https://note.com/0010312310/n/n1feb7afcdf1e 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ1】より
(略)
夜をこめて蟲の淸めし曉ぞ 後藤是山
最初の句です。生年順にしたら最初になったと正木も言っています。ここでの鑑賞は「作品記述」「解釈」「正木のエピソード」「後藤のエピソード」という四段落で構成されています。ここでは最初の二つ、「作品記述」と「解釈」を取り上げましょう。まずは「作品記述」。
夜の明けるまで、夜を徹して家の四囲で盛んに鳴いていた虫の声も、作者が雨戸を繰るころにはおさまって、庭には新しく清らかな一日が始まっている。この暁は虫たちが夜の間に清めたものだ、と作者は今は声をひそめている虫たちに心を遣っている。5頁
なんというか、私はこの句を読んだとき、その抽象的な良さはわかったのですが、「夜を徹して家の四囲で盛んに鳴いていた虫の声」というふうに具体的なイメージにはなっていませんでした。そして、この句を読むことにおいてこのイメージ以外の仕方がないと言えばないような気もしてきます。だから取り上げました。「蟲」を「虫の声」に少しだけ、しかし確実に具体化していくその仕方が学びになりました。もしかしたら「正木のエピソード」で書かれているように是山宅を訪れないとわからないことなのかもしれませんが、このような微かな、しかし確実な具体化というのは鑑賞にとってとても重要なスキルであるように思われます。また、これはただの「作品記述」だと言えばそうなので、それゆえにスルーされると危ないと思って取り上げたのかもしれません。私に言い聞かせるように。次は「解釈」です。ここでの「解釈」は「よりよく読むことを目指してより踏み込んで読む」みたいなことであるとお考えください。
内容が清新なだけでなく、この句自体が清新の風を体現していると思えるのは、「夜をこめて」と、「ぞ」の強い断定のせいである。たとえば「夜もすがら」と言い換えてみれば、意味的には大きく違わなくても一句に緊張の失われるのがわかるだろう。作者は小さな命の一生懸命さをこの上なく尊いものに思っており、そのことが一句の響き自体に表われている。5頁
この、言わば駄作にしてみるみたいな手法は穂村弘が『短歌ください』で使っている手法でもある。なんというか、これは結構上級者のスキルであるような気がする。しかし、これができると名句の名句たる所以がよりはっきりとわかるだろう。頑張って身につけていきたい。「緊張」と「小さな命の一生懸命さをこの上なく尊いものに思って」いることをカップリングするのは比較的あるカップリングだと思うが、やはり素敵なカップリングである。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
俳句に明るくない私でも知っているような句である。そのようなことを考慮してか、ここでの鑑賞はこの句が現れてくる流れやその流れの中でも粒立った一句となっている理由を万太郎の出自や配置の妙に見るようなものとなっている。一段落目は。私が引きたいのは二段落目である。このままではすべての頁を引用することになってしまうのではないか、という不安が頭をもたげるが、それが不安であることは錯覚であると思うし、そもそも私たちはどうしても慣れてしまうからその不安は自ずから解消される、されてしまうとも言えよう、そうなるのだから気にしないでいいよ、と私は私に言った。
小説家で劇作家でもあった万太郎は、俳句は余技だとしきりに書いているが、「いのちのはてのうすあかり」という、これほど漠然とした言い方は、確かに余技という自覚の賜物ではなかったかと思う。俳句を目的化したとたんに逃げてしまうような言葉の丸みと潤いが万太郎の句にはあり、掲句が愛されるのもそのゆえであるように思われる。6頁
私は俳句について「余技」であるとすら思っていない。なんというか、「余技」というのは「いろいろできるなかの一つ。かつ、主要なものではない。」みたいなことだろう。別にそれは俳句を貶めているということではなく万太郎のなかではそうだったということだろう。知らんけど。それはいいけど、私は「俳句を詠むぞ!」と、ここでの正木の言い方を借りれば「俳句を目的化した」ような詠み方と、もはや自分が詠んだとすら思えないような詠み方と、経験の熟成がひとまず形をとっただけであると思われるような詠み方と、その三つくらいしか知らない。どれも「余技」ではない。それゆえに私の俳句には「言葉の丸みと潤い」とないのかもしれない。しかし、「丸み」はあるときがあるし「潤い」もあるときがある。そんなふうにも思うので、「丸み」と「潤い」のカップリングが得られなかっただけであると言えばそうである。しかし、このカップリングが得られるような、そんな詩性が素敵だとも思う。ちなみに私のなかで「カップリング」と「ペアリング」は違う。なにが違うのかと言われると難しいところだが、二つの物事が相互浸透している場合は「カップリング」で、そんなことはない度合いが強くなっていって、どこかを越えると「ペアリング」になるのだと思う。ここからのキーワードかもしれない。
と、言ったのはいいが、そろそろ来週一週間の夜ご飯を買いに行かなくてはならないので今日の勉強はこれで終わりにしようと思う。もしかしたらあとで、時間があればもう一回やるかもしれない。最後に一つだけ言っておきたい。私には知識が足りない。俳人や季語、それらに対する経験が足りない。しかし、だからと言って俳句が読めないわけではない。書けないわけではない。詠めないかもしれないが読めるし書ける。そんなふうに思っておくことにしよう!
