https://www.543life.com/content/seasons24/post20240727.html 【七十二候/土潤溽暑つちうるおうてむしあつし】より
七十二候では大暑の次候「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」を迎えました。
梅雨明けの猛暑はほとんど風がなく、しかも蒸し暑い日が続きます。じっとりとまとわりつくような熱波で、ただ外にいるだけで、いつのまにか肌はべたべた。高温多湿の日本の夏の厳しさを、毎年のことながらおもいます。肌がかさかさになるほど乾燥するヨーロッパの夏とは対照的です。
蒸し暑さをあらわす溽暑(じょくしょ)という言葉は晩夏の季語で、和暦の水無月(現在の7月ごろ)の異称としても使われます。ゆらゆらと目が眩むような熱気で舗道も火のように熱くなるので、「炎天」「炎ゆる」「灼くる」といった季語もあります。
ずっと続いていた暑さが一瞬、収まった日、アブラゼミやミンミンゼミに混じって、ツクツクボウシが鳴き出しました。「オーシーツクツク、オーシーツクツク、オーシーツクツク、イーヨーイーヨージーー」。みなさまの地域はいかがでしょうか。
ツクツクボウシの声を聴くと、夏もひとつ峠を越えたのだなとほっとするような、少し切ないような気持ちになります。日本の夏の暑さは容赦ない日照りが続く梅雨明けの今がいちばんきつく、立秋(8月8日頃)には朝にかすかな涼しさを感じたり、夕方の虫の音が始まったり、暑さの中にもどこか秋の気配が混じり始めます。日中はまだまだ当分、暑い日が続きますが、朝夕の変化や動植物の変化に注目していただくと、いろいろな変化が感じられるのではないかとおもいます。
今回はそんな炎暑の中で咲く花たちをご紹介します。
百日紅(さるすべり)
百日紅(さるすべり)は梅雨明けの目安とされる花。ちりちりとした花は咲いては散り、咲いては散りして百日間咲き続けることからこの名があります。
散れば咲き 散れば咲きして 百日紅 加賀千代女
炎天の地上花あり百日紅 高浜虚子
凌霄花(ノウゼンカズラ)
天使のラッパのようなオレンジ色の凌霄花(ノウゼンカズラ)。百日紅と並んで日本の夏の代表的な花。チャイニーズ・トランペット・フラワーとも呼ばれますが、平安時代から日本で親しまれてきた花です。凌霄花の凌はしのぐ、霄は空の意で、フェンスなどを伝って空をしのぐように高いところへ登って咲きます。炎天下でも次々と咲き続け、アリやミツバチなど多くの虫がやってきますが、じつは鳥媒花で、ヒヨドリがよく訪れます。
夾竹桃(きょうちくとう)
夾竹桃も百日紅(さるすべり)と同じく花期が長く、梅雨明けから3ヶ月以上、咲き続けます。インド原産で、乾燥や大気汚染に強いため、高速道路沿いでもよくみかけます。強い毒性があるため切り花にはできず、盛夏らしいと眺めるのみの花。
紅葉葵(もみじあおい)
ハイビスカスの仲間で、江戸時代、紅蜀葵(こうしょくき)と呼ばれていました。ひたすら高く高く、背を伸ばしていき、ハッとするような真紅の大型の花を咲かせ、真夏から秋の訪れを告げます。わが家の塀の前でも毎年、咲いて、季節を知らせてくれます。
芙蓉(ふよう)
大きな芙蓉の花。これから初秋にかけて、パラボナアンテナのような薄い花びらを大きく広げてふんわりと咲きます。みずみずしい葉の色合いも美しく、いかにも涼しげにみえます。
写真提供:高月美樹
お好きな花はありましたでしょうか。真夏日にみずみずしく咲く花たち。まだまだ暑さが続きますが、疲れが溜まらないよう、十分な睡眠をとって元気に乗り切りましょう。
https://ameblo.jp/panndora2419/entry-12053780311.html 【溽暑(じょくしょ)】より
こんにちは。今日は朝から小雨が降っていました。昨日までの猛暑が嘘のようです。そして日中にはとても蒸し暑くなりました。
俳句に「溽暑」(じょくしょ)という季語があります。サブとして、蒸し暑し、湿暑(しつしょ) 湿度の高い蒸し暑さをいう、じっとしていても、脂汗のにじむような蒸し暑さ。不快指数の高い不愉快な暑さというものです。
