Facebook田中 宏明さん投稿記事
もうちょっと肩の力を抜いて もうちょっとだけ不真面目に生きれたらええのにね^ ^
僕が生まれてからずっと世界はいつも緊張してて いつも世界は敵と味方に分かれてて
争わんでええことでみんな目くじら立てて 傷つけあってたわ
目にフォーク刺された 暴走族の頭が泣きながら「オレの仲間知らん?」って深夜の新京極通でオレらに話しかけてきた時にみんな一人やないでって言いたかったけど あんまりにも怖くてなんも言えへんかった 何が怖いって人の痛みを忘れた人が怖い
でも目にフォーク 刺したそいつらも痛み傷んで生きて来たんやろうな
痛みも争いも もういらん「今のお前のまんまでええ」 それがなかったらどんな理念も理想もただの争いの種や それに気づいたら 世界はもうちょっとだけ 優しくなるやろな
大きな変化やなくて 今一番大切なのはそんな不完全な人間への理解でしょ?^ ^
争わん 歪み合わんでもどうしてもやる時はやらなあかん そんな人間の持つ矛盾を生きている人 そんな不可解な矛盾も 受け入れて生きている人が ぼくは大好きどす^ ^ワハハ🌈
らぶ💓
Facebook一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)さん投稿記事
人生とは、自分と共に歩みながら、自分を知っていく旅です。私たちが「これが私だ」と思っている目に見える存在だけが、私のすべてではありません。
私たちの内面には自分で思っている以上にはるかに賢く、強く、そして美しい「私」が存在しています。人生とは、その真の私を見つけ出し、新しい自分を生み出していく旅なのです。
Facebook赤塚 高仁さん投稿記事
この世界では、「正しさ」が時に人を傷つけ、また自分をも苦しめる。
正義感や信念、深いところにある人間不信、自分を好きでない感情、そしていつも同じことを
繰り返す。
しかし、傲慢にも「私は大丈夫」と自分に言い聞かせて、変わろうとせず、相手が変わることを願う。やがて、かけがえのない大切な人さえ失ってしまう。
人は、希望がないところから去ります。 けれども、神さまのいのちは、もっと深いところに
流れている。たとえば、やさしさ、ゆるし、祈り、信じる力・・・だから、すべてにひとつの無駄もないのです。
「人は変われる」その秘訣が込められた祈りの書、 それが聖書です。 宗教の経典にしてはもったいない。
https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12915312680.html?fbclid=IwY2xjawLcIDZleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFwSnhCRnZwV0V2c3IwU1NzAR6yafstXdgJJllkLCoCMdjtHc38aownMVr8OyyWisi8VI5_hXk9jwHG5nTn8w_aem_WECU_A99FjSoqLdMSh6K1w 【初めから終わりまで誰でも楽しめる聖書】より
「まことに言います。 人は、新しく生まれなければ、 神の国を見ることはできません」
イエスは、微笑みながらニコデモに言いました。
「どういうことですか? もう一度母の胎内になんて戻れません」
「あなたがたは、一度『この世界』に生まれました。肉体を持って生きるということです。
けれど、神さまは、もうひとつの『いのち』を あなたに贈りたいと願っている。
それは、『神のいのち』 目には見えないけれど、あなたの心の深い場所に息づく光。
もう一度、神さまの無条件の愛の中で、 新しく生まれるのです。 誰も風を見た人はいないけど、 風が街を走るのをあなたは感じるでしょう? 神の霊(いのち)も同じように、
あなたの中にそっと吹いてくるのです」
ニコデモの胸に、長い年月ふれてこなかった風が、 そっと吹いたようでした。
たくさんの知識、たくさんの『正しさ』を持っていたはずなのに、彼の心には、まるで
幼な子のような『わからなさ』が広がっていったのです。
イエスは、ゆっくりとことばを選ぶように語りました。「神さまのいのちを受けて生まれ直した人、『霊から生まれた人』は、目に見えることだけを 信じて生きているわけではありません。 霊から生まれた人は、世界の騒がしさの中でも 静かな呼びかけを聞けるようになる。
まるで風の音を聞き分けるように神さまの 眼差しがどこにあるのか感じ取れるようになる」イエスは静かに続けました。 「風は思いのままに吹きます。 あなたはその音を聞いても、それがどこから来て どこへ行くのか知らない。 霊から生まれた人も同じ。 神さまのいのちは『目に見える正しさ』の 向こうにあるんだよ」
この世界では、「正しさ」が時に人を傷つけ、また自分をも苦しめる。
正義感や信念、深いところにある人間不信、自分を好きでない感情、そしていつも同じことを
繰り返す。しかし、傲慢にも「私は大丈夫」と自分に言い聞かせて、 変わろうとせず、
相手が変わることを願う。やがて、かけがえのない大切な人さえ失ってしまう。 人は、希望がないところから去ります。
けれども、神さまのいのちは、もっと深いところに流れている。
たとえば、やさしさ、ゆるし、祈り、信じる力・・・ だから、すべてにひとつの無駄もないのです。
そういう『目に見えない大切なもの』に気づけるようにるのが、『神さまのいのち』に生まれるということなのです。
ニコデモの眼差しが、少しずつ変わってゆきました。まるで固く結ばれて、張り詰めていた糸が,そっとほどけてゆくようでした。
そしてイエスは、その夜の静かさの中で、神さまの深い思いを、ぽつりと語りました。
その夜、ニコデモは、静かにうなずいて帰ってゆきました。彼の歩みは変わったようには見えませんでしたが、心の奥に小さな光が灯っていました。
誰かの心にふれることばは、 ときに、時間をかけて花のように咲くのです。
(新しい聖書より)
私たちは、イエスよりもはるかに多くの『知ってる』『持ってる』があります。
でも、 肝心なことは、何もわからないのです。 「知らない」ということを知らないのです。人は「知らない」という驚きによってのみ 考え始めるのです。
人はいきなり考え始めません。 そんなこと知ってる、と思い込み、自分は大丈夫、自分は出来るとたかを括っている。 いいえ、古い自分に死んで、 新しく生まれるのは容易ではありません。変容こそがいま神さまが願っていること。それは必ず、宗教の外側で起きます。
知らないことに直面した人間が、どんな風にそれを考えてゆくものか、その姿勢が人を動かすのです。
もうすぐ書き上がります、新しい聖書。 これこそが「宇宙の約束」です。 生かしていただいて、ありがとうございます。
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