https://note.com/0010312310/n/n3f94cfb66349 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ2】より
(略)
野菊道数個の我の別れ行く 永田耕衣
この句に対する正木の鑑賞は自分の経験に引きつけて、ある一つのテーマ「自分とは不確かなものである」ということを考えていくような鑑賞である。そして、そのことの広がりとして永田の別の句を紹介して永田の奥行きについて語っている。
私にできないのは後者、永田の奥行きに言及することである。それは単純に私が俳句に明るくなく、永田の句を読んだことがないからである。ただ、私は「自分とは不確かなものである」ということについてはいくらか考えたことがある。今回はそこから正木にアプローチしてみたい。正木は次のように書く。とりあえず鑑賞のほぼ全文を引用しよう。
幽体離脱でもしないかぎり、人は自分の内側からしか世界を見ることができない。そのたったひとつの肉体によって生きている自分とは何か、自分の知っている自分は本当に自分のすべてなのか。そんな不安を感じ始めた子供のころ、私はよくこの句のような妄想にふけった。
私はこの角で道を曲がるけれども、もう一人の自分は透明になってまっすぐに行ってしまうのではないか。もう一度曲がれば、また分裂してやがては無数の透明な自分が街中を歩くのではないか。あらゆる人にそんなことが起これば、世界は透明人間でいっぱいになるのではないか。その妄想は肉体がひとつでよかったというところに行き着いて安心して終わるのだった。この句はそんなことを思い出させる。そして耕衣とは、大人になってもそんな感覚の中に生きた人ではなかっただろうか。自分とは不確かなものである、という感覚。
これと対照的に思い出すのが次の句である。 あんぱんを落として見るや夏の土
ここには、人という観念の生き物の不確かさに対して、一個のあんぱんの存在感の思わぬ確かさに圧倒される耕衣がいる。7頁
話が少し複雑になるが、私は掲句、「野菊道数個の我の別れ行く」を読んだとき、福尾匠という哲学者・批評家が『ひとごと』という本で書いていた「時間の居残り」という文章を思い出した。
可能世界やループものの物語にどうも馴染めないのは、時間は「枝分かれ」するのではなく進む部分と取り残される部分とに分かれているような気がするからだ。戦闘機とそこから撒かれるフレアみたいに。
『ひとごと』139頁
「野菊道数個の我の別れ行く」を読んだとき私はまっすぐな道を歩いているのだと思っていた。そしてそこここの野菊、もしくはそれと関わる自然、詩歌などにとどまる、そんな「我」と「別れ行く」ことが表現されていると思った。しかし、たしかに考えてみれば、「別れ行く」のだとすれば、正木が言っているように「角で道を曲がる」という想定のほうが正しいのかもしれない。そんなふうにも思った。ただ、そうだとしても私は正木にも、そして福尾にも、共感はできないような気がしている。
私はこの句を読んで、その後だったか、その前だったか、記憶は定かではないのだが、自分が作った句を思い出した。俳句自体にしたのは最近だが、私はこのような感覚を大学生ぐらいの頃から持ち続けている。
透明のトラックにて死ぬ朝曇り
ある交差点、十字路にバイクで入るとき、いや、入った後か、いや、どちらもだと思う。そのとき私は自分が「透明」な「トラック」に撥ねられる映像を見る。しかし私は撥ねられたことはなく、その後はどの交差点も、十字路もすいすい、何も思うことなく過ぎて目的地に着く。大抵は大学に着く。しかし、その映像はやけに鮮明であり、しかも撥ねられなかったバイクも見えているような気がしている。あそこで私は死に、あそこで私は生きている。そんな不思議な感覚がずっとある。別にそこを通らなくても大学には行けるのだがそこを通っていた。ずっと。
いろいろ混じってきてすごいややこしいが、私は一つ前の段落で書いたようなことを正木の鑑賞によって思い出した。つまり、ここには二つの曲がり角があったのである。まず、「野菊道数個の我の別れ行く」を読むときに福尾ルートと正木ルートがあって、私は一旦福尾ルートに行ったけれど正木ルートに戻り、正木ルートからまっすぐ進まずに自分ルートに行ったのである。
ただ、なんとなく正木ルートを無視できないのは正木の引いた永田の別の句、「あんぱんを落として見るや夏の土」に対する「ここには、人という観念の生き物の不確かさに対して、一個のあんぱんの存在感の思わぬ確かさに圧倒される耕衣がいる。」という鑑賞における「耕衣」に共感するところがあったからである。そしてその共感は「野菊道数個の我の別れ行く」とも響き合い始めている。
