https://note.com/rirako29/n/na71d05f869f1 【【草いきれ】歩いていると夏の言葉が不思議すぎてクラクラしてくる【夕立】】より
いつも歩く道筋に、草が生い茂る空き地があるのです。
そこはいつも、むんとした草いきれのにおいがたちこめ、緑の濃い香りがするなぁと
葉緑体を持つ植物と、我の違いを考えながら歩くのが定番です。
で、ある日 いきれって何よ?と思ってしまったわけです。熱れと書くとも、調べるとあります。どうやら他の字もありそう。『蒸されるような熱気やにおい』のことだそうですが
いきれ、という言葉のどこに熱気やにおいを彷彿とさせる何かが潜んでいるとは思えなくて。
いき?きれ?うーむ。しかも他の言葉に転用されている様子もない言葉なのです。
解決しないまま、毎日草いきれを吸い込みながら歩いているわけです。
時々暑さのせいか、においのせいか、クラクラしています。
それから、【夕立】という言葉。
最近はゲリラ豪雨とまた、ゲリラという言葉がすっかり天気やライブに転用できる言葉となっていますが、なんとこれスペイン語由来なんですね。ってそこじゃない。
夕立。夕方に突然降る夏の雨ですよね。立つのは何?なんなんですか。傘がたくさん開く様子?夕雨でもない。こちらも不思議で、ゲリラ豪雨のなかとぼとぼと、濡れネズミになりながら歩きながら、これはゲリラ豪雨だな、夜だから夕立じゃないな、とか考えているから水溜りを踏んだりするわけです。
言葉って面白い!でも悩みの種にもなる。と、最近感じています。
https://wisdom-box.com/origin/ka/kusa-ikire/【 「草いきれ」って、どういうこと?】より
「草いきれ」って、どういうこと?
夏に使われる「草いきれ」という言葉ですが、草がどういう状態なのでしょうか。
「草いきれ」は、夏に日光に当たっていた植物が発するむっとした湿気のことだそうです。
確かに、カンカン照りのときに草っぱらに入ると独特の匂いと共に熱気を感じますね。
化学的な説明としては、日光があたると葉っぱの表面の温度が非常に高くなるので、自分の持つ水分を水蒸気として外に出す「蒸散」が活発になります。
人間でいう汗のようなものです。
この蒸散の結果、植物の周りの湿度が高くなるために、人がそこに近づくとむっとした湿気を感じるという仕組みのようです。
なお、「いきれ」は「熱れ」と書き、湿気でむっとするという意味だそうです。これを使って、人混みの中で感じる熱気を「人いきれ」と言ったりもします。
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19960717,19980716,20071127,20150728&tit=%91%90%82%A2%82%AB%82%EA&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%91%90%82%A2%82%AB%82%EA%82%CC 【季語が草いきれの句】より
捨て猫の石をかぎ居つ草いきれ
富田木歩
木歩は、大正期の俳人。一歳のときに病いを得て、生涯歩行の自由を失う。学校にも行けなかった。このために関東大震災で落命することになるが、彼の句には、自由に外出ができなかった者の観察眼が光っている。この句も、そのひとつ。彼を励まし支えた新井聲風の『木歩伝』の絶版は残念だ。(清水哲男)
祭まへバス停かげに鉋屑
北野平八
バスを待つ間、ふと気がつくとあちこちに鉋屑〔かんなくず〕が散らばっている。どこからか、風に吹かれてきたものだろう。一瞬怪訝に思ったが、そういえば町内の祭が近い。たぶん、その準備のために何かをこしらえたときの鉋屑だろう。そう納得して作者は、もう一度鉋屑を眺めるのである。べつに祭を楽しみにしているわけではなく、もうそんな季節になったのかという淡い感慨が浮かんでくる。作者は私たちが日頃つい見落としてしまうような、いわば無用なもの小さなものに着目する名人だった。たとえば、いまの季節では他に「紙屑にかかりしほこり草いきれ」があり、これなども実に巧みな句だと思う。じりじりと蒸し暑い夏の日の雰囲気がよく出ている。北野平八は宝塚市の人で、桂信子門。1986年に他界された。息子さんは詩を書いておられ、いつぞや第一詩集を送っていただいたが、人にも物にも優しい詩風を拝見して、血は争えないものだなと大いに納得したことであった。『北野平八句集』〔1987〕所収。(清水哲男)
冬眠のはじまりガラスが先ず曇る
伊藤淳子
人間には冬眠という習慣がないので、それが一体どういうものなのかは想像するしかないが、「長い冬を夢のなかで過ごし、春の訪れとともに目覚める」というのは、たいへん安楽で羨ましく思う。しかし、実際は「眠り」というより、どちらかというと「仮死」に近い状態なのだという。消費エネルギーを最小限に切り替えるため、シマリスでいえば、呼吸は20秒に一回、体温はたった3度から8度になるというから、冬眠中安穏と花畑を駆け回る夢を見ているとは到底想像しがたい。また、冬眠は入るより覚める方が大きなエネルギーを必要とするらしく、無理矢理起こすのはたいへん危険だそうだ。環境が不適切だったためうまく目覚めることができず死に至るケースもあると知った。日常の呼吸から間遠な呼吸へ切り替えていく眠りの世界へのカウントダウンは、だんだんと遠くに行ってしまう者を見送っているような気持ちだろう。ひそやかな呼吸による規則正しいガラスの曇りだけが、生きていることのたったひとつの証となる。〈草いきれ海流どこか寝覚めのよう〉〈漂流がはじまる春の本気かな〉『夏白波』(2003)所収。(土肥あき子)