<例句>
照り返す溽暑の土を眩しみぬ 中川鼓朗 仏眼と眼が合ふ溽暑暗くして 岸田 優
朴の葉に金蝿を置く溽暑かな 富安風生 朝からの溽暑ぶつぶつ家を出る 菅野一狼
「溽」を漢字字典で引いてみました。
①湿度が多いさま、うるおうさま ②蒸し暑い ③味わいが濃厚なさま、あついということで、この一語で十分表現しているのですね。
そこで五句 《腑滋郎詠五句》
からみおる溽暑の髪の安ピン留め 責任という文字のなき溽暑かな
襟足の黒髪ひかる溽暑かな お互いにため息ばかり溽暑かな
責任をべったりなすりつけ溽暑 「怪人の一言、快馬の一鞭」
という言葉が「碧巌録」にありますね。
すぐれた馬は、一鞭しただけでよく走るということですね。どんな人の言うことにも学ぶべきことがあるということですが、情報化時代と言われ、情報が溢れると、なにが真実なのかうかうかすると見誤ってしまいそうです。特にマスコミ(ネット情報)には気をつけたい
ものです。自分で世の中の動きを察知して、よく聞き取捨選択する目を持ちたいものです。
今日は、文月のふみの日なんですね。
「玉章」たまずさ、「玉梓」たまあずさといったそうです。手紙をたずさえた使者が梓の杖を持っていたことから使者をさす言葉になり、やがて、相手からの手紙を敬って口にする時にも言うようになったようです。
あまり手紙を書くことが少なくなりました。以前は一語一語丁寧に書いていたようですが、今では、メールなどで簡単に、軽い気分でやりとりしていますね。
そして日本語の美しさがどんどん薄れてしまっているようです。実に悲しいことです。
日本人の心にも薄れているものがあります。「恥」と「責任」という言葉です。 「一億総無責任」「無恥」です。蒸し暑い一日、考えると本当に不快指数が高まってイライラしてストレスが溜ってしまいます。
今日はここまで、また明日から暑くなりそうです。皆様、お身体ご自愛ください。御機嫌よう。
Facebookあいことばさん投稿記事
【「隣のおじさん」が毎月給料を運んでくれると思ったら】
小林正観さんの心に響く言葉より…
湖でボートに乗っているときに、ガシャンと音がして他のボートがぶつかってきて、そのはずみで湖に落っこちてしまったとします。
「何するんだ!」と怒鳴ろうと思って後ろを振り返ると、無人のボートだった、という場合には、誰も怒鳴らないでしょう。
無人のボートだったら怒りは湧いてこないのに、人が乗っていたら怒りが湧いてきて、怒鳴って怒りをぶつける、というのはどこかおかしいと思います。
また、夫婦関係でどうしても相手が気に入らないという人がいます。
それは、相手のことを「妻だから」「夫だから」という前提で見ているためです。
もし、「隣のおじさん」が毎月給料を運んでくれるのだったら、「私たちのために毎月給料を運んできてくれて、ありがとうございます」と感謝できます。
同様に、「隣のおばさん」が毎日食事を作りにきてくれているのだと思えば、「なんて親切な隣のおばさんなんだろう。ありがとうございます」と感謝するでしょう。
どうして自分の妻だったら、食事を作ってくれても感謝しないのですか。
どうして、自分の夫だったら、給料を運んできてくれても感謝しないのですか。
「稼ぎが少ない」とか「働きが悪い」と文句を言うのはおかしいということになりませんか。
あるとき、「夫がたくさん役職とか引き受けてきて、とても大変そうなんです。私は、そこまでする必要がないと思いますし、そんなにさせられて過労で倒れたり、病気になったりするんじゃないかと、とても心配なんです」という相談がありました。
私は、「大変だ心配だと言うよりも、私はあなたを支えてますよ、いつも応援していますよという態度でご主人に接していかれたらどうですか」と答えました。
夫が仕事で疲れて帰ってきたら、その疲れた顔を見るたびに「どうしてそんなに引き受けるのよ、どうしてそんなに忙しい日々を送るのよ」と言っていれば、夫のしていることを全部否定し続けることになります。