ある夜、私は散歩をしていた。そして自販機でなんだったかは忘れたが、コーヒー系の飲み物、350mlくらいの大きさの飲み物を買った。そして飲んだ。確か温かったと思う。そしてなぜか忘れたが、それをひっくり返して散歩道、コンクリートの上に逆さまに置いた。蓋を外して。そして中身が流れていくのを、それがコンクリートに弾かれるのを、ゆったり眺めた。じっくり眺めた記憶はない。ゆったり眺めた。
こんなこととも響き合う感じがしてきたのである。私はここではじめて永田耕衣と出会った。そんな気がする。もちろん、「あんぱん」と「コーヒーのペットボトル」では質が違うし、「土」と「コンクリート」でも質が違う。「あんぱん」からは中身が流れない。「土」になら染み込んだだろう。ここで私たちは別れている。
まだ読みきれない。「数個」がなぜ「数人」ではいけなかったのか。音数の関係なら簡単に処理できる。この問いは。もちろんそうだが、そうじゃないかもしれない。もしかしたら。そんなふうに思う。
ただ、今日はここから先には進めない。居残りである。が、それすら忘れられるだろう、とも思う。福尾と私はここで別れている。正木とはいつ別れたのだろうか。私にはまだ、そしてもしかしたらいつまでもわからない、のかもしれない。
https://note.com/0010312310/n/n1dfdfc325ba0 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ3】より
(略)
少年や六十年後の春の如し 永田耕衣
私はこれを公園のベンチに座って少年を幻視したものであると思った。あと、「春」であることにはおそらく必然性はあるが、そのベンチに座っている季節自体は別に「春」である必要はないと思った。まあたしかに、幻視だとすれば、幻視に比喩を重ねているということになるのでふわふわしすぎだという人もいるかもしれない。ただ、事実というのは「比喩を重ねている」が生じていて、「比喩」ではないほうである、というふうにも考えられると思うので私は特に問題ないと思っている。では、正木の鑑賞を見ていこう!と思ったのだが「お風呂がわきました」と言われたのでお風呂に入ってくる。ちなみに私はすでに正木の鑑賞を読んでこれを書いている。もう一度読み直すのだ。誰か、そう、あなたと一緒に。
湯船で、浮かんでは消え、浮かんでは消え、「浮かんでは消え」たことすら浮かんでは消え、浮かんでは消えていると思い、そんなふうに上がってきた。ただ一つ確かに覚えているのは佐々木信綱の次の短歌である。
ちさき椅子にちひさき身体よせゐたりし部屋をふとあけておこる錯覚
こういう「錯覚」性を私は永田の俳句に感じ取った。おそらく。それ以上のことは考えられなかった。もしくは忘れた。もしくは忘れたことすら………
さて、正木の鑑賞を引用しよう。今回は「作品記述」が二段落、この句の面白さに関する記述が一段落、永田の俳句全体に関する考察が一段落ある。まずは最初の二段落を引用しよう。
少年がいる。そこを通りかかる作者がいる。春である。六十年前は作者も少年であった。六十年後、自分はすでにこの世から去り、少年は今の自分くらいの年齢になっていることだろう。この少年は、その六十年後の春のようだ。
つまり少年が真に春というものを具現するのは、老人になったときであり、作者は今その境地にいるのである。意味だけを汲めばそういう鑑賞になるだろう。8頁
私と正木の違いは三つある。①正木は「少年」が実際に存在していると思っている。②正木は永田がこの句を詠んだのが実際に「春である」と思っている。③正木は「少年」と「春」の関係を「春」が「少年」に「具現する」というふうに言い表せるような関係にあると思っている。
正直、私は全部違うと思う。ただ、ここではどう違うかを言い表すのは難しいので少し進もう。ちなみに別に最終到達地点が見えているわけではない。まったく。
この句の面白さは、一句が、今と、六十年後とのふたつの時空を同時に含んでいるように感じられるところにある。これは「少年や」の切字「や」の働きのせいである。「少年は」ならば単なる散文であって、このような文脈のねじれは起こらない。論理を切断する「や」のために、「少年」が今と六十年後の両方に掛かり、一句がふたつの時空を取り込むのだ。8頁