ゴム毬に臍といふもの草いきれ
大島英昭
そうそう確かに空気を入れる部位をおヘソと呼んでいた。弾みが悪くなればここから自転車の空気入れなどを使って空気を入れるのだが、微妙な具合が分からないとカチンカチンになってしまう。弾みすぎるようになるとかえって勝手が変わって使いづらかった。少女にとってゴム毬はお気に入りの人形と同等の愛情を傾ける。掲句では草いきれが、彼女たちの熱い吐息にも重なり、ゴム毬に注ぐ情熱にも思える。弾みすぎるゴム毬もそのうち空気が抜けてまた手になじむようになる。英語だとball valve(ボール・バルブ)。工具じゃあるまいし、なんとも味気ない。身近な道具のひとつひとつを慈しみ深く見つめているような日本語をあらためて愛おしく思う。『花はこべ』(2015)所収。(土肥あき子)
https://miho.opera-noel.net/archives/3191 【第六百三十夜 与謝蕪村の「草いきれ」の句】より
「草いきれ」とは、夏草の叢が、炎日に灼かれて、むせるような匂いと湿気とを発するのをいう。「草いきり」「草の息」とも言い、「いきれ」とは、蒸されるような熱気である。
「草いきれ」または「草いきり」などとして、江戸時代の歳時記には挙げていないが、例句が出始めていたという。明治になって、正岡子規がまとめた『分類俳句全集』には「草いきり」の項に蕪村の〈草いきれ人死をると札の立〉など挙げている。
犬のノエルの散歩は、夜の担当が私。このところの猛暑の厳しさは応えるが、夜風があったり星が出ていたり、そしてこの頃は、日中の太陽に灼かれた草の匂いがまだ残っている。ネコジャラシ、カヤツリグサなど腰の丈ほどの草が、季語では夏も秋も混じってト、草いきれを放っている。
草の匂いが好きなノエルは、乾いた草の上にゴロンゴロンと転がっている。
今宵は、「草いきれ」の作品を、『山本健吉 基本季語五〇〇選』講談社からみてみよう。
■1句目
草いきれ人死にをると札の立 与謝蕪村
(くさいきれ ひとしにおると ふだのたつ) よさ・ぶそん
猛暑や飢饉の年には、昔は、家を追われ川辺や橋の下に避難する人、死に絶えてしまう人も多かった。牛車に乗った貴族が息も絶え絶えの人を横目にムチを鳴らして通り過ぎた映画の場面を思い出す。
現代ならば、通報して救急車が来てくれるが、江戸中期の蕪村の時代では違った。「人が死んでいます」という立札を作って、地面に横たわった死者の側に立てたという。
「草いきれ」は、生い茂った夏草の匂い、現代のアスファルトとは違う地面の土の匂い、そして死に絶えてしまった人の匂いが混じり合ったものである。
■2句目
草いきれさめゆく園の夕かな 池内友次郎
(くさいきれ さめゆくそのの ゆうべかな) いけのうち・ともじろう
池内友次郎は、明治39年、東京都麹町生まれ。音楽家。高浜虚子の次男で、長いことフランスに留学していた。虚子は、父方の池内でなく祖母の実家の高浜を継いだが、友次郎は父方の姓の池内を継いだ。昔は、跡継ぎのことで名字にこうしたことはあったようだ。
俳句は、フランスから「ホトトギス」に投句していた。昭和10年4月号の巻頭作品の〈雪の夜の物語りめく寺院かな〉は、私が1番に覚えた池内友次郎の作品。
友次郎の作だから、450もの緑地があるというパリの公園として鑑賞してみよう。音楽家として作曲の勉強でパリに住んでいる友次郎は、勉強で疲れた時、曲の発想を得たい時など、真夏の公園を歩き回ったのではないだろうか。
句意は、広い公園にはたくさんの花が植えられていて、真夏の昼間の強い日差しに蒸されたような草いきれの匂いも、夕方になると褪めている、そのような園の夕べでしたよ、となろうか。
友次郎留学中の昭和11年、父の高浜虚子は、息子に会いにゆくためもあったが、虚子は、六女章子を同伴して大型客船の箱根丸で、4か月に及ぶ初めてのヨーロッパ旅行をした。虚子の『渡仏日記』には、4か月の旅が細かに書かれているが、フランスのマルセーユに着いて、友次郎の下宿で過ごしたほぼ1か月のことは書かれていない。
長い間離れていた息子友次郎との会話を、大切にしたのだろうと思った。
■3句目
草いきれ貨車の落書き走り出す 原子公平
(くさいきれ かしゃのらくがき はしりだす) はらこ・こうへい
原子公平は、大正8年、小樽市生まれ。「馬酔木」「寒雷」を経て、沢木欣一・細見綾子と「風」を創刊。社会性俳句を推進。昭和48年、「風樹」を創刊・主宰。
句意は、草いきれの中を走る列車。この列車には子どもが悪戯をしたのだろう、落書きが目立つように書かれている。その落書きに書かれていたのは「貨車」の絵だ。貨車の落書きの描かれた貨車が、田畑の中を悠々と走っているという。
子どもの悪戯にしてはおおらかな「貨車の落書き」に惹かれた。
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