものが「いつまでも人間でなくてはいやだ」とねだったならば、鋳物師はふらちな人間だと思うだろう。大自然というるつぼと造化という鋳物師に全てを任せておけばいいのだ。(参考 『荘子Ⅰ』森三樹三郎訳)

ちなみに大宗師編には芭蕉の造化にある「四時」という言葉も発見できる。造化に全てをゆだねる「真人」の境地として、その喜怒の情は「秋の日ざしのきびしさ」や「春の日ざしの暖かさ」など四季のように移り変わっていく。原文では「喜怒は四時に通ず」とある。つまり造化の内実を四時と結び付けてはおらず、その境地の比喩として用いられるまでである。芭蕉の言葉「四時を友とす」は、『荘子』の造化に芭蕉独自かつ日本的な時間意識が付加された俳句論であるといえる。つまり、造化と、先に見た「円周上の循環」的時間との混成なのである。

さてここまで分節的に論じてきた『笈の小文』における芭蕉の俳句論を、現在的にはどう読めばいいだろうか。再び加藤の時間論の中国についての箇所に寄ると、「古代中国の一方には循環史観があり、他方には天地の間に万物が去来し、光陰は去って再び帰らないという直線的な時間意識があった」(加藤周一・前掲書)とある。日本的な時間の一つ目「始めなく終わりない直線」的時間と同質の「光陰は去って再び帰らない」時間意識が中国古典『荘子』の「造化」であると思われる。

気候変動時代の現在において、「造化」を「四時」に限定させることはできない。「造化」をより広い関係性へと解き放つエコロジー思想へ敷衍させ、無意識下から俳句の「今」に収斂させることが求められているのではないだろうか。

七、精神のエコロジーへ

俳句はエコロジーの文学である。大自然の関係性や造化に身をゆだねる生き方を教えてくれる。と同時に、俳句は反エコロジーの文学である。虚子は俳句の条件を日本国内的な自然や四時の循環に限定していたし、芭蕉がそうであったように、自然を客体化する人間中心主義からは容易に逃れられるものではない。この正反対の性質を併せ持つのが俳句である。

フェリックス・ガタリは『三つのエコロジー』の中で、エコロジーを「環境的エコロジー」「社会的エコロジー」「精神的エコロジー」に分類し、それらを結びつける「エコゾフィー」(ecologyとphilosophyを掛け合わせた造語)という思想を提唱した。環境、社会、精神は、別個に検討されるべきではなく、「横断性」を持って連関し合う。ガタリは〈精神的エコゾフィーの実行方法は、古ぼけた科学的学問性の理念にあいもかわらず取りつかれている「心理学」の専門家の方法よりも、一般的に芸術家のとる方法にはるかに近いものとなるだろう〉と述べているが、俳句は「精神的エコロジー」に分類されるはずだ。そして俳句は、自然環境や社会とも横断し合う「エコゾフィー」である。

ここまで述べてきたように俳句は伝統的に自然環境と密接に関わる文学である。また、俳人たちが句を持ち寄って定期的に開催される句会は、地域共同体の場ともなり、個々は社会へ接続していく。俳人個人の「精神」から、環境や社会の領域へと横断する可能性を秘めているし、実際そのような機能を果たしている。俳句におけるエコロジーとは、このように内的世界と外的世界、個人と社会、人間と自然環境が越境されていく俳句の特質だと私は考える。

これまでの俳句が作られたり読まれたりするときの「今」の裏側にあるものが「円環的な四時の変化」として限定化されていたならば、それすら包み込んだより大きな「精神のエコロジー」が取って代わる時代に突入したのではないだろうか。芭蕉が『荘子』から引き出した「造化」は、現代的には「エコロジー」とも言い換えられるのではないか。

虚子の言うように、確かに俳句は日本という小さな島国から生まれた詩型である。しかし今や俳句は、国際的な包摂力をもった世界文学になりつつある。俳句を通して他国の友人たちと心の交流がなされている。

俳句は「いま・ここ・われ」を詠む文学だと言われるが、「いまではない・われではない・ここではない」時、人、場所が俳句的「今」に収斂されること、それこそが俳句のエコロジーではないだろうか。その時、俳人個人は生態系全体の循環の一部となる。また自己自身の内面に耳を澄ませることは、転じて生態系の中での他者(自分以外の他の人間や生物など)の存在を尊ぶことに繋がるはずだ。

俳句を詠み、また読むとき、その人の中で環境や社会と接続する「精神のエコロジー」が働き、新鮮な体験として俳人の「今」を生成する。

現在世界を覆っている環境破壊や戦争、人間中心的な言説…、極小の詩による「精神のエコロジー」は、俳人の個の心身に細やかでも確かな変容を引き起こす。そしてその変化は、俳句という詩型を越えて、自然環境や社会へと関係して、それらに何らかの良い循環を引き起こすと、私は信じてやまない。

俳句文学をエコロジーというより大きな関係性の中に位置づけることは、現代の俳句のごく自然な帰着である。

〈参考文献〉

・高浜虚子『俳句への道』(岩波文庫・1997)

・高浜虚子『俳句はかく解しかく味わう』(岩波文庫・1989)

・加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店・2007)

・山本健吉『俳句とは何か』(角川文庫・2000)

・立花隆『志向の技術 エコロジー的発想のすすめ』(中公新書ラクレ・2020)

・『芭蕉紀行文集』(岩波文庫・2011/第四十八刷)

・『芭蕉文集』(新潮社・2011/第十三刷)

・オギュスタン・ベルク『風土の日本 自然と文化の通態』(ちくま学芸文庫・2018/第十刷)

・長谷川櫂『芭蕉の風雅 あるいは虚と実について』(筑摩選書・2015)

・『岩波四字熟語辞典』(岩波書店・2013/第八刷)

・『岩波新漢語辞典第3版』(岩波書店・2014)

・神田秀夫『南北北馬―日中比較文化論集―』(明治書院・1997)

・『荘子Ⅰ』森三樹三郎訳(中公クラシックス・2023/第十一刷)

・フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』杉村昌昭訳(平凡社ライブラリー・2008)

・上野俊哉『四つのエコロジー フェリックス・ガタリの思考』(河出書房新社・2016)

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