この句の面白さを「一句が、今と、六十年後とのふたつの時空を同時に含んでいるように感じられるところ」に見ることも、それが「少年や」の「少年は」とは異なる「文脈のねじれ」を生み出していることも、それゆえに「少年」が「今と六十年後の両方に掛かり、一句がふたつの時空を取り込む」ということも同意できる。し、学びにもなる。しかし、「作品記述」は違うと思う。もう少し進もう。
そもそも時間が一直線に流れるという近代的な時間の認識がそれほど確かなものだろうか。メビウスの輪がねじれながら最初の地点に戻るように、時もまた干支をひとめぐりして回帰することがあっても少しもおかしくはない。大地に命の甦る春が繰り返しめぐってくるように、われわれも循環する時の中で、命の生起を繰り返す。耕衣にはそのような時間の認識があったのにちがいない。8頁
私は耕衣のものを正木より読んでいないし、普通の俳句に興味がある人よりも読んでいないだろう。だからここで言われている「時間の認識」があったかどうか、それはわからない。さらに言えば、「そもそも時間が一直線に流れるという近代的な時間の認識がそれほど確かなものだろうか。メビウスの輪がねじれながら最初の地点に戻るように、時もまた干支をひとめぐりして回帰することがあっても少しもおかしくはない。大地に命の甦る春が繰り返しめぐってくるように、われわれも循環する時の中で、命の生起を繰り返す。」というところもニーチェの永劫回帰、ハイデガーやドゥルーズの永劫回帰に関係するような議論からなんとなくわかる。ただしかし、それで読みきれる感じがしない。この句は。
「少年」が「老人」になる。「少年」が「春」のようになる。「春」も「今」と「六十年後」という「ふたつの時空」を「取り込む」。それはたしかに「少年」が「ふたつの時空」を「取り込む」ことによる、いわば副作用のようなものかもしれない。しかし、ただ単に「少年」が「ふたつの時空」を「取り込む」ことにはこの句のすり抜ける、しかしそれゆえに何度も掬いたくなる、そんな欲望の形が実感できない。この欲望の形を実感するために私はわざわざ「少年」を「幻視」していると思っている。さらに言えば詠まれたのが実際の「春である」必要がないと思っている。もっと言えば「春」の「具現」として「少年」が居るのではないと思っている。
私は正木から逃げたいとか正木に抗いたいとかそういうことはまったくない。少なくとも自己認識ではそう思っている。私は私の感想を正木の鑑賞によって修正する必要を感じなかった。学ぶべきところはまだ活かせないとしてもすべて学んだ。ここで学ぶべきことは。しかし、「作品記述」のレベルですれ違っているのである。私と正木は。
この「作品記述」というのがなんなのか、それをちゃんと書きたい気持ちはあるが、私はいま「断哲」中なので感じだけ。批評のスタートは「作品」を「記述」すること、「これはこういう作品です。」と「記述」することである。その批評の始まりですでにすれ違うことがあり、そここそがこれからの批評の問題なのです。みたいなことを『眼がスクリーンになるとき』の文庫版解説として収録された座談会で福尾匠、山本浩貴、黒嵜想が話していた。その感じがなんとなくわかった。
「少年」と「老人」、具体的な名前をつけよう。「老人」は永田のNにしよう。「少年」は特に何もないのでAにしよう。ここでの「ふたつの時空」を「取り込む」はNが「少年」と「老人」という関係における「少年」と「老人」を移動する、素早く移動することによって可能になっている。Nが「あなたは『少年』ですか?」と問われると「いいえ。それだけではありません。」と言い、「あなたは『老人』ですか?」と問われると「いいえ。それだけではありません。」と言い、そのことによって素早さがここにある。そしてそれが言い訳みたいにならないのは「六十年後」と「春」という「変わる」と「変わらない」がすでに担保された時間があるからである。この狡猾さこそが「少年や」の切れをより鋭くしているのではないだろうか。そしてAは何も知らないのである。このことがescalationされる解釈は「少年」がそもそも「幻視」であることであるのかもしれない。その場合「春」も揺らしてしまうと揺れすぎたからわからなかったのかもしれない。ただ、「春」が「冬」や「夏」や「秋」では「幻視」性がなくなるから「春」になったのかもしれない。読みすぎ?ただ、私はこっちの方が納得できる。
まあ、これだと「如き」があんまり汲めていない感じがする。うーん………
いい句である。なんというか、素敵な句とか、優れた句とか、そういう「いい」というよりも秀でた句、そんな句であると思った。ちなみに「断哲」というのは以下で宣言していることです。
