https://japanknowledge.com/articles/koten/shoutai_70.html 【芭蕉の発句について】
https://tourikadan.sakura.ne.jp/tetugaku/tanaka_3_1.html 【発句と俳句 2】より
絵馬
二条良基の「僻連抄」について
前回、連歌の発句が俳句のルーツだともうしました。
「俳句」という用語が「発句」にとって代わったのは、明治以後で 「連俳は文学に非ず」として、発句を連歌から切り離して「俳句」 として独立させた正岡子規とその後継者達の影響によるものです。
私は、子規の連歌に関する見方は狭量で間違っていると思っていますが、過去の権威に囚われずに思ったことをずばずばと言った歌の世界の「革命家」としての気概に満ちた青年子規の文章には今でも惹かれます。
子規は、実作者としてよりも、理論家として、新しい時代の短歌や俳句のあり方を方向付けました。大事なのは、彼が自分の理論に基づいて俳句の結社や句会のありかたを決めたことでしょう。
たとえば、無署名で投句された句を選句し、点数を入れた後で披講するという現在普通に行われている句会の形式は、子規とその後継者達が始めたことで江戸時代の連歌俳諧の「座」にかわる俳句の「座」だったのです。
ところで、今日は、室町時代の連歌の世界に颯爽と登場した若き論客、二条良基 (1320-1388) を紹介したいと思います。遙か後世に 正岡子規が明治以後の短歌や俳句の世界を方向付けたのとおなじように,その後の連歌のあり方を定める理論を明快に提示した良基もなかなか魅力的な人物です。
「僻連抄」は良基26歳のときの著作で、連歌に手を染めてから十年くらいしかたっていない青年の手になるものですが、実に堂々たる気概に満ちた文章で、彼が後に師の救済の校閲を経て著した「連理秘抄」の草案とみられています。
連歌を共同で製作するひとは何を心得ておかなければならないか、
連衆の従うべきルールを定めたものが、「式目」ですが、良基以前の連歌では宗匠格の人がそれぞれの座で勝手に定めた規則に従っていたわけで、全国共通のルールというものは無かったのです。いわば、それぞれの地方で、「方言」を語っていた連歌の世界に「標準語」を導入するということを良基はやったわけです。
「式目」の制定者としての良基については、またあとで語るとして、今日は「僻連抄」のもうひとつの大事な側面と私が考えているもの---彼の発句論についてお話ししたいと思います。
良基は、まず発句は表現効果のはっきりとしたものが望ましいといいます。彼が、発句の良き実例として挙げている句は 霜消えて日影にぬるる落葉かなです。(室町時代が始まったばかりの頃のこの句、もう俳句といっても通用しますね。)
日影にぬれる落葉によって「霜の消えた」様を表現したこの句を良基は「発句の体」であるとのべています。
ところで、時代は遙かに下りますが、「切字なくしては発句の姿にあらず」とは芭蕉の言葉です。ところが、その芭蕉が、別のところで、、「切字をもちふるときは、四十八字みな切字なり」とも言っています。
つまり「かな」とか「や」とか「けり」というような言葉をつかわなくても句の「切れ」は表現されるわけですから、句に「切れ」があるかないかはどうやって見分けるのか、という問題が当然生まれます。
さて、良基は、連歌論の嚆矢とも言うべき「僻連抄」の中で、「所詮、発句には、まず切るべきなり。切れぬは用ゆべからず」と切れの重要性を強調した後で、句に「切れ」があるかないかを見分けるじつに明快な方法を教えています。
具体的には 「梢より上には降らず花の雪」という句には切れがあるが「梢より上には降らぬ花の雪」には切れがない。
その理由は、 「上には降らぬ花の雪かな」とは言えても「上には降らず花の雪かな」とは言えないからだと言っています。これなどは、実に分かりやすい説明ですね。
俳句に季語は必要不可欠ですが、そのルーツを辿っていくと連歌の発句に「折節の景物」を詠むべきであるという良基の主張に出逢います。