夫のことが本当に心配なら、文句を言い続けるのではなく、夫の喜ぶような料理やスタミナのつく飲物なりを用意してあげるとか、もっと力や元気が出 るように笑顔で接してあげるとか、励ましの言葉をかけてあげるとか......。
そういう方向で やってあげたらいいと思います。
「どうしてあなたは、そんなに毎晩遅いのよ」「どうしてそんなに役職を引き受けるのよ」などと、愚痴や文句を言い続けていることが、実は夫の体を弱らせているのかもしれません。
言葉のダメージで、体の細胞がどんどん弱ってしまうのです。
そうやって夫に接するよりも、笑顔で「ご苦労さま。多くの人のために頑張ってくださって、あなたは偉いですね。妻として、あなたに対して何もできないけど、せめてパワーのつくような料理を食べてください」「用意しときましたから、これも食べて元気を出してくださいね」とか、「私は、あなたにはなれないけれども、少なくとも、あなたがやっていることを 応援してあげられる妻の座を、誇らしく思ってます」と言ってみてはどうでしょう。
そういうポジションで夫に接したらいいと思います。
夫が疲れ果てて帰ってきたときに、他人はあなたのご主人を気遣って、栄養ドリンクを作ることはできませんが、あなたは妻なのですから、元気にしてあげることが日常的にいくらでもできるはずです。
本当に心配なら、文句を言うのではなく、やってあげればいいのです。
それが本当に応援しているということであり、本当の優しさなのではないでしょうか。
「あなたの体を心配している」と言いながら、文句を言い続けるのは、全然優しくありませ ん。
まったく味方をしていないばかりか、一番身近な敵になっているということです。
そうした言葉を届ければ届けるほど、その人の細胞はどんどん萎縮して、げんなりしていきます。
それは妻に対する夫の発言もそうですし、子どもに対する親の発言でも同じことが 言えます。
大変そうに見えたら、笑顔で「ご苦労さま。自分にできることはこれだから、手伝ってあげるね」とバックアップしてあげる。
そういうやり取りが見えたら、とても元気になるでしょう。
自分に対する言葉でも同じです。誉めてあげること。
「どうして私がこんなことしなくちゃいけないの、どうしてこんなに手間かけて作らなくち ゃいけないの」などと自分を責めるのではなく、「私っていい人だよね。いい妻だよね」と、 自分で自分を誉めてあげるのも、すごく重要なことです。
なぜなら一番近い味方は自分なんですから。
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夫婦関係だけではなく、会社の人間関係でも同じことがいえる。
何の縁もゆかりもない人たちが、たまたま集まってくれ、一生懸命会社を支えてくれていると思うなら、それは感謝しかない。
また、隣のおじさんや、おばさんが、頼みもしないのに、会社に来て、会社を盛り上げてくれると思ったら、それも感謝しかない。
また、夫婦関係にとどまらず、友人や会社の部下などにも、「あなたのことを心配しているから、言うんだけど」といって、ネチネチとお説教したり、文句を言ったりする人がいる。
本当に心配なら、相手が元気なるようなあたたかな言葉をかけたり、思いやったりしなければいけないのに、怒ったり、文句を言ったりして、相手の元気を奪ってしまう。
その言葉の鋭い刃(やいば)で相手を傷つけ、意気消沈させ、人を暗くさせる。
我々が生きる目的は、まわりの人に、少しでも喜んでもらうことをすることであり、喜ばれる存在になること。
そのためにあるのが「愛語」。
愛語とは、「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりにみちた言葉」。
その反対が、「冷たい言葉」「情け容赦ない(きつい)言葉」「トゲトゲした言葉」。
喜ばれる夫(妻)、喜ばれる友人、喜ばれる上司(部下)を目指すこと。
感謝の言葉多き人生を歩みたい。
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