https://note.com/0010312310/n/n72e2dda3b23d 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ4】より
今日は素早くしてみよう。ここでするのは『現代秀句 新・増補版』の正木ゆう子の鑑賞から鑑賞のなんたるか、詩人のなんたるかを学ぶことである。引用、私の感想、正木の鑑賞、感想の変容、こういう順番でいこうと思う。今日は時間がないので駆け抜けていく。
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
「虚空没」が凄いのは言うまでもないが、「天没地没」は「地没天没」じゃだめだったのか、みたいなことを思った。ただ、すぐに、それだと「虚空没」にリアリティが、いや、「虚空没」の「没」にリアリティがない、みたいなことを思った。リズムとして。ただ、正直「虚空没」が凄いと思っただけで、それ以外は特に何も感じなかった。
正木の鑑賞を見てみよう。正木によればこの句は阪神淡路大震災で奇跡的に助け出された永田が詠んだものなのだという。
あの大惨事を十七音で言い表わすのは至難の技にちがいないが、天も地もそして虚空までが没するというこの七文字の発散するエネルギーは、俳句という形式の底力を感じさせる。そしてこの句が破壊の惨状を伝えるだけでなく、冠された「白梅や」の清らさによって、結局は昇華されていることにも、季語の働きの大きさを思う。
枯草や住居無くんば命熱し 枯草の大孤独居士此処に居る
にしても、阪神大震災という出来事や境涯を超えて、俳句として普遍性を持つに至っている。晩年の耕衣はよく造語を用いたが、大孤独とは耕衣らしい言葉である。耕衣の没したのは平成九年の夏であったから、大震災後、作者は大孤独の中で二年半生きたことになる。9頁
最後の「作者は大孤独の中で二年半生きたことになる。」はなんだか胸が熱くなるところだが、これは鑑賞かと言われればそうではないように思われる。鑑賞として重要なのは「俳句という形式の底力」と「季語の働きの大きさ」、そして「俳句としての普遍性を持つに至っている」ということだろう。「俳句としての普遍性を持つに至っている」ということについて私はまだ、もしかしたらずっとわからないので置いておくとして、私が気づいていなかったのは「季語の働きの大きさ」である。
私は「白梅」をなんとなくしかイメージできない。見たことがないことはないのだろうけれど、それにリアリティがあるかと言われればない。俳句にはやはり、そういうリアリティが必要なのである。書くにも読むにも。詠むにも。なんというか、これは己の経験不足を恥ずかしく思うようなことであるかもしれないが、私はそれよりも、世界に強弱、リズムがつくことを楽しんでいきたいと思う。そんな気持ちにさせてくれる鑑賞であった。
「俳句という形式の底力」に関してはリズムみたいな視点で少しだけ触れていたと思う。私は。なんとなく「空と君とのあいだ」は「君と空とのあいだ」にならないのだなあ、という、リズムとは関係がない、かもしれない、そんなことも思った。このことと関係して志賀直哉の随筆の一節を思い出した。それを引くことで今回は終わろうと思う。引用は『志賀直哉随筆集』からである。
いや、短いので全文引用しよう。
暑い。今年の暑さは不自然にさえ思われる。庭の紫陽花が木一杯に豊かにつけた美しい花をさも重そうに垂れている。八つ手は葉の指を一つ一つ上へつぼめて出来るだけ烈しい太陽の熱を受けまいとしている。また八つ手の根本に植えられた鬼百合は真逆、これほどの暑さが来ようとは思わなかったろう、ひょろひょろと四、五尺も延びて、今はそれを後悔している。茎は蕾の重みに堪えられず、蕾の尖った先を陽炎の立ち昇る乾いた地面へつけて凝っとしている。それは死にかかった鳥のように見えた。
麦藁蜻蛉が来た。蜻蛉はカンカンに照りつけられた苔も何も着いていない飛石へとまった。そして少時するとその暑さの中に満足らしく羽根を下げた。
自分は一ト月程前、庭先の濠で蜻蛉の幼虫だろうと思う醜い虫が不器用に水の中に潜って行く姿を見た。あの虫がからを脱けてこうして空中を飛んで来たのだと思った。この暑さにも"めげ"ない蜻蛉の幸福が察せられた。蜻蛉は秋までの長くもない命を少しもあせらずに凝っとして暑さを楽しんでいる。およそ十分もそうしていた。其処に今度は塩辛蜻蛉が飛んで来た。その黒い影が地面をたて横に走った。すると今まで凝っと羽根をへの字なりにしていた麦薬蜻蛉が眼ばかりといっていい頭をクリクリと動かした。と思うと急に軽い速さを以て塩辛蜻蛉を眼がけて飛び立った。塩辛蜻蛉は逃げる間がなかった。空中で羽根と羽根の擦れ合う乾いたような音がして、ちょっと一緒に落ちかかった。が、直ぐ二疋はもう一つになっていた。悠々と高く飛んで行く。その方にもくもくとしたまぶしい夏の雲があった。蜻蛉は淡い点になって暫く見えていた。『志賀直哉随筆集』16-17頁