発句の成否は連歌の出来を左右するということを述べた後で、良基は、「発句に折節の景物背きたるは返す返す口惜しきことなり」と述べていますが、これは、その当時の連歌師に発句に季題を詠まぬものがいたことを示しています。
連歌の「折節の景物」は、和歌の世界の伝統を受けたもので、後世の俳諧の季題のように多彩ではありませんが、良基は次のものを挙げています。
正月には 余寒 残雪 梅 鶯 二月には 梅 待つ花より次第に
三月までは ただ花をのみすべし。落花まで毎度、大切なり。
四月には 郭公 卯花 新樹 深草 五月には 時鳥 五月雨 五日の菖蒲
六月には 夕立 扇 夏草 蝉 蛍 納涼 七月には 初秋の体 萩 七夕 月
八月には 月 草花色々 雁 九月には 月 紅葉 暮秋
十月には 霜(十二月まで) 時雨 落葉 待雪 寒草(十一月まで)寒風(十二月まで)
十一月には 雪 霰 十二月には 雪 歳暮 早梅
これらの景物を詠むべきであるとは、発句が嘱目の句でなければならないことを意味していました。従って、都にいて野山の句を詠んだり、昼の席で夜の句を詠むこと、「ゆめゆめすべからず」と注意しています。
「発句の良きともうすは、深き心のこもり、詞やさしく、気高く、新しく当座の儀にかなひたるを上品とは申すなり」とは、後に「筑波問答」のなかで述べた良基の言葉です。
http://matsuba-sushi.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-1817.html 【俳句で学ぶもてなしの心】より
「俳句で学ぶもてなしの心」 と題して洲本温泉女将の会(木下圭子会長) 主催で
講演は 俳人で正岡子規や高浜虚子が選者を務めた「ホトトギス」の同人を務めている
「高田菲路」先生
淡路島からは 服部嵐雪や永田青嵐など著名な俳人を生んだ 文化的に豊かな土壌でもある
豊かな自然と歴史、ロマン溢れる淡路島を「俳句の島」としてPR出来たらという目的もある。。。
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〇 天国は もう秋ですか お父さん (小学生の部で日本一)
〇 城の花 紺屋町まで 吹雪けり (三熊山の桜吹雪が紺屋町まで飛んできている様を見て)
〇父の日の 大きな朝日 昇りけり
〇十ほどの 海鼠突き来て 寒暮かな
◎曝書すや 郷関を出し 日の遥か (先生の代表句)
一人の少年の句と 高田先生の句を載せました。最後の句など 「なんと難しい句を読む方だな~」とおもっていましたが、、、
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①俳句は説明文になってはいけない
②絵を描くのと同じで写生が基本。よく観察して説明的な言葉を削っていけば感動が伝わる良い句ができる
③身の回りのことを詠むことから始めてください
と教わりました。。。
そして 芭蕉が俳句を始めてから300年以上日本人に愛され続ける「俳句」世界一短い詩のなかに込められた 情感、風景、感動、などに魅せられて・・・今尚 「俳句」の人気は衰えていない「俳句」は「日本の奥ゆかしい文化」なのである・・・
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昨日の「興奮」が覚めやらないままに・・・
今朝も 目覚めてしばらく 「俳句」に取り付かれたように・・・2句詠んだ私でした
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昨日は 急いでいてカメラも持ち合わせず 産経新聞の写真 スキャンさせていただきました
https://note.com/project_ishizue/n/n6802efac68e6 【心の設え-おもてなしの言葉と熟語】より
知っておきたい「おもてなしの心」-言葉の解説
以下のおもてなしに関する言葉や熟語は、様々な社会生活や仕事上での知識として様々な場面で役立つと実感しました。振り返ると、あのことはこの意を表す言だった、あの場で彼の伝えたかったのはこの意味だったなどと自らの学びに照らせることが多いと体感しました。
心の片隅に置き、時々取り出し生きる参考にしましょう。
日本独自の「おもてなし」の発祥とされる「茶の湯」の理解は、日本人の心の礎です。
※以下はその代表的な項目。
※1.一期一会
一生に一度だけの機会、自分の与えられた生涯に一度限り。生涯にただ一度しかないと考えその場その時の心尽くしに専念する。
※2.和敬清寂
(お互いの心を和らげ敬い、清らかで落ち着いた心)
先ず客人の心と資質の総て (立場・実体・趣味・嗜好・目的) に合わせ、「和」お互いに心を 開いて仲良くすることです。 この先には平和があります。「敬」お互いに敬いあうという意味です。 目上の人や家族、友逹みんな夫々を 尊重し合う(リスペクトする)ことで、
人間関係を大切にすることが出来ます。「清」目に見えるものだけでなく、 心もにごりがない清らかな状態のことです。 曇りのない目で人や事と相対することで、本当の姿や物事の本質が見えてきます。「寂」どんなときにも動じない心です。 どんな時も平常心を持ち余裕を持ち、 相対出来ることを表しています。
※3.主客一体
亭主と客とが一体となって創り上げるもの(時・場・雰囲気)を言い、主客ともこの関係を目指す。
※4.一座建立(イチザコンリュウ)
招いた主人と客人が一体となってその場を創る様々なあり方の活動をする日本の独自の文化おもてなしを表す。ホスピタリティのおもてなしは語源からも旅人や客人の「お世話」の活動であり、もてなし、お世話する側の心と様々なサービススキルを主に活動する。
※5.森羅万象
天地間に存在する、数限りない総てのもの(万物)や事象。「森羅」は樹木が限りなく茂り並ぶ意で、沢山連なること。「万象」は総ての形あるもの、有形のものの意。
地球、そして宇宙の中に存在するありとあらゆる物と、そこで起こる全てのことを指す言葉です。一つの事柄に対していうのではなく、森羅万象と言う一語がこの世の総てという意で用いられます。
※6.諸行無常
「諸行」とは、総ての物を指し、「無常」とは常がないと言うことで、一瞬たりとも同じ状態を留めることは出来ないと言うことです。
お釈迦様は、「今、一瞬一瞬が変わり続けているのです、 一瞬たりとも同じ状態を留めることは 出来ないのですよ、諸行は無常なり」と教えられています。
私たちは、物事がいつか、変わり、色褪せ、移ろいで行くことは判っていますし知っています。人間はいつかは死んで行かねばならないと思っているが、今日、今死ぬとは思えない。
物も壊れるのは、ずっと先で、今は大丈夫と頑なに信じ込み「しばらくは大丈夫だろう」
と自分で思っているのは私達の勝手な思い込みです。真実は、常に移変わり変化する諸行無常です。
※7.侘び寂び
侘びとは「慎み深く奢らぬこと」、侘を「正直につつしみおごらぬ様」とも解するひともおります。寂びとは、人がいなくなって静かな状態を表すようになったことを言い表します。
禅の師、清巌和尚は、寂びについてこう言っています。「茶の湯をする人は 大名なら大名らしく、 金持ちは金持ちらしく、 世捨て人は世捨て人らしく、 夫々に応じてするのが一番だ」詰り、侘び、寂びとは、その存在感を失わず、且つ謙虚さを大事にする。「侘び」は、不完全な物、不足しているものから感じられる美しさのこと。
「寂び」は、動詞「さぶ」の名詞形です。この「さぶ」には、「生気、活気が失われる」
「滅びる、消え行く」「時を経てもとの姿が劣化する、衰える」という意味があります。
「寂び」は、「人のいない静かでさびれた空間」静かさの中に唯一人の身を置き始めて成り立つとされている。
※8.不完全美
一様でない造形と微細な変化を美しいと感じる不完全で不均衡、左右対称の形ではない変化に
富んだ物には心に温もりを生みとても親近感があります。
それは、「対比」即ち陰と陽という捉え方は、見た目の変化によってメリハリが出るだけではなく、実用性即ち用の美にもつながります。「侘び」の感じられる柔和な形には機械で作った冷たさはなく、人が作った温かみを讃えています。それは、日本の伝統工芸品や自然の景色にも言える親しみと美しさに繋がります。私たち日本人は人の手で完璧に作り上げられたものよりも、ありのままそこにあるもの、不完全でも自然の中で作られた美しいもののほうが好ましいと感じるこころを備えています。