これに似た気づきとして、私たちは大抵小さなものを大きなものに喩える、という気づきがあるが、今日は時間がない。これで終わりにしよう。推敲はあとだ。準備をしなくてはならない。
意外と整っていた。出先だから志賀直哉からの引用が間違っているかもしれないと怯えているが投稿しよう。特に「直ぐ二疋はもう一つになっていた。」というところ、「もう」って付けるかなあ、と思った。まあ、わからないのでとりあえず投稿しよう。間違っていたら後記で書きます。では。
https://note.com/0010312310/n/n877034d3a27c 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ(6)】より
(略)
うぶすなの言葉で通す冬の菊 橋閒石
今回は正木の次の鑑賞に注目したい。
作者にとってのうぶすなとは母であり、金沢の雪である。「うぶすな」という語はこんにちあまり日常的に使わないが、もちろん「ふるさと」とはニュアンスが違う。もっと肉体的であり、土着的であり、湿度を感じさせる。冬の菊とは黄色い寒菊のこと。ここでは母を思わせるように置かれている。
11頁
私はこれを読んで「方言」に関するいくつかのことを思い出した。
私の友人には広島弁を話す友人と鳥取弁を話す友人がいる。ここで注目したいのは私が彼女たち(どちらも(おそらく)女性である)とどのように話しているか、どれくらい方言的に話しているか、ということである。結論から先に言えば、広島弁の友人とは神戸弁(私は神戸の人ではないが神戸に近い人ではある。)で話し、鳥取弁の友人とは不恰好な仕方ではあると思うが鳥取弁で話している。そのことの不思議を思った。
ただ、二人の友人は別の経路で友人になったのであり、言い換えれば、別の場所で友人になったのであり、関係性も違うから、別にそれぞれの方言に何かがあるわけではないと思う。ただ単に紛いなりにも真似てしまう方言とそうではない方言、というか、真似しているときと真似していないときがある、ということ、それを不思議に思っただけである。
鳥取弁で話している(みたいになっている)とき、私は「似非鳥取弁だと思われないかな」とか、「嫌じゃないかな」とか、そういうことをたまに思う。いまのところ友人はそのように思ってはなさそうだが、そのように思う可能性は大いにあると思う。これと関連しているかどうかはわからないが、次のようなことも連想された。
もうどこで出会ったのか忘れたのだが、神戸弁が非常に好きだ、という人がいて、その人が私たちの神戸弁での会話を嬉しそうに見ている、聞いているのに、なんだか嫌な気がしたことがある。その人は友人、とは言えないくらいの人で、どれくらいあったかは忘れたが、あまり会ったことのない人である。しかし、それがなんだか嫌だったことは結構覚えている。いや、「嫌」というか、なんというか、不気味でもなく、引いているわけでもなく、なんというか、とにかく「嫌」としか言いようのない、そんな感じがしたのである。
このことについて、私は今の今まで忘れていたが、正木の「うぶすな」の説明、そして「冬の菊」の説明から、なんとなくこれらを思い出し、いま私はこの「嫌」が何によるものか、なんとなくわかってきたような気がするのである。
その人に対して私が「嫌」だと思ったのは私たちと仲良くなる気はなく、ただ単に私たちを観察し、それを享受しようとしているように見えたからだと私は思う。いや、思っている。いま。別に仲良くなろうとしてほしいわけではなく、「私とあなたは違います」とにこにこするのがにこにこすること自体ではなく「あなた」のよくわからない享楽、いや、なんとなくわかるような、動物園的な快楽に使われている感じがして、なんとなく「嫌」な感じがしたのである。おそらく。もちろんこれは穿った見方であり、その人も「似非神戸弁だと思われないかな」とか思っていたのかもしれない。いや、その可能性すらないから「嫌」なのかもしれない。
話をギュインと戻すが、私が広島弁を紛いなりにですら話さないのは、心の奥底で彼女が私とは違うと思っているからである。これはいい意味でもわるい意味でもなく、距離を取っているのである。この距離がなんなのかはわからないが、この距離が何に由来するのかはある程度わかる。彼女は私のような似非哲学者ではなく、(彼女自身は気がついていないが)本物の哲学者なのである。それに圧倒されて友人になったから相当仲良くなってからも距離があるのである。確実に。
ただ、さっきも言ったように、ただ単に違う場所で出会ったからこんな感じになっている可能性も大いにある。仮にそうではないとしたらこのように考えられる、ということであり、それだけでしかない。
で、関係ない話ばかりしてしまったが、私が「冬の菊」と関係あるような仕方で「うぶすなの言葉で通す」のは誰なのかを考えると、それは「母」であり、「私が住んでいる街の街路樹」であるように思われる。だから、「冬の菊」という感じはしない。ただ、その「冬の菊」と「うぶすなの言葉で通す」ことの関係自体はなんとなくわかる。そういう意味でこれは秀でた句であり、また、正木の鑑賞は秀でた鑑賞であると思った。
ただ、まっすぐ「学ぶ」ことをした感じはしないのでそういうときは()をつけることにしよう。そうして今回は「正木ゆう子から鑑賞を学ぶ(6)」となったのである。
https://note.com/0010312310/n/n85b593635d65 【正木ゆう子から鑑賞を学ぶ7】より
(略)
階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石
なんというか、階段が無いから嫌になっちゃって、「海鼠の日暮かな」って言っちゃったみたいな感じがする。どういうふうに作ったのかが気になるなあ。まあ別に他の人のやつもどういうふうに作ったものかはわからないけれど、なんというか、こういう人が、とか、こういうときに、とか、そういうことがわかりにくい句だなあ、と思った。「階段がなくて」のところはなんでもいいような感じがして、これである必然性がないからこそ逆に必然性を半ば邪推みたいな形で想像してしまう。階段があったら「海鼠」じゃないのかな、とか、「日暮」じゃないのかな、とか、逆にそっちになっちゃう。階段がないことは確定していて、そこになにをぶつけていくか、みたいな作句法だし、それゆえにそういう想像法だと思うのだが………。ただ、ここで「作句法」と「想像法」が「それゆえ」で繋がるのはやはり、「階段がなくて」と「海鼠の日暮かな」が切断されていて、繋がる予感もなく、さらに言えば二つが関係する仕方がいまいちよくわからないということによるもので、「作句法」と「想像法」が「それゆえ」で、さらには「作句法」から「想像法」という方向性で繋がることはあまりないことだと思う。正直なことを言えば、私には大して秀でた句であるとは思えなかった。
では、正木の鑑賞を読んでいこう。読んで、風呂に行こう。全文引用しておくので皆さんも同じことができるはずだ。「私の感想」を読んでしまったから私と同じではないかもしれないけれど。
『和栲』(昭和五八年)所収。堤防や突堤にはよく、潮が満ちると下の方が海に没する階段がある。ところがここにはそれがないのだろう。浅い海底に海鼠のいるのが見え、水中はことに夕暮の色が濃い。そんなふうに実景として解釈しても味わい深い句である。
ところが、海鼠を海中の海鼠ではなく食物として、階段を屋内の階段として解釈すると、一句の世界は全く違ったものになる。
階段が無い、とわざわざ言うからには、階段のあるべき二階家なのだろう。跳ね上げ式かなにかで、あるべき階段が無いのだ。階上と階下は階段があれば難なく行き来できるが、無ければ別世界である。その不思議さ。海鼠は階下の三和土に桶にでも入っているのか。それとも調理されたひと皿として作者の前に置いてあるのか。
この場合、階段の無いことと、海鼠の日暮との間には脈絡がない。この句はナクテナマコノと一見すんなり繋いで読めるように見えるが、じつは「無くて」と「海鼠の」の間に深い断絶があるのである。間隙は狭く深い。
閒石は「詩の本領は重層の曖昧さにある」と言ったが、この句などその典型といっていいだろう。百人いれば百人の違った解釈の可能な、重層的な句である。 12頁
では、お風呂に、そして湯船に入ろう。
春恋し湯ぶねのへりに耳当てり 春めきてものの名前も忘れたり