※9.守破離
日本の武道≒文化で修行の過程を、修得状況に応じて「守・破・離」の三段階に分けています。「守」は、基礎である物事を型通り(形の習得)にすることであり、そのことが一通り出来ようになると、型通りにしていては対応出来なり、型(形)を突破する「破」の段階に入るということです。「破」は、文字通り「破る・打破・突破」することであり、即ち型に嵌ったこと
を破る為に努力精進し、破ることであると考えます。
型(形)を破ることは、そう簡単には出来ません。「守」の段階をきちんと踏んで来ない人に対する考え方であるとも思われ、「守」を会得した人だけが「破」ことが出来ると言ったことを指していると考えられます。
「破」の段階を会得出来ると、最後に「離」の段階に入ります。「離」とは、先ず「守」ことを習得、会得し、次に「破」から離れることを指して言い表します。即ち、型通りにする時には型(形)通りに行い、必要に応じて型(=形)を打ち破り、そして型から離れることです。
※10.主観と客観
(主観的客観)主観だけに偏るとコミュニケーション活動の相手への想像力が不足します。
主観的な見方は誤りやすく、しばしば、人と衝突しがちです。客観的な見方なら公平に、
誤りに気づかせてくれます。主観と客観は、別々にあるのではありません。
主観と客観は分かち難く、ただの対立関係でなく、主観と対象との関係を超えることで客観に至ることが出来る主観的客観意識が備わるのです。
人の物事・事象の見方は、その時々の意識の位置に関わります。意識の有り様を、正しく確かめることで客観的な見方を意識的にできるようになります。片や客観だけに偏ると、自分がどうしたいのか、何を求めているのか、軸がブレたり相手のペースに合わせ過ぎてしまいがちになります。代表的な項目の解説は以上です。
日本の独自の文化和のおもてなしでは、もてなす側(主人・亭主)にあたる側が事前に先ずもてなす相手(客=個人団体)について出来る限りの情報と知識を知得理解し、もてなす側としての心とモノの「しつらえ=設え」を確りとして置きます。
自作-四文字熟語の解説
1.和顔和心 日々この心で生き抜きたい。 との気持ちを熟語にしました。 自然で和やかな顔(表情)、 和やかで優しい笑顔。 和顔和心
2. 親和温顔 親しみのある和やか表情と温かな眼差し。
3.心言一致 心=その人独自(個性)と発する言葉が一致する。
4.心行一致 心と行い(業=ワザ)が一致する。 この場合の行(業)は、行為、所業、仕業、
職業、仕事、こと、有り様、趣。 人間の身・口・意によって行われる善悪の行為を指す。
5.現業一致 現実と業が一致する。 この場合の業は、苦労して成し遂げる事柄、 生活のために行う仕事を指す。
(参照)言葉の解説(目次付).docx
言葉の解説-目次
1.「言」「言葉」 29.八正道
2.「ありがとう」の由来 30.三現主義は「五現と五原」
3.「徳」と「聴」の旁「直き心」 31.心・技・体
4.感謝の恩送り 32.心遣いと気遣い
5.『人に嫌われぬための五箇条』 33.傾聴力
6.「恩」 35.十の徳目
7.『困』という字 36.【二宮尊徳の教え】
8.幸せな心を創る 37.三大煩悩物欲、性欲、食欲
9.【新年の解】 38.四苦八苦の解説
10.応対と対応 39.明言素と暗病反
11.話
12.人を動かし自らを省みる「二分の一の法則」
13.返事『はい 』の語彙
14.何気なく・さり気なく
15.「仁」を以って貫く
16.自分を認める⇔己を知る
17.漢字の持つ意味 聴・優・想・思・体・帯 困・子・親・我・理・和・泰・態・対
大・隊・耐・退・待・滞・怠・台・逮
18.一期一会
19.サービスの語源
20.ホスピタリティの語源
21.【因果応報】
22.【報本反始】
23.【知足】
24.己に克つ【克己】
25.主客一体を学び知る
26.「五配り」+「気働き」
27.≪にんげん力≫
28.『正しい』こと、その判断基準
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