考えられませんでした。お風呂に入る前に同居人に「これは俳人が詠んだもの?私が詠んだもの?」クイズをしていて、そのなかで「石段の座れば春の顔見える」という句を出題して(皆さんはどちらだと思いますか。)、そのときに「一段に」とか「石段や」じゃだめなの?と聞かれたことについて考えることに夢中になってしまいました。というかそもそも、正木の鑑賞は「実景として解釈して」いるほうじゃないほうは、なんというか、リアリティがないし、リアリティがないことのリアリティもなくて、なんだか連想を育むだけ(例えば宮沢賢治の「革トランク」という短編に階段のない家というイメージが出てくるのでそれを思い出しました。)で、それは「鑑賞」としてはどうなんだ、と思いました。し、それを覆す考えも浮かびませんでした。さらに言えば、正木は「百人いれば百人の違った解釈の可能な、重層的な句である」と言っていますが、強調して言えば「百人いれば百人の違った解釈の可能」である=重層的なというふうに接続していますが、私はそうは思いません。「解釈」で「重層」的であるだけでなく生きていくなかで、なぜか思い浮かぶことを繰り返すなかで、愛唱するなかで「重層」的になっていく、私はそんなイメージの方が強く、そういう句こそがいい句だと思います。もちろん、私に曖昧なところで耐える、そんな力、いま流行りの言い方で言えば「ネガティブ・ケイパビリティ」が足りないのかもしれませんが。(ちなみに上の「石段の座れば春の顔見える」は私の句です。同居人はもっと直裁に「『の』がわからないから○○くん(私のこと)のやつだと思ったー。」と言って、「に」とか「や」とかを提示してくれた。私はそれらに応えて、「『に』だと散文的すぎる。」「『や』だとゴツゴツしすぎてる。」とか言いつつ説得を試みたが成功しなかった。というか、別に言い合うつもりはなかったと思う。同居人にも私にも。)
正木は「初版後記」で次のように言っている。(なぜか頁が振られていないので頁数は書かない。書けない。わけではない。頁は一つずつ進んでいくのだから数えれば、数え方を他のところで確認すれば書ける。ただ、書いていないので書かない。)
愛唱することと、鑑賞を書くこととの間には、たとえば一個の林檎を眺めることと、食べることほどの違いがある。書きながら、どんどん一句の世界へ引き込まれてゆく喜びを、この一年の間、何度味わったことだろう。優れた句は、一句の中に実世界と同様の奥行きを持って、どこまでも鑑賞者の侵入を受け入れてくれる。
もしかしたら「愛唱」寄りなのかもしれない。この句は。私はこの「優れた句」の定義、「優れた句は、一句の中に実世界と同様の奥行きを持って、どこまでも鑑賞者の侵入を受け入れてくれる。」が好きだ。閒石の「詩の本領」やそれに触発された正木の「重層的な」ということよりも。
触れられなかったことに触れて今日は終わろう。ぶつ切りで書く。私は橋閒石の句があまり好きじゃないのかもしれない。ここまで正木とともに鑑賞した橋閒石の句は句自体も正木の鑑賞もあまり好きではない。別に嫌いではない、というか、嫌いですらない。心の動くところがあまりない。だから「作句法」とか「想像法」とか、方法に目が向いてしまうのである。おそらく。まあ、まだ三句だからこれからどうにでもなるだろう。今回は、そして前回も正木の鑑賞にあまり学べなかった。今回は「実景として解釈」する正木の端正な感じには感じ入るところがあって、それは学びであると言えばそうだが、そうではないところでは「日暮かな」がよくわからなくなってしまうことが気になってなんともし難かった。もちろんなんでもかんでも説明することも説明できると思うことも野暮というか、俳句としてのキレに欠けるが、それにしてもリアリティがなかったのである。そうだ。橋閒石の句にはリアリティがない。現実ではあり得ないとか、そういうことではない。ここでの「リアリティ」は。「手触り」とか、「実感」とか、そういうふうに言われる何か、それがないのだ。そう言えば、同居人は私に言った。上のクイズの際、「の」とか「に」とか「や」とか言っていたときに、そのあとに言った。「○○くんは季節自体を比喩に使っているよね。」と。そして私は返した。「そう、俺には季節感がないからね。」と。二人で笑った。季節感がない俳句。まあ、別にそれでもいいと私は思う。まあ、季節感を得たいとも、微かに、いや結構思っているとは思うけれども。では。書き続けてしまうので今回はこれで。
推敲していると私のつんのめりが目に見えた。し、書き逃していることもいくつか見えた。が、それらを書く元気はないのでそれはまた今度に譲ろう。また書く機会はあるだろう。では。
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